10-11.神崎君の気持ち
昼食後、信がコーヒーカップに乗ろうと言い始めた。飯食った直後にそれはないだろう、と非難を浴びせられていたが、結局俺と神崎君を残して他全員が乗る事になった。もちろん信とて食後にコーヒーカップには乗りたくなかっただろうが、これは俺と神崎君が二人っきりになれるように信にこっそりLIMEでお願いした結果、こういう事になったのだ。
双葉さんが素直に謝る前に、俺には彼にいくつか訊きたい事がある。正直に言うと、そんなものは俺がわざわざ訊くべきものでもないとは思っている。ただ、さっきの双葉さんを見ていると、あまりに可哀想だ。何とかしてやりたい。
溜息を吐いて、コーヒーカップに乗っている四人を眺めた。開始音と同時に信がおもっきり回し始めたので、伊織達は悲鳴を上げていた。この悲鳴は恐いからではなく、おそらく食後故の吐き気から来るものだろう。とにかく俺はあのカップの中にいなくて助かった。
「な、何でコーヒーカップなのかな。僕ならさっき食べたものリバースしちゃいそうだよ」
神崎君は苦笑しつつ、そう呟いた。多分それは提案者の信も同じ気がするが……あいつはSっ気があるから、女の子達がきゃあきゃあ苦しんでいるのを見て楽しんでいるのだろう。
「なぁ、神崎君よ。訊きたい事あんだけど、いい?」
「……何?」
視線の先は先程と同じくコーヒーカップの四人を見たままだったが、その表情が神妙なものとなっていた。
「今月入ってから何回か訊いたけど、今のままで良いと思ってる?」
今までの彼の答えは『解らない』だった。今回もその返事が返ってきたなら、俺としてもこの先どうすれば良いのか検討もつかない。だが、神崎君は黙ったまま首を横に振った。
「いや……このままじゃダメだってのは、僕にもわかってる。仲直りもしたい」
実際僕が悪いんだし、と自嘲的な笑みを見せた。俺は彼に気付かれないように安堵の息を漏らした。この後に及んで仲直りしたくないなんて言われても、それまた困る。素直になろうと頑張ろうとしている双葉さんを二重で傷つける事になるのだ。何とか今日中に纏まるかもしれない。
「じゃあ……何で謝ってやんねーんだよ。誰もお前が本気で浮気してたって誰も思ってないんだし、一言謝れば終わる問題だろ?」
「それもわかってる。だけど……何でかな。いざ本人を前にしたら、さっきみたいに喧嘩腰になっちゃって、結局話が進まないんだ。何とも言えない後味の悪さだけが残ってさ……」
それから話すのを避けた、と彼は続けた。
なるほど。双葉さんとの連絡を絶ったのも彼なりの優しさだったのだ。これ以上口喧嘩をして互いに傷つけ合うのも嫌だったのだろう。
俺はと言うと、ただ黙って聞いているしか無かった。何故彼が素直に謝れず意地を張るのか、俺には一切わからない。怒りなのか、伊織の言う通り恐いからなのか、ただ単に認めたくないだけなのか……伊織と口喧嘩すらした事ない俺には、推測する事しかできなかった。
「麻生君にはわからないと思うよ」
まるで俺の思考を読み取ったかのように神崎君は言った。
「……悪かったな」
本当にわからないのだが、直でそういわれると腹が立つ。俺がムッとした表情をしているのに気付いた神崎君は、慌てて弁解した。
「あ、違うよ。別に皮肉の意味で言ったんじゃなくて……麻宮さんと付き合ってると、苦労とか無さそうじゃない?」
「……何で?」
「何て言うか……僕から見た麻宮さんって、完璧なんだよね。明日香みたいに我が儘とか言わなさそうだし、気遣いとかちゃんとしてくれるし、変なヤキモチとか妬くように見えないし……麻宮さんと付き合うのって、ある意味凄く楽そうって言うか……」
何か引っ掛かる言い方だった。確かに神崎君が言うような悩みは無い。伊織は優しいし、我が儘も言わない。俺みたいな男には勿体ないくらい完璧な女の子だと思う。しかし、俺だって伊織と付き合うに当たって色んな悩みを抱えているのだ。本当に伊織に相応しい男は俺なのか、彼女の悲しみを分かち合っていけるのか……日々悩んでいる。自分を伊織の立場に置いて物事を考えると、それだけで胸が痛くなるのだ。
それなのに、何でそんな言われ方をしなくてはならないのだろうか。俺からしてみれば、普通の高校生らしい恋愛をしている神崎君達の方がよっぽど楽に思えた。彼等が事を難しく感じるのは、お互いが変な意地を張ってるからではないのか。
そこでふと思い出した。そうだ。神崎君は、伊織の両親がいないという事実を知らないのだ。伊織はいつも周りへの気配りを忘れず、自分が悲しんでいる素振りを一切見せない。俺でさえ彼女の両親に不幸があった事を忘れてしまう時がある程、彼女は普段から明るく振る舞うのだ。今もそうだ。
「そっか……みんなにはそういう風に見えるんだな」
「え?」
「神崎君はさ……双葉さんの全てを背負う覚悟、ある?」
「……どういう事?」
「そのまんまだよ。もし彼女が大切なもん全部亡くして、自分の両手を遥かに越える傷を抱えていたとしたら……それでも一緒に歩いて行こうと思える?」
「え……?」
神崎君は絶句して俺を見つめた。彼としては、ただ思ったままの事を言っただけだった。しかし、こんな重い返事が返ってくる等考えもしなかったのだろう。
「そんなの……考えた事も無いよ」
「だろうな。普通は考えないよな……」
俺は本日何十回目かの溜息を吐いて四人を見た。コーヒーカップの回転はそろそろ終盤に差し掛かり、四人共気分が悪そうだった。何とかして信に回転スピードを落とさせようと必死な伊織が、やけに可笑しかった。
こうやって見てると、本当に普通の……いや、完璧な女の子だ。可愛くて、優しくて、頭も良くて、料理もできて……一体これ以上何を望めば良いのだと思う。その点、神崎君が伊織と付き合うのは楽だと言うのも否定はできない。
だけど、これだけは言える。
「もし、俺だったら……それでもそいつと歩いてくよ。そいつの抱えてるもんを半分でも、三分の一でも一緒に持てる男になって、いつかはそいつの悲しみを全部消し去りたい。それくらいは思うかもな」
神崎君は何も言わなかった。ただ、何か思いつめた表情をして、回転に苦しむ双葉さんを見つめていた。
「悪い……何か話ズレたな。ま、とりあえず安心して謝れよ。双葉さんも仲直りしたいみたいだからさ。俺は、今回は神崎君が素直になるとこだと思うけどな?」
言うと、彼は微笑んで頷いた。
「うん……そうだね。何となくだけど、麻生君の御蔭で何で自分が意地張ってたのかわかった気がするよ」
「それは良かった。これからはあんまり意地張るなよ」
わかったよ、と神崎君は笑ってから、申し訳なさそうな表情をした。
「あと……さっきはごめん」
「何が?」
「いや、麻宮さんと付き合うの楽だって言って……僕等が見えてないだけで、みんな悩んでるんだよね」
俺はわざと「何の事だか」と手のひらを空に向けてとぼけて見せた。彼がもう一度笑みを戻した時、恐怖の回転カップが終了した。四人はヘロヘロな状態でカップから降りてきていた。ちゃんと歩けていない。大丈夫か?
「今度、聞いて貰いたい話があるんだ」
神崎君は俺に背中を向けたまま、呟くようにして言った。
「俺に?」
「そう……麻生君には聞いて欲しい。僕の昔話なんだけどさ」
彼の語気からは、決心と少しだけ悲しみが垣間見えていた。それを断る事は許されないような気がして、俺は「了解」と返事するしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。