10-5.焦燥

 けたたましく目覚ましが鳴った。

 慌てて目覚ましを止めると、溜息を吐いた。 体が怠い。風邪を引いているわけではないのだが、ここ最近ずっとこんな感じだ。

 スマホを開いてとりあえず通知の確認をしようと思った時、ある事に気付く。スマホ画面の曜日が『SUN』となっていたのだ。

 二度目の溜息を吐いて、もう一度ベッドに倒れ込んだ。Unlucky Divaが解散してバンド活動を辞めた日から、とてつもない脱力感に襲われている。あらゆることに何もやる気が起きなかった。

 スタジオ練習やライブなど、急がしさを倍増させているイメージがあったバンド活動だったが、終わってみれば、なんてことはない。とてもつなく俺にとって、大切なものだったのだ。それをここ数日で思い知らされた。

 柳氏の無慈悲な宣告があったライブの翌日、伊織と彰吾は別々にバンドを辞める旨を信に申し出ていた。伊織は今回の件に関して自分に責任を感じているし、彼女の性格から言えば、辞めるのは当然だった。彰吾もプロからあれだけボロ糞に言われたら、辞める以外の選択肢が無かったのだろう。彼の気持ちもよくわかる。

 伊織を引き留めようかとも思ったが、引き留める言葉を持たなかった。あのライブの日の帰り道での会話を思い出した。


 ◇◇◇


「最近、ライブ楽しかったんだけどな」


 伊織はあのライブの帰り道で、二人になった時に、ぽそりとこう呟いたのだ。

 最初は信や彰吾に頼まれて、半分なし崩しで始めたバンドだったが、彼女にとっても楽しいものと感じていたようだった。それは、彼女のステージでの成長ぶりを見ていれば、わかる。楽しいからこそ、あれだけステージ上からお客さんを惹きつけられるのだ。楽しい事――音楽の成長で、これ以外に必要なものはない。


「でも、私ってほんと最低なんだよ」

「どうしてだよ?」

「真樹君と付き合ったことで、彰吾と気まずくなって……バンドにも良くない影響与えてたのに、真樹君と付き合ってる間に自分に自信が持てて、ライブが楽しくなってたの。ステージに立っても怖くなくなったっていうか、真樹君が一緒だって思うと、楽しくって。ね、最低でしょ?」


 くしゅっと伊織は困ったように、弱々しく笑った。「そんな事ないだろ」と俺は返したが、彼女は首を横に振った。


「矛盾してるし、やっぱり最低なんだよ、私」


 彼女はそう言って、その日は家に着くまで、何も話さなかった。その時、俺はもう彼女が辞めると言い出すのは、わかっていた。何を言っても彼女の心には届かなかったから。


 結果は、案の定だった。そして、二人の脱退は、Unlucky Diva解散以外にもう道は無い事を端的に示していた。Unlucky Divaの将来の為を想って言ってくれた柳氏の言葉は、皮肉にもバンドを解散させてしまった。いや、それだけではなく、俺たちの友好関係すら狂わせてしまったのだ。

 解散して一週間経ったが、それ以降、彰吾は元バンドのメンバーとはほとんど話さなくなった。信とはちょくちょく話しているみたいだが、俺とは全く話さない。もちろん、伊織とも話しているところを見た事は無い。

 単純に気まずいというのもあるのかもしれないが、もしかすると彼の中では、バンドがあったからこそ、頑張って俺たちと話すようにしていたのかもしれない。

 バンドという、俺や伊織と強制的に繋がるものがなくなってしまえば、彰吾は無理をする必要がない。その証拠に、彰吾は、あれ以降意図的に俺達を避けていた。最近では、俺達以外のクラスの男子や普通科の奴等といる事が多く、自分からUnlucky Divaとは距離を置いていた。

 もう、前みたいに五人が集まる事も無い。バンド存続どころか、友達関係すら存続できそうにないのだ。

 Unlucky Diva解散は、神崎君も無念に思っていたが、彼はこれを期に受験に専念すると言っていた。もう大学受験まで一年も無いのだから、気持ちの切り替えるタイミングとして、一番良いのかもしれない。俺も気持ちではそうしなければならないと思いつつも、体は全くその気にならなかった。

 ただ、惰性に日々を過ごしてるだけだ。というか、結局まだ俺は自分の進路すら決めれていなかった。自分が何になりたいのか、将来何をしたいのか……その根本が解らなかった。大学には行きたい。でも、大学で何を学びたいのかがわからなかった。外国語科の先輩達の進路は、外大や外国語の専門学校、又は文学部で外国語を引き続き学ぶ生徒が多いらしい。しかし、もう散々英語についてはやったし、今更新しい語学をやる気力は俺には無かった。

 こうやって進路で悩んでるのは俺だけなんだろうか? みんなはもうなりたい職業とか決まって、表面的にはいつもと変わらぬ日々を過ごしながらも陰では頑張っているのだろうか?

 目を瞑ってみたが、消えてくれない悩みは、二度寝を許してくれなかった。せっかくの日曜に朝七時から起きているのもどうかと思うが、怠い体を持ち上げて勉強机の前に座った。暫くこの机で勉強していないから、机の上は散らかっていて、その散らかり具合いが更に勉強意欲を削いでいた。

 机の一番上にある紙を取ってみると、この前予備校で受けたマーク模試だった。昨日返却されて後で見ようと思ったまま寝てしまったらしい。開いてみてまず目に飛び込んできたのが、『東京大学 文科Ⅲ類 E判定』だった。

 当然だ。大して勉強してもないのに良い結果が出るはずもない。アドバイス欄を見てみると、文系科目以外は『まず基礎を固めよう』という言葉が並んでいた。

 何だかその機械的な文字がイラついて、ポイと机の上に投げた。こうやってこの机はどんどん汚くなっていくのだ。

 次に小さな横長の紙に目が行った。この前の、学年末テストの結果だ。確か母親に見せろと言われたから渡したのだが、それ以来見ていない紙だった。多分、母が勝手に机の上に置いたのだろう。主要五科目総合順位は、三百五十位中、五十三位……悪くはない。一年前の学年末テストの順位と比べると、百番ぐらい今の方が順位は高い。まぁ、二学期の期末は三十位台と過去最高だったが、二学期より真面目に勉強してないのだから仕方ない。というか、三学期は精神的に大変だった。一月は伊織と話せなくて勉強どころではなかったし、二月は二月で忙しかった。

 その伊織はと言うと、四十五位と俺より高い成績を誇っている。英語と数学は勝ったが、他は全部負けた。副教科はコールド負けかと思うくらいの差だ。家事もやって、今学期は俺と同じように大変だったくせに、一体いつ勉強してるのかと疑問に思う。同じ立場なのに上の順位にいられると、さっきの言い訳が通用しなくなってしまう。

 伊織が以前通っていた藤坂高校は大阪でもそこそこ有名な進学校らしいから、元々頭が良いのだろうけど。それでも、ちょっと悔しい。

 伊織と一緒の大学に行きたいと内心では思っている。だが、そんな事で大学を決めて良いのか、とも思うのだった。それ以前に、俺は伊織の志望大学すら知らない。俺たちは進路について話さないのだ。

 ちなみに同じクラスの中馬芙美は九十五位。彼女の順位がいまいちなのは、文系科目以外の成績が悪いからだ。その代わり、古文と日本史は学年一位、英語も十位以内と文系ならトップクラスだ。うちの高校から久々の早慶合格者が出るのでは、と学校側は期待しているらしい。

 何故俺が中馬さんについてこんなに詳しいのかと言うと、たまにLIMEのやり取りをしているからだ。本当に月に何度かするだけで、内容もほとんど勉強の事ばかりだから、イカガワシイものではない。伊織だって知っている。

 だが、最近では中馬さんとLIMEをすると、焦燥感に刈られる。彼女はどんどん受験に向けて進んでいっているのに、俺は未だ方針すら決まっていないのだ。

 学校に行って、テキトーに勉強して、皆と喋ったり遊んだりして、バンド活動をして……そんな生活がいつまでも続くんじゃないかと思っていた。だが、そうではない。少なくともバンドというものはもう消えてしまったし、高校だって卒業までもう一年切ってる。まごついている暇は……あまり無い。初めて時の流れを憎たらしく思った。


『今日、どっか遊びに行かない?』


 ふと、LIMEを開いて、伊織とのトーク欄に、そんな文字を入力してみた。しかし、送信ボタンをタップできず、結局そのメッセージを消してしまう。こんな事を、もう何回も繰り返している。

 なぜだか、俺は彼女と会う事を恐れていた。いや、もちろん学校では普通だ。こうしてオフの日に、学校以外で彼女と会う事を、躊躇していたのだ。

 どうしてこんな躊躇が生まれてしまうのかと言えば、それはやはり、彰吾の事が関係している。ドラムスティックを叩きつけて楽屋を出て言った彼の姿が脳裏から離れない。伊織と遊ぼうと思うと、彼の姿が脳裏によぎって、結局その気持ちが萎えてしまう。

 我ながら、困ったものだった。溜め息を吐いて、ベッドに突っ伏した。

 伊織に会いたい。

 そう考える俺も、矛盾の塊だった。


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