12-6.信のメンタルが破壊された瞬間

 外国語科にとって、三年になって変わった事と言えば、せいぜい教室の位置と階程度だ。

 教室に入れば、いつものクラスメイトがいて、いつもの担任がいて(担任も三年間同じだった)、いつもの風景があった。伊織や眞下、信といった仲良しメンバーもいるし、中馬芙美もいるし、白河莉緒もいるし、彰吾もいる。二年の時と何も変わらない。

 違うのは、窓から見える風景だけだ。三年になってから、教室が一階になった。桜ヶ丘高校では、一年が三階、二年が二階、三年が一階の教室を使う。購買が二階にあるので、昼休みの購買戦争は不利だが、それ以外は大した影響はない。生徒玄関から教室まで階段を使用する事なく教室まで行けるので、遅刻リスクは若干下がる。その程度の違いしかない。

 もちろん、三年になったら席などもリセットされるので、座席は出席番号順。また窓際の二番目の席になる。一番は、麻宮伊織。住む家も同じになって、四六時中一緒にいるのに、こうして彼女の席が近いと、それだけで嬉しくなってしまう俺は、相当ゾッコンなのであろう。


 始業式後、教室に戻ってふと前の席を見ると、今はまだその席にカバンだけ置いてあるだけで、席の主がいなかった。伊織は眞下たちクラスメイトと話していて、何やら談笑しているようだった。

 信はどこだろうと探してみると、彰吾と話していた。彰吾がバンドを辞めてからも、信だけは彼と交流を持っている。彰吾も信とはノリが合うからか、話していて楽しそうだ。

 ただ、彰吾は、バンドが解散してから、信やサッカー部以外のクラスメイトとはほとんど距離を置いてしまっていた。

 彼は、俺や伊織と話す事はもちろん、眞下とも話すこともなくなっていた。これが一番、先月と今月──二年と三年になってからの──大きな違いかもしれない。

 彰吾は、このクラスで自分から孤立しようとしているように感じる。前までのように進んでおちゃらける事もなくなり、常にどことなく哀愁が漂っているようにも思える。

 もともと俺は彰吾と進んで話すほうではなかったが、今の彰吾は、客観的に見ても話しかけにくい。どことなく人を拒絶しているかのオーラを放っている。

 これだけ見ていると、伊織達が転校してくる前の俺を見ているようだった。信以外のすべてを拒絶して、クラスと距離を置いている。まさしく昔の俺だ。

 ただ彰吾は、過去の俺のように信以外のすべての人と距離を置いて、孤立しているわけではない。昼休みや休み時間などは、普通科のサッカー部の連中と過ごしているようだった。

 ここのクラス以外での居場所を、彼はすでに見つけたのだろう。いや、俺たちが、彼がそうならざるを得なくしてしまったのだ。

 信の話によると、彰吾はサッカー部ですぐにレギュラーになったそうだ。もともとうちの高校はサッカー部が強いわけでもなく、層が厚いわけでもない。しかし、転校生で二年の末に入部してすぐにレギュラーになれるという事は、余程彰吾の実力がずば抜けていたのだろう。凄い事だと思う。

 今では中華料理屋のバイトも辞めて、部活に全力を注いでいるそうだ。

 バンドという共通点がなくなり、俺と彰吾は話す機会がもうない。これらはすべて、信が話していた事だ。俺と彰吾は、もう挨拶すらしなくなっていた。少し寂しくもあるが、俺たちの関係を鑑みれば、これは避けられない事だった。

 そんな事を考えているうちに、担任が教室に戻ってきた。

 そこからは、いつも通りのホームルームだ。進路に関する話や、進路希望調査の紙の提出など、当たり前の話がなされていた。そして、高校最後の一年を悔いのないよう過ごしましょうという言葉で締めくくられて、解散となった。

 悔いって言われてもな、と溜め息を吐いた。

 残り一年弱。俺は一体何をどう過ごせばいいのだろう。『進路希望調査』というプリントだけが、残り一年もないという現実を、まざまざと見せつけていた。


「よっ、麻生! 帰りどっか飯いかね?」


 そんな俺の杞憂とは裏腹に、信がカバンを背負いながら、明るく声をかけてきた。断ろうとすると、伊織が振り返って、少しだけ自慢げに言った。


「残念でしたっ。真樹君は、もう予約済みです」

「ちぇっ、なんだ、デートかよ。麻宮に予約されてたんじゃ、何も言えねえな」

「ごめんね? 明日には返却するから」


 二人はそんな軽口を交わす。返却ってなんだ。もともと俺は信のものじゃないぞ。


「了解! 閉店までに間に合わなかったら、店の前の回収ボックスに入れといてくれよ?」

「うん、任せて」

「待った。俺はレンタルDVDかよ」


 ツッコミを入れると、伊織が可笑しそうに笑っていた。DVDのように貸し借りって、ひどいぞお前ら。それでも恋人と親友か。


「気付かなかったのか? 麻生なんて旧作割引キャンペーンで常に一週間百円で借りれるんだぜ?」

「あ、そうだったんだ? もしそうなら、返却してまたすぐレンタルしてっていうのをずっと繰り返しちゃうかも。そしたらずっと一緒にいれるのに。なんて」


 言ってから、伊織は少し恥ずかしそうにこちらを上目遣いで見てきた。不意打ちにドキっとしている俺に対して、それを見た信は、壁に向かっていきなり頭突きしていた。ごん、という大きめの鈍い音が辺りに響く。


「おい、大丈夫か?」


 そう声をかけると、彼は、ごん、ごん、と二度ほど壁にゆっくりと頭を打ち付けた。まるでホラー映画のワンシーンのような狂気を感じた。


「信君? どうしたの?」

「おい……麻宮。いきなり何気ない惚気をぶち込むのはやめてくれ……今のはこう、予期してなかった分、ダメージがでかい」


 振り返った信の目から生気が失われていて、まるで生ける屍のようだ。信はそのままゾンビのような足取りで、カバンを引きづりながらフラフラと廊下まで出ていくと……


「ちくしょー!」


 芸人の小梅なんちゃら(懐かしい)ばりに叫びながら、走り去っていった。


「信君って、やっぱり面白いね?」


 信のメンタルを破壊した我が恋人は、全く悪気もなく、眉根を寄せて笑っていた。無意識なのか、意図的なのか、どっちなのだ、お前は。いや、どっちでも嬉しいのだけれども。


「じゃあ、私達も行こっか? どこ行く?」

「晴れてるし、朝言ってたみたいに公園でよくね?」

「うん! まだ桜残ってるといいなぁ」


 そんな会話を交わしながら、俺達は教室を出た。もう俺たちのそんな様子を、ひそひそ話す人も、冷やかす人もいなくなっていた。

 完全にバカップルだなとも思ったが、それはそれで嬉しかった。


「ん……?」


 教室を出る際、視界の隅に入った女の子と目が合った。

 白河莉緒だ。

 もう一年近く前になるが、俺を見事なまでに振ってくれた白河莉緒。彼女にはもう何の感情を抱いていないが、その白河が切なげな視線をこちらに送っていたのだ。

 目が合うと、彼女は慌てて俺から目を逸らした。

 今更俺達に接点はない。これからもないだろう。ただ、何故彼女がそんな視線をこちらに送ってきたのか、頭の片隅に引っかかった。

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