9-5.悪夢のはじまり

 数十分に渡って俺と伊織はネタにされたが、ようやくそれも落ち着いて今はトランプをしている。

 部屋の大きさは男子と大差無いのに倍以上の人数がいるからかなり窮屈な感じがするが、これはこれで賑やかで楽しかった。

 白河梨緒に関しては、気にしない様にだけすれば何とかなる。とにかく彼女の方を見ないようにする事が大切だ。これも人数が多いことのメリットだった。

 神崎君には双葉さんの部屋に行かなくて良いのかと訊いてみたところ、最初は双葉さんの部屋に誘われていたそうだ。しかし、彼女のルームメイトとは一切面識が無く、男一人で行く勇気はなかったのだという。しかし、それではまた双葉さんが機嫌を損ねるので、俺がロビーに行く少し前まで一階で話していたそうだ。その後一人で部屋に帰ろうとしたところ、信達に誘われて、ここに辿り着いたのだという。

 これがバレたら余計に機嫌を損ねると思うけれど、と思ったが、結局口には出さなかった。神崎君自身が大丈夫と思ってるならそれで良いのだろう。ただ、今一つ神崎君は双葉さんを解っていないと思うのだ。彼女は性格的に、独占欲が結構強い。自分以外の女の子には神崎君に近寄ってもらいたくないのが本音だろう。

 しかし、神崎君があまりにも鈍感なのか、それに気付いている節は無い。こんな事を俺が考えてても仕方ないのだが、何だか見ていて危なっかしい。平和なカフェテリアの死角に時限爆弾がある……そんな印象だった。

 そんな心配を余所に、トランプに飽きた連中が恋愛の話をしようと急に盛り上がった。また俺にとって不利な話題だ。少々嫌な予感はしていたが、今回の矛先は俺達には向かなかった。


「そういえば莉緒ちゃんって彼氏いないの? モテそうなのにー」


 どういう風の吹き回しか知らないが、女子のひとりがとんでもない事を最悪な奴に訊いてくれた。何で今白河なのだ? 確かに付き合ってる云々の噂は無いが、俺に告られたという、白河自身が流した噂があった。そしてそれは悲しいながら事実だ。今その話を伊織がいる前でされたら一体どんな空気になる? 想像しただけで胃が捻じ切れそうだ。

 ちなみに、伊織もその事実についてはおそらく知っている。イブの前日……彰吾が告白した時にも、その事について触れていた。そして、その話題になった時に伊織がとても傷ついていた。『お前にそんな表情させる奴に任せられない』と、彰吾が言っていた。あの時の光景を思い出すと、気分が悪くなってくる。

 白河への告白は、俺にとっても消したい過去の一つだった。しかし、その過去は消せない。何があっても消せないのだ。

 信と眞下が同時にこちらを見て「ヤバッ」という顔をした。眞下はきっと俺と白河のいざこざについて忘れてしまっていたのだろう。でなければ、俺をこの部屋には誘わなかったはずだ。白河から、どんな言葉が出てくるのか、もう想像もつかない。俺達は白河の口元を凝視していた。


「いないよ。それ以前に男子の友達とかいないから……」


 白河はとりあえず当たらず触らずな返答をしていたので、俺はホッと胸を撫で下ろした……が、まだ安心するのは早かった。


「でもさぁ、梨緒って去年からたまに告られたりしてるじゃない? その中から選んじゃえば良かったのに」


 別の女子がまたとんでもない事を訊いてくれた。その〝去年に告った奴〟の中に、八か月前の話だが俺もいるのだ。八か月前の話だが! 頼むから過去の地雷が再燃焼しそうな話題はやめてくれ。そう願いながらも、嫌な汗が背中をダラダラと伝っていた。


「うーん……あの時はあんまり付き合いたいとか思ってなかっただけかな。部活忙しかったし、男子ってよく解らないし」


 結構痛い返答だ。これから察するに、昨年の俺には全くチャンスが無かったという事だ。にも関わらず、一人で勘違いして勝手に惚れて玉砕するとは……無様だ。

 だが、そんな過去があったからこそ、今は伊織と付き合えている。どんなにつらい過去でも、消したい過去でも、今の俺を作る血肉のひとつだ。 今俺が幸せならば、その過去にも感謝すべきなのだろう。もし、奇跡的にあそこで白河と付き合っていれば、今伊織と付き合っていなかったかもしれないのだから。ただ、そうであったも、今ここでこの話題について触れるのはやめてくれ。頼むから。


「じゃあ、今はちょっと付き合ってみたいとか思ってるんだ? どんな人なら好み?」


 友達のその質問に白河は暫く考え込み、「リードしてくれる感じの人とかかな? 優しい人がいい」と答えた。

 そこでいきなり信と彰吾が身を乗り出した。


「お、じゃあ俺とかどうよ⁉ 優しーくリードしてやるぜ?」

「いやいや、俺かているで~?」


 この二人のノリの良さに救われた。即座に反応して笑いを誘っている(白河には首を傾げられ二人共撃沈していた)。彰吾はわからないが、信はもしかしたら俺に矛先が向かないように気を遣ってくれたのかもしれない。


「ねーねー、ところで神崎君っていつからカノジョさんと付き合ってたの?」


 以前神崎君のファンだと言っていた女子が唐突に訊いた。

 白河から話題が外れて、ようやく安堵する。が、こっちはこっちで危険な話題な気がした。っていうか危険な話題しかなくない? もしかしたらからわれているのが一番安全なのか? ちなみに、恋愛話になってから俺と伊織は一切口を開いていない。こんなもの、付き合っている連中が何か言えば、即座に攻撃の的にされるのだ。ここ暫くの経験から、俺達はそれを理解していた。


「え? 去年の暮れだけど」

「じゃあ、まだ二か月くらいだったの? あーあ、もうちょっと先に出会ってたらなぁ……」


 女子は悔しそうに言った。神崎君は苦笑してそんな様子を見ていたが、珍しくそこで伊織が口を挟んだ。


「あの、神崎君? さっきから訊こうと思ってたんだけど、ここに居て平気なの? 明日香ちゃんに誤解とかされない?」


 伊織も同じ事を気にしていたようだ。おそらく彼女も双葉さんの不安に気付いていたのかもしれない。


「誤解って? 麻生君達もいるんだし、そんなの気にしないんじゃないかなぁ……」

「そう……」


 そう言われると、伊織も黙るしかなかった。

 ただ、この神崎君のセリフで俺はある事に気付いた。それは、神崎君と双葉さんの許容範囲と禁忌区域にズレがある事だ。簡単に言ってしまえば、神崎君が『別にいいんじゃない?』と思う許容範囲が、双葉さんにとっては『それはダメ!』という禁忌区域になってしまうという事である。

 人間は十人十色であり多種多様であるから、当然全ての範囲が同じになる事は有り得ない。互いが合うように修正したり、どちらかが合わせたりして人間は上手く付き合っていく。しかし、その範囲にあまりに差がある場合は、努力だけでは埋まらない。これもやはり人間だからなのであるが、『どうしても譲れない』場面もあるのである。それが対極にあった場合は良い関係を築くのは難しい。

 神崎君と双葉さんの場合は対極とまではいかないが、そこそこ差があるように思えてきた。おそらく双葉さんはその差に薄々気付いていて、埋める努力をしている。だが、神崎君はそれを意識していない。片方が無意識のままだと、いつか壊れてしまう。数日前の、双葉さんの辛そうな表情が脳裏に蘇った。

 早く気付かせてやった方が良いのかも知れない。二人とも大切な友達なのだから、気付いてからでは遅かった、という事態にはなって欲しくない。しかし、こればっかりは本人が自力で気付かないと意味が無い。

 伊織と目が合うと、彼女は困ったような笑みをこちらに向けた。もしかしたら、伊織も同じような事を考えていたのかもしれない。


「双葉が誤解するかはともかくとして、時間も時間やしそろそろ帰った方がえぇかもしれんなぁ」


 彰吾がそう言った矢先だった。廊下の方から怒号が聞こえてきた。内容まではよく聞こえ無かったが、見回りに来た教師がまだ起きて遊んでいた生徒に対して怒っている感じだった。

 ここから、俺達は……いや、〝俺は〟危機を迎える事になる。

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