7章・万物は再び流転する

7-1.大晦日から新年へ

 紅白歌合戦の判定が終わり、今は出演者みんなで歌を歌っている。これが終わればゆく年くる年が放送される時間だ。毎年似たようなお寺と初詣に訪れた人々が映し出され、たまに再放送じゃないかと疑ってしまう番組を例年はぼんやり眺めるのだが、今年はそんな暇は無い。

 時計を見てから黒のロングトレンチコートを羽織り、少し長めの手編みのマフラーを首に巻いた。年越し前から誰かと初詣に行くというのは俺の人生において初めての経験だ。


「あんまり遅くならないようにね。他の親御さん心配するだろうから」

「まぁ、真樹はその辺の事は解ってるだろ。気をつけてな」


 玄関前の鏡で髪形等チェックしていると、両親がリビングから声をかけてきた。

 他の親御さん、という言葉が少し引っ掛かったが、結局「うい」と適当に返事しておいた。

 こうしていちいち心配してくるあたり、初詣と言っても夜中に息子を出すのは心配なのかもしれない。

 もう高二……いや、あと数か月もしたら高三なのに、両親の中では未だ俺はよちよち歩きの赤ん坊のままなのだろう。俺はなるべくその心配を和らげてやるよう笑みを作り、寒い夜空の下へ出た。

 昨日の夜から降り始めた雪は夕方まで降り続け、辺りは一面雪化粧だった。車のタイヤの後は地面が見えているので、そこを歩いて行けば滑る事はない。滑って転ぼうがトリプルアクセルを飛ぼうが、まだ受験生ではない俺には関係ない。だが、転ぶのは恥ずかしいし、服が濡れるのは嫌なのでなるべく安全な道を選んで歩いた。

 家の近くにあるY字路には人影があった。長い黒髪の、顔立ちが整った女の子がいた。彼女は俺の姿を見つけると、彼女はこちらに向けて手を振った。


「悪い、待った?」

「ううん、今来たとこ」


 天使みたいな女の子が、街灯の光でもよくわかるほど、嬉しそうな笑顔を見せていた。

 ぱっちりとした大きくて優しそうな瞳はキラキラと潤んでいて、顔立ちもさっきまでテレビで見ていたアイドルなんかよりも華々しい。きっと天使でもここまで綺麗な笑顔は見せられないだろうな、などと思ってしまうのは、さすがに惚気が過ぎるだろうか。


「よし、じゃあ行くか」

「うん!」


 俺が手を差し出すと、彼女は手袋を外して遠慮がちに俺の手を取った。彼女の手はまるで俺の心の芯まで優しく包み込むように暖かくて、思わず笑みが漏れてしまう。

 そう……俺達は付き合っている。厳密に言うと、ちょうど一週間前のクリスマスイブにお互いが想いを打ち明けた。

 彼女――麻宮伊織――は、今年の十月に俺と同じクラスに転校してきた女の子で、Unlucky Divaというバンドのボーカルでもある。ちなみに俺はそのバンドのサイドギターの担当であり、他のメンバーも同じ学年だ。一応は仲が良い……はずである。一部問題もあるが、今は触れないでおく。

 彼女は、両親を事故と病気で亡くし、その悲しみをリセットする為に大阪を離れ、俺のいる桜ヶ丘高校に転校してきた。もともとは東京生まれなので、関西弁は話せないそうだ。

 しかしながら、場所を変えたからと言って両親を亡くした傷が消えるわけがない。今尚彼女の心は孤独と悲しみで埋め尽くされていて、そこから救うのが俺の役目だった。

 伊織はそのルックスからも、尋常じゃなくモテていて、至らないところだらけな自分でその彼氏が務まるのかと不安も多い。

 一方、俺は彼女が転校してくるまで、学校では嫌われていた。どのくらい嫌われているかというと、気になっていた女の子に告白したら『みんなから嫌われているから無理』という理由で振られるくらいだ。

 高校に入ってからロクに女の子とも話していなかったのだが、伊織が転校してきた事を切っ掛けに、そんな環境が少しずつ変わって行った。今ではクラスの女子とも普通に話せる程度となったのだ。

 うちのクラスは、普通科ではなく外国語科で、クラスの大半が女子な上に、三年間クラス替えがない。もはや俺の高校生活はどうにもならないと諦めていたところ、伊織が救世主の如く現れた。

 しかし、そんな彼女からすれば、俺が救世主なのだと言う。理由はわからないけども、彼女にとって俺は特別で、俺と一緒にいるとつらかった過去も許せるのだそうだ。

 伊織は、そんな俺達の関係を〝ソウルメイト〟と呼んだ。前世から魂の絆で結ばれており、出会う事も結ばれる事も必然だった、と。

 彼女がそう言いたくなるのは、何となくわかった。彼女と初めて話した時から他人という気はせず、もっと前から長い知り合いだった気がして、何より『やっと会えた』と心のどこかで感じていたからだ。そして、それは彼女も同じだったらしい。

 俺達は互いに惹かれ合い、もうこれ以上人を好きになる事はできない、これが最初で最後の恋愛だと互いに想い合うようになっていたのだ。


「最近の紅白は何だか微妙だね。昔みたいに見てて楽しくないよ」

「確かに、最近紅白の価値は無いに等しいな。どっちかっつーと落ち目のアーティストしか出てないし」

「うん、人気のある人達は出演辞退しちゃうから、つまんないなぁ……」


 昔では考えられないのだろうけど、紅白が落ちぶれた時代になってきた。結局俺も見たいアーティスト以外はずっと『笑ってはいけない』の番組を見てしまう。


「まぁ、Unlucky Divaが出演したら視聴率七〇%は軽いだろうけどな」

「な、七〇って……今の時代有り得ないよ」

「みんな伊織目当てで見るだろうさ」

「もう……またそうやって煽てる。私なんて大した事無いってば」


 とか何とか言いつつ、嬉しそうだ。これは自惚れかもしれないが、彼女は俺に誉められると嬉しいのかもしれない。


「でも、もし紅白に出れるくらい有名になったとしても、私は出たくないなぁ」

「だな。何でわざわざ大晦日にあんな大それた演劇会に出なきゃいけないんだか」


 出演者のセリフが全て台本通りに決まってると聞いて、大層がっくり来たものだ。子供騙しもいいとこだ。


「それもそうなんだけど……私の場合、大晦日はゆっくり家で過ごしたいな」

「あ、確かに。それが一番良い大晦日の過ごし方かもな」


 俺達は顔を見合わせ、照れ笑いを交わした。

 一番良い大晦日の過ごし方……それは多分、二人とも同じ事を考えていて。お互いに何となく察しているけども、それは恥ずかしくて言えない。

 二人で何でもいいからテレビを見て、ゆく年くる年を見ながら年越し蕎麦を食べて、除夜の鐘の音を聞く……多分、そんなのんびりした大晦日。

 まだ未成年なのに何を言ってるんだと笑われそうだけど、伊織は独りだ。独りであるが故、大晦日やお正月といったイベントは辛いのだと思う。そんな彼女の為に、できるだけ早く暖かい家庭という環境を作ってやりたい。そして、その為にはどうすべきか、俺は真剣に考えなければならないのだ。


 神社の石段を登り切ったと同時に、除夜の鐘が鳴った。


「あっ……! 明けましておめでとうございますっ」


 伊織が嬉しそうに微笑んでから、丁寧に頭を下げた。


「おめでとう!」

「今年も宜しくお願いします」

「こちらこそ」


 俺達は少々照れながらも、二人で年明けを祝った。新しく年を開ける瞬間を、二人で迎えられる事がただ嬉しかったのだ。

 神社内を見てみると、人でごった返しているが、初詣気分を味わうには丁度良かった。


「じゃあ、早速並ぼっか」

「ああ」


 伊織の提案に頷いた。神前まで辿り着くには少し並ぶ必要はありそうだが、有名な神社ではないので、さほど時間は掛からなさそうだった。並んでいる間は二人でこの後何を食べるかの話をして時間を潰した。神前まで辿り着くと、お賽銭を納めて、鈴を鳴らした後、姿勢を正して腰を九〇度に曲げ二礼する。その後に二度拍手を打ち、目を閉じた。

『伊織とずっと一緒に居られます様に』

 他にお願いはしなかった。いくつも願い事を言うと、どれか叶えてくれなさそうだ。それに、その願いさえ叶うなら、十分だ。俺にとってそれ以上の贅沢はない。

 神前を後にすると、二人でおみくじを引きに行った。結果、何と二人とも大吉だ。正月は大吉が多いそうだが、これはこれで嬉しい。


「凄い偶然! こんな事ってあるんだね」

「これで今年一年は安泰だな」

「うん、やったね!」


 大吉と言えども書いてある事は違う。俺達はお互いのおみくじを読み合ってから、大切に財布に仕舞っておく事にした。

 それから出店で甘酒を飲んで、ちょっとだけ食べ物を摘まんでから神社を後にした。

 初詣からの帰り道も、俺達は手を繋いでいた。何だか一度繋いでしまうと離すのが嫌になってしまう。一生繋いどけと言われても喜んで実行するだろう。


「ね、真樹君は何をお願いしたの?」


 何の脈絡も無く、伊織が突然訊いてきた。


「ん? 内緒に決まってんだろ」

「えー? 教えてくれたっていいじゃない」

「何でだよ。恥ずかしいし」

「恥ずかしくていいから、教えて?」

「おい……」


 てへっと伊織はごまかすように笑った。


「じゃあ、私も言うから」

「何でいきなり交換条件になるんだよ」

「ん~……頑固だなぁ。あっ、『いっせーのーで』でお互い言い合うのは?」


 何が何でも聞きたいらしい。逃げ道が無いと見た俺は、わかったよ、と承諾した。


「やった! じゃあ、行くよ?」

「え、いきなり?」


 俺が他の適当な言葉を考える余裕もなく、伊織はそのまま続けた。


「いっせーのーで……」


 どうやら強行突破らしい。他に言い訳も思い浮かばないので、俺は本当の事を言おうと腹をくくった。笑われたっていい。事実なのだから。

 そして、俺達の口から発せられた言葉はこうだった。


「伊織とずっと一緒に居られますように」

「真樹君とずっと一緒に過ごせますように」


 願い事も同じだった。さすがに驚いた俺達は、ぽかんと顔を見合わせている。


「うそ……これも同じ?」


 信じられない、という表情で伊織は言った。


「さすが俺ら、って事か?」


 ここまで一緒だったら何か気味が悪いと思うと同時に、嬉しかった。俺達の縁は何があっても切れないのではないかと確信させてくれたのだ。


「嬉しい……」


 伊織は呟くように言った。


「真樹君もそう思ってくれてたって思うと、ほんとに──」

「ま、待った。新年早々泣くなよ?」


 俺は伊織の手を離して肩を抱き寄せた。こんな事でいきなり泣かれても困る。


「泣かないけど、それくらい嬉しいかも」


 困ったように微笑んで、鼻をスンと鳴らした。瞳には膜が張られている。何だかその表情があまりに愛しくて、俺は笑ってしまった。


「あっ、笑う事無いでしょ? ほんとに嬉しかったんだから」


 彼女はじぃっと俺を責めるように上目を遣って見つめた。


「悪い悪い、俺も嬉しいんだよ。何つーか、照れ臭くってさ」


 彼女の頭を撫でて、髪にキスをした。甘い匂いが俺の鼻を擽って、幸せな気分にしてくれる。その香に包まれながら、俺達は沈黙に身を委ねた。

 何も語らなくてもいい時間……目を瞑ったまま歩くと、そのまま別世界に行けるのではないかと思える程、満たされた時間。そんな彼女との時間が俺は好きだった。

 いつもより少し遠回りをしたのだけども、気がつくと、待ち合わせ場所であるY字路に戻っていた。俺は立ち止まらず、そのまま彼女の家に繋がる道を進んでいく。


「時間、まだいいの?」

「別に対して変わらないし……つか、もう少しこうしてたいだけだったり」


 普段なら恥ずかしくて言えないのだろうけど、今日は何故か言えた。多分、おみくじのせいだろう。そう思い込む事にした。


「うん……私も、もう少し一緒にいたいなって思ってた」


 その返事が妙に嬉しかった。彼女とくっついてしまうくらい近づきたくて、更に彼女を引き寄せる。いくら永久にこの時間が続けと願っても、Y字路から彼女の家までの距離は変わるはずもなく、程なくして着いてしまった。

 そういえば、伊織の家の前までくるのは初めてだった。


「……暫く会えないんだっけ?」


 抱いていた肩を名残惜しみながら離すと、彼女は門に手をかけた。


「暫くって言っても、たった一週間だよ。始業式には会えるから」

「そうだな……」


 たった一週間でも、伊織に会えないのは辛い。明日から何をすればいいのかもわからなかった。


「わかった……じゃあ、始業式で。いつでも電話してくれていいから」


 俺は相変わらず強がって言った。電話して欲しい、の間違いだろ、と自分に呆れ返る程だ。


「うん……ありがとう。LIMEするね」

「ああ、わかったよ。待ってる」

「…………」

「…………」


 何だかそこで会話が停まってしまった。

 他にも何か言う事がまだあるのに、何故かお互いがそのタイミングを掴めずにいた。先程とは違った、気まずい沈黙……我慢できず、『じゃあ、もう帰るな』と言おうとした時、彼女は口を開いた。


「あの……ごめんね? ほんとは上がって貰いたいんだけど、私、明日早いし」

「え? ああ。そんなの別にいいよ。寝坊して電車乗り遅れたら大変だろ?」


 家に入れてもらえるかと少しは期待もしていたけど(決して下心ではない)、仕方ないと思う。まだ俺達は付き合い始めたばかりだし、一つ屋根の下で男と二人っきりになるのも不安だろう。俺だって緊張していつものように振る舞える自信が無い。


「あ、あの、別に真樹君を信用してないとか、家に入れたくないとか、ほんとそんなんじゃ無いから……」

「わかってるって。気にしてねーよ、そんなの」


 少しも気にしてないと言えば嘘になるが、それは今主張すべき事ではない。ゆっくりゆっくり、俺達は進んでいくべきなのだ。急進する必要は無い。


「じゃあ、そん代わりって言ったら何だけどさ……」

「ん?」

「キス、していい?」


 伊織は俺がそう言うのを覚悟していたのか、顔を赤らめながらも、こくりと頷いてくれた。

 彼女の赤くなった頬を指で撫で、両肩にそっと手をかけて唇を合わせた。

 玄関先での、少し長いキス。ひんやりとした感触が、やがて温もりに変わって、幸せの絶頂へと運んでくれた。


 少なくとも、この時俺は世の中全てが上手く行くと思っていた。

 でも、幸せ続きで忘れていた。一度何かが変わると、他も変わっていく事を。例え好調だったとしても、人生の波は、万物は、流転していくという事も……この時の俺は、忘れていたのだ。

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