8-9.審判の日

 俺は大きな欠伸をして、人が疎らな通学路を歩いていた。現在、時間は九時半。もうすぐ一限目が終わる。昨日は寝付きが悪かったのに加え、目覚ましを設定し忘れていたのだ。三学期に入ってから初の遅刻……三年間皆勤賞の夢は一年の四月で終わってしまったが、一学期間ぐらい皆勤したいものである。

 しかし、何でまた今日遅刻してしまうのだろうか。今日は一番遅刻してはいけない日だと言うのに。

 溜め息を吐きながら、スマホでもう一度日時を見た。

 ──二月十四日。そう、今日はバレンタインデーというやつなのだ。今までは全く無関係なイベントであったが、今年からは違う。何と言っても、俺には麻宮伊織という自慢のカノジョがいるからだ。連続チョコ数ゼロ個記録を十七年更新していたわけであるが、その記録も今日で終わりのはずである。一早くその記録を終わらせたいという時に遅刻してしまったのだから、俺の精神的ダメージは大きい。

 また、記録の事だけでなく、信との賭けもある。昨夜、いきなり電話を掛けてきたかと思えば、『明日はチョコの数で勝負だ!負けた奴は何らかのペナルティを負う事になるからな』と強引に勝負させられる事になったのだ。どうやら俺と信の一騎打ちではなく、バンド内抗争の様だ。要するに、信・彰吾・神崎君・俺の四人で数を競うらしい。地力で行ったら神崎君に勝てる奴なぞいないのだが、信の事だ。きっと義理チョコ依頼をしまくって数を稼いで来るはずである。対する俺は全くチョコ稼ぎ活動をしてないので、昨日いきなり勝負だと言われて勝てる見込み等あるはずが無い。

 正直なところ、数はどうでも良い。数は関係ないが何らかのペナルティーという言葉が気になる。おそらく、順位によってペナルティーの難度を変えてくるつもりだろう。

 そして、多分攻撃目標は俺か神崎君だ。信にとってカノジョ持ち本命チョコ所持者は敵そのもの。それに加えて俺は以前の『初体験済ませちまえLIME』を逆手に取って身を守るようになったので、仕返しをしたくて堪らないのだろう。

 順当に行くと俺の負けは確定なので、ある程度覚悟はした方が良いかもしれない。というより、バンド内抗争ともなると、彰吾が伊織から貰った貰わなかったで別の問題が生じそうな気がしなくもない。それならまだ一騎打ちにして、俺達だけを打ち負かしてくれた方が良いのだが……胃が痛い。


 丁度一限目が終わったぐらいに学校に着き(その時間帯を狙って登校したのだが)、とりあえず無いと解っていながら、靴箱をいつもより入念に見てしまう情けない性。

 男というのは、何故無いとわかっていながらもわずかな希望を持ってチェックしてしまうのか……謎だ。

 欠伸をしながらダラダラと教室に向かうと、いつもとは違った賑やかさがそこにはあった。女の子同士でお菓子を交換し合ったり、相手に受け取ってもらえるかの不安を嘆いていたり……もちろん、俺にどうやって渡そうかと相談してる女の子はいない。何人かの女の子が「おはよー!」と挨拶してきたが、義理チョコはくれないらしい。

 ふっと伊織の方を見たが、彼女はこちらに向かってにこっと笑いかけただけだった。

 え、伊織もくれないの? これはまずい。このままだと抗争に負けるどころかまた記録更新という悲劇が生じてしまう。失意のまま自分の席につくと、早速信の野郎が近寄ってきた。


「こんな日に遅刻してて良いのか~? それとも余裕ってやつ?」

「うるせーな。どうせ俺の負け確定だろ」


 この勝負、伊織以外の女の子はどうでもいいと思っている俺には最初から勝ち目など無いのだ。


「まぁまぁ、勝負の行方はわからないじゃないか。健闘を祈るぞ」


 下卑た笑みを浮かべて、信は教室を出た。何が健闘を祈るだ。最初から自分が負ける事が無いとわかっている言い方をしやがって……。

 憮然として教科書を机の中に入れていると、後ろの席の元気娘(喧しいとも言う)眞下詩乃が早速話し掛けてきた。


「何? 信とチョコの数で勝負でもしてるの?」

「勝負させられてんだよ」

「あ~……男の子ってそういう無意味な勝負が好きだよね。好きな子に貰えるだけじゃダメなの?」

「知らねぇよ。チョコの数で男の価値が決まると思ってんじゃねーの? 俺は数なんて気にしないけどな」


 お返しも大変だろうし、と付け加えようとした時だった。関西弁が俺の言葉を遮った。


「麻生、それは負け犬の論理やで!」

「え……彰吾?」


 いきなりの彰吾の登場で、一瞬固まってしまった。伊織と付き合って以来、どちらとなく俺達は話す事を避けていた。今になって話し掛けてくるとは、予測していなかった。

 まさかこれを仲直りのキッカケにさせる気だったりして。そうだとすれば、信は大した奴だ。あくまでも〝そうだとすれば〟の話だが。信は深く考えているのだか何も考えて無いのだか全くわからないのだ。


「ワレには負けへん! 俺はもう三つ貰ってるんや」

「三つも? 凄ぇな。つか、多分俺の惨敗で終わるんじゃね?」

「最初から負けを認めんな! 男やったら最後まで戦わんかい!」

「戦うって……こればっかりは自分の力だけじゃどうしようも無いし」


 俺はやや気まずい思いをしながらも、できるだけ普通の会話になるよう上手く言葉を選んだ。


「まぁええわ。とりあえずワレには勝つ!」


 好きにしてくれ、と俺は内心思いながら、適当に会話を熟した。こいつと話すのは疲れる。相性が悪いのかもしれない。


「彰吾君、面白いから結構人気あるんだよ。知ってた?」


 俺への宣戦布告に満足して立ち去った彰吾の背中を見ながら、眞下が小さな声で言った。


「いや……何で?」

「関西弁って言うだけでまずポイント高いし、笑いには飽きないじゃない? たまにツボがわからなくて困る時もあるんだけど」


 なるほど。実際、今までも彰吾は伊織に拘ってさえなければ彼女を作るなど造作もなかったのだと思う。ただ、『俺は伊織一筋!』と公言してるに等しいので、彼に惚れてしまった女の子も告白しにくいのではないだろうか。

 俺だって彰吾に彼女ができれば嬉しい。ただ、俺がそう思う事は彼にとってこの上無い侮辱だ。それに、そう簡単に今までの想いを断ち切る事ができたら苦労しない。

 はっきり言って、俺は彰吾に対してどう接すれば良いのかわからないのだった。応援もできず、相談にももちろん乗れない。今のところ、俺が一方的に後ろめたさを持つしか無いのだ。そして、それは伊織も同じなのかもしれない。


「関西弁ってだけでポイントになるのは羨ましいな。俺の周りってモテる奴ばっかりじゃね?」


 暗くなりそうな思考を払拭するように、話題を移した。


「麻生君もその仲間なんじゃないの?」

「それは無いだろ」

「あんたねぇ……それマジで言ってる?」

「は?」


 眞下は呆れた様子で、大きな溜息を吐いた。


「はぁ……まぁいいわ。はい、じゃあこれはあたしと芙美からのプレゼントって事で。ホワイトデーよろしくね!」


 そう言って彼女が鞄の中から出したのは、赤い包装紙に包まれた小さな箱と、同じくらいのサイズのチェック柄の箱だった。


「えっ、マジ? 中馬さんも?」

「渡すの恥ずかしいからだってさ。言っとくけど、義理よ、ギリ」

「わかってるよ」


 そんなはっきり義理って言わなくても……ちょっとだけ傷ついたが、有り難く受け取った。これでちょっとは戦況もマシになるだろう。

 と、考えている間にゼロ記録は阻止できてしまった。てっきり伊織から貰って阻止成功するのだと思っていたから、何だか複雑だった。やはりチョコは数ではないと思う。


「信にはあげねーの?」

「な、あげるわけないでしょ! 馬鹿言わないで」


 からかいの意図は無く大まじめに訊いたのだが、途端に不機嫌になる眞下。相変わらず素直じゃないなと思うけど、先日のカフェでのやり取りを見ていては仕方ない。多分、僅かながら眞下も傷ついたのだろう。

 もう少し信も気配りできれば良いのだけれど。

 他の女の子にチョコをねだっている信を、眞下は頬杖をつきながら横目で見ていた。その表情が、どこか切なくて、あんにゅいで。そんな眞下を見ていると、少し可哀想になる。同時に、信に対して僅かな苛立ちを覚えた。

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