8-4.特別な日とは一体なんなのだろうか?
「えぇぇぇーっ⁉ ちょ、ちょ、ちょっと、それどうゆう……って、もしかして⁉」
信の爆弾発言によって、眞下がわなわなと震えながら俺を指差した。伊織と俺は慌てて否定したのだが、眞下は態度を変えようとしなかった。否定したも何も、実際にヤッてしまっているわけで、果たしてこれは逃げられるのだろうか? かなり厳しいものがあった。ぼろを出さないようにしないといけない。
「穂谷君、説明して!」
双葉さんが信に説明を求めた。
「ああ。ちょうど二週間前、麻宮を連れて麻生ん家遊びに行ったんだよ。そしたら麻生の親いなくて、更に俺もどうしても外せない急用が湧いて出てきてしまって、帰る羽目になったんだ。要するに、誰もいない家にオトコとオンナが二人っきりになったというわけだ!」
信が楽しそうに説明した。『どうしても外せない急用が湧いて出てきてしまって』が聞いて呆れる。最初からそのつもりで俺達を陥れたくせに。
その表情から、彼がわざとこの話題にした事は言うまでもない。実は信からあの時何があったかについて、翌日に嫌と言う程追及されたのだ。しかし、まさか本当にしてしまったとは言えず、俺には何も無かったとしか言いようがなかった。
「ウッソー⁉ 本当に? 本当にしちゃったの?」
年頃の女の子二人は目を輝かせて俺達を見てきた。
「してない! するわけねーだろ! 馬鹿か、お前等は」
「そ、そうだよ。私達付き合ってまだ二ヶ月も経ってないんだよ? そんなの恥ずかしくて……」
と言う伊織だが、俺と目が合うと、顔を今日一番というほどまっかっかにして俯いてしまった。きっと、お互いあの日の情景を思い出してしまったのだろう。
甘味で夢のような甘酸っぱい空間と時間。お互い何か魔法にでもかかっていたのではないかと思えるくらい、理性が働かなくなっていた時間。とろんとした瞳をしながら、舌を割り込ませてきた感触。
全てが一瞬のうちに蘇ってきてしまった。しかし、今その態度はまずい。奴等にそれがあったと察される事にしかならないからだ。
「あ、これヤってるわ。確実だな」
「あのな、勝手に決めんな!」
「じゃあ何でそんなに二人で顔真っ赤にしてんだよ。餓えた狼と化した麻生に押し倒されたんだろ?」
「誰が狼だ! お前と一緒にすんじゃねー!」
伊織もかぶりをぶんぶんと横に振って否定した。そう……俺は押し倒していない。実際に押し倒されたのは俺だ。だが、そんな事を言えば更にヒートアップするのは目に見えている。
「さあ、麻生、早く話せ! みんなのアイドル麻宮伊織の全てを知ってるのはお前だけなんだぞ?」
「穂谷君、訊き方がやらしい!」
双葉さんが咎めてくれた。伊織なんて、もう言葉を発せなくなってしまっている。
レポート提出とかほざいている時点で、信の目論見なんて大体予測がつく。俺達がどんな事をどんな感じでしたかを聞き出し、夜にその話を元に伊織の顔を浮かべて、口ではとても言えないような事をするに違いないのだ。そんな事は俺が許さない。
「よし、信……取引をしよう」
「取引だと?」
「そう。これ以上この話を続けるなら、みんなにお前があの時送ってきたLIMEを見せるぞ」
信の表情が固まった。
あのLIMEとは、レポート云々が書かれたあのLIMEだ。あんなものを女子に見られた日にはドン引き間違い無しで、確実に軽蔑の対象となる。それがわからない信では無いだろう。先程の勢いは消え、視線が泳いでいる。
「え? なになに? どんな内容?」
早速眞下が食いついてきた。これも予定通りだ。
「ま、待て麻生、話し合おうじゃないか」
「話し合いかー……じゃあ、見せるか」
スマホを取りに行く仕草をしてみる。
「お、俺が悪かった! 許してくれー!」
こうしてこの勝負は俺の勝ちとなった。最初からこうやっていれば良かったのだ。
三人はLIMEの内容を問い質してきたが、ここは契約として見せられない。信も必死になって話を終わらせようとしていた。しかし、今回の一件で信はスケベという落胤を押されたのは間違い無い。
念の為にあのLIMEはスクショして保存しておこう。また利用できるかもしれない。信に対抗する武器はやはり必要だ。今まで俺は信に対して無力過ぎたのだ。これからはやられるだけでなく、対等に戦う力を身につけなければならない。
さて、話題が逸れた事もあって、ようやくカフェに平和が戻った。話題も昨日のライブや修学旅行の話といった普通のものだ。友達にうそをつくのはどうかと思うが、こういったプライベートなことは隠してもいいだろう。
双葉さんが、神崎君とはクラスが違うので修学旅行では一緒に行動できないと嘆いたり、テレビの恋愛ドラマの話になったりと、話題はコロコロ変わる。健全な話題なので問題は無い。ただ、俺は仕事中であるので、空いてる時は掃除をしたりお客様が来ればそちらに対応したりと話は聞くだけで、ほとんど会話には参加できなかった。
それでも、何だか心地良い空間だった。三野の一件があってから、俺はよく昔と今を比較する。昔と比べると、どんなささいな事でも幸せに思えるのだ。いや、昔と比べる事で、この幸せな空間を当然と思わないように、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
『二人の世界に入る事が多くなっている』
この信の言葉は的を得ていた。確かに俺達は、あの日から距離がまた近くなった。目が合うと、それだけで何だか優しい気持ちになれて、周りの空気まで柔らかくなる。胸が張り裂けそうなくらい好きという気持ちが溢れてきてしまうのだ。
大好きな女の子と夢のような時間を過ごして、愛して愛されて繋がって、幸せにならないほうがおかしい。距離感も当然変わってくるだろう。伊織の俺に対するボディタッチが多くなっているのも、そういったことが影響しているのかもしれない。
これらの出来事は、ポッキー事件があったからだ。伊織と口を利かなくなったのはあの時が初めてだった。俺が優柔不断で彼女を不機嫌にさせた事は去年にもあったけれど、あんなに深刻なのは過去に無い。
それがどれだけ辛い事か身に染みて解ったから、もっと大事にしようと思った。そして、四六時中考えてしまうほどに、もっと好きになってしまった。
しかし、
『バンド内恋愛はまずいんじゃない?』
マスターの言葉が、胸により突き刺さる。最初は大丈夫だと思っていた。彰吾とさえ上手くやればUnlucky Divaのはいつか完全復活できると信じていた。
だが、実際にはどうだろう? 例え俺達当事者に問題が無くとも、ポッキー事件のように、第三者に関係が狂わされる時もあるのだ。伊織と喧嘩したくないけれど、する時もあるかもしれない。その最中に、キャンセルの利かない大事なライブがあればどうなる? ギクシャクしたままステージに上がるのか? そして、彰吾はどうだ? 俺は時間さえあれば元通りになると楽観視していたが、そんな事が可能なのか?
今までなるべく考えないようにしていた例なのだが、伊織と彰吾が付き合ったとして、俺がフラれた立場だとした時……バンドなんて組んでられるだろうか?
きっと練習やライブの度に辛い思いをするに違いない。いや、むしろ俺には彰吾みたいにバンドには参加できないだろう。俺にそれほどの強さは無い。時が経てども、毎回傷口を開かれるようなものだ。一向に治りはしない。
――バンド内恋愛。好きになればなる程その言葉が重くのしかかってきた。友達と笑い合う伊織の横顔を見つめていると、俺は妙な不安に襲われた。
◇◇◇
「あの……ほんとに何もしなくて良かったの? 誕生日」
手を繋いで家路を歩いている最中、伊織は不意にそう言った。
「ん? もうしてくれてるだろ。俺がバイト終わるまで待っててくれて、こうやって一緒に帰る……それでいいって言わなかったっけ?」
「そうだけど……でも、やっぱり何か特別な事してあげたいな」
「特別な事、か……」
特別とは何だろう? 過去の俺からすれば、カノジョのいる生活が既に特別なのだと思うのだけれど、今ではそれが普通の生活となっていて、また新たな特別を求める。だが、何か特別な事をしてあげたいと思う伊織の気持ちも確かによく解る。逆に、伊織から誕生日プレゼントは一緒にいるだけでいいと言われれば、それはそれで嬉しいのだが、何だか寂しい気持ちになるだろう。
「……じゃあ、今度何かご馳走してよ。伊織の手作りで」
とりあえず思いついた事を言ってみた。そういえば、伊織の弁当は食べた事はあるけれど、ちゃんとした食事は食べた事が無かったのだ。
「うん、いいよ!」
伊織は嬉しそうに微笑んで承諾してくれた。きっと、頼む事は何でも良かったのだと思う。何でもいいから俺にしてあげたかった──彼女の笑顔からはそんな気持ちが読み取れた。俺は本当に幸せ者だ。
「何がいい?」
「んー……寒いし、何か暖かいものお願いします。肉類で」
「ビーフシチュー? あっ、ビーフストロガノフとかどう?」
伊織が指折りで思い浮かんだメニューを言った。
「ビーフシチューも捨て難いけど、やっぱビーフストロガノフかな。でも、玉葱は少なめで」
玉葱が多いとどうしても甘くなってしまう。玉葱の甘さが強いと、俺はあまり好きじゃない。
「うん、他には?」
伊織はスマホアプリのメモ機能に俺のリクエストを書き込んで行った。
「やっぱりポテサラは外せない……って、こんな好き放題言ってていいのか?」
「何でも好きなの言ってくれたら作っちゃう」
「マジ? じゃあ……」
伊織が優し過ぎるので、何だか調子に乗ってたくさん注文してしまった。その足で彼女はスーパーに買い物に行くと言ったので、そこで俺達は別れた。
何と明日にその料理を作ってくれると言うのだ。だが、明日は学校も普通にあるので、今晩から準備に取り掛からなければならないらしい。調子に乗って色々注文してしまった事を今更ながら後悔した。しかしながら、何だか新婚さんみたいでドキドキしている自分もいた。
明日を待ち望みながら、彼女の姿が消えるまで、ぼんやりとその後ろ姿を眺めていた。
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