8-10.ガトーショコラ
昼休みになっても、伊織はまだチョコをくれる気配は無かった。LIMEを送ってみようかとも思ったが、それはそれで催促するみたいで嫌だった。
──おいおい……マジでくれないとか? この前くれるって言ってたよな?
不安がそろそろ現実味を帯びてきた。勝負に負けてもいいから伊織からだけは貰いたい。しかしチキンの俺は、LIMEではなく目に見えないテレパシーを伊織に送り続けるしかなかった。
「麻生さん、どうしたの? 難しい顔して」
「え……うわっ、双葉さん⁉」
テレパシー送信中の俺の顔を覗き込んでいたのは、神崎君のカノジョさんである双葉明日香だった。
「何かお悩み中だったり?」
「いや……別に何も考えてなかったけど」
まさか自分の彼女にチョコくれテレパシーを送っていたとは言えまい。
「双葉さんこそどうした? 外語に来るなんて珍しいじゃないか」
平静を保って話題を変えた。ちなみに〝外語〟とは外国語科の略称である。
「えへへ~。はい、どーぞ」
そう言って彼女が差し出してくれたのは、ピンクの可愛らしい包みに入ったクッキーだった。予想外だ。まさか双葉さんから貰えるとは思ってもいなかった。
「一応手作りなんだよ!」
「え? そんなの貰っていいの?」
神崎君に怒られないだろうか。そんな不安が一瞬脳裏に過ぎったが、次の言葉でそんな考えは払拭された。
「うん、勇ちゃんのはハート型のビックサイズチョコだもん」
どうやら義理専用のクッキーらしい。双葉さんから本命を貰う事は絶対に有り得ないので、何も思わないが、義理用や女友達との交換用にわざわざ手作りする女心は俺にはわからない。
「そのハート型のはもう渡した?」
「もっちろん!」
Vサイン付きで元気よく答えてくれた。
双葉さんに御礼を言いつつも、内心その答えに凹んでいた。双葉さんは渡しているのに、伊織はまだくれないのか……と切ない気持ちになってしまうのだった。ちなみに、双葉さんはどうやら眞下から『穂谷には渡さなくていい』というLIMEを授業中に受け取ったらしい。
本当に渡さなくていいのかと迷っていたが、渡したら神崎君が不利になる事を説明してやると、納得してくれた。それについて、双葉さんからも「男のコってどうして数を競うの?」と質問されたが、そんな事は俺の知った事ではない。今は伊織に貰えるかどうかが俺の死活問題なのだ。
しかも、さっきの休み時間でちょこっと話した程度で、今日はまともな会話すらできていない。いちいちくよくよするな、と心の中で自分に叱咤激励し、気分転換の為にも、双葉さんが教室を出るついでにそれに続いた。
「麻生くーん」
教室を出ようとした時に数人の女子から呼び止められた。
「麻生君のバンドのもう一人のギターの子……えっと、神崎君だっけ? 彼にこれ渡しといて!」
「あ、私もお願い!」
二人の女子はそう言いながら俺にチョコか何かが入っているであろう袋を手渡してくる。横目でちらっと双葉さんの方を見てみると、やはり複雑な表情をしていた。
「お前等さぁ、ここにその神崎君のカノジョがいるのにそれは無いだろ?」
「えっ、そうだったの⁉ でも、あたし等ただのファンだから気にしないで」
どうやら彼女達はUnlucky Divaのライブを見て神崎君のファンになったらしい。自分達は告白とかそんなつもりは無いと双葉さんに説明しながらも、「でも、ちょっとショックかな~」等と最後に付け足していた。そういった余計な補足は双葉さんが帰ってから言って欲しい。ただでさえ彼女は神崎君からちゃんと愛情表現をしてもらえなくて不安に思っているのに、他のクラスの女子からも狙われていたら、余計不安になるに違いないのだ。俺はとりあえずチョコ二つを受け取り、教室を出た。
案外、神崎君と双葉さんが付き合っている事は知られていない。神崎君いわく、俺と伊織が付き合うという衝撃ニュースと同じ時期だったので、公には知られなかったと言っていた。
「……悪いな。うちのクラスの女って配慮無いからさ」
廊下を歩きつつ、俺が謝るべき事ではないはずなのに、何故か謝る羽目になってしまった。そうでもしないと間が保たなかったのだ。
「そんなの麻生さんが謝る事じゃないでしょ? それに、自分の彼が良く言われて悪い気はしないもん。ちょっと複雑だけどね……」
「これ、渡しても平気?」
「それは大丈夫。朝から何人か勇ちゃんに渡してる子いるの見たから」
平気だよ、と付け加えた。そう言われても、そんな元気の無い顔をされたら渡しにくい。
「つか、そんな余計な心配しなくても大丈夫だって。神崎君はああ見えて、双葉さんに首ったけだからさ」
俺は空元気を出して精一杯慰めようと努力をした。元気づけて貰いたいのは、本当は自分なのに。しかし、空元気から生まれた努力は、やはり空回りしてしまった。
「……そんなの、わかんないよ」
「え?」
「だって勇ちゃん、最初は……」
そこで彼女は立ち止まって、廊下の床を見つめた。
「最初は?」
「な、何でもない。気にしないで」
「気にしないでって……あ、おい」
「ごめん、ちょっと用事思い出したの! 勇ちゃんによろしくね!」
何だかよくわからない事を言いながら、双葉さんは小走りで女子トイレの方面に走って行った。何の事だかさっぱり解らない俺は、呆然と立ち尽くしてしまう。
「……今、泣きそうな顔してたよな」
俺が思っているほど、あの二人は上手くいってないのかもしれない。というより、双葉さんが告白して付き合い出したという単純な関係では無いのかもしれない。
彼等の過去に一体何があったのだろうか。色々憶測を広げているうちに、神崎君のいる四組の教室の前に着いた。彼は教室の中でクラスの男子と談笑していたが、こちらに気付いて話を中断し、廊下まで出て来てくれた。
「やあ、麻生君。どうしたの?」
「いや、これ。うちのクラスの女子から。ファンなんだってさ」
先程運送を依頼されたチョコ二つを渡すと、彼は何処となく困った表情を見せて呟いた。
「ファンって……そんな言うほど活動してないのに」
「それはモテ男の宿命だろ。つか、今日予定ある?」
「予定? いや、特に無いけど」
「それなら双葉さんと帰ってやんなよ。せっかくのバレンタインなんだしさ」
我ながらお節介だと思う。ただ、さっきの双葉さんを見た後だと、何かしてあげたかった。二人にどんな過去があったのか、聞きたくないと言えば嘘になる。しかし、それは二人の問題で、俺がそこに踏み入る権利は無いのだ。
「それは良いけど……どうして? 明日香、何か言ってた?」
「いや、特に何も。ただ、ちょっと寂しそうに見えたかな」
それだけ言って、俺は四組の教室を後にした。神崎君は少し困惑していたが、そこから先は彼次第だ。本当に俺って、呆れるくらいお節介。
放課後になっても俺のチョコ数が増える事は無かった。それは同時に、まだ伊織から貰えていない事を意味している。というか、学校では伊織と話すチャンスすら最近少なくなってきているのだ。
男から人気が高いのは言うまでもないが、彼女は同性からも好かれているので、クラスの女子に引っ張りだこなのだ。故に、俺と伊織が話せるのは登下校時ぐらいである。掃除を終えた俺は、一人とぼとぼと生徒玄関に向かっていた。
六時にカフェに集合して結果発表だそうだが、行く気など全くなかった。行こうが行くまいが結果は同じで、何らかのペナルティーが俺につく事は確定なのだ。もうどうにでもなれ、とヤケクソな気持ちで靴箱に着いた時──俺の大好きな女の子が、そこにいた。
「あっ……」
俺に気付いた伊織が、嬉しそうな笑顔を向けた。寒さからか、頬が少し赤くなっている。
「わざわざ待ってたのか?」
「うん。一緒に帰ろうと思って……」
彼女の言葉に凄く救われた気がした。こんなに寒いところで俺を待っててくれた……それだけで嬉しかった。何だか付き合う前の頃の様な気持ちだ。
「んじゃ、帰ろっか」
伊織は笑顔で頷いた。校門から出た辺りで、彼女は鞄の中から小さめのお弁当サイズの紙箱を取り出した。可愛くラッピングされているが、思っていたより大きい。
「あの、真樹君……これ。ガトーショコラ作ったの初めてだから、口に合うかわからないけど」
「おお、ありがとう!」
両手で差し出された箱を受け取った俺は、ようやく安堵の息を吐いた。泣きそうなくらい嬉しい。
「もう貰えないのかと思ってたよ」
「ご、ごめん……教室で渡すの恥ずかしかったから」
下を向いてモジモジ言い訳する伊織があまりに愛しく思えた。
「何で?」
「だって、その……好きな人に渡すのって初めてだったから」
〝好きな人〟のところだけえらく声が小さかったが、それが伊織らしい。俺はそれを大切に仕舞って、周りに人がいないかを確認してから手を差し出した。その手を伊織が遠慮がちにそっと握る。寒い玄関で待っていたせいか、彼女の手は冷たかった。
「俺も初めてだったよ。好きな人から貰えたの」
「え~? ほんとかなぁ」
「マジだって。その証拠に、去年まで毎年ゼロ個だったし」
「でも、今年は他の人からも貰ってたでしょ?」
「まぁ……眞下と中馬さんと双葉さんからな。伊織は誰かに渡した?」
俺の問い返しに一瞬彼女は言葉を詰まらせて、首をゆっくり横に振った。
「んーん。男の子は真樹君だけ」
何だかこれは喜んで良いのかどうなのかわからない回答だった。俺だけというのは凄く嬉しいのだが、何だか理由がありそうな言い方だ。
「本当はバンドのみんなにもあげようと思ってたの。それも当然だと思ってたし。でも、そうすると、彰吾にも渡さなきゃいけないから……」
それで迷って、結局俺だけにこっそり渡すという形にしたらしい。
「別に彰吾が嫌いっていうわけじゃないの。ただ、私もどう接していいかわかんなくて……」
繋いでいた俺の手を、ぎゅっと強く握った。今まで、伊織は毎年彰吾にお菓子を作ってあげていたらしい。ただ、今は全てが変わった。もう今までと同じというわけには行かないのだ。
幼なじみという距離間もわからなくなってしまって、友達として接する事も他人として接する事もできない関係なのだ。学校だけなら何とかなるかもしれないが、同時に同じバンドにも属している。
バンドは学校のクラスとは違い、会話をしなければ成り立たない。しかも、五人で一つの音を出すのだから、ちぐはぐした関係では全体のグルーブも乱れてしまう。伊織にとって、その全てが苦痛なのかもしれない。
「ごめんね? みんな三月のライブに向けて気持ち固めてるのに、私一人だけこんな風になっちゃってて……」
「伊織だけじゃないよ」
伊織が少し驚いたように俺を見上げた。
「俺だって似たようなもんだし……多分、彰吾もそうなんだと思う。みんな、どうして良いかわかんないんだよ」
彼女の視線を感じつつも、正面を向いたまま続けた。
「前にも言ったかもしれないけど、そんな簡単に解決する問題じゃないからさ。時間かけて、ゆっくり整理していけば良いんじゃないかな」
「そっか……うん、そうだよね。最近何か焦ってたかも」
何度か俺の言葉に頷いたかと思うと、伊織は繋いでいた手を離して、俺の腕に自分の細い腕を絡ませてきた。いきなりだったので、思わず心臓が高鳴る。
「何だか不思議だね。真樹君に話すと、いっつも気が楽になるの」
「へぇ、奇遇だな。俺も伊織と話してると元気になれるよ」
「ほんと?」
言うと、伊織は嬉しそうに笑っていた。
「あ、ねえ」
「ん?」
「えっと……ガトーショコラなんだけど」
伊織が、言うのを躊躇っているような素振りで言葉を紡いでいた。味に自信がないとかだろうか?
「たぶん生クリームも乗せた方が美味しいと思うんだけど……」
「そうなんだ? でも、さすがに生クリームまで学校に持ってくるわけにはいかないしなぁ」
「うん……それで、なんだけど」
相変わらず何かを言い淀んでいる様子で、言葉がなかなか出てこない。恥ずかしそうにしていて、こちらを見てくれず、彼女の視線は目の前の足元に向けられていた。
「生クリームも作って冷蔵庫に入れてあるんだけど、その……よかったらうちで食べない?」
「え、今日も行っていいの?」
こくり、と恥ずかしそうに頷く伊織。もしかして、そうやって誘うのが恥ずかしかったのだろうか。つい先日も招待したばかりなのに、頻繁に誘って良いのか、彼女も遠慮していたのだろう。ただ、彼女がそう言ってくれるのであれば、断る意味がない。せっかく生クリームまで作ってくれているというのに。
そのまま、三日ぶりに伊織の家にお邪魔した。まさかこんなに早く二回目の機会があると思っていなかったので、ちょっと恐縮してしまう。
結局、晩御飯まで作ってくれて、ガトーショコラはデザートとして二人で食べた。少なくとも、俺が食べたどのお菓子よりも美味しかったように思う。
こうして、信達とのくだらない競争の結果発表はサボる事になったのだが、あまり気にしてはいなかった。
しかし、一つ俺はミスを犯した。神か、はたまた運命のどちらかは解らないが、それ等は俺達にゆっくり整理できる程、時間の有余を与えてくれなかったのだ。
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