13-9.伊織ちゃん攻略リビング篇
トントンとまな板の上で包丁が躍る音を奏でていた。台所では母さんが夕飯を作っているが、伊織は夕飯作りに参加させてもらえていない。
その伊織はというと、さっきまで手持ち無沙汰でうろうろと台所で母さんの周りをうろついていたが、「リビングで待っていなさい」と言われて、しゅんとして俺のところまで戻ってきた。
今は俺と並んでテレビを見ている。膝を抱えてソファーに座っているところを見ると、完全に拗ねた子供にしか見えない。彼女には悪いが、可愛いなと思ってしまう。
ピアノのコンクールに出場することが決まって、母さんから伊織に出た指令は、料理――特に包丁を扱うこと――の禁止であった。もし、万が一指を怪我してピアノが弾けなくなったら、母さん自身が自責の念に堪えられなくなるので、頼むからやめてくれと伊織にお願いしていた。
しかし、伊織も「今まで怪我したことがないし料理は慣れているから大丈夫」と言い張って、引かなかった。押し問答の末、結局彼女が台所から追い出されることで、戦いは終焉を迎えたのだ。
「包丁扱わない料理とか、洗い物とか、掃除はちゃんと手伝ってもらうから、そんな顔しないで」
台所から追い出された伊織の顔が、仕事を全て取り上げられたメイドみたいで、あまりに不憫だったのだろう。母さんがこう言って、ようやく納得したのだった(拗ねているところを見ると、完全に納得もしていなさそうだけれど)。
俺からすれば、やらなくていいと言われているのだから、存分にやらないで部屋で寝転がっているなりすればいいのにと思ってしまうのだが、伊織はそうではないらしい。つくづく損な性格だと思った。
相変わらず、台所では母さんの料理をする音がカチャカチャと聞こえてきていて、こちらに来る気配はない。そして、親父はまだ仕事から帰ってきていなかった。伊織は、なんとなしにテレビの画面に目をやっているが、特に熱心に見ている様子でもない。
「伊織」
彼女に手招きすると、「どうしたの?」というような顔をしながら首を傾げていたが、とりあえず横に詰めて座らせる。
近くで見ると、やっぱりそれは俺の大好きな伊織で、そんな伊織が近くにいるのに何もできないなんて、マスターに言ったことではないが、本当に毎日煩悩との戦いだった。
「退屈?」
「退屈っていうか⋯⋯こうして置いてもらってるのに、何もしないのは申し訳ないっていうか」
「気にしなくていいよ。それよりさ」
「⋯⋯?」
じっと伊織を見つめてから、くいっと彼女の手首をつかんで、こっちにもっと身を寄せるよう伝えると、彼女も俺の意図を察したのだろう。伊織は、慌てて台所の方を見て、首を小さく振って、(だーめっ!)と唇を動かしていた。なにが(だーめっ!)だ。全然ダメじゃない。親も知っているわけだし。
もう一度台所の方を確認してから、伊織をぐっと引き寄せて、髪を撫でる。そのついでにその髪を耳にかけてやると、彼女の小さくて可愛い耳や白くて綺麗な首筋が露わになった。
「だめだって……!」
小さな声で伊織が抵抗を試みるが、もうここまでくると、俺の理性なんて蚊トンボ以下だ。彼女の頭を抱き寄せ、その可愛らしい耳に舌を這わせた。
「っっっっっ……!」
急襲に何とか声を必死で抑えているが、押し返そうと俺の両肩に置かれた手は全く力が入っていない。むしろ、服をぎゅっと掴んでいる。
それをみて、今度は耳たぶを甘噛みすると、甘い吐息と小さな声が漏れた。伊織の甘い声は、テレビのバラエティ番組の笑い声で掻き消されたので、台所の母さんに聞こえることもなさそうだ。
彼女の身体がビクビク震えていて、その手に僅かながらの抵抗の意思はあるものの、それは形だけで本当は抵抗したくない……そんな彼女の葛藤が見れるのがとても嬉しい。
ほんの数刻で伊織の耳は湯たんぽみたいにまっかっかになってしまっていて、途中からは服の袖で自分の口を押えて、声を押し殺すだけで精一杯になっていた。口を耳から離して、彼女の顔を覗き込むと、恨めし気な表情で睨まれた。ただ、瞳がとろんと濡れていて、顔は真っ赤なので、全くもって威圧感がない。むしろ、もっと虐めたくなってしまう。
口元を押さえている手をどけると、瑞々しい唇が露わになる。そこ目掛けて、唇をそっと寄せていく。彼女も諦めたのか、拒否することなく、瞳を閉じた。その時、台所から声が聞こえた。
「あ、伊織ちゃん! ごめん、ちょっとお鍋お願いできる? 手が離せなくて」
「は、はい!」
母さんから呼ばれた伊織は、瞬時に立ち上がり、俺を見ることなくパタパタと小走りで台所に向かっていった。
虚しく残される俺と、バラエティ番組のナレーターの声の『残念! 失敗です!』がタイミングよく合わさって、より一層虚しさに拍車をかけられる。
⋯⋯よりによってこのタイミングかよ。
悪気はないにせよ、あと少しのところで待望のキスを邪魔された恨みは大きい。目の前にあったお宝を横からかっさらわれた気分だった。
そのあとは、結局伊織も料理の手伝いに従事していたので、リビングに戻ってくることもなかった。非常に悶々とした気持ちで夕食を取る事になったのは言うまでもない。ちなみに、食事中も、伊織は目も合わせてくれなかった。
こうして、また俺の煩悩は蓄積していく。
⋯⋯ていうか、なんか一緒に暮らしてからの方が生殺し多くない?
そんな事を、ふと思ってしまう。
伊織はちらっと食事中にこちらを見たが、怒ったように目を逸らされてしまった。さっきまでそっちもやる気満々だったくせに、どうして怒っているのか、理解に苦しんだ。
え、苦しんでるの、俺だけ?
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