7-18.信の謀略
──日曜日。俺は久々に穏やかな気分で休みを迎える事ができた。伊織と仲直りできた上に、しかも今日は親がいない。何の憂いもなかった。父のビリヤード店主催の大会が開かれ、母もその運営スタッフの手伝いとして、参加しているのだ。すなわち、久々の一人の時間。
昨日は三野への警告にバイト、その後にバンド練習とかなり過酷な一日だったので、今日は家で一日中ダラダラ過ごす予定だ。確かに昨日は忙しかったが、ここ最近の精神状態を鑑みれば、全くもって今日は優雅だ。本当に、久しぶりにゆっくりと休める。
俺はベッドに寝転がって大きな欠伸をすると、目を閉じた。休みの日くらい二度寝も許されるだろう。そう思った時……スマホがけたたましく鳴った。LIMEの着信で、穂谷信、と表示されている。嫌な予感しかしなかった。
「……もしもし」
『おーっす』
不機嫌にも出てみると、テンション高めな信の声が聞こえた。
「信か。何の用だ? 俺は眠いんだよ」
『冷たい事言ってくれるねぇ。じゃあ、今からお前ん家遊びに行っていい?』
「はぁ? だから、俺は眠いって言って──」
『おっけ。二時くらいに行くわ。じゃーな』
「ま、待て、こら信!」
呼び掛けるが、もう彼には届いていない。こっちが返事をする前に切りやがった。何て強引な遊びの約束の仕方だ。
どうやら、せっかくの休日も潰れてしまうようだ。昼過ぎなのに、俺はまだ寝癖すら直していないし、もちろん服装も上下ジャージだ。さすがに友達とこの格好で会うのは恥ずかしい。俺はダラけた体を無理矢理起こし、着替え始めた。
二時丁度にインターホンが鳴った。俺は玄関まで行き、鍵を外してドアを開けると……驚いた。
「よぉ! スペシャルゲスト付きだぜ?」
「スペシャルゲスト?」
「こんにちは、真樹君」
「……⁉」
なんと、門扉の前にいた信の後ろから、ひょっこりと伊織が顔を出したのだ。
「ちょ、ちょっと待て信! さっき電話で伊織が来るなんて一言も……」
「俺が一人で行くとも言ってなかったと思うが?」
「ぐっ……」
俺は言葉を詰まらせた。畜生……どうやら完全にハメられたらしい。あの強引な電話の切り方もこれが目的か。
「でも、俺ん家今お菓子とか無いし」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、信は自転車の籠の中からコンビニの袋を取り出した。
「調達済みだ」
甘い甘い、と信は嘲笑した。伊織もくすくす笑っている。ある程度付き合いの長い友人関係のデメリットだ。言い訳を先読みされる。
「はぁ……どうぞ。上がれよ」
逃げ道は無しと見た俺は、遂に折れた。逆らっても意味が無い。時間の無駄だ。伊織は「お邪魔します」と言ってから入り、丁寧に靴を揃えてから上がった。一方、信は脱ぎっぱなしだ。それに気付いた伊織が、信の靴まで揃えていた。すげえ、性格の差が見事に出ている。
「あれ? おばさんとかいねーの?」
階段を上がってる最中、家の中がシーンとなっているのにようやく気付いたらしい。
「ああ、今日はいねーよ。夜まで帰って来ない」
俺は何も考えず答えると、信が伊織の方を向いて言った。
「と、いうことは? 男二人に女一人という状況だなぁ。グへヘヘヘ」
「……信君と二人っきりだったら危な過ぎるけど、真樹君がいるから平気だよ」
信の下卑た笑い声に伊織はビクッとして顔を強張らせていたが、俺を見て困ったように笑った。さすが彼氏の俺は信頼されているらしい。しかし、信頼され過ぎなのもどうなのかと思う。一生手が出せないのではないか。
「おい、麻宮! 俺が危な過ぎってどうゆう意味だ⁉」
「え? そのままの意味だけど?」
「ぐっ……お前、わかってないぞ。麻生だって普段紳士面してるが、腹の中じゃいつもスケベな事ばかり考えててだな……」
「ハイハイ。それは信君の話でしょ? 真樹君はそんな人じゃないよ。ね?」
穢れなき天使の笑顔を向けられると、頷くしかない。嬉しいような、寂しいような……情けない。俺ってもしかして男として見られてないのか? 未来に微妙な不安を抱えながら、二人を部屋に案内した。
「これが真樹君の部屋なんだぁ……」
伊織は落ち着きなく辺りをキョロキョロ見回していた。部屋の大きさは六帖ほどで、クローゼットもある。勉強机の上は参考書等でごちゃごちゃしてるが、それ以外は綺麗に片付いている。実を言うとほんの数日前までちらかっていたのだが、暗い気分を紛らわせる為に片付けをしたのが功を奏した。
「あれ? 結構片付いてんじゃん。つまんねー……慌ててエロ本隠すとことか見たかったのにな」
「もう……だから、真樹君を信君と一緒にしないでってば」
「麻宮、お前な……そこまで差別されるとさすがに俺も凹むぞ」
「気のせいじゃない?」
伊織は悪びれた様子もなく、笑顔で応えていた。信はぶつぶつ文句を言いながらポテチの袋を開け、CDを物色し始めた。ポテチ触った手で触るな。
「あ、漫画がたくさんあるー」
伊織が本棚の漫画に目をつけて、目を輝かせていた。
「軽く漫画喫茶開けるだろ? 小学生の時から買い集めてたら、いつの間にかそうなった」
伊織は頷いて、漫画を一冊手に取ってパラパラとめくった。彼女が手に取っているのは格闘技の漫画だ。
「やっぱり男の子ってこういうの好きなんだね。彰吾も似たようなの持ってた気がする」
「ふぅん……」
俺は適当に返事をしつつ、男の部屋に来たのが初めてではない事に、がっかりしていた。
彰吾と伊織は、小学生の頃から親同士で付き合いがあるので、互いの部屋に入っていないわけが無い。それを思うと、少し嫉妬もしてしまう。俺はまだ彼女の家に呼ばれた事がないからだ。
「コーヒー入れてくるよ。何も無い部屋だけど、テキトーにくつろいどいて」
「あ、うん。わざわざありがとう」
俺はぎこちない笑みを作って、一階の台所に向かった。
慣れない手つきでコーヒーメーカーを設置して、今はボコボコと音を立てている。それをぼんやり眺め、嘆息した。
まだ信がいるだけましではあるが、何を話せばいいのかわからない。普段話す時は全く緊張しないのに、家に入れた途端会話が上手くいかない。やたらと緊張して、意識してしまう自。女の子を自分の部屋に入れるのは初めてなのだから、緊張するのも当然だ。
淹れたコーヒーをマグカップに移し替えて、三つお盆に乗せた。上に戻ろうかと言う時、誰かが階段から降りてくる音がした。
伊織が帰るのだろうか。少し残念だが、それも仕方がないか、と思った。女の子が喜ぶものが何もない部屋だし、部屋主の俺も会話で楽しませられないほどのアガリっぷり。
ただ、さすがに今回の来訪には無理がある。こちらも心の準備ができておらず、何より話題のストックもない。三野の一件もあったわけで、少しハードルが高過ぎるように思えるのだ。しかし、予想に反して階段からひょっこり顔を出したのは、信だった。
「あ、なんだ信か。コーヒーならできたぞ」
「麻生、俺ちょっと出てくるわ」
「は? 何で?」
「いや、柿の種買うの忘れちゃってさ。すぐ戻ってくるから」
「柿の種? 言っとくけど酒は出さないぞ。勝手に飲むと怒られるし」
「違うっつの。俺、あれが好きなんだよ」
「柿の種って酒のアテじゃないのか?」
「まぁまぁ。気にしなさんな、麻生のダンナ。んじゃな」
信はそう言って玄関に向かい、靴を履いて外に出て行った。
──って、ちょっと待てぇぇぇ!
上に上がったら伊織と二人っきりだ。それはマズい。まだ仲直りして間も無いのに、二人っきりになってまた気まずくなったらどうする? というか、そんな密室で伊織と話すのも初めてなのに……一体何を話せばいいのだろう? 学校とかカフェなら普通に話せるのに。
カフェに移動するのはどうだろうかとも思ったが、今日はマスターが用事があるとかで店は休みだった。それにせっかくこうして家にきてくれているのに、外に連れていくのは、少しもったいないような気がした。
俺だって男だ。少しくらい期待してもいいだろう。いや、最近色々メンタル的に大変だったのだから、ちょっとくらい期待させてくれ。
俺は大きく息を吐いて、二階へと繋がる階段を見上げた。
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