12-5.新三年生

「嬉しそうだな」

「うん、すごく嬉しい」


 朝の通学路、いつも落ち合うY字路にふと目をやりながら聞くと、伊織が元気良く頷いた。

 いつもならこのY字路で待ち合わせをしていたのに、今ではうちの玄関から一緒だ。時間で言うなら、ほんの数分。されど、この数分でこんなにも意味合いが違うなんて、想像もしなかった。


「こうして誰かにお弁当をつくってもらって朝渡してもらえるなんて、しばらくなかったから」


 正確に言うと、中学二年からなかったのだろう。お母さんを亡くした時から、伊織は家事を強いられた。もちろん、父親も手伝ってくれてはいたと彼女は言うが、それでも中学二年の少女にとっては大変だっただろう。


「お母さんにお弁当作ってもらってた時の事思い出しちゃって、ちょっとうるってきてたりして」

「知ってた」

「そこは気付かないふりをしておいてほしかったなぁ」


 そんなやり取りをしながら、俺たちは歩き慣れた通学路を歩く。今日から学年で言うと高校三年。この通学路をこうして二人で歩くのも、あと一年弱。そう思うと、どこか寂しくなってくる。

 そう……今の俺は、高校を卒業したくないと思っている。あれだけさっさと卒業してこの学校から解放されたいと思っていたのに。今では隣に伊織がいて、学校に行けば信や神崎君、眞下がいて、他にも話せるクラスメイトがいて。こんな時間が永遠に続けば良いのに、と思ってさえいる。

 人は変わる。いや、そんな俺を変えたのは、今隣にいる麻宮伊織だ。彼女も俺に影響を受けてか、少しずつ変わっていっているように思う。お互い、良い風に変わっていければいいな。そんな事をふと思っていると、ふと今日の時間割を思い出した。


「っていうかさ、今日始業式だから弁当いらなくね?」

「あ」

「母さん……」

「じゃ、じゃあ、学校終わったらどこかお弁当に食べにいこ?」

「あー、それも良いな。公園でもいくか。桜もう散ってそうだけど」

「うん。ちょっと相談もしたいし」

「相談?」

「大したことじゃないんだけどね」

「わかった」


 そんな事を話しているうちに、学校が見えてきた。昇降口で会ったクラスメイトたちが、おはよう、だったり、今日も仲良いね、などと口々に好き勝手言ってくる。なんだか伊織との仲が公認みたいになってきて、嬉しい。


「よっ、お二人さん! 相変わらずラブラブ登校か?」

「うるさいな。別に普通だよ、普通」


 こんなうざったい話しかけ方をしてくるやつは、信だ。こいつに真面目に取り合っていては時間の無駄なので、適当に返してやる。


「あ、信君おはよー」

「おはよう、麻宮。あれ? シャンプー変えた?」

「え? あ、うん。そう、最近変えたの」

「そっかぁ、匂い変わってたからさ」

「これもいい匂いでしょ」


 いきなりの信の鋭いツッコミ。伊織が使っているシャンプーを変えたのではなく、うちのシャンプーを使っているだけなのだ。当然、前とは違う香りをしている。そこに気づくあたり、こいつの目ざとさは油断ならない。ただ、伊織はさすが女子というべきか、特に動揺することもなく、普通に切り返していた。

 廊下を歩いていた際、伊織が他のクラスメイト達に呼ばれてそちらに駆け寄った瞬間、不意に信に肩をがっと掴まれて、ぐいっと引き寄せられる。そして、俺の髪を嗅いでくる。


「うわっ。やめろ、信! 気持ちわりぃ! なんだよ、いきなり!」

「……ほぉ〜?」


 目を細め、まるで深淵を覗くようにして、疑いの眼差しでこちらを見てくる。


「なんだよ!」

「いんや、べっつにぃ? 誰かさんと似てる匂いだな、と思ってな」


 むふふ、といやらしく笑う信。こいつはやっぱりエスパーか何かなのか? それともこの嗅覚は犬か何かなのか?

 こいつの野生の嗅覚だけは油断ならない。


「さあな。気のせいじゃないか?」


 なるべく自然に、不自然にならないように返す。しかし、信は目を細めたまま、ニヤニヤしているだけだった。


「それにしても、普通科は騒がしいな」


 この話題のまま進むとボロが出そうなので、慌てて話題を変えた。


「クラス替えだろ? 俺等には関係ない話さ。ちょっとだけ誰と同じクラスになるんだろうっていうドキドキ感味わってみたいとは思うけどな」

「俺は嫌だよ」

「麻宮と離れるのが、だろ?」

「うるせえよ」


 伊織とだけじゃなくて、お前とも別のクラスになりたくねーよ、とはさすがに恥ずかしくて言えなかった。

 廊下の途中にクラス替え表が貼り出されていて、皆が一喜一憂していた。今年一年、しかも高校最後の一年を共に過ごす人が決定するのだから、皆の思い入れがすごい。

 しかし、俺達外国語科は三年間クラス替えがないので、他人事である。昨年はクラス替えがあったほうがよかったと思っていたが、今となっては伊織と離れ離れにならなくて済むので、クラス替えがなくてよかったと思えるようになっていた。


「あ、神崎と明日香ちゃん、同じクラスになれたってさ」


 信がスマホを見て言った。おそらく双葉さんからLIMEがきたのだろう。


「神崎君、嬉しい反面ちょっと嫌がってたりして」

「はは、それもあり得るかもな。ただ、もう仲直りさせんの手伝うのは嫌だから、仲良くしてほしいもんだぜ」

「確かに」

「で、お前らは? あれから順調か?」

「まあ、それなりに」

「だろうな」

「なんでだよ」

「お前ら二人とも幸せそうだからだよ。よかったよかった」


 にかっと屈託のない笑顔を見せて、信が言った。なんだかな。こいつには本当に伊織の事も全部話しておいたほうが、色々やりやすいのではないかとも思うのだけれど。前に背中押してもらってるし、フォローもしてもらってるし。ちょっとだけ信に隠し事をしている事に関して、罪悪感がある。

 そんな事を考えていると、後ろから走ってくる足音と、気合の入った女子の声が聞こえてきた。


「穂谷信、スキ有り〜!」

 かと思うと、そのまま信の背中に飛び蹴りが入っていた。

「どわぁ!」


 信はそのまま吹っ飛ばされ、掃除用具の入ったロッカーに激突していた。

 こんな事をする女子は、眞下詩乃の他ならない。


「こらぁ、眞下! なにしやがんだ、てめー!」

「え? なんか朝から辛気臭い顔してたから」

「してねーよ! むしろ笑顔だっただろ、今!」

「そうだった?」

「そうだよ! てかお前後ろにいたから俺の顔見れてねーだろ!」

「ぐっ……」


 眞下詩乃、図星。しかし、信の事が好きなくせに、この女もこんな表現方法しかないあたり、不器用だなぁと思ってしまう。きっと、春休み期間を終えて信に会えたのが嬉しかったのだろうな、などと勝手に推測している。

 そこからまた二人は飽きることもなく夫婦漫才を開始し始めて、廊下の周囲の人々を笑わせている。

 残り一年。こいつらも進展するのだろうか? 進展する場合は手助けしてやりたいな。

 そんな事を考えながら、教室に入った。

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