7-12.人気者を演じるのは大変

 翌朝、一応八時十五分まで伊織をいつものY字路で待ったが、やはり来なかった。わかっていた事だから、あまり気にした様子もなく学校に行くと、俺の一つ上の靴箱──則ち出席番号一番のところ──には靴が有ったので、案の定伊織は先に来ていたようだ。それでも、今日の俺はへこたれない。昨日手に入れたクマプーパワーを信じて、ポジティブに生きるしかないのだ。本心を言えば凹んでいたが、それを表に出してはならない。それだけでも案外変わってくるはずだ──と信じている。

 教室の戸を開けると伊織と目が合ったが、予想通り彼女は気まずそうに顔を伏せた。今週はずっとこんな感じだ。そろそろ精神的に無理が生じてきた気がしたが、それでも強がった。強がりとは俺の能力だ。ならばその能力を活かせばいい。自分の席に向かうと、スーパーヘビー級女・アキ子(ジャイ子という異名を持つ)が俺の椅子に座り、その後の席の眞下がこっちを見て「おはよー!」と笑顔を見せた。

 眞下はともかく、朝からキツいの──アキ子──がいる。昨日までの俺なら『悪い、どいて』と暗く言うのだが、それでは以前の嫌われ者の麻生真樹に逆戻りしてしまう。

 伊織と出会い、付き合う事で人気者になりつつある俺だが、この際人気者キャラを装ってしまおう。例え伊織と仲違いしてようが、俺が俺である事には変わりは無い。


「うわ、ジャイ子が俺の席にいるじゃねーか!」


 俺は大袈裟に驚いて後ずさった。


「ハァ⁉ ジャイ子ってあたしの事⁉」


 うるさい事を除けば可愛い部類に入る眞下がジャイ子だと思うか? と思いつつも、もちろん、と明るく答えた。


「命名者誰よー⁉」

「んなもん信に決まってんだろ。俺ネーミングセンス無いから。文句ならアイツに言ってやって!」


 もちろん嘘。実は俺が陰で呼び始めたらみんなそう呼ぶ様になってしまったのだ。信がまだ来てないので、身代わりになってもらった。


「やっぱり穂谷か!アイツぅ~」


 信、すまん。俺の為に犠牲になってくれ。

 俺が苦笑しながらジャイ子のえげつないキレ顔を眺めていると、彼女はようやく椅子から離れた。


「ったく、退けばいいんでしょ、退けば。麻生君の為にあたしが椅子をぬくめといてあげたわよ」


 いらねーよ、気持ち悪い! と心の中で豪快にツッコミを入れた。


「うわっ、この椅子壊れてんじゃね!? グラグラしちゃって、そんなにキツかったのか? 可哀相に……」


 俺はハンカチを出して目元を押さえ、椅子の前で片膝を立てて座り椅子をポンポンと慰めるように軽く叩いた。俺の仕草に眞下が爆笑してると、会話を聞いていた周りの女子も噴き出した。


「ちょ、ちょっと! その椅子元からグラグラしてたし、あたしそんなに重くないわよ~!」


 嘘を吐くな、と言いたい。見た感じ確実に九〇㎏近くはあるだろうし、しかも椅子のグラグラ加減は明らかに増している。


「何か今日の麻生君、面白~い!」


 こちらに笑い声が集中しているので、伊織も困惑気味に俺を見ていた。

 今更困惑されてもな、と苦笑を漏らした。少なくとも今週の俺は困惑と絶望続きだった。昨日にようやく立ち直ったが、それでも朝の伊織の態度には傷ついた。こうやってハイテンションを保っておけば暗くならなくて済むという苦肉の策なのだ。

 昨日の夜、巨大クマプーを眺めながら考えた結果の行動だ。ちなみに俺の事を嫌われ者と罵ってくれた白河梨緒も、笑ってはいなかった。そんな時、無防備な信が「うぃーっす」と教室の引き戸を開けて登場した。


「コラァ、穂谷! あんたって奴は~!」


 ズドドドッとスペインの闘牛にも劣らない勢いで、ジャイ子が信の元へ向かった。


「どわっ、何かジャイ子が突進してきた⁉」

「やっぱりあんただったのね⁉」

「な、何の話だ⁉ っていうか何か誤解してるだろ⁉ お、落ち着け~!」


 自然にジャイ子という言葉がポロッと出てしまったらしい。普段陰ではそう呼んでるからなのだが、結果としてそれが自分の不幸に繋がっている。習慣とは恐ろしいものだ。ジャイ子の体当たりにフッ飛ばされた信を見て、再び教室を爆笑が包んだ。


「な、何か今日の麻生君ノリ良いね!」


 眞下がヒーヒー笑いながら目尻の涙を拭いて言った。


「あん? 昨日誰かさんに辞書でぶん殴られたから頭がおかしくなったんだよ」

「あら。人の役に立つって気分良いわ」

「ハハハッ、また下敷きで殴られたいか?」

「冗談だってば! まぁ、それは置いといて……今日の麻生君、イイ感じだよ」

「それはどうも」


 イイ感じって、何だろう? 無理してノリ良く振る舞ってる今がイイ感じなのだろうか? だとしたら、それはやっぱり普段通りの俺ならあまりイイ感じでは無いという事になるのか? わからない。

 その時視線を感じたので顔を上げてみると、伊織がこちらを見ていた。俺と目が合うと相変わらず凄い早さで視線を逸らしている。

 伊織はどんな俺なら良いんだ? どう振る舞えば前みたいに戻れんだよ。

 そのまま彼女の方を見つめたが、伊織がもう一度俺を見ようとする事はなかった。


 ◇◇◇


 五〇〇体限定クマプーを手に入れようが、無理して人気者キャラを装おうが、それで伊織と仲直りできるはずもなく、結果的に何も変わらないのではないかと疑問に思い始めた。

 何だか精神だけが無駄に削られていく感じだ。確かにクラスメイトの俺に接してくる頻度とか対応には変化があると言えば変化はあるのだが、大切な事は何一つ変わっていない気がする。というより、逆に伊織に嫌われてしまったのではないかと不安に思い始めた。

 考えれば、あれだけ無視されて今更嫌われたも糞も無い。嫌われていなかったら、そもそも無視されるわけが無いのだ。嫌ってもいないのに無視するというのは、女性の駆け引きによく見られるらしい。ただ、それはあまり性格が良くない女性が自分に気を惹きたいがためにやる行為だ。伊織には当て嵌まらないだろう。

 チャイムが鳴り、退屈な英文法の授業も終わってようやく昼休みを迎えた。俺は伸びとアクビを同時にしてから席を立とうとすると、上着を後ろの席の眞下に引っ張られてもう一度座らされた。


「あん? なんだよ」


 めんどくさそうに俺は振り返った。


「倒置がわかんない」

「さっき先生言ってなかったっけ?」

「……多分その時寝てた」

「それは自業自得だろ……」


 俺は溜息を吐いて倒置について簡単に説明してやった。


「……要するに、疑問文の時の語順を押さえてとけばいいんだよ。疑問文を除けば英文ってのはSVって成り立つのが原則だろ? でも、否定の副詞が文頭に出ると倒置が起こるんだよ。ただ、否定語でも名詞とかだと絶対に倒置になるってわけじゃないから、否定の副詞に注意しましょうって感じかな」


 ふむふむと眞下は頷き、俺の言葉をノートに書き込んでいた。すると周りに自然とクラスの女子(ジャイ子含む)が弁当片手に集まっていた。


「やっぱ麻生君頭良いね!」

「あたしも古文教えてもらおうかな」

「数学わかんない! 数学!」


 口々に自分の望みを言い出す女子達……って、何で集まって来てる? というか、何で教えなければいけなのだ。俺は教師じゃないのに。

 途端に困惑と疲労感が蘇ってきた。ちなみに俺が二学期期末テストの点数が良かったというのは担任によりバラされたので、みんな知っている。


「俺は頭良くないし、古文は嫌いで数学は苦手。というわけで、解散!」


 俺はバイバイという感じで手を振ったが、早速非難の声が返ってきた。


「勝手に解散させないでよ! お昼食べるんだから」

「教えてくれたっていいじゃん、ケチ!」

「詩乃だけ特別扱い~? ひょっとして浮気中?」


 何気に最後の一言が痛かった。眞下は咳込んでたが、俺は「ンなわけねーだろ」と余裕をブッこいた返事をしつつ、伊織に聞かれていないかをビビりつつ確認していた。

 どうやら伊織は教室にいないらしく、ほっと安堵の息を吐いた。彼女達は朝の俺のノリが気に入ったらしく、眞下と話すついでに俺にも話し掛けてくる。人気者を装うってのはかなり大変だというのがわかった。


「あの、俺今日購買だからさ。ちょっとパン買ってくるわ」

「オッケー、なるべく早くねー」


 俺は何度か引き吊った笑顔で頷くと、逃げるようにして教室から出た。

 購買というのは嘘だ。学校では心労から相変わらず腹は減らないから、弁当はいらないと母親に言ったのだ。腹が減らないからというと心配するから、帰りにSカフェで飯を食いたいからという理由にした。

 そういえば、教室に伊織はいなかった。俺と仲違い──この表現が正しいのかは不明だが──してから、伊織は例の白河梨緒達と昼を食べたり、またジャイ子達や眞下や仲間さんと食べたりとグループを点々として昼食を取っていた。しかし、この一週間昼休みは大抵の場合は教室にいた。だとすると、伊織も購買に行っているのかもしれない。

 朝は俺を避けるためにわざわざ早くに登校しなくてはいけないから、弁当を作る時間が無かったのかもしれない。

 購買を避けて屋上に行くのはめんどくさいな、等と思いながら一度一階に降りる。外国語科教室のある二号館二階から屋上に行くには、購買の前を通って三号館への渡り廊下を行くのが一番の近道なのだ。伊織と遭遇してまた嫌な思いをしたくないので、少し遠回りをして行く事にした。一階に降りたついでに、懐炉代わりにホットコーヒーを生徒玄関前にある自販機で買い、三号館へと向かった。

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