8-3.そういえば誕生日だった

「ちきしょー……何か麻生は役得してねぇか?」


 信は眞下に撲たれた頬を摩りながら、恨めし気に俺を見た。


「自業自得でしょ。麻生君は冗談言うにしてもちゃんと心遣いがあるのよ。あんたのは冗談じゃなくて全部マジだから腹立つの」


 俺の代わりに眞下が答えた。


「いや、そんな事無いって……あー痛ってぇ」


 争いは俺が身を挺して間に入った事により、ようやく終結に向かった。

 確かに信も全くの気遣い無しで言っているわけではない。さっきのは多分、途中で恥ずかしくなって照れ隠しで言ったのだろう。しかし、如何為ん彼の場合は言い方がまずい。信のは照れ隠しだか本気だかわからないのだ。散々俺には恋愛テク云々を説くくせに、全く基本ができてないではないか、と思う。


「マスターはチョコレートとか大丈夫ですか?」


 双葉さんが、俺達のやり取りを微笑ましく眺めながら(喧嘩止めろよ)コーヒーを入れていたマスターに訊いた。


「おや、僕にもくれるのかい? それは嬉しいけど、別に無理しなくていいよ」

「無理なんてしてないですよ。いつも美味しい料理を出してくれるんで、その御礼みたいなものです」


 伊織が次に言う。

 伊織もマスターにあげるのかよ、と少し複雑な気分になった。しかも、どうして先に俺には訊かないんだ。もし俺がチョコ嫌いでクッキー派だったりしたらどうするんだ? 好き嫌いは少ない方だから何でもOKなのだけれど。そんな事を考えて内心拗ねながら皿を洗っていると、伊織が不意にこちらを向いて訊いた。


「真樹君にはガトー・ショコラ作るね?」

「えっ……?」

「あ、あれ? 違った?」

「いや、違わないけど……何で俺がガトー・ショコラ好きなの知ってんの?」


 ちょうど拗ねていた時に話し掛けられたので、びっくりした。しかも、ガトー・ショコラが好きと教えた記憶が無い。


「忘れちゃったんだ? 去年一緒に帰った時に、お菓子の話題になって、何が好きか言い合ったじゃない」

「いつ頃?」

「えっとねー……多分、私が転校してきてすぐだったと思う」

「じゃあ、十月の中頃から終わりくらいだよな……」


 俺は去年十月の記憶の中を手探りで進み、考える事数分、ふっとお菓子の話題が手先に触れた。


「あっ……思い出した。確かに言った」


 二人で帰った時、何気なく出た話題だった。何でお菓子の話題になったかまでは思い出せないが、ただ伊織と話せる事が嬉しくて、同時に凄く緊張していたのだけは覚えてる。あの当時は女の子と一緒に帰るだけでも奇跡的で、しかも相手が伊織だなんて、本当に夢心地だったのだ。

 あの当時……たった数か月前なのに、随分昔の様な言い方だ。数か月前の奇跡が今は当然となり、女の子達が俺と話す為にこうやってバイト先にも現れてくれる。

 もちろん、ただ単にコーヒーを飲みにきただけなのかもしれないけれど、それでも以前の俺からは考えられなかった。変化というのは時に劇的に訪れるものであるのだ。


「じゃあ、私が何のお菓子が好きって言ったか当ててみて?」

「えぇ? 自分の思い出すので精一杯だったのに……」


 ぶつぶつ言いながら、俺は更に記憶の中を潜った。今とは違う距離感だけども、伊織が楽し気に話していたのだけはよく覚えていた。その笑顔から、会話の内容も記憶から紐解いていく。


「……生チョコと雪見だいふくだっけ?」

「正解!」


 伊織の笑顔を見て胸を撫で降ろした。何となく彼女の口から生チョコと雪見だいふくという言葉が出たのを思い出したのだ。


「お前、よくあんな細かい事まで覚えてたな……記憶力良過ぎだろ」


 何でもかんでも覚えられてたら失言なんてできやしない。だが、そんな細かいところまで覚えていてくれていたのは嬉しかった。


「そんな事無いよ。あの頃は真樹君がどんな人で、何が好きなのかただ知りたかっただけで……」


 そう何気なく言っていたが、ハッと口を押さえた。ニヤニヤした信達の表情が目に入ったのだろう。


「伊織はそんな時から麻生君が好きだったんだ?」

「もしかして、その時からバレンタインの事考えてたとか?」

「ほほぉ。まさかその時分から二人で帰ってたとはなぁ……初耳だぞ」


 眞下と双葉さんは伊織の顔を覗き込み、信は俺をギロリと睨んできた。

 そういえば、当初は信にもバレないようにコソコソしてたのだ。


「別に好きとかそういうのじゃなくて……せっかくお友達になれたんだから、相手の事を知りたいと思うのは普通でしょ?」


 俺もうんうんと頷いて伊織に加勢した。今回はこちら側についていないと俺の身も危なそうな気がしたからだ。


「私の場合興味ある人しか気にならないけどなぁ……」

「普通はそうよー。っていうか友達でも二人で帰るとなると、好意持ってないと無理よね」


 二人の伊織いじめがまた始まった。何故彼女がこんなにからかわれるかと言うと、すぐに顔を赤くして表情に出てしまうからだ。要するに、からかっていて楽しいのだろう。


「さて、麻宮。いつから麻生が好きだったんだ?」


 信が好々爺のような顔をして訊いた。訊いてる内容と表情は雲泥の差だが、それは俺にも興味深い話である。

 伊織は顔を隠す為下を向いて、首を横に振るだけだった。時折俺に助けを求める視線を送ってくる。

 これはちょっと可哀相だよな。俺も気になるけれど、これは仕方ない。大体、このままでは俺もいつから好きだったとかを告白させられる流れだ。


「それよりさ、渋谷で何買ったの? 当然他にも行ったんだろ?」


 とりあえず逃げ道は渋谷から。このまま会話をズラして……というはずだったが、俺に向けてバッシングが飛んできた。


「カノジョが困ってるからって助けるなー!」

「麻生さんも知りたいでしょ?」


 確かに俺も知りたいけれど、カノジョが困っていたら助けるのは当たり前だ。というより確実に俺も被弾する流れだろう、これは。


「あ、その袋ん中何? 服?」


 俺は外野のブーイングを無視して伊織の足元に置いてある袋を指差した。


「これ? これは黒のスカートとセーター。すっごく安かったんだよ?」


 伊織も俺の意図を読み取り、三人を無視して答えた。


「マジ? へー……見せてよ」


 とか適当に話を合わせておきつつ、横目で三人を見てみると、眞下と双葉さんコンビはシラけていた。


「二人の世界に逃げ込むなんて狡い……」

「っていうかヒクでしょ、フツー」


 ヒクとか言うな、とは思ったが、これは想定内だ。しかし、信だけは怪訝な表情で伊織を見ていた。


「麻宮、あのさぁ……セーターはともかく、プレゼントは?」

「……プレゼント? 今日信君の誕生日なの?」

「はぁ? もしかしてマジで知らないとか?」

「……うん?」


 誕生日というキーワードで俺もハッとしてカレンダーを見た。二月十日、それは──。


「俺も今思い出したんだけど、今日麻生の誕生日だぜ?」

「……えっ?」


 驚いた表情で彼女はこちらに向いた。


「うそ? ほんとに?」


 一番驚いているのは俺なのだが、一応頷いた。今年二月十日の日曜日は、俺がこの世に生を受けて十七回目の誕生日だ。昨日のライブの事でいっぱいいっぱいになってしまっていたので、完全に誕生日だというのを忘れていた。


「そんなの初耳だよ! どうして教えてくれなかったの?」

「いや、だって訊かれなかったから」

「そういう問題じゃないの!」


 確かにそういう問題ではないかもしれない。俺が誕生日を教えてなかった事に関しては、さすがに眞下達も怒っている。そりゃそうだ。恋人に誕生日を教えていない等、有り得ない。


「もう……どうしてもっと早くに言ってくれないかなぁ。ちゃんとしたの贈りたかったのに……」


 伊織は言いながらコートを羽織り、財布をバッグの中から取り出した。


「私、今から買ってくるね。何がいい?」

「いや、もういいって」


 俺は慌ててカウンターから出て彼女を制止させた。


「教えてなかった俺が悪いんだし、別に欲しいものとか無いし」

「でも……私、真樹君に貰ってばかりだもん。この前だって、二人の記念日なのに私だけ貰ったし……」


 眞下達が何を貰ったのか知りたがって横で煩かったが、信が代わりに説明してくれていた。クマプーの話を聞いた二人は、まさかあの限定品を取ったのが俺だったというのにはかなり驚いていたが、そんな事は今はどうでも良い。


「あれは俺があげたかっただけだから。都合良く取れただけだし」


 伊織はまだ納得いかないという表情をしていた。何だか上手く伝わらない。

 確かにプレゼントを貰えたら嬉しいけれど、誕生日はプレゼントが全てではない。祝ってくれる気持ちだけで俺は嬉しいのだ。


「じゃあ、俺がバイト終わるまでここに居てくれよ。それでいいから」

「そんなの言われなくてもそうするつもりだったよ?」

「だから……俺はお前が傍にいてくれたらそれでいいんだって」


 伊織は驚いたように俺の顔をまじまじと見た。まさか俺がそんな事を言うとは思わなかったんだろう。


「本当に……そんなのでいいの?」

「そんなのって言うより……物よりもそっちの方が嬉しいかも」


 俺がそう答えると、彼女は顔をぱぁっと輝かせて、嬉しそうに微笑んだ。


「うん……じゃあ待ってる。これから毎週待っててもいい?」

「もちろん」


 もう一度頷くと、彼女は嬉しそうに笑っていた。

 何だか自然にお互い照れ笑いが漏れて、恥ずかしいような、でも心地良いような……そんな何とも言えない気持ちに襲われる。だが、自分が何を言ったか思い出すと、背筋が凍った。同時に現実に引き戻され、顔から火が出る。

 我ながら有り得ないと思うくらい本音が出てしまっていた。恐る恐る辺りを見てみると、マスターの阿修羅みたいな顔がまず目に入った。


「はぁぁ……最近の若い奴等は昼間からベタベタと……真樹、ここは僕にはあまりに暑過ぎるから、休憩入るよ」


 言うや否やマスターはぶつくさ文句を言いながら奥に行った。弁解しようとマスターを追おうとしたら、双葉さんの嘆く声が俺を留めさせた。


「一度でいいからそんな風に私も言われたーい! 伊織さん狡いよー!」


 そんな事をここで嘆かれても困る。それは神崎君にお願いすべきであって俺は関係無い。大体、こんな事彼が言えるはずが無いだろう。俺だって今のは無意識だったんだ。素面なら絶対に言えない。きっと、何か魔に取り憑かれてたのだ。


「麻生君ってそういう事堂々と言う人だったっけ?」

「人前だって言うのを忘れてたんだよ!」


 完全に周りに人がいるのを忘れていた。でないとあんな恥ずかしいセリフを言えるわけがない。


「じゃあ、二人っきりの時はもっと恥ずかしい言葉のオンパレードなんだ?」

「うっ……」


 墓穴を掘ってしまった。今の言い方だとそうなってしまう。言い訳が他に思いつかない。

 伊織は黙秘を決め込んでいるので、こうなったら頼れるのは信しかいない。信に目配せして助けを求めてみるが、信は顎に手を当て、また怪訝な顔をしていた。

 今度は何だ。また余計な事を言うくらいなら眞下と一緒にからかってくれた方がまだマシである。そもそも信が誕生日の事を思い出したからこんな事態になってしまったのだ。


「なんかお前等怪しいんだよなー」

「はぁ? 何が?」


 別に怪しい事など何もしてない。さっきみたいに波乱を巻き起こすわけでは無さそうだが、これまた意味深な物言いに嫌な予感がする。


「いや、ここ最近お前等が二人の世界に入り込んでる時があまりに多い。前はそうでもなかったはずなんだがなー……」

「いや、そんな事──」

「やっぱりあの時、お前等ヤっただろ?」


 信は俺の言葉を遮って言った。

 さすが信。見事に波乱を巻き起こしてくれた。

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