8-2.カフェでのひととき

 氷河期のような寒さだった昨日・二月九日の土曜日はライブハウス〝神楽〟でUnlucky Divaのライブがあった。今年初のライブだ。〝神楽〟は隣町にある唯一のライブハウスで、Sスタジオの須田店長の紹介で出演する事になった。〝神楽〟の店長さんも年末ライブでUnlucky Divaを見ていたそうで、ちょうど興味を持ってくれていたそうだ。

 〝神楽〟の店長さんは、毎月あるライブハウス主催の定期イベントにチケットノルマなしで誘ってくれたので、俺たちも喜んで出演の承諾をした。

 ここで、少しだけライブハウス事情の補足説明をしておこう。小さなライブハウスの大半のイベントでは大体チケットノルマが課されている。チケットノルマ制とは、例えばチケット代二〇〇〇円でノルマが一〇枚のとき、バンドがお客さんを五人しか呼べなかったら、残りの二〇〇〇円×五枚分は出演者側が支払わなければならない、とする制度だ。このチケットノルマ制は海外の音楽文化にはなくて、日本特有の文化らしい。

 ライブをするのもお金がかかるのだ。大体高校生のイベントではノルマが安いのだが、それでもひとりもお客さんを呼ばなければ一万円ほどの赤字を食らってしまう。なかなかにシビアな世界だ。

 そんな中、俺たちは高校生のくせに一般のバンドさんたちと一緒に共演させてもらえる上に、ノルマも無いという好条件。出ないわけがなかった。

 昨日はまだ新曲はチャレンジする余裕は無かったので、年末に演ったのと同じ曲。それでもお客さんは喜んでくれていた。

 三月の第一土曜日にもまた〝神楽〟でライブがあるので、その時までには新曲を完成させたい。だが、その前に今月半ばに四泊五日の修学旅行がある。それが終わってから、また慌ただしく練習せねばならないだろう。

 なんだかんだ高校生活が充実しているなぁとこうして見ると思う。去年とは大違いだ。


 さて、今日は二月十日。日曜ではあるが、昨日はライブ故にバイトを休ませてもらったので、代わりに働く事になった。

 日曜はランチタイムが過ぎれば、それほどお客さんは来ない。三時が過ぎた頃にはおばさんグループとカウンターにいる信だけで、店内はガランとしていた。ライブの翌日なので体の疲労が激しく、ちゃんと仕事ができるか不安だったが、今日は楽で助かった。そんな時、不意にマスターは言った。


「やっぱりバンド内恋愛はまずいんじゃないの? 二人が喧嘩してメンバーに迷惑かけてたら話にならないでしょ。彰吾君との事だってあるだろうし」


 マスターが痛いところを突いてきた。それを言われると、俺は小さくなって黙り込むしかない。


「そうなんだよなー。実際こいつ等が付き合い始めてから麻宮と麻生は彰吾に気を遣いまくりで、何か前みたい何でも言い合えるバンドじゃなくなったんだよな。麻生はすぐに謝ってばっかだしよ」


 信からもまた痛い事を言われた。その通りである。彰吾と衝突を避けるため、俺は極力彼に対しては意見しないようにしている。自分がそれを望んでいようと望んでいまいと、彼の忠告にも従うようにしていた。


「真樹もちゃんと考えた方がいいよ。少なくとも今君はどう思ってる? 幸いにもここにいるのは僕と信だけだから、遠慮しないで本音言いなよ」


 信も、うむうむと頷き、促した。俺は少々迷いながらも、今自分が思ってる事を話そうとした。


「あのさ──」


 しかしその時、ドアベルの音と共に入ってきた女の子三人の声で俺の言葉は遮られた。


「こんにちは」

「やっぱり中あったか~い!」

「麻生君ちゃんと働いてるー?」


 伊織と双葉明日香、そして眞下詩乃だった。彼女達は最近よく行動を共にしており、今日も朝から渋谷まで買物に行っていたらしい。

 三人共可愛いので、華やかなので店の雰囲気まで明るくしてくれる。


「ねえ聞いてよー! 伊織、モデルにスカウトされたんだよ⁉」


 眞下がカウンターから身を乗り出す勢いで言った。


「さっすがみんなのアイドル麻宮! もしかして芸能界入り?」


 信はさっき話していた事なんて忘れてしまったのか、もうそっちにしか興味がないらしい。俺とマスターはそんな彼の変わり身の早さに苦笑を交わしていた。

 俺としても頭の中でまだちゃんと纏まって無い状態だったから、丁度良かったのだけれど。


「そ、そんな事無いって。モデルとか興味無いから断ったし……」


 伊織が慌てて否定したので、俺は少し安心した。伊織ならどんなアイドルよりも可愛いのだから、スカウトされるのは当然だろう。そんな事は解り切っている。だが、モデルと言ってもきっとグラビアだろうし……それは彼氏側としても嫌だった。

 どこぞの男共に雑誌見ながらハァハァされてるなんて思うと、吐き気を催す。ハァハァしていいのも色々していいのも俺だけだ。……あ、やば。色々した事を思い出してしまった。


「そうよ、この子勝手に断ったのよ? せっかくスカウトの人も『何なら三人一緒でもいい』って言って言ってくれたのにさー」

「いや、双葉さんはともかくお前が入ったら値打ち下が──ぐあっ!」


 信が横槍を入れようとすると、即座にバッグで殴られていた。速い。


「私は写真撮られるのも恥ずかしいから、伊織さんが断ってくれて内心助かっちゃったかな」


 信が次なる攻撃に備えてガードしてるのを眺めながら、双葉さんが溜め息を吐いて言った。その言葉に、伊織もほっとしたようだった。


「真樹君はどう思う?」

「モデル?」

「うん……やった方が良かった?」


 俺は少し考えて答えた。この考えるそぶりは演出だ。俺の答えは最初から決まってる。


「断って正解じゃないかな。最近モデルスカウトを装った詐欺もあっただろ? 大体、三人共可愛いんだからさ……別にモデルになんかならなくたって全然大丈夫だろ」


 念の為三人共と言っておいた。三人共可愛いのは事実なのだけど。


「ほら、やっぱり麻生君には私のミリョクが解るのよ。信も見習いなさい!」


 魅力なんて一言も言ってないぞ、と思ったが、せっかく眞下の機嫌が治ったみたいなので放っておいた。


「はぁぁ……勇ちゃんも麻生さんみたいに言ってくれたら良いのになぁ」


 双葉さんの方は何だか病んでしまっているようだ。多分神崎君も双葉さんが可愛いと思ってるはずであるが、当然の事を言っても仕方ないという感覚なのだろう。それに、いざ言うとなれば恥ずかしい。その気持ちは俺もよくわかる。

 三人共可愛いだなんて言ったから、伊織が気を悪くしたのではないかと想って彼女を見ると、そんな事は無かった。伊織は嬉しそうに目元だけ笑って、首をかしげていた。

 何だか俺も優しい気持ちになって、笑みを返す。こうやって何人かで話していても、二人だけが繋がってる気がして嬉しくなった。

 あの〝交わり〟以降、こんな事が増えた。学校でもお互い別々のグループで会話をしていても、ふと伊織と目が合って、お互い視線だけで笑みを交わすというか。そんな時、この広い地球が二人だけの世界になったみたいで、嬉しい。


「つか、何で渋谷までわざわざ行ったのに帰りにここ寄ったわけ? 渋谷ならお茶する店なんて腐る程あるだろ」


 何だか恥ずかしくなったので伊織から目を逸らし、三人に訊いてみた。


「はぁ? 何今更わかり切った事言ってんの?」

「伊織さんが、麻生さんに会いたがってたからに決まってるじゃない」


 眞下と双葉さんが顔を見合わせ、「ね?」と笑った。


「そういうことじゃなくて……二人に連れて来られただけだからっ」


 少し頬を染めた伊織は、慌てて否定した。


「へー? 会いたくなかったんだ? そんな事言っちゃっていいのかな~?」

「だって伊織さん、この前『もう心配かけたくないから、真樹君がバイトしてる間はずっとカフェに居たい』って言ってたじゃない」

「そ、そんな事、言ってないし……」


 またまた伊織が小さな声で否定した。この様子だと、眞下達が伊織をハメようとしてるのか、伊織が恥ずかしがって否定してるのかわからなかった。もし本当にそう言ってくれていたら、本気で嬉しいのだけれど。


「言ってたじゃなーい。私が伊織さんの口から聞いたの、今週だよ? 正確に言うと、三日前の木曜日の放課後」

「本当は今日だって伊織を渋谷まで連れて行くの苦労したんだから。愛されちゃってるねェ、若旦那!」


 そこまで暴露されると、伊織は顔を赤くして黙り込むしかなかった。どうやら眞下・双葉連合軍に敗北したようだ。


「あ、そういえば渋谷で何買ったんだよ?」


 伊織が可哀相に思えたので、助け舟として話題を変えた。


「よくぞ訊いてくれました、麻生クン。渋谷に、雑誌で凄い評判のイイお菓子屋さんがあるのよ。それに、もうすぐバレンタインじゃない? だから、一流パティシエのを食べて勉強しようかと思って。またそのパティシエさんがかっこよくてさぁー……」


 それから眞下が得意気にかっこいいパティシエについて語り続けた。彼女の話に耳を傾けながら、もうすぐバレンタインデーなんだと自覚した。毎年俺には無関係なイベントなので、あまり気にしないように(気にすると凹むから)する癖がついてしまったのだ。


「というより、どうせ一流パティシエのスイーツが食べたかっただけだろ?」


 信がおそらく正しい事を言った。たかが一度や二度食べたくらいで一流パティシエの味を真似できたら彼等の立場が無い。眞下は信に向かって舌を出していた。


「まぁ……どうせあたしにはあげたい男なんていないし、結局クラスの女の子と交換するだけだからねー。無理して作んなくてもいいっていうか」


 眞下が黄昏るように言い、溜息を吐いた。


「じゃあ眞下、俺に義理チョコくれぇっ!」


 いきなりこう言ったのは、信だ。これには驚いた。遂に彼も正直になったのか?


「べ、別にいいけど……いきなりどうしたの? どうせあたしのなんてまずくて食えないとか言うかと思ったのに」


 少し困惑したように、眞下が言う。眞下もあげる気になっているのか、この二人もやっと距離を縮める気になったかのか……少し良さげな雰囲気だ。


「実は……去年俺は一個も貰えなかったんだー! 中学時代は毎年十個はもらってたこの穂谷信様が、ゼロだぞ、ゼロ! 泣き寝入りするしか無かった…………なのになぜ外国語科女子は俺に与えず女の子同士でチョコを交換するんだ! 日本におけるバレンタインの定義を間違ってるとしか思えない!」


 信は政治家の演説のように力強く過去の悲劇を語った。確かに俺もそれには納得だった。外語女子は男子にあげずに交換するだけなのだ。

 しかし、去年のバレンタインで信は十五個貰っただのと吐かしていたが、今になってあれがただの見栄であったという事が露となった。そんな気はしてたけども。

 今年は彼女から貰えるだろうか?

 嘆きまくる信を見て可笑しそうに笑う伊織の横顔を見て、心の中で訊いた。


「穂谷君には一応上げるつもりだったんだけど、詩乃ちゃんがあげるならもういいかな?」


 双葉さんがぽそっと伊織に耳打ちした。しかし、これがいけなかった。信の地獄耳はこれを聞き逃さなかったのだ。


「いやいやいや、是非とも下さい! もちろん麻宮も義理くれよ? あ、眞下は市販のでいいぞ。腹壊したくねーから」


 あーあ……台無しだ。よくもまぁそんな最低な事が言えたものだ。俺はこの先の展開が読めたので、予め耳を塞いでおいた。


「誰がお前なんかにやるかぁぁぁあ!」


 案の定、眞下の怒声がカフェ内に鳴り響いた。

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