9-2.伊織の旧友

 JR京都駅に着いて、一時間程の自由時間が与えられた。京都駅は駅とは思えない大きさで、また綺麗だった。どうやら駅とデパートが融合しているらしい。ショッピングも楽しめてしまう駅は東京にもいくつかあるが、京都駅ほど広く清潔感がある場所は無い。


「くはーっ! ようやく着いたぜぃ」


 信が体を伸ばして、欠伸をした。原則、自由行動の時はグループ行動だ。則ち、俺、伊織、信、中馬さん、眞下、そして彰吾の六人であるが、明日以降の自由行動ではもちろんこの人数で動き回る気は無い。

 俺は伊織と回るつもりだし、信も何とか中馬さんに再アタックしようと企てている。彰吾には眞下を引き受けてもらうという事になりそうだが、その辺りは信が上手く取引するのだろう。


「さて、一時間しか無いからパパッと回ろ──」

「伊織や~ん! 見つけたで!」


 信の言葉を遮り、走ってきたセーラー服の女の子がいきなり伊織に抱き着いた。


「は、春華⁉ 久しぶりー!」


 勢い余って伊織は倒れそうになっていたが、春華という女の子はお構いなしだった。


「相変わらず可愛いなぁ、伊織は! 抱き締めたれ!」

「もう春華、痛いってば!」


 そう言いながら伊織の顔は笑っていたが、俺達はただ唖然とその感動の再会を見ているしかなかった。


「えーっと……麻宮、そちらのお嬢さんは?」


 信がおずおずと訊いた。そこでようやく春華という人もこちらに気付いた。


「あ、みんなごめんね。この子は春華。私のこっちの友達」

「榊原春華です。春華でもハルでも好きな様に呼んでフレンドリーに接したって! 伊織の友達はうちとも友達やで」


 俺達は勢いに圧倒されつつ、よろしく、と頭を下げた。やっと落ち着いてくれたので、ようやくちゃんと榊原春華の顔を見る事ができた。さすが伊織の友達と言うべきなのか、なかなかに可愛い。顎のラインで整ったウェーブがかったショートカットで、毛先をうっすらと赤色に染めている。ちょっと目付きが強いが、それがこの子の覇気を象徴していた。関西弁の女の子と話した経験が無いので、何だか新鮮だった。

 ──あれ? そういえばこの子、どこかで見た事があるな。一瞬そう思って記憶を遡ろうとしたが、それは彰吾の言葉で遮られた。


「相変わらず喧しいなぁ。みんな引いてるやんか」

「あ? あんた誰や?」

「おどれ、ぶち殺されたいんか?」


 榊原の失礼すぎる発言に、彰吾の額に血管が浮き出ていた。


「あ、思い出した。彰吾やん。なんや、あんたも来てたん?」

「なんやってなんやねん! えらい冷たい言い方やんか!」

「ごめんなぁ、うちすっかりあんたの事忘れててん。存在も今やっと思い出したくらい! ま、あんたいっつも伊織のオマケやもんな。しかも、抱き合わせの在庫余りまくってるオマケ。ほんまに要らんやつ」

「な、なんやとー! 口と性格の悪さは相変わらずやな!」


 いきなり関西人同士のやり取りを見て、俺達関東人はあんぐりするしかなかった。普通なら凹んでしまうような悪口をまるで日常会話で言っている。関西人……恐ろしい人種だ。


「何や騒がしい思ったら、泉堂もいるんかい」

「まぁまぁ、感動の再会は盛大にいかんとな」


 関西流挨拶に感心しつつ眺めていたら、今度は学ラン男二人が現れた。一人は大柄な男で、もう一人は中肉中背の男だった。


「宮下君、菱田君! 二人も来てくれたの?」


 伊織は歓喜の声を上げて、その学ラン二人に駆け寄った。どうやらこの人達も友達みたいだ。


「麻宮、久しぶりやのぉ」

「元気そうやな。安心したわ」

「御蔭様で。あの時は心配かけてごめんね」


 伊織が宮下君と菱田君とやらと、そんなやり取りをしていた。何だか、それが面白くない。

 宮下という男は身長百八〇センチを越える巨漢で、格闘技でもやってそうな体格だ。よく見ると耳がカリフラワーみたいになっているので、おそらく柔道かレスリング選手だろう。一方、菱田と呼ばれた男は中肉中背だが、顔が黒く焼けている。彼も何かスポーツをやっているのかもしれない。

 伊織と榊原春華、彰吾と宮下、菱田……この五人組を見て、ようやく思い出した。伊織の部屋に飾ってあった大阪の友人たちとの写真に写っていたのが、この五人だ。おそらくこれが前の学校の仲良しグループだったのだろう。


「おーっ、宮下に菱田! まさかおのれらまで俺に会いに来てくれるとは思わんかったで

「アホ言え。俺等も麻宮目当てで来とるんじゃ。誰がお前なんぞに会いに来るか。にしてもブレザー似合わんのぉ、お前」


 菱田と呼ばれた奴が、彰吾を見て爆笑しながら言った。


「うわ、ほんまや彰吾がブレザー着とる。キショ」


 こう言ったのは、先ほど自己紹介していた榊原だ。この榊原春華という子、言葉がキツ過ぎる。伊織の親友だったというのがにわかに信じがたい。


「それが藤高サッカー部ツートップやった仲の奴に言うセリフか⁉」


 彰吾は榊原のキショ発言を無視して、菱田に突っかかった。

 サッカー部だって? 彰吾は大阪ではサッカー部に所属していたのか。


「アホ、お前がおらんようになったせいでうちのサッカー部の得点力どんなけ下がったと思てんねん! 御蔭で府大会は二回戦負けじゃ。死ね!」


 どうやら菱田と彰吾は藤坂高のサッカー部だったようだ。彰吾がサッカー部だった事は初耳だ。彼は今までサッカーの話なんて一度も俺達にしなかった。転校直後にそれを言うと、サッカー部に入部させられるからだろうか。或いは、意図的にサッカーを避けていたのかもしれない。


「そう言うたら宮下、この前の府大会優勝したんやってな! 次全国やろ? すごいやん!」

「おう。優勝候補が怪我で出場辞退したから、半分マグレみたいなもんやけどな」


 巨漢の宮下はちょっと照れ臭そうに鼻を啜った。


「え、宮下君全国大会出るの? すごーい!」


 伊織が全国大会という単語に反応して巨漢を見上げた。


「ああ。会場は日本武道館やから、暇やったら応援来てや!」

「うん、行く行く!」

「ホンマか⁉ 麻宮が来てくれたら百人力や! 優勝間違いなしや!」


 宮下は学ランの上からでも解る丸太みたいな腕を、ぽんぽんと叩いた。

 大阪府大会で優勝して全国出場……それは凄い。運だけで叶う事ではない。

 だが、伊織の旧友との再会を横で見ているがどうにも居場所が無い。それは俺達関東組全員が感じていたらしく、信は俺と目を合わせ、俺たちだけで行くか? と京都駅の方を親指で差した。俺と眞下、中馬さんもそれに頷いたので、信が伊織に声を掛けた。


「麻宮、彰吾。俺等だけで駅見てくっから、また後で戻ってくるよ」


 そこで関西組の会話が止まり、視線がこちらに集まった。


「あっ……ごめんね。私たちだけはしゃいじゃって」


 伊織が途端に申し訳なさそうな表情を見せる。やってしまった、と思ったのかもしれない。


「いやぁ、すんません! 初対面やのに失礼しました。久しぶりやったもんで、つい」


 意外にも巨漢の宮下が頭を下げた。やはり武道を志しているからか、その辺りはしっかりしている。残りの二人もそれに合わせて頭を下げた。


「良いって良いって! 旧友と久しぶりに会ったら誰でもそうなるんだから。じゃあ、また後でな」


 信は明るくそう答えて背を向けて歩き出したので、俺達もそれについて行こうとした。


「あ、ちょっと待ってみんなさん。一つだけ訊きたい事あるんですけど、ええですか?」


 不意に伊織の親友である榊原春華が俺達を呼び止めた。


「はいはい、どうぞ! 何なりと」


 信はにこりと答えた。こいつは可愛い子の前では紳士に変身する。眞下は呆れた顔でそんな信を見ていた。


「伊織の彼氏さんって、この中に居はるんですか?」


 ピシッ……一瞬空気が張り詰めて割れたのを感じた。そして、それと同時に関西男子組は嘆きの声を上げた。


「はぁ⁉ ちょぉ待てや春華! それ何なん⁉ 麻宮に彼氏おるん⁉」

「おいこら泉堂! 東京モンにだけは麻宮渡すなってワレに確か頼んだやんな⁉」


 巨漢に似合わない困惑を見せて、伊織と榊原春華を何度も見比べている宮下と、彰吾の首を絞めて怒り出す菱田。

 何だかかなりやばい雰囲気になってしまっている……これはさっさと逃げたほうがいい。絶対に危ない目に遭う。俺が。


「ちょ、ちょっと春華? 今はそんな話どうでも良いじゃない?」

「どうでも良くないやん! 親友の愛する殿方を一回見とかんと死んでも死に切れへん! ていうか見れへんかったら今死ぬで! ほら、もう死ぬ! あと三十秒で死ぬから!」

「そんなので死なないから!」


 伊織が慌てて事態を収拾しようと試みたが、遅かった。現場はたちまち混乱し、彰吾も菱田に首を絞められバタバタしている。

 こんな中で紹介されたなら、確実に俺の命が危うい。信の助力を得て上手く逃げるようと目配せをしようとした時、その信はと言うと、まるでマッド・サイエンティストのような怪しい笑みをこちらに向けた。

 ……まさかな? お前、そんな事しないよな? お前なら俺の事を助けてくれるよな?


「麻宮の彼氏? あぁ、コイツだよ。去年の暮れから付き合ってるみたいだぜ」


 まるで言って当前かの如く、横にいた俺を親指で指した。関西組三人の視線が俺に降り注ぐ。

 俺の祈りは通じず、その〝まさか〟は的中したようだった。そうだよな、お前ってそういう奴だよな。予想はしていたけど、信……お前、本気で最悪だ。

 ごくりと固唾を飲んだ。サッカー部エースの蹴りを食らう羽目になるか、柔道全国大会出場予定のデカブツにおもいっきり投げられるのか……いや、待て、ここ地面コンクリートだ。こんなところで投げられたら絶対即死だ。逃げるか? 今すぐダッシュで逃げるか? 


「ああ、そうなんですかー。この子、奥手やけどなかなか可愛いとこあるから、しっかり捕まえといてあげて下さいねー」


 問題の元凶、榊原春華は爽やかな挨拶をしつつ、からかうように伊織を肘で小突いていた。その伊織は顔を赤くしながら、親友の方を恨めしそうに見ている。

 男連中はこっちを見て固まっていた。信と眞下は笑いを堪えていて、中馬さんは苦笑いを漏らしていた。菱田の首絞めから解放された彰吾は、ゲホゲホと咳込んで呼吸を整えていた。

 めちゃくちゃ気まずい思いをしながらも、頷くほかない。そんな中伊織と目が合ったが、照れと申し訳無さが混同した表情をしていた。


「えっと……じゃあ、俺らはもう行くぜ?」


 信もこの空気感を嫌ったのか、次はちゃんと助け舟を出してくれた。そのままその舟に乗って俺達は危険地帯を脱出したのだが、その危険地帯から八つ当たりの標的とされた彰吾の悲鳴が聞こえた気がした。もちろん、こっちはこっちで信にもそれなりの制裁を加えたのは言うまでもない。

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