12-11.マスター(東大OB)の受験指南

 翌日、伊織は放課後に進路指導室に相談に行った。俺は彼女の相談が終わるまで、図書室で自習していた。

 実のところ、俺は予備校を二年時いっぱいで辞めている。親にはちゃんと相談して合意の上で辞めていて、理由はあまり予備校に意味を感じなくなってしまったからだ。

 また、白河莉緒と予備校で顔を合わせるのもいちいち憂鬱だった。もちろん、必要に駆られれば夏期講習などで補填するつもりだが、おそらく通う事はないだろう。

 発端は、バイト中のマスターとの会話だ。マスターから、『予備校って意味あるの?』という問いかけをされた事で、色々と考えた結果、辞める事にしたのだ。

 マスターは、ああ見えて東大OBだ。しかも現役合格。受験のエリート中のエリートと言えよう。そのマスターいわく『僕は予備校に通わなくても東大に受かったし、大学の友達も模試以外で予備校を利用していなかったよ』との事だった。

 これは、俺にとっては衝撃的な情報だった。理由を聞いてみると、これまた至極全うなものだった。

 マスターの言い分は、こうだ。

『世界史がわかりやすいかな。僕は世界史を受験科目で選んでいたけど、教科書と用語集、あとは時代の流れを理解するためのわかりやすい参考書を一冊。その三冊だけしか受験に使ってないよ。その三冊さえ完璧にしておけば大体の問題は解けたし、そこに載ってなかった問題はどうせみんな答えられないから、落としても問題ないんじゃないかな』

 当たり前の答えなのだが、俺からすれば、目からウロコの感動ものの正答だった。受験生は不安ゆえに、予備校の洗脳にかかりやすい。予備校の授業にさえ出ていれば安心だという思考に陥りがちだが、マスターからすれば『そんなものは時間の無駄』と一刀両断だった。

 マスター曰く、世界史にせよ日本史にせよ、一度学校の授業で受けた内容、しかも教科書に全て書いてある事を、なぜまた予備校で高いお金を出して授業を受ける必要があるのか? その時間をそのまま世界史の暗記に充てた方が効率的ではないか? との事だった。

 これまたその通り過ぎて、俺は深く唸るしかなかったのだ。

 数学に関しても、基本的にチャート式と呼ばれる参考書以外使わなかったと言っていた。

『どの科目でも同じだよ。コレと信じた参考書を、ひたすら繰り返してその一冊を頭に叩き込む。あとはその知識を応用する……それだけだよ、受験なんて。特に、国公立は受験科目が多かったからね。無駄な事なんてやってる時間ないんだよ。東大受験は事務処理能力を測るものだと思ってるよ』

 確かに、マスターの言う通りで、彼の言っている事は合理的だった。いや、東大受験ゆえに合理的にならざるを得なかったのかもしれない。国公立の受験科目は、五教科七科目。確かに、無駄に時間を使っている猶予はない。

『あとは、過去問の傾向だね。どの程度のレベルが求められてて、どういった傾向があるか。そういったものを過去問から見極めれば、あとは何とかなるよ。まあ、ほとんど対策しなくても慶大も受かってたけどね、僕は』

 最後の一言は確実に嫌味だろうが、俺も効率重視で勉強した方が良いのは間違いない。もう受験まで一年を切ってしまっている。夏が過ぎれば、きっとすぐに年末になって、受験だ。というわけで、無駄な時間を省くためにも予備校を一旦辞めて、インプットの時間に費やしたいと考えたのだ。

 ちなみに、英語や国語などの読解系の対策は? とマスターに訊くと、英語はそもそも単語と文法がわかっていないと読み解けないからその二つをまずは暗記しろ、とのことだった。

 それは古文や漢文も同じで、最低限の言語のルールをまずは理解する、読解はそれからだ、との事だ。読解に関しては、現代文の読解能力がそのまま英語などの読解力に当てはまるから、現代文、特に論文形式のものを重点的に解いておけばいい、と言われた。

 あれ? 俺もしかして予備校よりも凄いアドバイザーがいるところでバイトしてるんじゃね? と思い始めてしまった。変に予備校の大学生バイトに相談するより、東大OBからアドバイスをもらった方が、確実に良いだろう。

 さすがに勉強は教えてもらえないが、こうして無駄話がてらに受験のことを話すと、彼は割と快く話してくれる。退屈しのぎになるからかもしれないが、有用な情報は結構多い。それに、どうしても理解できない箇所があれば、学校の先生に質問すれば良い。学費を支払っているのだから、利用できるものはなんだって利用すればいいのだ。

 もともと世界史が得意だった俺は、受験科目を英語・国語・世界史の三科目に絞って私大文系に絞れば、残り一年でもかなり成績向上が望めると考えた。

 親は心配していたが、とりあえず自分の力でやってみて、夏の模試の結果等を考慮して無理そうだったらまた通う、という風に話を通している。

 あとは志望校さえ決まればそこに向かうだけなのだが……どうしたものか、それが決まらない。

 そんなこんなで、今は伊織を待ちつつ、英単語をひたすら覚えていた。

 暗記は退屈だ。全部スマホで検索をすれば出てくる時代に、どうして単語などを暗記する必要があるのだろうと思う。どうせなら、スマホで検索しながら思考力を問うような問題にすればいいのに、と思うのだが、それだときっと採点側が追っつかないのだろう。

 色々日本の教育、それに資格試験も破綻しているな、と思う。日本が世界で遅れているのは、暗記が必要のない世界に、思考力よりも暗記を重視する試験のせいだと思えてならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る