11-10.襲来・榊原春華
伊織がうちの両親と対面してから三日が経った。今は、伊織の家には榊原春華が泊まりに来ている。予定では明日、榊原が大阪に帰ってから、そのままうちで暮らす事になっていた。
俺はというと、伊織がうちで暮らせるように空き部屋を整えるので大変だった。掃除、テーブル、タンスの移動など、結構大掛かりだった。もともと物置状態になっている部屋だったので、中のものを取り除いて、別の部屋に移動させ、そこから要るものと要らないものとを分けて断捨離する。
父親は仕事でおらず、ほとんど母親と二人で作業する事になったので、力仕事は全部俺。お陰様で全身筋肉痛だ。ただ、うちの家族も伊織との同居を望んでいるのだし、こちらから言いだしたのだから、掃除くらいは俺達のほうでしないといけない。幸せな辛さとでも思っておいた方が良いだろう。
一方、伊織のほうは榊原春華と一緒に東京観光などを楽しんでいるようだった。昨日は浅草に行ってきたみたいで、二人の写真がLIMEでたくさん送られてきている。楽しそうでなによりだ。
その写真を眺めながら、今度はどこか遠くにデートに行きたいな、と思った。そういえばクリスマスイブの日、遠くにデートに行こうと話していたのに、結局この数か月、殆ど遠出をしていない。
そして、デートもいいが、明日からの生活だ。明日から隣の部屋に伊織がいる……それはちょっと刺激的だ。変な事もできまい。いや、しないけども。
明日からどんな毎日になるのだろう? 日常的にこの部屋に訪れて、夜遅くまで話し込んでしまうのだろうか。それとも、案外普通に生活できてしまうものなのだろうか。色々なパターンを想像してしまって、落ち着けない。そんな最中、二十二時を回った頃。突如、インターホンが鳴った。
こんな時間に誰だと思っていると、一階から母親から名前を呼ばれた。
「だれ? 信?」
階段まで出てみると、母親がやや困った顔をして階段を見上げていた。
「関西弁の女の子なんだけど、伊織ちゃんの彼氏出せって」
その情報だけで誰か特定できてしまった。
「ああ……伊織の友達だな、それ。伊織もいるの?」
「ううん、一人みたいよ」
「え、一人? なんでまた……」
正直、面倒な予感しかしなかった。おそらく、伊織の目を盗んできてるのだろう。
「上がってもらう?」
「いや、外で話すよ。ちょっとめんどくさい奴なんだよ」
そう言って、財布を持ち、上着のパーカーだけ羽織って外に出た。家の中に入れると面倒が起きる予感しかしなかったのだ。
「お、彼氏! ようやく出てきよったか! はよ入れぇや!」
門扉の前には、うちに上がる気満々の榊原春華がいた。
「嫌だよ、めんどくさい」
「あんたなぁ、彼女の大親友になんちゅう扱いするねん。ひどない?」
「その大親友の目を盗んで俺ん家まで来てる奴が何言ってんだか」
「あ、バレた?」
「そりゃバレるだろ。で、なんの用? 伊織は?」
「伊織は今風呂入ってるで。覗きにいく?」
「なんでそんな事しなきゃならないんだよ、あほか」
「お、余裕やん。なんや、あんた伊織とヤッたんかいな」
「帰れ」
そのまま踵を返して、玄関に戻ろうとすると、すごい勢いで引き留められる。
「嘘や、嘘! ちゃんと用事あるからわざわざ来たんやないか」
大きく溜め息を吐いて、もう一度門扉を開けて、道路に出た。
「じゃあ、コンビニな」
「なんや、人気のない公園にでも連れてってくれるんちゃうんか」
「お前相手にそんな危ない事するかよ」
「お、やるやん。伊織にあんたの彼氏にキスされたって言お思てたのに」
呆れて溜め息すら枯れてしまった。
「……なんで伊織が榊原と友達やってるのか、そっちのほうが疑問だよ、俺は」
「失礼なやっちゃな~」
ほんとにうるさい。彰吾をまんま女にした感じだ。関西人の女がみんなこうとは思わないが、あまりにも俺と相性が悪い。
「ていうかさ、榊原って呼ぶのやめーや。うちその呼ばれ方好きちゃうねん」
「なんでだよ」
「なんか長ったらしいしけった糞悪いやん。自分の苗字やけど舌噛みそうになるねん」
自分の苗字で舌噛みそうになるってどういう事だよ。まあ、確かに言い辛いけど。
「じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「普通に春華でええで? 皆そう読んでるし。何より、あんたは伊織の彼氏や。伊織の彼氏ならうちの彼氏も同然やし!」
「……帰っていいか?」
「冗談やーん! ここでほって行かれたらうち帰られへんからほって帰らんとって!」
本当に、本当に疲れる。なんなんだこいつは。年がら年中ひとりで吉本新喜劇やってるつもりなのか。
「……で、何の用だよ」
コンビニまでの歩く途中、また余計な話をされると面倒なので、さっさと本題に入った。なんで俺の家を知ってるのか、とか、伊織にはちゃんと言って出てきたのか、などと気になる点はいくつかあるが、後回しだ。
「伊織、あんたの家で暮らすってほんまなん?」
「明日から、かな。一応そういう事になってる」
「まあ、それならうちもちょっと安心できるかな。女の一人暮らしやと何かと心配やろ」
「まあな」
「ほんまは彰吾と親御さんがその役目やったはずやねんけど、結構家離れてしもてるみたいやしな」
一応、伊織のことを心配していたらしい。彰吾の家の場所は俺も知らないのだが、信とは家が近いと言っていた。信の家はここから自転車で十五分くらいだから、きっと同じくらいの距離感なのだろう。
彰吾がよく家に来ていたとしたら、それはそれで無駄に心配もするのだけど。あまり伊織は彰吾や彼の親を家には上げていないらしい。
「まあ、あんたの家におったらおったで、家の中に狼おるから心配やけど」
「うるさいな」
「それとも、もう食べた後なん?」
「そうだよ、だったら何なんだよ」
「うわ、言いよった……最低やな」
最低と罵りながらも、春華は楽しそうにニヤニヤしている。頭が痛くなってきた。本当に話が全く前に進まない。
「まあ、知ってたんやけどな」
「知ってたのかよ」
思わずずっこけた。こいつといると調子が狂いすぎる。というか、伊織もよくこいつに話したな。話しても面白がられるだけだろう。
「夜中のガールズトークで一昨日聞き出したったわ。電話やと毎回はぐらかされてたからなぁ」
しつこくて根負けしたんだろうな。なんとなくその場面は想像できた。
「まあでも、京都で伊織を一目見た時にわかってたで」
「え、わかるもんなの?」
「わかるわかる。なんか大人の女みたいな色気出とったもん。去年にはそんなんなかったし」
「あー……そういえば、そう感じる時もあるかも。妙に艶っぽいっていうか」
「せやろ。菱田と宮下が『伊織綺麗になってたなー』って言うてたから、彼氏とヤッたからやでって言うといたら、泣きながらあんたの事殺す言うてたで」
「二度と大阪にはいかない」
危険地帯過ぎる。金輪際大阪の土を踏まないと決めた。
何もしていないのに俺の立場がどんどん悪くなっていくこの風潮、一体なんなんだ?
「で、何の用だよ」
そして、また振り出しに戻る。何なんだこの無益なやり取りは。ギネスにでも挑戦する気なのか。
「あ、そうそう。あんたさ、伊織のピアノ聴いた事ある?」
「ピアノ? 去年に一度だけあるけど」
また変なところに話がいったな、と思った。てっきり同居についてどうこう言われるものばかりだと思っていたのに。
「さよか……ほんなら、弾けはしたんやな」
「どういうこと?」
「ま、それはちょっと長話になりそうやし、コーヒーでも買ってきて。缶コーヒーちゃうで、あのコーヒーメーカーで入れるやつ。あんたの奢りで」
ちょうどコンビニに着いたので、春華はそう言った。なんで俺の奢りになるんだよと思ったが、いちいち逆らうと面倒な事態になりそうだったので、諦めた。
俺は溜め息を吐いてコンビニに入り、カップコーヒーを2つ買って外に戻った。
「はい」
「お、サンキュー」
そのまま、駐車場の車止めのコンクリートブロックに座って、二人してコーヒーを啜った。なんだかコンビニ前でたむろしてるヤンキーみたいで少し恥ずかしい。
「で、ピアノがどうしたって?」
「あ、そうそう。あの子がピアノ辞めた理由は知ってる?」
「いや、あんまり踏み込んじゃいけないのかなって思って聞いてない」
「さよか。ほな、一応教えるだけ教えとくな」
「いいのかよ」
「あの子の口からは多分言わんやろうからな。でも、あんたには知っといてほしいんや」
春華は、いつになく真剣な表情でこちらを見ていた。
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