12-13.スタジオにて
「おや、真樹君に伊織ちゃん。随分久しぶりだねぇ。Unlucky Divaが解散してからだから、一か月ぶりくらいかな?」
Sスタジオに入ると、カウンターの中から須田店長が声をかけてきた。
須田店長はカウンターの中でエレキギターをアンプに繋げずに弾いていたようだ。要するに、暇なのだろう。相変わらず人気の少ないSスタジオに、嘆息を漏らした。
「須田さん、ここ潰れたりしないよな?」
「痛い事を言うねえ。今日も予約が少なくて、このままじゃ経営がとん挫する日もそう遠くないよ。今更サラリーマンになるのも嫌だし、出資してくれた衣笠先輩にも申し訳が立たない……」
須田店長は長い髪のポニーテールを解いて、首を振った。
「衣笠先輩?」
「ああ、ごめん、マスターの事だよ。彼、僕がスタジオを作りたいって相談した時に出資してくれてね」
「へえ……マスター、出資とかしてるのか。すげえな」
マスターって苗字は衣笠と言うらしい。初耳だった。出資までしているという事は、お金には余裕があるのだろうか。
「ていうかさ、なんか前より客減ってない?」
ほんの少し前だが、俺達がUnlucky Divaで利用していた時よりも、閑散としている。平日でも夕方以降はそれなりに人がいたイメージなのだが。
「そうなんだよ! 隣町に大手の新しいスタジオができちゃってさ、そっちの方が綺麗なもんだから、皆そっちに行っちゃったんだよね」
須田店長ががっくりと肩を落とした。
なるほど。大手が進出してきて個人経営の店がつぶれるなんて事をよく耳にするが、それは音楽スタジオ業界でも同じようだった。
俺と伊織は顔を見合わせて、苦笑いした。この経営状況では、タダで使わせてくれってと言う交渉は難しいかもしれない。
「それで、どうして二人で? まさか二人で新バンド?」
須田店長が目を輝かせた。須田店長は、Unlucky Divaを推してくれていたというより、伊織の歌声のファンだった。だからこそ格安でスタジオを貸してくれていたのだ。きっと、彼は俺達にまたバンドを組んで欲しいのだろう。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、実は……」
俺達は、伊織の受験とコンクール、そしてその練習場所についての説明を簡潔にした。
「なるほど、伊織ちゃんの受験かぁ。それなら協力しない手はないな」
「え、良いんですか?」
「いいも何も、ピアノのあるスタジオって一番高いから、滅多に使われないんだよね。もちろん、予約が入ってる時はそっち優先になるから、その時は先に連絡するよ」
「ありがとうございます。でも、高い部屋を無料でっていうわけには……」
「そうだねぇ……まあ、でも扱い的には個人練習と同じだし、何より伊織ちゃんのお願いだ。無料でいいよ!」
「いえ、でもそれはさすがに申し訳ないので、お金払います!」
「いいっていいって!」
伊織は困った顔でこちらを見た。須田店長はこう言っているが、彼女の性格上、やはり恐縮してしまっているようだ。
須田店長は無料で使わせてくれると言っているのだから、素直に甘えておけばいいのだが、それでは申し訳ないと思ってしまうのが、伊織の性格だ。そんな彼女の性格が俺は好きだし、同時に世話になった須田店長の悩みも解消してやりたい。
要するに、伊織が無料でスタジオ使ってコンクールに出場する事が、須田店長やSスタジオにメリットがあれば、二人の悩みは解決するのである。
「今、そのピアノがあるスタジオって空いてるの?」
二人が押し問答を繰り広げているので、とりあえず訊いてみた。
「ああ、空いてるよ」
もちろん、といった感じで須田店長は胸を張るが、そこは胸を張るべきところではない。
「じゃあ伊織、とりあえずそのピアノ一回弾かせてもらえば?」
「え、今から?」
「うん。須田さんにも聴いてもらってから判断してもらえばいいんじゃないか? 俺も去年から聴いてないし、聴いてみたいかな」
「ええ~……それはちょっと緊張しちゃうかも」
「じゃあ、ウォーミングアップに二十分。自分の好きな曲で良いからさ。っていうか、俺ら二人に見られるくらいでビビッてたらコンクールで弾けなくね?」
「そうだけどぉ……」
伊織はじぃっとこっちを恨めしそうに見た。
「お、真樹君。それ名案だね。僕も伊織ちゃんのピアノ聴いてみたいな」
「はあ、須田店長まで……わかりました」
無料で貸してくれると言っている人からそう言われてしまえば、伊織も断れなかったようだ。
「でも、ブランクが半年以上あるので、そこも考慮して聴いて下さいね……?」
「おっけーおっけー、気負わなくていいよ。テストってわけじゃないし。ピアノあるスタジオは一番奥の広い部屋ね」
須田店長は、奥の『G』と書かれている防音扉を指差した。
伊織がぺこりと頭を下げてからそのスタジオに入っていくのを見届けると、須田店長と顔を見合わて笑った。
伊織の背中が、まるで処刑台に登る死刑囚かのような陰鬱さを放っていたからだ。そんな事でコンクール出れるのか、本当に。
「いやはや、それにしても、Unlucky Divaの解散はほんとに残念だったよ」
伊織に気を遣っていたのだろう。須田店長が本音を漏らした。須田店長には、信の方からUnlucky Diva解散の旨とその理由が伝わっている。おそらく、彼が誰よりもその解散報告を悲しんだ。彼は、それほどまでにUnlucky Divaの音楽を愛してくれていたのだ。
「〝神楽〟を紹介しなければよかったよ」
ちなみに、ライブハウス〝神楽〟を紹介してくれたのも、推薦してくれたのも須田店長だ。俺達が無名な高校生バンドなのに、それなりに優遇措置を受けたのは、須田店長の推薦があったからなのだ。
「いや、〝神楽〟の店長さんにもよくしてもらってたし、うちの事を想ってスカウトに紹介してくれたんで……まあ、結果はアレだったけど」
実質的な解散の瞬間……彰吾がスティックを叩きつけて、楽屋を去っていく光景は、未だ脳裏にこびりついている。更に教室での彰吾の態度も相まって、胸が痛くなる。彼に対する罪悪感が、拭えない。
「どのみち、あんまり長くなかったんだよ、あのバンドは。俺が辞めるか彰吾が辞めるか、はたまた伊織が辞めるかの話で……多分誰かが抜けた時点で、結果は同じ事になってたかな。受験もあるし」
「そうだったのかぁ……まあ、それがバンドの難しいところだよね。モチベーションに技量、調和、目的、タイミング……それらが絶妙なところで保たれて、初めてバンドが成り立つ。そう考えると、バンドって組んで活動できる時点で奇跡みたいなものなんだよねぇ」
須田店長が黄昏たように、遠い目をして呟いた。視線の先には、雑誌に有名バンド解散ニュースの見出しがあった。
そうなのだ。個性がある人間が四人ないし五人が集まって、それらの意見を調和しながら、活動できることだけで、バンドは奇跡みたいなものなのだ。
男女混合バンドであれば、その奇跡の度合いは更に増す。俺達のように、バンド内で付き合ってしまう奴らが現れてしまうからだ。これは自虐でもなんでもなく、そうして人知れず解散していっているバンドも多い。
「一日でも復活してくれないかなぁ……もうダメかなぁ」
アラサーのおっさんにそんな物欲しそうな子供みたいな表情でお願いをされても困る。俺にその権限がない。というか、それは、俺と伊織と彰吾の三人の関係が改善しなければ、どうにもならないだろう。それはそれで、難しい話だった。
「じゃあさ、レコーディングだけでもして記念に音源くれない? うちのスタジオ使っていいしエンジニアも探すから」
須田店長の諦めの悪さは筋金入りだった。
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