10章・変わってしまうものと変わらないもの

10-1.分岐点

 清水寺以降の修学旅行は問題もなく、到って平和な、いわゆる普通の修学旅行というやつだった。

 しかし、普通と言えども本当に楽しかった。伊織と二人で京都を満喫できたし、たくさん二人で写真を撮れた。さすがにもう女子の部屋に遊びに行く愚行はしなかったが、それでも自由行動時間はずっと一緒に居れたので、修学旅行と言うより何日もデートした気分だった。

 女子の部屋で思い出したが、夜は教員部屋に軟禁されていた信を助ける為に坂城先生と交渉して彼を救ってやったりもした。俺が責任持って信を見張るから許してやってくれと頼んだら、坂城先生は喜んで解放してくれたのだ。先生も先生で、生徒とずっと一緒にいるのは嫌だったのだろう。友達想いの俺の姿を見て、先生方の俺に対する好感度もアップし、同時に信に対して借りも作れた。正に一石二鳥だ。今後はこの借りを有意義に使わせてもらうとしよう。

 奈良の東大寺では、爆笑事件が起こった。眞下詩乃が金堂の東北隅にある四角い穴の御利益目当てで潜ろうとしたら、抜けれなくなって大騒ぎとなった。ちなみにパンツ丸出しである。

その時伊織は、慌てて自分の上着を眞下のスカートの上に被せてやり、穴から抜ける手伝いをしていた。しかし、俺含め他のみんなは爆笑しまくりでアドバイスどころではなかった。信がしっかりその恥ずかしい場面をカメラに収めている。

 最初はどうなるかと思った修学旅行であったが、全体的に見ると最高だった。一つ心残りなのは、結局伊織のご両親のお墓には行けなかった事だ。その提案を彼女に持ち掛けてみたのだが、距離が離れてるからお墓参りだけで一日が終わってしまう、と断られたのだ。それはそれで困るので、今回は諦めざるを得なかった。

 お墓参りはまたいつか京都に来る日まで延期である。よく考えれば、旅行のついでなんてご両親に対して不遜極まりない。夏休みか受験終了後か……また、その時間を作って京都に来よう。俺は心の中で、そう決心した。


       *


 修学旅行が終わったからと言って、のんびりしてる余裕などない。

 学年末テストとライブハウス〝神楽〟でのイベントが三月の二周目に連続していたのだ。旅行から帰った次の週から、テスト勉強とスタジオ練習を同時進行せねばならなかった。

 ライブさえ無ければダラダラしていても良かったのだが、さすがに学生の本分を蔑ろにするわけにもいかない。二学期は成績が上がったのだから、できればそれを維持したい気持ちもある。例によって勉強会は開かれたが、まだテストまで日数があったので、初日は伊織と神崎君の三人で図書室で勉強していた。

 普通なら神崎君と一緒に双葉さんもついて来るはずなのだが、彼らは絶賛喧嘩中だ。修学旅行の初日に神崎君が外語女子の部屋に遊びに行っていた件を未だに引きずっていたのだ。

 言わんこっちゃない。やっぱり俺達が危惧していた問題が起こったのだ。勉強会よりも仲直りさせる事の方が先だと思ったのだが、俺達では適切なアドバイスができなかった。俺と伊織は、そういった類いの喧嘩はした事がないのだ。口を利かなくなった事は記憶に新しいポッキー事件だが、あれは当事者の不和が原因で起こったわけではない。

 即刻仲直りするように言ったのだけれど、どうも神崎君も歯切れが悪い。神崎君自身がそれ程悪い事をしたと思っていないからなのか、ただ単に素直になれないのかはわからない。

 俺ならどうだろう? もし伊織と誤解で喧嘩してしまって、しかも自分が悪くないと思っていたら、謝れるだろうか? 多分、俺の場合は謝れると思う。伊織と話せない方が、きっと辛いから。好きだから、離れたくないから、例え悪くなくても謝る。それに、そうした姿勢を見せればきっと伊織ならわかってくれるようにも思うのだ。

 しかし、それはあくまでも俺と伊織の関係を想定した上での想像だ。実際に問題が生じたら、意地を張ってしまうかもしれない。謝っても許してもらえなかったらどうしよう、と二の足を踏んでしまう可能性もある。


「神崎君は、明日香ちゃんの事が好きじゃないのかな……?」


 勉強会の帰り、伊織はぽそりとそう漏らした。


「どうなんだろうな……」


 それも否定できなかった。バレンタインデーに見せた、双葉さんのあの表情と『勇ちゃん、本当は……』という意味深な言葉。今思えば、あれは彼女の不安をそのまま耶喩していた。

 何にせよ、これは当人同士の問題だ。俺達がいくら仲直りして欲しいと願ったところで、二人にその気が無ければ、それも不可能だ。ただ、仲直りの場を作ってやる事ぐらいならできる。その辺りは信に相談しても良いかもしれない。


 ◇◇◇


 それから時は経ち、三月の一週目になっても、二人の関係は変わる事は無かった。

 もしかしたら、本当に自然消滅してしまうかもしれない。そんな危機感を感じ、伊織はそれとなく双葉さんに、俺は神崎君に、それぞれ二人の心境を訊いてみた。

 返って来た答えは、双葉さんは「勇ちゃんなんてもう知らない」、神崎君は「わからない」だった。これは本気でまずいかも知れないと思って信にも相談してみると、彼はまだ仲直りしてない事にまず驚いていた。


「俺にも責任が無いわけじゃないんだが……でも、仲直りしたいかどうかは本人の意志だろ。もうしばらくよう子見た方が良いんじゃねーか?」


 信は暫く考えた後、そう答えた。もし喧嘩してる事が、神崎君のギターにも影響が出てるなら信も焦るんだろうが、今のところ全くそういった様子もない。

 確かに、当事者が動いていないのなら、放っておくのが一番かもしれない。このまま終わるのであれば、きっとあの二人はその程度の縁だったのだろう。この世は諸業無常……生じたものは、いつか必ず滅する。あの二人もそうなのだろう。そして、それは自分達にもそのまま当て嵌まる。

 これほど互いを必要とし合ってる俺と伊織の繋がりも、いつか終わってしまうのだろうか? 信じられない。いや、ただ単に信じたくないだけなのかもしれない。


 ◇◇◇


 学年末テストが終わった。手応えとしてはまぁまぁといったところだが、少なくとも二学期の期末テストよりはできが悪いのは確かだ。

 テストの結果発表の前に、第二土曜日はいよいよ一か月ぶりのUnlucky Divaのライブを迎えた。俺達はイベントのトリを任されており、いつも以上に気合が入っていた。

 この日のステージ時間は二十五分。合計五曲をやる予定だ。まず、文化祭でもやった、コピー曲二曲と、オリジナル曲を三曲やる。オリジナル曲は、俺が今年の冬休みに作詞作曲した『恋想伽』、次に昨年文化祭の初ライブから好評の『Your Heart』、最後は、その詞に対して辺歌となっている『ライラック』で締め括る。

 今日のイベントは地元ではそこそこ有名なインディーズのバンドも参加するらしく(俺は全く聴いた事ないけれど)、客の入りも結構多い。そのバンドの影響なのか、今日はインディーズレーベルの関係者も来るみたいだ。

 そんな情報をライブハウス〝神楽〟の店長から聞かされたものだから、結成四か月弱・ライブ経験四回目のひよっこバンドの俺達はガチガチに緊張していた。

 レーベルの人が来る上にラストを飾れだなんて、どう考えても無理がある。信はデビューのチャンスだと喜んでいたが、俺みたいな小心者には本当に困る。普通に考えればその人気バンドにラストを演らせる筈なのに、何故か今回はUnlucky Divaが演る事になっている。どうやら〝神楽〟の店長が、ラストはUnlucky Divaにしたい、と言う意見を出して無理矢理通したらしい。

 店長がUnlucky Divaの大ファンで贔屓してくれるのは嬉しいのだが、その人気バンドがそれを不満に思ってるらしく、何だか妙に敵視されている。彼等だけでなく、彼等のファンもまた、不満に思っているはずだ。そういった経緯もあって、今回のライブは微妙にアウェイ気分でやらなければならない。

 ただでさえバンド内の空気は良くないのに、更に緊張まで加わってしまったら、余計に完成度が下がってしまうのではないだろうか。


「なぁ、信。俺の曲はまた次にしないか?」


 自信の無さから、リハ(リハーサルの略)に入る前にそんな事を言ってみた。スカウトがいる前で自分の曲を演るなどと、畏れ多いにもほどがある。


「ばーか、何ビビってんだよ。スカウトが見てんのにコピー曲やる方がよっぽど恥ずかしいっつの。二曲やるけど」


 信はそんな俺の気持ちを見抜いて、呆れたように言った。確かにその通りである。


「お前の曲悪く無いって」


 伊織と神崎君も信の言葉にうんうんと頷いていたが、彰吾だけは我関せずという感じで、ドラムスティックを弄んでいた。

 多分、彰吾は俺の曲など演りたくもないだろう。しかも曲名が『恋想伽』だから、腸が煮えくり返っているかもしれない。もしこれから曲が作れたとしても、恋愛系の歌詞は絶対書かないようにしよう。そう誓った。


 リハはいつも通りで比較的順調だった。ただ、比較的順調であって、決して良くはない。率直に言ってしまうならば、年末ライブの時からUnlucky Divaは何も変わってないという事だ。得体の知れない違和感は相変わらず健在で、文化祭の時のような一体感は練習を通して一度も無い。みんなはどう思っているのか知らないが、俺は内心焦っていた。時が解決してくれると思っていたが、一向に回復の兆しが見えない。技術的には多少上がっているかもしれないが、根本の部分は全くだった。

 そういえば、リハでいつもと違うのは、他のバンドが観客席側で見ていた事だ。聴衆に見られてるのとは少しわけが違うので、妙に緊張したのはきっと俺だけではないはずだ。


『こいつらのレベルはどんなもんなんだ?』


 まるでそう品定めをされている気分になる。演奏をしながらその連中を見ていると、ふーんと頷いている奴もいれば、不機嫌そうにその場を離れる奴もいた。

 自分達より上手いと思ったから不機嫌になったのか、何でこんな奴等がトリなんだと不快に思ったのかはわからない。私的には後者のような気がする。

 いつもとは違う環境のせいか、いまいちノリが掴めないままリハが終わってしまった。

 控え室に戻っても俺達の口数はいつもより少なく、そわそわしながら無駄に時間を弄んだ。不安と緊張と精神疲労だけが積もっていく。

 トリは嫌だ。待っている時間が長すぎる。


 それから数時間後、予定より少し遅い午後九時を回った頃にUnlucky Divaの順番が回ってきた。いつもとは少し違った緊張仕切った面持ちで、いつもと同じような掛け声してから俺達はステージへと向かった。

 この日が俺達の大きな分岐点になるとも知らずに。

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