7-17.信の怒り

 翌日の土曜日。授業終了後の昼、俺と信は三野を呼び出した。呼び出したと言っても、信が伊織の筆跡を真似て手紙を靴箱に入れ、校舎裏にお引き寄せただけだ。だからお前はなんでそんなスキルを持ってるんだよ、というツッコミはもうしなかった。こいつはわけのわからないスキルだけはたくさん持っている。将来は何でも屋などのアンダーグラウンドな自営業をやりそうな気がしなくもない。

 伊織の筆跡と同じとまでは行かないが、結構似ていたし、女の子っぽい文字だったので、俺でも普通に騙されてしまいそうだ。小学生の頃、友達を偽ラブレターでからかう為に女子っぽい筆跡を真似ていたところ、身についた特技なのだという。明らかに人生で頑張る箇所を間違っているが、今はそんな稀有な能力が役に立っている。彼の小学生の頃の間違った努力に今は感謝しよう。

 その手紙の内容は、この前の話の続きと、言ってしまった事を謝りたい、というようなものだ。

 信にも昨日の出来事を話して、今日の〝警告〟に参加してもらう事にした。彼の役目は、俺がキレて殴りそうになったら止める事だ。リンチをする気は無い。目的は、あくまでも警告なのだ。


「よぉ、三野。お前って案外単純だな」


 そんな偽の手紙の誘いに、三野はのこのことバカ面ぶら下げてやってきた。逃げられないように、彼の背後と側面を俺と信で囲む。


「あ、麻生⁉ 伊織ちゃんは……⁉」

「いねーよ、ばーか。つーか馴れ馴れしく名前で呼んでんじゃねえ。殺すぞ」

「お、俺に何の用だよ!」


 この校舎裏は死角になっていて、人に見られる事は少ないので告白スポットとなっている。去年、俺が白河梨緒にフラれた場所もここだった。人が来ないという事は、恫喝にも優れた場所であるという事だ。


「何の用、だぁ? 言わなきゃわかんねーか? 昨日、散々俺に喧嘩売ってくれたのはテメーなんだからよ? 俺の事ボロクソに言って、伊織を傷つけて……無事に済むと思ってんのか?」

「くっ……」


 俺は軽く三野の胸倉を掴んで、そのまま壁に押し付けた。


「なぁ?」

「わ、悪かったよ! もうしないから、暴力はやめてくれ!」


 三野の平謝りに、思わず肩透かしを食らう。ヤケに素直じゃないか、と驚いたほどだ。もっと反発してくるものだと思っていたが、予想以上に麻生真樹は恐れられているらしい。さすが青い血が流れていると噂されているだけのことはある。嬉しくないけど。ただ、話が早く終わりそうだ、と俺は内心ほっとしていた。


「謝るだけなら幼稚園児でもできるからな。誠意見せてくれよ?」

「誠意だって……?」

「そ。ほんとに謝罪の意思があんのかどうか、見せてみろよ」


 俺は胸倉から手を離して少し距離を置いた。


「ど、どうすればいい?」

「それ言ったら誠意にならねぇだろ」


 信は腕組みをして、黙って成り行きを見守っていた。

 信が三野に対して、侮蔑するような視線を送っていたのが意外だった。筆跡を真似て手紙を書いていた時は楽しそうだったので、今回もそんな遊びの延長で参加していると思っていたからだ。


「……あ、思いつかない? じゃあさ、自分で自分の指を折ってみろよ。ボキッて」


 俺は嘲笑を作って言った。


「ほら、右手で左手の人差し指持って……早くやれよ」


 わざわざ三野の右手を左手の人差し指まで持って行ってやった。恐怖からか、彼の手は震えていた。


「……あ? なんでやんねーんだよ? さっさとやれよ。悪いと思ってんだろ?」


 俺は三野の右手に力を込めて、指が曲がらない方向に少しだけ傾けてやる。少しずつ少しずつ傾ける。もちろん、三野は反抗しているが、指の力だけでは俺の握力には勝てない。


「さっさと折れよ。それとも今ここで人間サンドバッグにして韮と混ぜて餃子の材料にしてほしいか? あぁ?」


 少しずつ少しずつ彼の指を逆側に傾けていく。あまりの俺の悪役っぷりに、信は笑いを堪えているようだ。


「……なーんつって。嘘だよ、嘘」


 彼の手を離して、自分の手を、まるで埃が被っていたものを触った後の様に叩いた。三野はキョトンと俺を見上げた。


「別にお前の指が折れようが折れてなかろうがどっちでも良いんだよ。ただ、二度と伊織に関わらないでやってくれねーか?」


 彼は黙ってこちらを睨みつけるように見たが、俺は鼻で笑い、続けた。


「それさえ守ってくれれば、お前にはもう関わるつもり無いからよ。どう? それとも俺と徹底交戦しちゃう? その場合、ここから無事に帰れる保証もないし、ファンクラブの方々とか、あとは三組とか四組の奴らにも、お前が何をやったか知られる事になるけどな。そうなったらお前の残りの学生生活どうなるかなー? まあ、去年の俺みたいになるのは避けられないだろうな? さて、どうする?」


 三野は、あからさまにマズイという表情を見せた。基本的に、ファンクラブに入ったら昨日三野がやった様な事は許されない事がわかった。

 信が聴き込みで詳しく調べたところ、あくまでも麻宮伊織を応援するクラブらしい。彼女の嫌がる事をするのは許されないのだ。伊織を遠くから眺めて愛でる……そんな会だそうだ。それはそれで気持ち悪いが、実害がないのであれば、何もしようがない。彼等ファンクラブが俺の事を嫌ってるのは事実だが、だからと言ってどうこうしようと言うのは無いらしい。暗殺というのは信が俺に吐いたまっかな嘘だ。

 三組や四組に関しては、神崎君と双葉さんが俺の知り合いにいるという事を彼が知っていれば、十分に効果を発揮する。昨日彼らと話している場面を三野には教室で見せてあるから、これについても十分だろう。普通科で彼の悪評が広まれば、彼の残りの学生生活は、おそらく終わる。


「わ、わかった。君達にはもう関わらない」


 三野は、もちろん条件を承諾した。ここまで不利な条件が揃っていながら、俺と交戦しても、彼にはメリットが何一つ無いからだ。


「物分かりいいな。契約成立。じゃあな」


 俺は彼に背を向け、そのまま帰ろうとしたが、やはり立ち止まって振り返った。彼に言っておかなければならない事がある。


「……確かに俺は一年の頃すっげー嫌われてたよ。それは隠しようの無い事実。陰口も嫌って言う程聞いたし、蔑まれてた。だけど、伊織はそんな昔を知った程度で人の見方を変える様な人間じゃねーから。あんまあいつの事ナメんじゃねーよ」


 それだけ言い残し、俺達はその場を去ろうとした。そこで終わるはずだった。しかし――三野のバカ野郎は、捨て台詞のように、こちら側に向けて、こう言い放ったのである。


「ハッ……全く、どっちもどっちだな。彼氏がいるくせに他の男と簡単にキスする糞ビッチに、それで恫喝してくる糞ヤンキー野郎……お前ら糞同士底辺でお似合いだよ!」


 ――プチン。俺の頭の中で何かが切れた音がした。せっかくこっちが温和に話を終わらせようとしているのに、そんなに血が見たいのか、こいつは。

 負け犬の遠吠えだというのはわかっている。でも、もう我慢なんてしてやる必要はないと思えた。こいつは伊織をビッチ呼ばわりした。あれだけ一人で悩んでいた伊織を。一人で泣いていた伊織を。許せるはずがない。もう、殴り殺してやろう。そんなにお望みなら骨という骨が砕けるまで殴り続けてやる。

 そう思った時である。

 俺よりも早くに、仲介役として居た信が、三野に向かって駆け寄っていって──


「てんめぇー! いい加減にしろやぁ!」


 信が吠えて、三野を力一杯ぶん殴った。

 まるでそれは俺の気持ちを代弁してくれているかのようだった。


「俺のダチ二人ともバカにしやがって……麻生が許すっつーから俺も手ぇ引いてやろうと思ってたけどな、もう許さねえ!」

「な、お前は関係な……」

「っるっせぇ! 関係大アリだよ! 二人とも俺のダチなんだよ!」


 三野の言葉を遮って、信がもう一発、顔面にパンチをお見舞いした。三野の鼻から鼻血が噴き出す。それを見て、慌てて信を羽交い締めにして止める。


「バカ、やめねーか! 何のために俺が我慢したと思ってんだよ!」

「うるせえ、離せ! こんなクズ野郎のために、何でお前等が傷つかなきゃいけねーんだよ……糞!」

「信……わかったから、とりあえず落ち着け。これ以上やるとお前もやばいから」


 怒り猛る信を引きずり、距離を置かせる。全く、何のために引き留め役にこいつを連れてきたのかわからない。俺よりもお前が先にキレてどうするんだよ。

 ただ、そう思いつつも、信の怒りには救われたのも事実だった。彼がキレていなければ、俺がキレていた。俺がキレていれば、もっと悲惨な事になっていただろう。信一人で俺を止められたかどうか、わからない。そして、俺や伊織の事で、ここまで本気になって怒ってくれる友人がいる事を、心から嬉しく思った。


「うわ、血、血が! な、殴りやがったな⁉ 言ってやるからな、学校に! 絶対にお前らを停学にしてやる!」


 噴き出る鼻血を押えつつ、泣きそうな顔になりながら、三野はまた、負け犬の遠吠えのように叫んだ。そこまでなれば、陽キャ気取りの顔もただの泣きべそ野郎だ。無様なものだった。

 信を引き離してから、そこから動かないように言いつけて、俺もゆっくりと三野に近寄った。そして、彼に訊いた。


「なあ、お前なんで鼻血出してんの?」

「は⁉ 今お前の連れに殴られたからに……」

「ちげーだろ。階段で転けたんだよな?」

「な……⁉」

「階段で転けたから怪我したんだよなぁ?」


 指をパキパキ鳴らして、精一杯ガンを飛ばす。


「さっき階段で転けたんだよな? 確かそうだったよな? 俺にはそう見えたんだけどよ?」


 言いながら、三野の胸倉を掴んで、拳を振り上げる。


「ひぃっ、わ、わかった! 階段で転けた事にするから、もう殴るのらやめてくれ!」


 彼は両手で顔を覆って、泣き叫ぶように許しを請うた。それを聞いてから、彼の胸倉から手を離した。何なんだ、こいつは。そこで折れるならあそこで黙って引いておいてくれよ。そうすればこんな暴力沙汰にならなかったのに。

 いや、もしかすると、彼はまさか本当に殴られるとは思わなかったのだろう。確かに、今は暴力からは不思議と誰かが守ってくれると思いがちだ。これをやれば殴られる、痛い思いをする、ということを、あまりにも知らない人間が多すぎるからだ。

 しかし、現実的にはそうではない。人間は、いつでも暴力を振るうことができる。普段はそれを律しているだけだ。非常事態や、大切な人を守る為、或いは、理性が飛んだ時に、人は、人を傷つける事を、容赦しない。法律による抑止力なんてものは、〝守るべきもの〟として互いに共通認識としてある間でしか効果を発揮しない。片方がその認識を外してしまえば、簡単に破られるのだ。

 三野のように、それを忘れてしまっている人は結構多い。彼は、きっと今まで本当に痛い思いをしてこなかった。どういう事をすれば殴られて、殴られる痛みがどんなものなのか、彼は知らなかった。そして、殴られるとも思っていなかった。バカは物理的な痛みを与えないと、理解できない。犬猫のしつけと同じなのだ。


「そう言ってくれる事を願うよ。俺だって、わざわざお前の家を割り出すような手間はかけたくないしな」


 そう精一杯脅してから、俺たちはその場を後にした。

 三野は、悔しそうに壁を蹴りつけていた。


 ◇◇◇


「いやぁ……すまねえ。つい熱くなっちまった」


 帰りの道中、信が平謝りした。俺は今からSカフェに直行してバイトだ。今日はハードスケジュールで、バイトの後に久々のバンド練習がある。その前に三野の一件があったものだから、現時点でぐったりである。バイトとバンド練習まで体力が持つだろうか。


「全くだ。何で止める役目のお前が暴走してて結局俺が止めてんだよ。アホか」

「悪かったよ。でも、許せなかったんだ。あんな奴のせいで、お前等がここしばらくずっと悩んでたって思うとさ」

「まあ……その、サンキュ、な」


 こんな風に、自分のために怒ってくれる友人がいるのは、本当に嬉しい。やっぱり信は、俺にとってかけがえのない友人である。


「いいって事よ。それに、お前がキレて殴るよか、弱っちい俺が殴った方がアイツにとっても良かっただろ?」

「それは確かにそうだけども」

「まー、久々に見たかった気もするけどな。入学早々、ワンパンで三年生の前歯をへし折って泣かした悪魔の麻生君の実力を」

「それを言うな」


 あれは俺も若かったのだ。今なら、もう少し上手く切り抜けられる……と、思う。いや、切り抜けられるのか? 去年の秋、チンピラと喧嘩した時も全く上手く切り抜けられていなかった。


「しっかし、手出しちまった俺が言うのも何だけどよ、お前の悪党ぶりには参ったよ。さすがに自分の指折れって言われたらビビるぜ?」

「俺はDボールでもフリーザが好きだから良いんだよ」

「『お待ちなさい、ベジータさん。きえええッ!』……って、関係あんのか?」


 信のモノマネが結構上手かったので、噴き出してしまった。それに調子づいた信は、モノマネを連発して穂谷劇場を開いている。

 三流ネタが尽きた頃、彼は静かに訊いてきた。


「で? 気分はスッキリしたか?」

「するわけねーだろ。やっぱこういうの、苦手だ……」


 正直に答えた。あんな糞野郎でも、脅すのはやっぱり良心が痛んだ。まだ殴り合った方がマシだったかもしれない。ただ、今後伊織に何か嫌がらせをさせない為にも、十分に恐怖を植え付けておく必要があったのだ。これで、もう大丈夫だと思う。


「ほっほっほ。まだまだですね、ザーボンさん」

「誰がザーボンだ!」


 信のアホアホなモノマネ劇場第二弾が開催された。しかし、今はそんな彼とのバカ話に救われていた。

 信が友達で、良かった。

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