7-16.敵の情報

 ショートホームルームが終わった。本来なら仲直りした伊織とすぐに帰るのだが、今日やらなければならない事ができた。三野の情報収集だ。先に帰るか、図書室かどこかで待っててくれと伊織に頼むと、彼女は「教室で友達と話して待ってる」と嬉しそうに微笑んでいた。こんな当たり前のやり取りですら、感動を覚えるほど嬉しい。仲直りできて本当によかった。

 六限目から彼女は授業に出ていたが、瞼の腫れは見事に引いていた。保健のおばさんが集中的に腫れを引かせたのだろう。大した技術だ。もしかして格闘技のセコンドでカットマン(切れた目の傷などを治す人)でもやっていたのだろうか。

 一号館へ急ぐと、四組の教室の前で双葉明日香が退屈そうに彼氏を待っていた。双葉さんは三組で、彼氏の神崎勇也は四組だ。三組のホームルームが先に終わったので、神崎君を待っているのだろう。

 双葉さんからも話が聞きたかったので、丁度良かった。


「あっ……麻生さん」


 双葉さんは気まずそうに俺の名を呼んだ。そういえば双葉さんとも先週の土曜日、俺がみどり公園で怒鳴ってから話してなかった。神崎君とはLIME等で連絡を取り合ってたが、双葉さんとは話す機会も無かったのだ。


「よっ。元気? まだ四組のホームルーム終わってねーの?」


 なるべく自然に話しかけて、双葉さんの横に並んで壁にもたれかかった。まだホームルームが継続していたようで、生徒がそわそわとしながら先生の身のない話を聞いていた。


「四組の先生、いつも話が長いんだよぅ」


 御蔭でここで待つのも慣れたよ、と肩をすくめて付け足した。確か四組の担任は古文の平岡だ。話が長ったらしく要点がまとまって無いので、俺も授業中よく寝てしまう。


「あの、それよりも……先週は本当にごめんなさい」


 またペコッと頭を下げられた。頭を下げられるのは気分の良いものじゃない。何だかこっちが申し訳なく思えてくるのだ。


「だから、もう良いっての。俺こそ怒鳴って悪かったよ。神崎君に、双葉さんにもそう言っといてって伝えたんだけどな」

「聞いてはいたけど、やっぱり気になってて……」


 しゅんと肩を落とす双葉さん。やっぱり、この子もいい子なんだな、と思える。


「じゃあさっきのが最後な。次謝ったらそのツインテールを同時に引っ張るからな」

「え⁉ 麻生さんひどい……」

「ならもうこの話は終了。わかった?」

「はぁい」


 双葉さんが不満そうな顔を作って、不満そうに返事した。ただ、内心は嬉しそうだ。

 きっとこう言っておいた方が彼女としても楽だと思うのだ。俺達にずっと罪悪感を抱いていても、良い事はない。それなら、もうすっきりと流してしまった方が良いだろう。


「あ。それより、平岡が教室から出たら『勇ちゃんコール』しない?」

「あ、それいい! やろやろ♪」


 神崎君は『勇ちゃん』と呼ばれるのを恥ずかしがっていて、教室では双葉さんにそっけないらしい。双葉さんとしてはその仕返しの気持ちがあるのかもしれない。

 ようやくホームルームが終わって、平岡先生が教室から出て行った。神崎君がこちらに気付いて駆け寄ろうとした時、俺達は息を合わせて叫んでやった。


「「ゆ・う・ちゃーん!」」


 途端に神崎君が何もない床でつまづき転びそうになっていた。


「な、何でわざわざ大声⁉ しかも麻生君まで!」


 その様子に教室の中から笑い声が聞こえてくると、神崎君が顔が赤くしていた。神崎君の弱点は双葉さんなのだ。彼女を用いれば彼を圧倒するのは容易だ。


「勇ちゃんがあたしに冷たいからバチが当たったんだよー?」

「そうそう、勇ちゃん冷たいぞ」

「だから、麻生君まで呼ばないでよ!」


 神崎君をいじめるのはちょっと楽しい。

 そろそろ本題に触れようと思った時、その〝本題〟である三野が四組の中にいた。彼は神崎君と同じ四組の生徒だったのだ。俺と目が合うと、逃げるように教室から立ち去った。

 おもっきりビビってんじゃねーか、と俺が腹の奥で笑っていると、神崎君は咳払いをした。


「えっと、それで、麻生君はどうしてここに?」

「ちょっと訊きたい事があってさ……ここうるさいから場所変えようか。双葉さんも来てよ」


 二人共顔を見合わせて首を傾げたが、黙って俺の後について来てくれた。

 二人を引き連れ、四組の教室からそれほど離れてない購買の前で立ち止まった。桜ヶ丘高の購買は職員室と一・二・三号館のちょうど真ん中にある。購買前は放課後にはほとんど人が通らないので、周りに話を聞かれる事は無い。


「で、早速なんだけど……四組の三野って野郎について教えてくれない?」


 俺からその名前が出た事について、まず二人が困惑していた。ポッキーキス事件の相手の事を俺が知ってしまうと半殺しにしてしまうのではないかと思い、隠すようにしていたらしい。

 彼らの判断もあながち間違いではない。今回は偶然順序よく情報がわかったからよかったものの(伊織の本心とポッキーキス事件の真相、その相手など)、例えばこれが伊織の本心だけを知らないまま、相手の情報だけ入っていたら、俺は怒り狂っていただろう。

 とりあえず話をまとめるために、まずは今日の昼休みにあった事について話した。三野が伊織に何と言ったか、また俺の事をどう言ったか、実は唇は僅かながら触れてしまっていた事や、そして俺達が最終的に仲直りした事までの経緯を要約して簡単に話した。もちろん、屋上でキスをしたとか、そんな余計な話はしていない。

 俺達の仲が戻った事は二人とも自分の事のように喜んでくれていたが、やはりポッキーキスが僅かでも成立してしまっていた事にはショックを受けていた。

 実は、神崎君は三野とは同じクラスではあるが、もともと親しくなかったらしい。どちらかと言うとなるべく関わりを避けていたのだが、先週のカラオケに誘うつもりも全く無かったそうだ。しかし、当日になって他の男子の参加者が連れてきたのだという。おそらく、伊織が参加するという情報を聞き入れたのだろう。神崎君から見た三野は、確かに一見すると明るくて良い奴で、クラスでも人気者。しかし、たまに出る差別発言や他者をバカにする発言などから、本当は腹黒くて信用できないのではないか、と不信感を抱いていたそうだ。

 言われてみれば、そんな気がしなくもなかった。差別的で自分が優れているという思想……さっき伊織に見せていたのが彼の本性だったのかもしれない。反吐が出るような奴だ。


「僕もさすがに現場に来た人に対して『お前帰れよ』とは言えなくてさ……ごめん。あいつが麻宮さん目的で来たってわかってたら絶対に入れなかったのに。君の昔の噂を麻宮さんに対して言った件についても、僕も許せないよ」

「だから、それは気にすんなって。今更言っても仕方ないし、俺はそんなのにダメージ受ける程弱くねーよ」


 俺の嘘吐き、と思わず自分に言いたくなった。三野のあの発言により、かなりダメージは受けていた。

 あまりに今が変わり過ぎていて、蔑まれていた過去があった事すらすっかり忘れていた。それが、三野の言葉によって、記憶の片隅から全て引きずり出されたのだ。

 伊織が本気で怒ってくれたから、俺は今こうやって普通にしていられるが、本当ならもっと凹んでいたはずだ。というより、伊織がいてくれたから変われた。彼女と出会えてなかったなら、きっと今も俺はあの頃のままだったのかもしれない。


「うーん……私も暴露しちゃおうかな。誰にも言うつもり無かったんだけど」


 双葉さんが、まだ躊躇している素振りで、声を潜めた。


「三野に関して?」

「うん……あたし、一年の頃三野君と一緒のクラスだったんだよ。その時に何回か告白されて、あんまり好きになれなかったから断り続けてたんだけど……そしたら最終的になんだかクラスに変な噂流されてたんだよぉ」

「噂って?」

「援交してるとかリフレで働いてるとか。ああもう、思い出したらむかむかしてきた!」


ムキーッと怒った表情を作る双葉さん。可愛らしい顔をしているせいか、怒っていてもあまり怖さが伝わってこなかった。


「マジかよ……糞じゃねーか」

「確証があるわけじゃないんだけどね。友達がその話の出所辿ってくれたんだけど、多分三野君じゃないかって」


 寒気がするほど気持ち悪く感じた。自分の告白を受け入れられなかったから、双葉さんに対して嫌がらせをしたという事なのだろうか? 俺は白河莉緒に振られはしたけど、嫌がらせしようとは欠片ほどにも思わなかった。むしろ、俺が嫌がらせを受けた(何で?)。


「明日香、それ本当? 今は何もされてない?」

「うん、今は大丈夫だよ」

「そっか。良かった……」


 さすがに彼女に冷たい神崎君も心配になったようだ。しかし、俺も他人事ではなかった。もしかしたら、伊織だってこの後何か変な噂を流されたり、嫌がらせをされたりするかもしれない。

 その危険があるなら、やっぱり三野には釘を刺しておかなければならない。彼らの話を聞いて、俺は尚一層その気持ちを強めた。


「それで、三野の事聞いてどうするの? まさかリベンジかましちゃうとかじゃ……」

「無い無い無い! そんな自分の首絞めるような事はしねーよ。どんな奴か気になっただけ」


 俺は大袈裟に否定してみせた。実際にタコ殴りにしたりとか暴力に訴えかけるつもりは無い。ちょっとだけ警告するだけである。


「よかった。何だか麻生さんなら本当に殺っちゃいそうな雰囲気あるから心配しちゃった」

「あのなぁ……それも噂だから。俺は平和に生きる生物なのだぜ!」


 どうやら俺が暴力男という固定観念は未だ健在らしい。俺が拳を振るうのは、友達や自分の身が危ない時だけなのだが……その辺りが曲がって伝わっているようだ。噂とは恐ろしい。


「伊織さんはもう帰っちゃったの?」

「いや、教室で待ってくれてる」

「じゃあ一緒に帰ろうよ!」


 双葉さんが笑顔で提案した。


「明日香、そんなわがまま言っちゃダメだよ。麻生君達は二人っきりになりたいんだから」

「そっかぁ……残念。せっかくダブルデートみたいなのに」


 神崎君に宥められて、がっくり肩を落とす双葉さん。恋人同士っていうより、兄妹のように見えた。


「あ、俺等は別に一緒でも構わねーよ。つか、双葉さんはダブルデートしたいの?」


 ダブルデートという発想は俺の中に無かった。


「したいしたい! だって二人でデートしても、勇ちゃん人前じゃ手も繋いでくれないもん。勇ちゃんって酷いでしょ? 冷たいでしょ? 残忍でしょ? 冷酷でしょ?」


 ほろりと泣く仕草を見せる双葉さん。おそらくダブルデートで、もう片方のカップルが手を繋いだら、自分達も繋げるのではないかという目論見なのだろう。


「神崎君も、手くらい繋いでやれば?」

「べ、別に人前でしなくてもいいじゃないか」


 彼のその答えを聞いて、双葉さんは拗ねたような表情を作っていた。しかし、どこか寂しそうだった。多分双葉さんは目一杯愛情表現をして欲しいタイプなのだろう。それこそ人前でチューされちゃってもハグされちゃっても、彼が自分を愛してくれている証と考え、むしろ望むところなのではないだろうか?

 一方、神崎君は、人前でキスどころか手を繋ぐ事も避けたいシャイボーイだ。双葉さんが強引に行かなければ、確かにお話にならないのかもしれない。

 俺の場合、見せ付けるのが好きというわけではないけれど、相手が望んでいるなら多分してやれると思う。そんなに恥ずかしい事でもない。現に、俺と伊織はキスしているところを既に目撃されているわけで、この時点で恐いもの無しだ。


「愛想尽かされても知らねーぞ? ま、とりあえず伊織呼んでくるから、下で待っててくれよ」


 ちょっとだけ神崎君を脅してやり、俺は伊織のいる外国語科の教室まで戻った。

 教室では、まだクラスメイト達がおしゃべりを楽しんでいる様子だった。その中に伊織は居た。彼女は俺の姿を見つけると、クラスメイト達との話を終わらせ、すぐにこちらに駆け寄って来てくれた。


「用事、もう済んだ?」


 そして、天使顔負けの笑顔を見せてくる。ああ、この笑顔が当たり前にある生活イズプライスレス。こんなに素晴らしいものだったなんて、などと感慨にふけってしまう。


「ああ。待たせて悪かったな。時間、大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「神崎君達が一緒に帰ろうって言ってたんだけど……いい?」

「うん! もちろん」


 伊織はもう一度頷き、俺に微笑んで見せた。夕日が彼女を照らし、瞳がキラキラ光っていた。

 そんな伊織があまりにも愛しくて、もう堕とされているのに、また堕とされた。抱き締めたい衝動を堪えるので必死だ。クラスの連中はそんな俺達をからかっているが、無視して手だけ振ってやり、生徒玄関で待つ神崎君達の元へ向かった。

 伊織と一緒にいる事を茶化されたり、肩を並べて歩いたり……そんな当たり前のことが、これだけ幸せだったなんて。彼女が横にいる幸せを改めて噛み締めていた。

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