9章・波乱まみれな修学旅行
9-1.鉄の塊に乗って
鉄の塊が猛スピードで駆け、日本列島を横断していた。その中で俺は、瞬く間に移り行く景色に目をやりながら、信の馬鹿話に耳を傾けている。信がアホな冗談を言うと、彰吾がツッコミを入れて、眞下が笑う……それがパターン化していた。
俺は幾分それに飽きてきて、とある人物にLIMEを送っているが、全く返事がこない。既読すらつかないところを見ると、きっとお喋りに夢中なのだろう。大きな溜め息を吐いて、目を瞑った。
そう、今は今日から五日間続く、京都・奈良の修学旅行の移動中……すなわち、新幹線の中だ。どうしてこのメンツになったのかわからないが、ボックス席で、なぜか俺と信と彰吾と眞下の四人が座る事になったのだ。
「でもよー、二月に修学旅行ってうちくらいじゃないか?」
些か信もネタ切れしたのか、ようやくまともな話題を出した。
「そうだよねー。何でこんな寒い時期なんだろね」
「しかも俺等は旅行に来た気があんませぇへん。地元みたいなもんやしな」
「じゃあ、来なきゃ良かったじゃない」
「仲間外れは嫌や!」
そんなやり取りを横で続けては笑いを起こしていた。やはり修学旅行ともなると、みんなテンションが高い。俺は微妙にそれに着いて行けずに、行きの新幹線の時点で既に疲労を感じていた。いつもそうだった。俺は遠足や修学旅行で、周りとテンションが合致しない。ひとりだけ浮いてしまって、馴染めないのだ。
ずっとスマホを眺めているが、返信どころか既読がつく気配もないので、諦めてスマホをポケットに仕舞った。
もちろん、メッセージの送信先は伊織だ。別に何の用事も無かったが、何でも良いから伊織と繋がりを持っていたかった。俺はてっきり彼女と隣の席になるものだと思っていたのだが、信に勝手に席を決められ、その願望は阻止された。おそらく、バレンタインデー抗争を俺が放棄したから、その嫌がらせだろう。
ちなみに、あのバレンタインチョコ抗争の結果だが、結局神崎君の圧勝で幕を閉じた。
何故そんな事態が起こったかと言うと、信に義理チョコを渡す予定だった連中が、誰も渡さなかったのだ。女の子同士のネットワークは恐ろしいようで、数を競い合っているという情報が行き渡ってしまったのだという。結局、信にチョコを上げたのは眞下だけだとかで……これはこれで、良い方向に話が進んだのではないかな、と思うのだった。
とにかく、信がビリになってくれた御蔭で、罰ゲームはなくなった。結果オーライというやつである。
「ねぇ、麻生君はどうしてだと思う?」
その眞下詩乃は、風景をぼへーっと見てる俺に訊いてきた。彼女の席はここでは無いのだが、俺達のボックス席が一つ空いていると解ると、何だか知らない間に居座っていたのだった。
「……ん? 修学旅行の時期?」
「そう」
「二月なら他の高校と被らないからだろ? 受験シーズンに修学旅行は普通しねーよ」
「ああ、確かに。うちは直前対策とかしないから、教師も暇なんだろうな」
信が俺の考えを裏付けるようにして言った。
──受験。嫌でも見えてくる、高校生活の終わり。もうあと一年もすれば受験なのに、俺は未だ志望校が決まっていなかった。何だか色々な事があったから、受験について考える余裕が無かったのだ。伊織も一応進学はするつもりらしいが、具体的な事はお互い話していない。
信はどうするつもりなんだろうか? 一瞬訊いてみようかと思ったが、やめた。よくよく考えれば、何で修学旅行中にそんな事を話さなければいけないのだ。
「ちょっとトイレ行ってくる」
別に行きたくもないくせに、適当にそんな事を言って席を離れた。新幹線の自動ドアを抜けて、出入口にもたれかかっていたところ、そこにたまたま車内販売のお姉さんが通り掛かったので、ついでにお茶を買った。
買ったお茶を口に含みながら、心の中で溜息を吐いた。何かぐずぐずしている。妙な乗り遅れた感が否めない。
昔からそうだった。遠足とか、小中学校の修学旅行とか……何かみんなと歩調が合わなくて、どっか冷めていた。そんな態度に比例して、それ等のイベントで楽しい思い出はなかった。
今回は違う。違うはずだ。ちゃんと想い出を作らないといけない。
自分にそう言い聞かせて席に戻ろうとした時、ちょうど伊織が自動ドアから出てきた。
「あっ、真樹君。LIME今気付いて……ごめんね?」
「あ、いや。大丈夫」
「でも、珍しいね」
「何が?」
「真樹君が、ああしてスタンプ連打するの」
ぐっと息が詰まった。返事がほしくてスタンプを連打してしまったのだ。今更ながら後悔する。ちょっと大人げなかった。
「寂しかったんだ?」
「別に……そういうわけじゃ」
「ふぅん?」
伊織が悪戯な笑みを見せて、顔を覗き込んでくる。なんとなく目を逸らすと、彼女が指でぷすっと俺の頬を刺した。
「可愛いゾ」
伊織は少しだけ艶やかに笑った。本人は無意識なのだろうけど、どこか艶っぽい。彼女は〝あれ以降〟こうして不意に俺を驚かせたりドキドキさせてくるようになったから困る。
信がこの前ちらっと言っていたが、やっぱり伊織はオトナっぽくなったように思う。
「俺の事はいいから。お前はどうしたんだ?」
「ずっとお喋りしてたら喉渇いちゃって……」
「ああ……車内販売なら、もう向こうの車輌行ったよ」
俺がそう伝えると、伊織は肩を落とした。
「そっかぁ。どうしよう……」
「お茶でいいならあげるけど?」
ペットボトルの蓋を閉め、伊織に差し出した。
「いいの?」
「どうぞ。別にそれほど喉が渇いてたワケじゃないから」
「じゃあ、頂いちゃおっかな」
そのまま彼女はペットボトルの蓋を開けて、口をつけた。
一瞬、間接キスだとドキッとした。しかし、直接だって何度もした事があるのに、今更その程度でドキドキしてしまう自分もどうかしている。三分の二くらいの量を残して彼女はペットボトルの蓋を閉めた。
「ありがとっ」
言いながら、伊織が笑みを向けてくる。その笑みはやっぱりどこか艶やかで、少し濡れた唇が色っぽくて、つい目が行ってしまう。
ふと、あの時の光景を思い出す。伊織が俺の上に乗っていて、そこからたくさんキスをして……もうやめよう。変な気持ちになってきてしまう。
「ねえ、真樹君は京都って行った事ある?」
「一応あるよ。二回ほど」
一度目は小学校の修学旅行、二度目は中学の時の夏休みに家族と行った。どちらもあまり記憶に残っていない。
「伊織にとっては地元みたいなもんだろ?」
「ん~……地元って言うほど詳しくは無いけど、お祖父ちゃんの家もあるから結構親しみはあるかな」
祖父の家、か。確かご両親のお墓があるのも京都の鞍馬だったと聞いている。どうせ自由行動日は二人で動けるので、時間に余裕があれば行ってみようか。その鞍馬とやらがどこにあるのかわからないけれど。
「あっ。友達で思い出したけど、もしかしたら親友が会いに来てくれるかも知れないの。だから、ちょっとはしゃいじゃうかも」
「へぇ……平日なのに来てくれるんだ? 良かったな」
「うん。東京に戻ってから全然会ってなかったから、すっごく楽しみ」
伊織は瞳を輝かせているが、俺としてはちょっと複雑な気分だった。伊織の昔の友達……俺の知らない伊織を知っている。
それを思うと、何だか妙に寂しくなる。疎外感というやつだろうか。俺が知ってる伊織はこの四か月だけで、それ以前の伊織についてはほとんど知らない。親友の話だって今日初めて聞いた。
ただ、きっとそこには悪意があるわけではなくて、ただ単に話す必要がなかったから話さなかったのだというのもわかっている。また、その友達が知らない伊織の事も、俺は知っているはずだ。
「あの、それでね? 春華には真樹君の事も話しちゃったの。あっ、春華っていうのはその親友ね」
「俺の事?」
「うん……付き合ってるって」
言ってから、恥ずかしくなったのか、視線を窓の外に逸らしていた。
「そ、そっか。何か言ってた?」
「見てみたいって。写真送ってって頼まれてたんだけど、恥ずかしくて結局送らなかったから……」
それはそれで何か緊張する。こんな男相応しくない、とか言われたら、一体どうすればいいのだろうか。凹んで立ち直れない。
「早く会いたいなぁ……」
俺の不安を余所に、伊織は嬉しそうに呟いた。もしかしたら、伊織や彰吾は、昔の友達と会いたいから修学旅行に参加したのかもしれない。
彼女の横顔を見て、何となくそう思った。
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