13-11.協力者

 クラスメイト全員分の提出物を抱えながら、大きな溜め息を吐いて、廊下を歩く。

 今は昼休みだ。本来であれば、伊織と一緒に音楽室に行って、彼女とお昼を食べていたはずだった。食後は彼女のピアノの練習にうっとりと耳を傾ける至福の時間を迎えているはず……なのに、俺はクラスの提出物を職員室まで運ばされていた。

 こういった雑務はクラス委員の仕事なのだが、今回に限っては見せしめ兼罰則的な扱いで、こうした労働を強いられている。

 というのも、おもっきりさっきの授業中に居眠りをぶちかましてしまったのだ。しかも、教師から起こされても起きないという爆睡っぷり。

 ついには、名簿の角で頭をぶたれて(体罰として訴えてやりたい)起こされた。周りからは笑われるし、恥ずかしいし、休憩時間は短くなるしで良い事がない。

 なに、理由は簡単だ。完全な寝不足である。

 昨晩、伊織との綾取りを中断してから親父のお土産のケーキを伊織と食して、ついでにちょっと親父を交えて世間話なんかをしていたら、日付が変わっていた。それから歯を磨いて就寝するだけ……のはずだったのだが、本当に予告通り、伊織は俺の部屋に来たのだ。一緒に寝る為に。

 で、まあ、そこからは久々の水入らずの時間になるわけだが……音を立てないようにしながら静かにするのは初めてだったので、結構苦労するし、時間もかかった。

 ただ、それはそれで非常に幸福だったし、俺だけが知る〝彼女の完成された矛盾の表情〟をたくさん見れたので、こういうのもアリだな、と少し大人になった気がしていた。こう、洋画のワンシーンのようにゆっくりと見つめ合いながらするのは、とても良い。それにしても、どうして男って奴は、「声出ちゃうから激しくしないで」と懇願されると、ついいじめたくなってしまうのだろうか?

 ……って、それはまあ良い。それが終わってから、俺には眠れない問題があった。

 それは、目の前にあった天使の寝顔だ。こんなに至近距離で伊織の寝顔を見放題だなんて、勿体なくて眠れたもんじゃなかった。眠りながらもこちらに体を摺り寄せてくる彼女が愛しくてたまらなかったし、髪をずっと撫でて、寝顔にキスをして。その天使の寝顔を永遠に眺めていたかった。

 が、気が付けばカーテンの隙間から朝日が覗く時間になっており、そこから慌てて寝たが、体力を消費した後の睡眠時間たったの二時間では、授業を乗り切れるわけがない(しかも午前に体育もあった)。四限目にはもう体力を使い果たし、完全に爆睡状態だったというわけで、今に至る。

 珍しく伊織が手伝っていないのにも理由があって、教師に予め「手伝うと罰則にならないからな、麻宮」と先手を打たれたからだ。それでクラスの笑いものになったので、伊織は「手伝うなんて言ってないのに」とぷりぷり怒りながら、先に音楽室に行ってしまったのだ。

 もう先生陣の間でも俺と彼女が付き合っている事は既知で、それ前提で話される事が多く、こうしてネタにされることもしばしばである。いい加減慣れてはきたけれど、やはり彰吾の手前、少し気まずい思いをしているのだった。


「わあ、麻生さん大変そう」

「どうしたの?」


 大荷物を抱える俺に気の毒そうに話しかけてきたのは、三年三組(普通科)の双葉明日香と神崎勇也だ。

 彼らは修学旅行中に大喧嘩をして、そこから冷戦状態に陥っていた。しかし、春休みに信達が企画した仲直り大作戦オペレーション・リコンソリエーションによって無事仲直りを果たし、以降は仲睦まじく暮らしている⋯⋯らしい。


「居眠りの処罰を受けてる」


 憮然としてそう答えると、「珍しいね」と二人が笑った。


「貸しなよ、持ってあげる。職員室まで?」


 言いながら、神崎君がひょいと上の三分の一くらいを持ってくれた。なんだこのイケメンは。


「あ、私も手伝うー!」


 双葉さんも俺から荷物を取ってくれて、両腕の負担がかなり減った。ここにも天使がいた。


「サンキュ。てかお前らはいいの? 昼休みなのに」

「ああ、別にこれくらいならいいよ。お昼買いに行くついでになるし。ね、明日香?」


 神崎君が双葉さんに微笑みかけ、彼女もコクコクと笑顔で頷いている。

 それを見て、よかったと胸をなでおろす。本当に元通りになっているようだ。

 いや、元通りというより、以前より二人の仲が進展しているように見えた。今、神崎君が双葉さんに見せた表情を、俺は過去の神崎君からは見た事がなかったからだ。

 一か月近くに及ぶ喧嘩を経て、初めて観覧車の中で本音で語り合うことで、きっと二人は、強固な絆を作ることができたのだ。

 俺と伊織が、ポッキー事件を乗り越えて絆を強めたように。


「そういえば、伊織ちゃん元気にしてる?」


 双葉さんが唐突に訊いてきた。


「伊織? ああ、いつも通りにしてるけど、どうした?」

「ううん、三年になってから全然遊んでないから、どうなのかなって思ってて」


 一時期、双葉さんと眞下と伊織は、三人でよく遊んでいた。仲も良いはずだが……彼女達が遊ばなくなった原因は明白で、伊織がうちで生活しているからだ。

 今の伊織は、どうしてもうちの生活が基準となっている。家事も手伝おうとするし、母さんと買い物にも一緒に行っている。そして、彼女は別にそれを嫌々やっているわけでも、義務感でやっているわけでもない。これまでとは優先順位が異なってしまっているのだろう。もちろんこんなことは口外できないのだけれど。


「詩乃ちゃんも寂しがってるんだよね」

「眞下が?」


 それは意外だった。眞下は比較的友達も多いので、伊織が遊ばなくなった程度で遊ぶ友達には事足りないと思っていたからだ。


「伊織ちゃんを誘おうと思っても、恋人っていうか夫婦みたいに常に麻生さんと一緒にいるから、誘い辛いんだって」

「あ、それわかる。最近いつ見掛けても一緒だもんね。僕も話し掛けるの躊躇しちゃうくらいに」


 双葉さんの言葉に、神崎君が同意する。二人ともからかっている様子ではなく、心からそう思っている、という風なニュアンス。

 夫婦って……そんな熟年感あるのか? 恋人ではなくて夫婦みたい、という表現に照れてしまうのであった。


「お前らと付き合ってる期間は同じくらいのはずだぞ」


 神崎・双葉ペアも昨年末から付き合っているというので、交際期間としては同じくらいである。言ってしまうなら、まだ付き合って四か月と少し程度なのだ。そんな短期間で夫婦感は出るものなのか?


「夫婦って言うから変に聞こえるかもだけど、もう周りが入り込める隙がないっていうか、二人だけの世界が出来上がってる感じかな」

「そ、そうなのか……」


 そんな風に見えているのか、俺達は。

 ただ、言われてみれば、今月になってから確かに俺と伊織は常に一緒に過ごしており、信達と過ごす事もなくなっていた。それは当然、伊織にも同じ事が言える。

 ──これはこれであんまりよくないのかもしれないな。

 この前、信が「チクショー!」と叫びながら走り出していく演出も、もしかすると信は信で、眞下と同じように寂しさを感じていたのかもしれない。


「まあ、俺らもなんとなく一緒にいる事が多くなってるだけだからさ、あんまり気にしないで伊織の事遊びに誘ってやってよ。伊織にも伝えておくし」

「うん! わかった~。詩乃ちゃんにも伝えておくね!」


 双葉さんは笑顔で頷いた。

 なんだかんだ、俺も伊織には双葉さんや眞下とは仲良くしてほしいと思う。榊原春華と仲良くされるより、むしろよっぽど人畜無害でいい奴らだし。

 まあ、ポッキー事件のことはあったけども。あれがあるからこそ、彼女達も伊織を変な場所には連れていかないだろうし、伊織も断るだろう。

 もうそのあたりの事に関しては、あまり心配していない。どちらかというと、榊原春華と一緒にいられるほうが心配だ。


「あ、でも今月は伊織忙しいかも」


 職員室まで提出物を出して、別れようとした時、ふと思い出した。


「伊織ちゃん何かあるの?」

「ああ、実は月末にSスタでピアノのリサイタルを開くことになって……」


 ちょうど彼らにも話そうと思っていたので、月末のSスタジオでの無料ピアノリサイタルについて話して、その後の楽器体験コーナーについても話しておいた。神崎君にはギター担当でその場にいて欲しかったから、という別の目的があったからだ。

 おおよその事を話すと、二人が思った以上に感激していた。


「麻生君、凄いね……大人みたいだ」

「うん、凄い凄い!」

「そ、そうか? なんかマスターからもべた褒めされたんだけど、俺ってそんな特別な事やってんの?」


 言う人全員に褒められるので、やっぱり気恥ずかしい。俺は本当にそんな凄い事をやったつもりなんてないのだ。


「いや、僕じゃ絶対に思いつかないし、思いついたとしても実行できないよ」

「うんうん、実行できるっていうところが凄いよね!」


 二人で仲良く称賛してくる。


「あ、それでさ、その後の無料体験の時だけど……」

「ギターの簡単な弾き方とかアンプの設定とか教えてあげればいいんだよね?」

「そうそう」

「了解、いいよ。僕なんかでよければ、いくらでも力貸すよ」

「サンキュ」


 俺と神崎君は、拳をがちっと合わせた。神崎君の協力が得られたのは大きい。俺もギターは一応は弾けるが、彼ほど機材に詳しくない。


「……ほんとは彰吾君も一緒に参加できたらいいんだけどね」


 神崎君がぽつりと漏らした。彼の言いたい事は、わからなくもなかった。というより、俺も心のどこかでそう思っていたのだ。


「まあ、それができるなら、解散なんてしなかったさ……」


 結局はこれに尽きてしまう。それ以上はその事について触れなかった。

 ドラムなら須田店長が少し叩けるみたいなので、実際にはわざわざ彰吾に頼む必要はない。というより、一番頼めない人間だ。きっと彰吾は、ドラムを嫌ってしまっているであろうからだ。

 俺達は互いに肩を竦めて、溜め息を交わした。

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