10-3.スカウトの紹介
狭い事務所には、店長のほかに、見知らぬ男がいた。スーツを着ている若い男だ。三十代くらいだろうか。
「いやぁ、お疲れ様でした。お客さんの入りも良かったし、盛り上がってたし……良いイベントになりました。ありがとう」
店長の労いの言葉に、俺達はぺこりと頭を下げた。が、意識は横のスーツの男に向いていた。店長はそれに気付き、慌てて彼を紹介してくれた。
「あぁ、こちらはバイゼルミュージックエンターテイメント株式会社の方だ。所謂スカウトだな。昔からの知人なんだよ」
そう紹介された時、俺達の間に緊張が走った。
バイゼルミュージックエンターテイメントの名前は俺でも知っている。まだ大手とは言えないが、最近何組かの有名バンドを輩出して力をつけ始めているインディーズレーベルだ。俺の好きなバンドもこのレーベルに所属している。
「どうも、柳です。みんなさん大変素晴らしい演奏をありがとうございました」
柳というスカウトの人は、丁寧に挨拶をした。スカウトの人は品がなく、ミュージシャンや歌手を商品としてしか見ていないと聞いていたので、少々驚いた。
「今日は店長から良いバンドがいくつか出演すると聞いてやってきましたが、さすが店長が見込んだ通り、Unlucky Divaさんは中々良い音を出してらっしゃる」
これはお世辞なのだろうか。今のUnlucky Divaはお世辞にも良い音を出しているとは思えなかった。俺の疑問を他所に、スカウトの柳さんは続けた。
「だが、まだうちが望んでいるレベルではない。もっと努力して頑張って欲しい」
この言葉に、信ががっくりと肩を落とした。要するに、不合格だという事。俺は当然だと思っていたので、何とも思わなかった。逆に、まだ高校生の俺達にそんな大きな話を持ってこられても困る。レーベルへの所属だとか、きっと保護者の許可もいるだろうし、そうなってくると色々面倒だ。
「おいおい、そんなに落ち込まないでくれ。君たちに才能は見出だせたし、個性もある。まだまだ若いし、チャンスはあるんだぞ」
彼は爽やかなセールスマンのような雰囲気で話した。上から見て品定めをする従来のスカウトとは明らかにタイプが違う。こうやって下から持ち上げるようにして、未知の才能を開花させようとする、極めて現代趣向な考え方だ。
褒められて可能性を示された方がやる気が出る……みんな同じだ。俺を含め、現代人はそういう傾向が強い。そういった意味では、俺はこの柳という人に好感を持てた。
「特に今日でていたバンドの中でもUnlucky Divaは一番良かったよ。だから、こうして話しているんだし」
スカウトの柳さんはそう言って、メンバーを見渡した。背筋に電気が走った。まさか俺達がそこまで褒めてもらえると思っていなかったのだ。俺達が言葉を返せないでいると、柳さんはこちらに向かって歩み寄ってきて……そして、そのまま伊織の前に立った。
「そうだな……現時点からして言えば、ボーカルの君ならデビューさせられるよ。華があって、煽りやお客さんへの目配せ、ボーカルに必要なものを全て持っている」
まじかよ、と俺は息を飲んだ。伊織がプロのスカウトにべた褒めされている。確かに、この二回のライブで伊織だけは群を抜いて良くなっていたけども、プロにそこまで言わせるほどの逸材だったのか。
「ただ、まだ声量やピッチが不安定なところもあるから、正規のボイストレーニングを受けてもらうけどね……どうだい? 君程の才能があれば、来年には日本の歌姫の仲間入りも可能だと私は思っている」
一斉に、俺達の視線が伊織に集中した。当の伊織は固まってしまって、現状がよく理解できていないようだった。
これは所謂〝引き抜き〟というやつだ。この業界ではよくある事で、バンドの中から才能ある者だけを文字通り引き抜き、ソロアーティストとしてデビューさせる。それで成功した者も数多いが、メンバーに対して罪悪感は残ってしまうのではないだろうか。
伊織の答えに注目が集まった。誰も言葉を発さなかった。信にも、神崎君にも、彰吾にも、そしてもちろん俺にも、もし彼女がデビューしたいと希望したなら、それを止める権利はない。
ただ一つだけわかる事は、彼女が柳の申し出を受け入れたなら、Unlucky Divaは即座に解散し、今あるこの五人の関係はバラバラに崩壊するという事だ。今まで通りの仲良しグループではいられない。
もちろん、伊織に才能があるのは解っている。同じステージに立っているからこそそれはよくわかる。だからこそ、メンバー内の不和が演奏に表れてしまうようなバンドにいるのは、彼女にとってマイナスだ。彼女の才能だけを思うなら、ここで引き抜かれた方が良いのだろう。
だが、それは嫌だった。首を縦に振らないでくれと祈っていた。俺は音楽が好きというより、このUnlucky Divaが好きだから……。
きっと信や神崎君、そして彰吾もそうだ。柳さんが伊織にその質問をしてどれ程の時が経過したかわからない。
早く答えてくれ──そう思った矢先、彼女は質問に答えた。
「あ、あの……ごめんなさい!」
言いながら、伊織は勢いよく頭を下げた。まるで告白された時の断り方にそっくりだったので、思わず噴き出しそうになった。同時に、物凄く安心した。体から力が抜けて、ふにゃふにゃと崩れ落ちそうだった。
「理由を教えてくれるかな? こんなチャンス滅多にないぞ?」
まるでその返答が来るとわかっていたかのように柳さんは笑って訊いた。
「その、私は全然デビューとか考えてなくて……ただみんなと一緒にライブするのが楽しかったから歌ってるだけなんです。それに、このメンバーじゃないと私は歌えないと思います」
一人だと歌う意味が無い。申し訳なさそうにだが、彼女はハッキリとそう付け加えた。柳氏はうんうんと頷いて、俺達に笑顔を向けた。
「まぁ、そう言うと思ってたさ。他のメンバーの子達も困らせてすまなかった。ただ、さっき『現時点で』と言っただろう? 現時点ならボーカルしかデビューさせられない、だけど他のメンバーもそれ相応にレベルアップしたら、充分可能だとい言う事さ」
どうやら、この柳というスカウトさんは、全くもって最初から伊織だけをデビューする気等無かったのだ。何だか無駄に緊張させられて疲れた気がする。こいつ、性格悪いんじゃないか?
「もちろんその道則は険しいし、数々の問題点をクリアしなくてはならない。もし君達に上を目指す気があるならアドバイスをさせてもらうが……どうかな? 結構厳しい事も言うけど」
「はい! お願いします、先生!」
信が即座に言ったので、みんなから笑い声が漏れた。いつから俺は先生になったんだ、と苦笑しながら柳氏は評価に入った。
しかし、この評価が俺達五人の関係を大きく変える事になるのだった。逆に言えば、この評価さえなければ、俺たちの未来はまた違ったのかもしれない。
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