10-8.同じ不安

「くそっ……アイツら、絶対に許さねー」


 結局信と眞下にはまんまと逃げられ、俺達はいつもの通学路を二人で歩いていた。

 体育以外で走ったのは随分久しぶりで、疲労感に襲われる。しかし、その疲労が俺に余計な事を考えさせないでくれるから、丁度良かった。彼らの気遣い(気遣いだと信じて)に少しだけ感謝しつつも、嘆息した。

 それにしても、あのアホ二人は逃げ足が速いところも見事に合っている。あいつら程のベストカップルはいないだろう。


「それより、頭大丈夫なのかよ? 良い音してたけど」


 伊織がペットボトルで叩かれた箇所を摩っていたので、心配になって訊いてみた。伊織を叩くとは許せない。眞下は俺の寛大過ぎる心で許してやっても構わないのだが、信には制裁が必要だ。


「触るとちょっと痛いけど、平気だよ。真樹君は?」

「ビミョーに腫れてきてんな。明日にはたんこぶになってるかもな」

「じゃあ、明日触ってあげるね」

「やめねーか」


 そんな会話をしながら歩いていると、さっきまであんなにぐるぐるとマイナス思考になっていた事が全くの嘘に思えてくる。いや、嘘であると思いたかった。

 俺達は何も変わらなくて、ずっと今のままで居たいと思っていた。だが、伊織の手すら握れない。こうやって二人で歩いていたら、前はすぐに手を繋ぎにいったのに。

 どうして俺は、今になって彰吾に後ろめたさを感じてしまうのだろうか。仮に戦力外通告されたのが俺だったら……まだ上手く纏まっていたのではだろうか。


「あっ、そういや宮下が試合出ないんなら、榊原も遊びに来ねーの?」


 また気持ちがダークな方面に傾きかけたので、さっき疑問に思った事を訊いてみた。榊原は応援ついでに伊織の家に遊びに来る事を本当に楽しみにしていたのだ。


「春華? 春華なら来るよ! どっちかって言うと応援の方がついでみたいだったから」


 伊織は苦笑して答えた。だが、どことなく嬉しそうでもある。やっぱり伊織にとって榊原春華とは大切な友達らしい。


「ひ、ひでーな……そっちがついでなのかよ」

「うん。春華って結構ドライなとこあるから」


 ドライというレベルなのか? という疑問が浮かんだのは言うまでも無いが、本当に伊織と榊原春華は対称的な人格だと思えた。対称的だからこそ逆に何でも話せる仲になれるのだろうか? 俺と信もある意味似たようなものかも知れない。


「あ、そうそう。春華が、良かったら真樹君も一緒に遊ばないかって言ってたんだけど……どうする?」

「俺が?」

「うん」


 何でまた俺なのだろうか。以前はあれ程邪魔者扱いしてくれたのに──揚句に伊織にとって自分と俺のどっちが大切なんだと選ばせようとしたのに──これまた随分勝手なもんだ。


「う~ん……悪いけど、遠慮しとくよ」


 俺はしばらく考えた結果、断る事にした。伊織と二人ならともかく、三人となると色々気を遣うだろうし、しかも俺はあまり面識がある仲とも言えない。


「えっ……どうして? 春華の事嫌い?」

「バカ、違うよ。久々に親友二人の水入らずで楽しめば良いんじゃないか? それに、男が居たら入り難い店とか話し辛い話題もあんだろーが」


 思ったより伊織が残念そうな顔をしたので、俺は慌ててそれらしい理由を並べた。榊原春華の事は嫌いではないが、ちょっと苦手なのは事実だった。あの関西人のノリにはついていけない時がある。

 しかし、真の理由は……多分、彰吾に関する話題を聞きたくないからだ。伊織の過去はもっと知りたい。でも、そこに彰吾が絡んでくると……つまらない嫉妬心や後ろめたさを抱いてしまうのは目に見えてる。今の精神状態では、会わない方がいい。


「そんな事気にしなくてもいいのに」


 伊織が小さな声でぽそっと言ったが、それっきり何も言わなかった。彼女の口数も少なくなり、以後は会話すらあまり続かなくなってしまった。

 次第に沈黙が俺達の間を支配し、空は薄暗くなってきて、遊びから帰る子供達の声と俺達の足音だけが虚しく響いていた。

 もしかして何か気を悪くさせるような事を言ってしまっただろうか。

 さっきからそればかり考えていた。だが、その原因たるものがわからない。さっきの誘いを断ったのが原因だったのだろうか?

 俺は決して間違った選択はしていないと思う。いや、むしろ伊織達にも気遣っての判断なのだ。どうして不機嫌になられなければならないのか、俺には全く不明だった。

 気がつけば、家の近くのY字路に着いていた。ここで俺達はいつも各自家路に着く。


「じゃあ、また明日な」


 結局俺は彼女が黙り込んでしまった理由を訊く勇気が持てず、そのまま帰ろうとした。だが、彼女は足を止めてこちらに振り返った。


「待って……」


 内心怯えながら、俺も伊織の方を見た。

 伊織は酷く思いつめた顔をしていた。見ているのが辛くなるくらいだった。

 何でそんな顔してんだよ……。

 危機感からか、鼓動が一気に速くなった。

 恐かった。一体何を言われるのか全く想像できず、無知故の恐怖に支配された。もしかしたら、別れを切り出されるのではないだろうか。今のままの関係や状態なら別れたいと言われてしまうのではないか。

 そんな、考えたくもないことが一瞬で脳裏を埋め尽くしていく。しかし、彼女が口にした言葉は全く以て意外な事だった。


「……バンドは解散しちゃったけど、私達は何も変わらないよね?」

「へ?」


 ちょっと肩透かしを食らった気分だった。俺としては、さっきからの雰囲気からもっと深刻な事を言われるかも知れないと腹を括っていたからだ。しかしながら、彼女が何かしら思いつめているのは事実だ。その言葉にどんな意味があるのか、俺にはわからなかった。


「そんなの……当たり前だろ?」

「そ、そうだよね。何言ってんだろ、私……変な事訊いちゃってごめん」


 伊織は無理矢理作った笑みを見せて言った。


「さっきからちょっと色々考えてたら、こんがらがってきちゃったのかも。明日までにはちゃんと直しとくから、気にしないで?」


 俺は無言で頷きながらも、気にしないのは無理な話だった。

 結局そのまま俺達はそれぞれ帰路に着いた。本当は何か言ってやるべきだったのだろうけど、こんな時に限って上手い言葉が見つからない。


『……バンドは解散しちゃったけど、私達は何も変わらないよね?』


 ふと伊織が言った言葉が頭の中でリピートされた。

 そこで、ハッとした。俺もさっき似たような事を考えていなかったか? 俺もさっき、関係や環境が変わる云々で悩んでたのではなかったか? もしかして……伊織も俺と同じ事を考えていたのではないのか? 伊織も不安に感じていたのではないだろうか。

 お互いが同じ不安を感じていたなら、そんなことはないとお互い言い合えば済むだけだ。そう思って慌てて振り向いた時には、もう彼女の姿は無かった。

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