10-12.観覧車で仲直り作戦

 時刻もまだ昼過ぎだ。観覧車に乗ろうとする客もまだそれほどではなく、案外すんなり乗れた。これが夕日や夜景が綺麗な時間帯だったらもっと混んでいたのだろう。

 ゴンドラがゆっくり動き始めて、少しずつ眼下の景色が小さくなっていった。

 観覧車にはもう何年も乗った記憶がない。いや、幼少から俺は遊園地自体があまり好きではなかった。昔は今と違って本当に怖がりで、ジェットコースターもダメ、お化け屋敷も苦手となれば、意味論的に遊園地に来る事自体間違っている子供だった。この観覧車も例外ではない。ただ単に乗って景色を見るだけなのに、何が面白いのだろうと昔は思っていた。

 ただ月日が流れて成長し、観覧車に乗る気構えも変わっていた。それは観覧車の意義、即ちただ景色を見るだけのものではないと知っているからだ。例えば……そう、ただ景色を見るだけの退屈な乗り物が、目の前に好きな女の子が乗っているだけで、こうも半端なく緊張する乗り物であるなんて、幼少期の俺は知る由も無かったのだ。

 今、正面の席には伊織だけがいる。

 本来は六人乗りのゴンドラで、係りのお兄さんも俺達を一つのゴンドラに入れようとしたのだが、そこは俺が丁寧に断った。眞下と信は付き合っているわけではないし、神崎君と双葉さんは仲違いでこれから仲直りしようという微妙な関係だ。そうなると、立場的に『二人で乗りたい』と言えるのは俺しかいない。

 立場的な問題だからと言って、それを言うのが恥ずかしくないわけがない。眞下や信はプッと笑うし、係のお兄さんも俺と伊織を見比べて『何でテメーがこんな可愛い子と!』という感じで睨んでくるし、全く以て損な役回りをさせられている。

 何故こんな事をグダグダ考えているかと言うと、ただ単に緊張してしまっているわけだ。先ほどから正面に座る伊織を見れず、彼女から視線を逸らすように景色を見入って緊張をごまかしていた。伊織と二人きりになるだけで緊張するとは、俺自身が予想していなかった。本当の事を言うと、景色もほとんど目に入っていない。何を話せば良いのだろうか、とただ空に浮かぶ雲に問い掛けているだけだった。

 沈黙を乗せたゴンドラが、およそ四分の一程まで上った。一周十五分という、長いのか短いのか人によって変わる微妙な時間だが、とりあえずその四分の一は終わってしまったという事は事実だった。そう思うと共に、何だか俺の中で妙な焦りが生まれた。このまま何も話さず一周してしまうのは、あまりにも貴重な時間を浪費しているように思えたのだ。

 こっそり横目で伊織を見てみると、彼女もただ落ち着かなさそうに景色を眺めているだけだった。しかし、それだけで彼女は絵になっていて、何かのドラマの一シーンを彷彿とさせた。今目の前にある光景は役者視点で撮られた映像で、それを画面越しに見ているかのような錯覚に陥っていた。まるで天使かと思わせるその横顔に、俺は完全に見惚れてしまっていたのだ。

 ただ……俺が彼女に見惚れる時、いつも彼女は俺から遠い存在になっている。目の前にいる彼女が俺の恋人なのは夢か妄想で、本当はいつも遠くから見つめているだけなのではないだろうかと思ってしまうのだ。普段話している時は絶対にこんな事はない。だが、時折そんなとてつもない虚しさを感じるのだった。

 理由を考えてみると、おそらくこれは自分の至らなさが原因であると思えた。俺自身がまだ彼女に相応しい男になれていないと自覚していて、全くもって不釣り合いだと思っているからだろう。

 しかし、一体いつ、どうすれば、そして何を手に入れれば釣り合いが保てるのか、全く見当もついていないのも事実。先ほどは偉そうな事を神崎君に言ってしまったが、俺は彼女の抱えているものを少しも持ってやれていないのが現状だ。それを考え始めると、俺はいつも不安になる。


「……真樹君、聞いてる?」

「え? いや、何が?」


 いきなり伊織の声が耳に入ってきて、ぼやけていた視界がはっきりした。目の前には少し不機嫌そうな伊織が溜息を吐いていた。


「もう……さっきから何回も話し掛けてるのに。目開けたまま寝ちゃったのかと思った」


 安心したのか、伊織はくすっと笑った。もう俺の中から『遠くにいる伊織』は消えていて、元の『恋人の伊織』に戻っていた。


「目開いたまま寝るって……俺は忍者かよ。ちょっと考え事してただけ。で、何?」

「さっき、神崎君と何話してたの?」


 上のゴンドラを彼女は見上げて訊いた。神崎君達は俺達より先に乗ったのだ。


「あれ、気付いてた?」

「気付いたって言うより、カップの中から見えたから……その時思ったの。神崎君と話す為に私達をコーヒーカップに乗らせたのかなって」

「…⋯バレバレかよ」


 俺が苦笑を洩らすと、代わりに伊織は愛らしい笑みを見せた。


「バレバレだよ。でも、それなら私達にも言ってくれても良かったのに。しかもわざわざコーヒーカップって……」

「いや、あれは信が勝手に選んだんだ。俺はそこまで指示しちゃいねーよ」


 これは事実なので、そこだけは断固異議を唱える。


「え~? でも信君、自分も苦しそうだったよ?」

「……じゃあ、何で止めさせなかったんだよ」

「止めたってば。でも『お前等の苦しみ喘ぐ声を聞いてやる~』とかわけわかんない事言って、余計にグルグル回すんだもん」


 変態か、あいつは。呆れる以外に選択肢があったら教えて欲しい。


「それで、何話したの?」

「そんな大したもんじゃねーよ。仲直りする気があんのか無いのか、ただそれを確かめたかっただけ。それに……⋯今回素直になんのは、双葉さんじゃなくて神崎君の方だと思ったからさ。それを伝えたかった」


 最後の方の部分以外話すと、伊織は嬉しそうに微笑んだ。


「何だよ」

「んーん、何でも。ただ、やっぱり真樹君に一緒に来てもらって良かったなって」

「……そりゃどうも」


 俺はまんまと騙されて気の重くなる作業をさせられたけどな、と心の中で不満を漏らした。だが、信達だけではここまで事を運ぶのは難しかっただろう。俺が時間と気力を費やしたぐらいで一ヶ月間喧嘩してた二人が仲直りできるなら、それはそれで良い。


「不謹慎かも知れないけど……私、こう見えて、結構楽しんでるんだよ?」

「あの険悪な状況で?」

「うん……それはもちろん、二人があんな状態じゃなくて、みんなで遊んだ方がもっと楽しいと思うけど。でも……久しぶりだったから」


 俺から目を逸らして、彼女は再び景色に視線を移した。知らない間にゴンドラはてっぺん付近まで来ていて、街を遠くまで見渡せた。


「遊園地が?」


 目的語が無かったからそう訊いてみると、伊織は拗ねた顔で首を横に振った。


「真樹君と遊ぶのが、だよ」


 もちろん遊園地も久しぶりだけど、と慌てて付け足していたが、彼女の表情からは照れが伺えた。俺は伊織のこういった表情も好きだった。

 いや、さっきの思わず見惚れてしまう表情より、ずっと好きなのかもしれない。伊織を身近な存在と感じ、胸の一番敏感な部分が締め付けられる。そして何より、俺の事で照れているのがこの上なく嬉しかった。


「……隣、座っていいか?」


 気がつけば俺はそう言っていた。無性に伊織の近くに行きたいと思った。彼女の存在を感じたかったのだ。


「え? ……うん、どうぞ」


 伊織は一瞬戸惑いを見せたが、座る少し位置をずらした。彼女はいつも姿勢がいいが、いつも以上に背筋がピンとしているのは、やはり緊張しているからだろうか。


「……失礼します」


 何だか俺まで緊張してしまって、意味もなくそんな事を言いながら彼女の横に座った。その時伊織と肩が触れて、ドキッと胸が高鳴る。狭い空間だからだろうか、何だか部屋で二人きりになった時より緊張していて、自分でもどうしていいかわからなかった。手を繋ごうか、肩を抱こうか……一瞬の間で凄く迷ったが、下を向いたまま固まっている伊織を見ると、何だか何が正しいのかわからなくなってしまった。

 とりあえず気分をごまかす為に外の景色に目をやった。しかし、ここで俺はもう一度、さっきとは違う意味で胸が高鳴った。先程と景色が変わっていないのだ。

 まさかこの観覧車……停まってる?

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