12-10.伊織の相談④
「それで、軽い方の相談って?」
公園内の遊歩道を散歩しているうちに、ようやく伊織の機嫌が治ってくれたので、訊いてみた。
「あ、そうだった。もう一つの相談は、その……彰吾の事、なんだけど」
全然軽くないじゃねーか、と心の中で思いっきりツッコミを入れた。確かにさっきの問題よりかは軽いかもしれないけど、彰吾に関しては俺達の間でタブーレベルに重い問題だ。
元通り幼馴染ポジションに戻ってほしいとかか? そんなの、俺がいる限り無理だろ。
「あ、仲直りしたいとか、そういうのじゃないよ?」
俺の表情を見て察したのか、伊織はそう付け加えた。よほど嫌そうな顔をしてしまっていたのだろうか。
「バンドの事があって、私達の事があって、彰吾がああなっちゃうのもわかるんだけど……ただ、なんだか、今の彰吾は、すごく嫌だなって」
「まあ、言いたい事はわかるよ」
そこに関しては、俺も同じ気持ちだった。
彰吾が悪いわけではない。俺達が悪いわけでもない。ただ、なんというか、彰吾に人を拒絶しているオーラを放たせてしまっているのが、嫌なのだ。
「私ね、あんまりスポーツとかに興味があるわけじゃなかったんだけど、サッカーはよく見てて」
「あれ? サッカー、見るの?」
一昨日くらいの事だ。確か、サッカーの日本代表の親善試合がテレビでやっていて、見る? と伊織に聞いたら、彼女は首を横に振っていた。結局あの日はバラエティー番組を見ていたように思う。
「ううん、東京来てからもう見なくなっちゃった。多分、彰吾と話を合わせるために見てたのかなぁって……今にしては思うんだけど。小さい頃から、サッカーの話ばっかりしてたから」
「ふぅん……」
なんだか、やっぱりそういう話を聞くと、心のどこかで面白くないと思ってしまう俺がいた。もちろん、伊織がそういう意味で話してるわけではないのは重々承知しているのだけれど。それに、こんなことで嫉妬してしまう自分にも、少しだけ嫌になる。
「彰吾のサッカーしてるところは好きだったから、またサッカー始めてくれたのは素直に嬉しいんだけどね。私のせいで辞めちゃってたんだろうし」
彰吾は、東京に転校してきたと同時にサッカーも辞めていた。大阪の高校ではレギュラーを務めていて、うちの高校でもすぐにレギュラーになってしまったほどだ。きっと、サッカーが好きで好きで堪らなかったのだろう。
それだけサッカーが好きだったのに、彼は伊織のためにチームメイトの元を去り、そして、サッカーすら辞めた。彼の伊織に対する気持ちの強さは、計り知れない。
「彰吾の気持ちには応えられなかったけど、これまでいっぱい彰吾に迷惑かけちゃったし、助けられたから……そのお礼が言えたらなって」
ただの自己満なのかもしれないけど、と伊織は付け足した。
「悩みって……それだけ?」
「それだけ。でも、それだけなのに、できなくて。話そうと思えば学校で話せるし、話すのが無理だったらLIMEで送ってもいいはずなのに……なのに、何も送れないの」
「それは、伊織の気持ち的に?」
「うん、私の気持ち的に。たぶん、私も彰吾の事を無意識に避けちゃってるから」
彰吾の方はどう思っているんだろうか? 伊織と今はもう話したくないのだろうか。
いや、話したくないからああして全てを拒絶しているのかもしれない。ただ、俺の方でも彰吾に関しては、伊織と同じだ。お互いに避け合っている。彼の真意なんて知れるわけがない。
もし本当に彰吾の気持ちが知りたいのであれば、信に上手く訊いてもらうしかない。
「多分、今はまだそのタイミングじゃないんだろ」
伊織が避けてしまっているのであれば、きっとそれを言えるタイミング・状況ではないのだ。実際に、今話したところで、相手に真意が伝わるとも思えない。むしろ、それを本能的に察しているから、伊織は何もできないのだろう。
「かもしれないね……」
「まあ、もしそれが本当に言うべき事なら、きっと言えるタイミングがくるさ」
「なんだか達観してる人みたい」
くすっと伊織が笑った。なんだその、人を老いた老人みたいな風に言うのは。
「達観してるわけじゃねーよ。ビートルズのLet it beの精神なんだよ、俺は」
「Let it be……『なすがままに』ってやつだよね?」
「そう。あれってそこだけ日本語訳するとさ、何もしなくていいっていう他力本願な言葉に思えるんだけど、歌詞をよく読んでみるとそうじゃないんだよ」
「そうなんだ? どういう意味なの?」
俺はスマホでLet it beの和訳歌詞を検索して、伊織に見せた。
伊織はそれをゆっくりスクロールして読んでいく。
「あくまでも俺の解釈だけど……これってさ、『今はただ、その流れに身を委ねなさい』ってことなんじゃないかな」
彼女が歌詞の最後まで見終わったタイミングで、俺は話し出した。
「あ、ほんとだ。〝今は〟っていうニュアンス、わかる気がする」
「そう。今頑張ってるんだから、そのまま頑張ればいい、そうすれば辿り着くべき場所に辿り着けるんだよっていう……きっと、Let it beってそういう意味の曲なんじゃないかな」
「うん……言われてみればそうなのかも。だから、この曲はこんなに優しいんだね」
伊織がスマホから俺の顔へと視線を向けて、少し嬉しそうに言った。
「だって、私達もそうだったもんね」
「ん?」
「ほら。昨日の夜話してた、〝選択〟の話」
「ああ、そういえば話してたな、そんなこと」
昨日、彼女の部屋で俺は確か、こう言った。
『伊織はさ、すごいつらい事があったけど……そこから諦めず、今ここに来ようとする選択をし続けてきただけなんだと思う』
思い返してみれば、これもLet it beの思想だ。辿り着くべき場所に辿り着けたんだよ、と、俺は昨日も彼女に言っていたのだ。
「『今ここに来ようとする選択をし続けてきただけ』って言われた時、すごく嬉しくて……でも、確かにそうだなぁって納得もできて。実はあの後、ひとりで泣いちゃってたの」
「また泣いてたのか」
「だって、嬉しかったから。これまでの辛かった事も、無駄じゃなかったんだなって……」
その時、ふと伊織の書いた歌詞『ライラック』を思い出した。確か、彼女は歌詞の中のフレーズで『君といれば辛かった過去も許せるから』という文言を使っていた。伊織は、辛かった過去を、許せたのだろうか?
「ま、だからさ。彰吾のことも焦らなくて良いだろ。きっと、話すタイミングが来たら、その時に話せるさ」
「うん……そうだね。そう思うようにする」
言ってから、伊織はこちらを見て嬉しそうに笑った。妙にその笑顔がくすぐったい。
「なんだよ?」
「ううん、結局どんな相談でも、真樹君にかかったら解決しちゃうんだなぁって」
「解決してないだろ、どっちも」
「したよ。私の中では」
「そうなのか?」
「そうなの」
嬉しそうに腕を絡めてきて、ぎゅっと自分の方に抱き寄せてきた。体が伊織の方にもっていかれる。
「ねえ、鯉に餌あげよ?」
「あの売店のおばちゃんのとこの餌か。いいよ」
「それで、その後アヒルボートも乗りたい」
「さっき落とされそうだから嫌だって言ってただろ」
「いいの。落とされたら道連れにするから」
「だから、落とさねーって……」
「それから、あそこの原っぱでお昼寝したいな」
「なんでだよ。まあ、いいけどさ」
彼女は次々に要望を言った。彼女がこうして要望を言うようになったのは、素直に嬉しいことだった。心を許してもらえたような気になるから。いや、より距離が縮まったかのように思えるからだ。遠慮し合う仲じゃなくて、お互いに甘えられる仲。きっと、夫婦ってこんな感じなのかな。
そんな事をふと思っていた時、バギーに赤ちゃんを乗せて散歩する、仲睦まじい夫婦とすれ違った。とても幸せそうな家族だった。
「私達もあんな風になれるかな……なんて」
伊織が、恥ずかしそうにこちらを見て、ぽそっと言った。その顔があまりに可愛くて、愛しくて。抱き締めたい衝動を抑えるので精一杯だった。だから、小さな声で、こう返した。
「当たり前だろ」
死ぬほど恥ずかしかった。
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