12-4.恥ずかしくもあった新しい朝
夢の中でふわふわ泳いていた……ような感覚だった。
なんだか、伊織と一緒に海の中を泳いでいた、ような記憶がどこかにある。正直なところ、覚えていない。意識がふわふわしていて、よくわからない。そんな時、頬をツンツンされる感触があった。
「真樹く〜ん、朝だよー。そろそろ起きないと遅刻するよ?」
大好きな人の声が聞こえてきて、ゆっくりと目を開けた。むくりと起き上がると、そこにはパジャマ姿の麻宮伊織。俺の彼女の姿があった。
あれ? 伊織? 伊織がなんでこんなとこにいるんだ?
ぼーっとした頭でじーっと伊織を見ながら考えるが、全く覚えていない。それどころか、なんだかまだ海の中にいる感覚すらある。もっと気持ち良く泳いでいたいのに。
「起きた?」
「う〜ん……」
「目が半分閉じてるけど、まだ寝惚けてる?」
くすっとおかしそうに笑って、伊織がその場を去ろうとしたのが、なんとなくわかった。寝ぼけ眼でよくわからないまま、反射的に伊織の手を掴んで彼女を引き止めていた。なんだか、どこかに行って欲しくなかったからだ。
「真樹君、どうしたの? って、ちょっと⁉」
そして、座った姿勢のままなにも考えられず、伊織のお腹あたりに抱き付いていた。まるで子供がお母さんに抱きつくかのように、目の前にいる彼女に抱き付いている。正直、夢なのか現実なのか、これが海の中なのか自分の部屋なのか、全く区別がついていない。
「いい匂い」
「ま〜さ〜き〜く〜ん? 寝惚けてるのか、寝惚けてるふりしてるのか、どっち?」
「はあ……あったかい」
「もう。遅刻するよ?」
「ぐぅ……」
「寝てるし……真樹君って、寝惚けてる時は甘えん坊になるのかな? 可愛い」
可笑しそうに笑う彼女の声が、どこか脳内でこだまする。そして、頭をよしよしと撫でられる感触がした。その撫でられた感触で、ハッと意識が覚醒した。慌ててそのとても暖かくて気持ちのいいものから顔を離して見上げると、俺の頭の上に手を置いている伊織と目が合った。
俺は、まるで抱き枕を抱えるかのような体勢で伊織に抱き付いている。一方、伊織はそんな俺をあやすかのように、頭を撫でていた。なんだ、なんなんだこの恥ずかしすぎる構図は。え? 寝惚けてた? 俺何か寝惚けてた? なにこれ? 朝からいきなり大パニックである。
「あ、目が覚めた? おはよう、甘えたさん♪」
状況を理解して、一気に顔の熱が上がった。そんな俺を、伊織は悪戯な笑みを浮かべて見ていた。
「こ、これはどういう状況……?」
「起こしてあげたら、真樹君が『伊織しゅきしゅき〜』って言いながら抱き付いてきたから、よしよしってしてあげてたんだよ?」
「う、嘘だ!」
「ほんとだよー」
「おい、絶対嘘だろ! 嘘を吐くな! 嘘つきは泥棒の始まりだぞ⁉」
「まずはお母さまに早速報告かなー」
「やめろ! 頼むから!」
記憶があやふやなので、伊織が正しいのか嘘を吐いてるのかすらわからない。しかし、さっきの体勢だと本当に言ってそうで反論できない。いきなりなんて醜態を晒してしまったんだ、俺は。新学期早々、とんだ災難だ。
◇◇◇
「朝から何を騒いでいたの?」
食卓を三人で囲んでいると、母親が怪訝そうに言った。
「寝惚けてただけです」
下を向いたまま、朝食をかき込んだ。伊織のにやにやした表情が視界に入ったからだ。
「まあ、仲が良いのはいいけど、遅刻しないようにね」
母はそんな様子を呆れたように笑いながら眺めていた。
「あ、それと。一応、学校にはちゃんと自宅から通っている事にしなさいね」
「はい」
「友達にも言っちゃだめよ。すぐ噂になっちゃうから」
「わかりました」
伊織が母さんの言葉に頷く。一応だが、伊織は自宅から通っているていで過ごすようだ。確かに、うちから通わせるというのを学校に説明するのも面倒だし、伊織の家からここまで徒歩五分と少しの距離だ。そう大差はない。それに、伊織自身、週に一度ほどは自宅に物を取りに行ったり掃除をしたりしている。自宅通いというていにしても問題はないだろう。
ちなみに、伊織の移住に関してだが、伊織の保護者に当たる京都の祖父母にはうちの親から話を通してあるそうだ。もともと伊織の祖父母は彼女から俺の存在についても聞いていたみたいで、快く了承して下さった。むしろ、一人で住まわせるよりそっちの方が安心だとも言って頂けている。これを通しておかないと、法的な問題も出てくるんだとか。色々法律は面倒な事もあるのだな、と子供ながらに思った。
いつか、伊織の祖父母にも挨拶に行かなければいけないと思うと、少し緊張してくる。
「あんたも、穂谷君とかに言わないようにね」
「あー、確かに。あいつ口軽いからなぁ。でも、あいつがアポなしで家に遊びにきたらどうする?」
「たまたま伊織ちゃんも遊びに来てた事にすれば良いんじゃない?」
「なるほど」
信に隠し事をするのは今に始まった事ではないが、そろそろ彼にも伊織の過去については話しておいたほうが良いのではないかな、とも考えていた。ただ、今は同居してしまっているので、少し状況が変わってしまった。信の事だから、面白半分で言いふらしたりはしないだろうけども、うっかり話してしまうケースは重々に考えられる。
一応伊織ともそのへんの口裏を合わせておいて、上手く乗り切るとしよう。
ただ、あのバカは勘が良い。予期せぬところで見抜かれそうなのが恐かった。あいつの勘の良さは探偵レベルだ。どんな小さな情報からでも真実を導き出す能力を持っている。隠し通せるとも思えなかった。
「あ、真樹君。そろそろ時間」
「お、ほんとだ」
気付けば八時を回っていた。そろそろ家を出ないと遅刻してしまう。二人して慌ててご飯をかきこんで、お茶で流し込んだ。その足でリビングに置いてあるカバンを持って、玄関に向かう。
「二人とも、お弁当忘れてるわよ!」
玄関で靴を履いていると、母さんが弁当箱をふたつ持ってきた。片方は青、もう片方はピンクの巾着袋に入れられていた。
「え、私のも作ってくれたんですか……?」
「当たり前でしょ? 家族なんだから」
「お母さま……ありがとうございます!」
伊織は嬉しそうにお辞儀して、そのお弁当を受け取った。
「女の子のお弁当なんて作った事ないから、もし量が多かったら真樹に食べてもらって」
「大丈夫です、全部食べます」
「嬉しいけど、無理しないでね」
「はいっ」
なんだか、本当の親子みたいだな、とふと思ってしまった。
ここ数日、母さんは俺とではなくほぼほぼ伊織と時間を共有していたのだけども、もしかすると、こうした絆をいち早く築くためだったのかもしれない。
靴を履く伊織の表情が、いつもより上機嫌なのがよく伝わってくる。彼女の瞳に若干の膜が張られている事にも気付いていたが、敢えて触れなかった。
もしかすると、彼女は……こんな当たり前の朝にも、感動しているのかもしれない。嬉しそうな伊織を眺めると、俺も嬉しくなってくる。当たり前の朝なのに、素敵な朝だ。
「二人とも、行ってらっしゃい」
靴を履き終えた頃、玄関口で母さんが言った。
「「行ってきます」」
二人の声が揃って、目を合わせて、またおかしくなって。今までの日常と全く異なる非日常なのに、これが日常で。きっとこんな非日常が当たり前になって、時間を重ねていくのだろう。
こうして俺たちは、初めて一緒の家から、同じ場所──と言っても学校だが──に向けて、出発した。
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