9-6.悪夢の中の奇跡

「うげ⁉ 今のって体育の坂城の声じゃねーか!」

「てかもう十二時過ぎてるじゃない!」

「穂谷達が見つかったらあたし等みんなヤバイって!」


 途端に部屋内はヒソヒソ声で溢れ、そして全員が慌てふためいた。坂城とは、陸上部の顧問で体育教師だ。奴の説教は恐くて有名で、去年のマラソン大会でショートカットした信が怒られているのを見たが、あれは本当に恐そうだった。それだけは避けたい。


「とりあえず押し入れに隠れるんや!」


 彰吾の言葉で男は全員押し入れに押しかけ、彰吾、信、神崎君と順番に入っていく。が、しかし──いざ俺の番となると、何処にも入る隙間が見当たらない。余りの布団やみんなの荷物も入ってるので、大の男四人が入るにはやはり無理があったのだ。


「す、すまん麻生。俺達の代わりに犠牲になってくれ! さすがの俺も坂城だけは苦手なんだ!」

「ごめん、僕もここで見つかるとヤバいと思うから……」


 信と神崎君がそれぞれ申し訳なかそうに手を合わせて頭を下げた。


「はぁ⁉ ちょ、犠牲って……彰吾、もっと詰めれるだろ! 頼むよ!」


 傍から見ていても、彰吾がこれ以上詰められないくらい奥にいることはわかっている。それでも俺は彼に懇願せざるを得ない。


「麻生……お前のことは忘れへん。お前は俺等の代わりに、京の街に散ったんや……!」

「いや、待てって!」


 俺が反論する前に、信はぴしゃりと襖を閉めた。


「ちょっと麻生君、どうして入んないのよ!」

「定員オーバーなんだよ! 他に隠れるとこないのかよ⁉」

 俺達はヒソヒソ声で会話を続けた。

「そんな事言ってもトイレは共同だし、この旅館ベランダも無いよ」


 必死になってクラスの子達と周りを見渡してみるが、隠れられそうな場所が見当たらない。

 ──あれ、これ終わった? 俺終わったんじゃね?

 今回の旅行での俺の不運さは半端じゃないらしい。さっき部屋で感じた嫌な予感はこれだったのだ。逃げ切ってやるとか言いつつ、俺だけ逃げられないシチュエーションになっている。

 ──もう誰か俺を殺してくれ!

 そう思った時、白河梨緒が手をポンと叩いて言った。


「あ、布団の中! 布団の中入って暗くしたら誤魔化せるんじゃない?」

「それよ! それしかないわ、麻生君!」


 眞下が白河莉緒の提案に相槌を打つ。

 布団の中って⋯それ別の意味でヤバくないか? 一瞬そう思ったが、今は迷ってる場合ではない。


「早く伊織のとこ入れてもらいなよ!」

「真樹君、もう隣まで来てるから!」


 白河の案に乗って、眞下と伊織が急かす。もうどうにでもなれと思って、俺は伊織の布団に滑り込む様にして入った。それを確認してから、眞下は電気を消して自分の布団に潜り込んだ。

 電気を消して数十秒と経たないうちに、ドアから坂城の野郎が入ってきた。本当に危機一発だ。しかし、そんな危機状態にも関わらず、伊織と一つの布団の中にいるという嬉しい事も起こっている。

 これも全て白河の御蔭なのだが、まさかあの白河が、こんな最高な救助策を出してくれるとは驚きだ。てっきり身柄を引き渡されるとばかり思ってた。身柄を引き渡されたところでこの部屋の女子の責任にもなるから、それはそれでまずいのだろうけど。


「真樹君、もっと体寄せて」


 伊織が囁き声で言った。

 あの、伊織さん? これ以上体を寄せたら、それこそ俺の理性が飛んでしまう危険なのだけど。俺だって理性を大事にしてはいるが、男なのだ。だが、離れていては布団の膨らみが不自然になるのも事実だ。不本意(実は本意?)ながらゴソゴソと近づいてほぼ密着した状態になると、伊織はできるだけ布団の膨らみを無くす為に俺をぎゅっと自分の方へ抱き寄せた。浴衣越しに、胸の柔らかいものが顔に当たっていて、危うく理性が壊れそうになった。嫌でもあの日の情事を思い出してしまう。

 実はあの日以降、なかなかそういうタイミングというか、空気にならなくて俺達は体を交えてはいない。なんとなく照れくさくて、言い出せないのだ。それの我慢が、ここではち切れそうになっている。

 みしっみしっと坂城が歩いて来る音が伝わってくるが、もう俺はそんな事どうでも良いくらい幸せだった。伊織の良い匂いに包まれて、抱き締められてて、伊織の柔肌を感じられる……まさに天国だ。

 密着した上に抱き締められているからか、伊織の鼓動が伝わってくる。彼女の胸は凄く波打っていて、心拍音を叫んでいた。それは見つかるかどうかの不安のドキドキか、俺を抱き締めているからのドキドキなのかは判別できない。ただ、俺も心臓が爆発しそうなくらい高鳴っていた。もちろん、理由は後者だ。


「……苦しくない? もうちょっと我慢してね」


 伊織は布団の中に顔を入れ、呟くようにして言ってくれた。俺は辛うじて理性を保って頷く。苦しくても良いから、ずっとこのままが良いのだけれど……。足音が遠退き、坂城が部屋を一回りして、ドアに向かおうとしているのがわかった。坂城に早くどっかに行けと念じるべきなのか、この状態を継続してもらう為にもまだ居てくれと願うべきなのか、判断に困る。

 俺がそんな中途半端な事を考えていたのがダメだったのか、この事態はそれで終結しなかった。坂城が靴を履いた瞬間、誰かのスマホがおもいっきり鳴ったのだ。俺と伊織が同時にビクッと震えた。きっとみんなも同じだろう。

 ──誰だよ、マナーモードにしてない奴は!

 内心キレながらも、今度はひたすら早く坂城が出ていく事を祈った。


「やばいかも……今の音、押し入れからしてた」


 伊織が状況を教えてくれた。おそらく、信達押し入れ組の誰かのスマホが鳴ったのだ。伊織がそう呟いたので、俺も布団の隙間から外を見てみると、坂城が押し入れの前に立っていた。

 あ、これもうだめだ。俺はそう悟った。


「ほぉ。こんな押し入れの中からスマホの音がなるなんて、なかなか珍しいな」


 そして、坂城の手が押入れの襖にかかった。


「隠れんぼは終わりだ!」


 彼によって力強く開けた押し入れの中には、もちろん半笑いの三人がいた。


「……あはあは。さすが坂城先生、こんにちは」

「す、鋭いでんなぁ」


 三人は顔を引き吊らせながら、のそのそと押し入れから出る。


「さすがも何もあるかぁ、来い! こんな時間に女子の部屋にいる様な奴等には俺の部屋で朝まで説教してやる!!」

「い、嫌やぁぁあ!」

「それだけは勘弁してぇぇぇぇ!」


 ズルズルと部屋の外に引きづられていく彰吾と信。神崎君だけは諦め切っているのか、大人しく連行されていた。


「あと、女子! このマヌケ達に免じて今日のところは許してやるが、今度また同じ事があったらお前等も同罪だからな」


 そう言って、坂城が扉を閉めると、部屋の中は安堵の息で溢れた。部屋のみんなは信のアホさ加減をぼやき、ムクムクと起き上がった。

 俺だけ助かったのか……? 奇跡だ。俺だけ見つかるのではなく、俺だけ助かるというシチュエーションは想像してなかった。


「良かった……真樹君、大丈夫?」

「ああ」


 伊織が抱き締める力を緩めたので、久々に俺達の間に空間ができた。ちょっと残念ではあるが、伊織が必死に守ってくれた御蔭で助かったのだ。伊織の浴衣を直す仕草が妙に官能的で、襲いたくなってしまう。もちろん、今はそんな事をしている場合ではないのだけれど。御礼を言おうと思ったその時、俺の脳裏に一つの可能性が残った。

 ──待てよ? 俺だけ助かるなんて事を、あの信が許すか?

 答えは否だ。こんな場合、ほぼ確実にアイツは俺を道連れにする。穂谷信とは、そういう人間だ。俺だけ許す道を残すはずがない。それを悟った俺は、慌てて布団から出た。


「真樹君、まだダメだって」


 伊織が声を潜めて咎めるように言う。他のみんなも『何してんのよ!』という顔でこちらを見るが、彼女達の忠告を無視して、そのまま信達が見つかった押し入れに入った。


「いいから、自然にしててくれ」


 人指し指を口に当ててそう言い、襖を閉めようとした時だ。やはり俺の予感は見事的中し、廊下から信と坂城の声が聞こえた。


「そ、そうだ! 待ってくれ、先生! まだ麻生があの部屋にいるんだ! アイツ、布団の中に隠れてんだよ!」

「何だとぉ⁉」


 俺は慌てて襖を閉めて、ついでにスマホの電源を切った。信の二の舞は嫌だ。その直後にすぐさま坂城が扉を蹴破らん勢いで部屋に戻ってきた。俺にできる事は、みんなが上手くごまかしてくれる事を祈るだけだ。


「麻生は何処だ?」

「えっ、麻生君ですか? 麻生君は最初からいませんでしたけど……」


 まず、眞下がそう言ったのが聞こえた。


「まだ庇う気か? 良いだろう。全員布団から出ろ」


 伊織達は「いませんってばー」と文句を言いながら、布団を出る。坂城が電気をつけたが、もちろんそこには俺の姿は無い。


「……おい、穂谷。こりゃどういう事だ?」


 ドスの利いた声が信に向けられた。


「う、嘘だろ⁉ お、お前等何処に隠したんだよ!」


 信の慌てふためきぶりが、声からだけでも充分伝わってきた。まさに、イリュージョンマジックを見た感覚に陥っているだろう。灯台下暗しとはよく言ったものだ。まさか、自分達が見つかった場所に隠れているとはなかなか人間は考え難い。


「はぁ? 穂谷、アンタ何言ってんの? 麻生君は一度もこの部屋に来てないじゃない」


 この声は眞下だ。まるで本当に来ていないかのような口ぶりで言ってくれている。


「な、何だと⁉」

「穂谷さぁ、そこまでして助かりたいの? ちょっと酷くない?」

「うん、酷いよね。自分達がまだ帰りたくないって居座った結果がこれなのに、まだ人のせいにして」

「あたし等だって、ホントはもう眠いのよ?」


 眞下に続いて、他の女子が今度は信達を悪者にしようと話を向け始めた。本当に迷惑そうな言い方をするから恐ろしい。彼女達は全ての責任を信に押し付け、自分達が助かるほうを選んだのだ。女って、こわい。


「穂谷ぃ、貴様という奴はぁ……!」


 坂城の声には怒気が孕んでいた。単細胞の体育教師では女生徒の演技を見抜けなかったようだ。


「ちょ、ちょっと待って下さい先生! こいつ等がみんなで俺をハメようと⋯!」

「えぇい! この後に及んでまだ言い訳するつもりか! 貴様はこれから俺の部屋に泊まらせてやる!」

「う、嘘だろ⁉ だ、誰か助けてくれぇー!」


 強制連行される信の悲鳴が、夜の旅館に児玉していた。その間、俺は笑いを堪えるのが本当に大変だった。

 こうして俺は、みんなの力を借りて、度重なる悪夢を乗り越えた。

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