9-3.彼女も変わりつつあった

 僅かな自由行動時間を京都駅で満喫したあと(時間が短かったから中馬さんは不満そうだったが)再び集合して、そのまま京都タワーへと向かう事になった。

 京都タワーの中をぐだぐだと歩きながら、俺は一人ムスッとしながら景色を眺めていた。


「なぁ麻生、いい加減機嫌直せって」


 信が先程制裁として殴られた腹を摩りながら、話し掛けてきた。


「別に機嫌悪くないし」


 俺は不機嫌丸だしで、ダラダラとうちのクラスの最後尾を歩いた。

 機嫌悪いじゃねーか、と信はぶつくさ言いながら、俺の横を並んで歩いた。ガイドさんが何か説明してるが、全く耳に入ってこない。機嫌を直せと言われて、簡単に機嫌が直れば苦労はしない。

 俺が機嫌が悪い理由は、もちろん伊織の関西の友人達のせいだ。

 まず、あの巨漢とサッカー部野郎だ。俺達が京都駅で短い買物を終えてから伊織を迎えに行った時に『麻宮を泣かしたりしたら東京までシバきにいくで』とか何とか意味不明な捨てセリフを、漏れなくガン飛ばし付きで吐かれた。お前等は一体何様なのだ、と言いたい。確かに伊織にとっては彼らは大切な友達かもしれないが、俺にとっては赤の他人だ。そんな舐めた事を言われる筋合いは無い。

 次に、彰吾だ。あいつはあの後あの二人に八つ当たりをされたらしく、その恨みが全部俺に向けられている。もともと彰吾は俺に対して良い感情は持ってないにも関わらず、今回の一件で更に関係が悪化したも同然だ。表面上では何も言って来ないが、彼の態度からはかなりギスギスしたものを感じる。

 そして、俺が一番ムカついているのは──あの榊原春華だ。何とあの女は、宮下と菱田がああなるのを解っていながら伊織に彼氏がいる事を敢えて表明をしたのだ。

 伊織が宮下と菱田に対して恋愛感情を持っていないのは明らかだったが、それでもあの二人は諦める事も告白する事もできなかったそうだ。伊織が転校してからも変わらず、見ていて憐れだったので、彼らに諦めさせてやろうとあんな演技をぶっこいたのだと言う。

 二人が帰った後、榊原春華はこっそり俺にそう耳打ちした。伊織から事前に俺の事を色々聞いていたので、見た感じ雰囲気で俺がその彼氏だという事は一発でわかっていたそうだ。

 それでも大概ムカついたが、あの二人が自分に惚れている事など全く気付いていない伊織を困らせない為だと思えば、何とか納得もできる。

 しかし、どうしても納得できないのが、今俺達の団体の中に榊原春華が同行している事だ。彼女自身がうちの担任にお願いして、今日だけは良いという許可を貰ったそうだ。おそるべし関西人の図々しさ。

 もちろんバスの中までは同行させるつもりはないだろうから、今日はこの京都タワー観光までしか来ないだろう。しかし、あの雰囲気なら明日の自由行動まで来そうだ。今でも伊織にべったりで、更にうちのクラスの連中とも上手く溶け込み始めている。加えて、間に榊原春華を挟む事によって、伊織も彰吾と一緒に居ても気まずくはならないらしく、さっきから主に三人でずっと喋っている。

 これで俺が不機嫌になるなと言う方が無理なのだ。それだけ榊原春華にとっても伊織は大切な存在なのはわかるのだが、全くもって面白くない。

 伊織だけは俺が不機嫌だと言う事に気付いているらしく、さっきからこちらをチラチラと気にしているが、榊原春華の手前こちらには来れないようだ。

 本来だったら、今伊織の隣にいるのも俺のはずなのだ。そう考えると、やはりイライラしてくる。そしてそのイライラは、どうして修学旅行なのにイライラしなくてはならないのだ、と更なるイライラを呼ぶ。悪循環も良いところだった。

 ああ、つまらない。こんな修学旅行なら来なければよかった。俺はそう独り言ちた。


 京都タワー観光が終わった後、バスがまだ着いていないという事態が起こった。どうやらバス会社との手違いだったらしく、それで三十分ばかし自由時間が追加された。

 だるがってる生徒もいたが、俺達はさっきちゃんと見て回れなかったので助かった。

 まだ榊原春華は帰ってないので、伊織は俺の横にいない。仕方なしに一人でお土産屋さんを見て回っていたら、同じく手前のお土産屋にいた眞下詩乃が、こちらに向かって手招きした。隣に中馬さんもいる。


「おーい、麻生君。いつまでも拗ねてないでこっち来なよー」


 いちいち癪に障る言い方だと内心イラッとしながら、手前の店に向かった。


「……別に拗ねてないんだけど?」

「はいはい、そうだね。お土産見てれば気分も変わるかもよ?」


 こいつは喧嘩売ってんのか?

 一瞬そう思ったが、そんなお子様な対応はする気はない。


「信は?」

「信? さっき伊織達といたよ。春華ちゃん可愛いから、そっちに胡麻摺りに行ってんじゃない?」


 眞下は少し不機嫌そうだった。

 なるほど、少しトゲがある言葉をいちいち言ってくるのは俺への八つ当たりか。信は本当にフットワークの軽い。この修学旅行中に中馬さんを堕とすってホザいてたのは一体どこの誰だったっけか? 呆れてものも言えない。


「無理矢理うちの修学旅行に参加する春華ちゃんも春華ちゃんだけど、伊織も伊織よね。やっぱ今は違う学校なんだし、断っても良いと思う」


 どうやら眞下も少し不快に感じていたらしい。俺も同意したいとこだが、暫く会えなかった親友だ。話したい事もあるだろうし、一緒にいたいかも知れない。その辺りは男の友情とは違うからわからないが、きっとそんなものだろうと勝手に理解している。いや、理解しようと頑張っている。

 俺と眞下の間にいた中馬さんが、不意に口を開いた。


「麻宮さんの場合、断るに断れないんじゃない? あの子、みんなに気遣ってるから……」


 俺と眞下は驚いて中馬さんの方を見た。彼女がこうして人について語るのは珍しい。あまり他人の事に興味無さ気な彼女だが、以前俺が伊織と口を利かなかった時と言い、実はよく人間観察をしているのかもしれない。


「あ、これ可愛い」


 俺達の驚きの視線なんて彼女は気にせず、京都オリジナルキャラクター(形は何とか表現し難い)のストラップを手に取って、俺達二人に見せた。


「可愛くない?」


 そう言って、時折垣間見せる笑顔をこちらに向けてきた。


「う、うん。可愛い」


 一瞬ドキッとしながら同意した。

 中馬さんにはときどきドキッとさせられる事があるから困るが、何だか凹んでいる時に彼女に救われてる事が最近よくある事にも同時に気付いた。 中馬さんもなんだかんだ言って、周囲に気を遣ってるんだな、と思わされる。

 結局俺達は同じ種類の色違いのストラップを三人で買って集合場所に向かった。


◇◇◇


「あの、さっきはごめんね……?」


 移動のバスで、伊織は信と席を替わってもらって俺の横に来ていた。バスガイドさんの説明が終わってすぐに伊織はそう口にした。


「別にいいよ、気にしてないし。榊原さん、明日も来るの?」


 とりあえず一番気になるとこだけ訊いた。明日も来る様なら、さすがに俺もげんなり来てしまう。しかし、彼女は首を横に振ってくれた。


「ううん。来たいって言ってたけど、断っちゃった」

「……いいのかよ?」


 それはそれで友情にヒビが入らないのかと心配になってしまう。俺も結局優柔不断なのかもしれない。


「だって、藤高の修学旅行はもう行ったから。今私がいるのは桜高だし、桜高の皆と過ごしたいじゃない?  それに、春華達と会う為に来たわけじゃないから」


 俺は内心、その答えに驚いていた。まさか伊織が断るとは思わなかったのだ。しかも、友達と会う為ではなく、ちゃんと桜高の修学旅行の為に参加していた事についても驚かされた。俺や中馬さんが思っている程、伊織は優柔不断ではなかったという事だ。


「あれ、違うの?」

「違うよー。春華が来たのは、たまたまこの前電話で修学旅行の話になったからだよ」


 最初は会う予定もなかったよ、と付け足した。よく考えてみれば、いくら関西と関東だからと言って、わざわざ修学旅行に無理に参加してまで友達と会う必要は無い。春休みや夏休みにでもどちらかが会いに来ればいい話だ。


「それに……」


 一人で納得していると、伊織は独り言の様な小さな声で続けた。


「断るとこはちゃんと断らないと……また前みたいになっちゃいそうで、嫌だったから」


 前みたい……と一瞬考えてから、思い当たった。先月のポッキー事件だ。確かにアレも伊織の優柔不断さが原因の一つだった。

 しかし、まだあの事件が伊織の中に鮮明に残ってるのを思うと、いたたまれない気持ちになってしまう。もう、忘れてしまえばいいのに。そんな嫌な過去で自分を戒しめなくていいのに。


「でも、また真樹君に嫌な思いさせちゃって……本当に、」

「してないよ。嫌な思いなんてしてないから」


 謝ろうとする彼女の言葉を遮り、彼女の膝の上で重ねられていた手にそっと手を乗せた。


「……ありがとう」


 彼女は俺のその手を両手で包むように取って、安心したような笑みを浮かべた。

 京都に着いてからずっと不機嫌だったが、この笑顔ひとつで吹っ飛んでしまうのだから、俺も単純なものだ。

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