7-10.少しずつ調子を戻して

「な~んか、楽しそうだったな。図書館組」


 その日の帰り道、信が俺を流し目でみながら言った。


「どこがだ⁉ 眞下のバカに辞書みたいに分厚い本で殴られて軽く寝違いみたいに首がイカれて、たんこぶできて、揚句に説教食らったんだぞ。いっぺんシメなきゃわかんねーみたいだな、あの暴力女だけは……」


 俺はあまり曲がらない首を撫でた。信は俺と伊織が不仲であるという事を知ってから、俺と帰るようになっていた。多分、気を遣ってくれているのだろう。こいつは本当に、良い奴だ。普段は面倒臭いけども、俺が傷付いている時は味方でいてくれる。無意識なのか意識的なのかわからないが、信は俺よりも遥かに大人なのではないか? と思う時もある。


「その割にヤケに元気だねぇ? ま・さ・か、麻宮と仲違い中だからって、中馬さんに乗り換えたとか、そんな最低な事してないよなぁ~?」


 信の目が、殺人を犯す前の狂人みたいな光を放っている。どうやら結構怒っているみたいだ。


「バカ、そんな事するわけないだろ。大体、中馬さんはお前の将来のカノジョだろ? そんな恐れ多い事俺にはできないな」

「そのとーり! よくぞ言った」


 俺のご機嫌取りに、信はまんまと乗ってくれた。扱いやすくて助かる。おそらくそう思ってるのは彼だけであって、中馬さんは一切信の事なんて眼中に無いだろう。安心しかけたその時──


「──と、そんなオダテに俺が乗ると思ったかね?」

「うぐっ」


 今日の信は甘くなかったようだ。何とか逃げ道を探さないと、また何かしら嫌がらせされるに決まっているのだ。


「教室帰ったら『中馬さん、ごめんって!』とか謝りまくってるしさぁ、あれじゃまるで浮気がバレて必死に謝ってるダメンズじゃねーか」

「誰がダメンズだよ! 大体、眞下も一緒に謝ってただろうが」


 俺と眞下が騒いでいたせいで先生に怒られたのだが、同じ班という理由で中馬さんも巻き添えを食ったので、彼女は大変ご立腹だったのだ。ミステリアス眼鏡美人が不機嫌オーラを放った時ほど恐いものは無い。空気が凍りつくのだ。中馬さんの前世は雪女に違いない。

 眞下がとにかく謝るしか無いと提案したので、二人でとにかく平謝りした。最終的に「楽しかったから許してあげる」とお許しを頂き、俺と眞下は氷漬けにされずに済んだのだった。


「しっかし、何か怪しいんだよな。何で殴られて説教食らったのに、お前元気になってんの?」

「そんなに元気になってる?」

「なってる。さっき前までは自殺しそうな感じだったのに、今は普段のお前に戻ってる」


 確かに戻ったのかもしれない。自分でも新学期になってからの軽いフットワークが戻ってきたと思えるし、第三者が見てそう感じるのなら、きっとそうなのだろう。


「だとしたら、中馬さんの御蔭かな。言われたんだよ、『伊織と出会う前の、殻に閉じ篭った俺になってる。らしくない』って。自覚はしてなかったけど、言われてみれば確かにそうだった。それに気付けたから、慌てて修正したっていうか……あ、でもホントに中馬さんに対して下心とか無いから。そこだけは勘違いすんなよ」


 あの言葉が無ければ、俺は本当に潰れていたかもしれない。下心は無いが、感謝の気持ちはある。

 一度潰れてしまったら、俺は浮上に恐ろしく時間がかかる。伊織とも仲直りできないまま、終わってしまう可能性すらあったのだ。それを防いでくれた彼女には、感謝しかない。


「全く、呑気だよなぁ……中馬さんに必死に謝ってた時、麻宮がどんな顔してお前の方見てたと思ってんだよ」


 信は溜息を吐いて、やれやれと首を竦めた。


「え? 伊織、俺の方見てたの?」

「ああ、見てたよ。凄い辛そうな顔してた」

「そっか。まだ見てくれてたか……」


 それがわかっただけでも、妙に嬉しかった。伊織の視界の中に俺が居たという事は、まだ可能性がある。俺が彼女を見てる時は、絶対にこっちを見ないからだ。もし目が合おうものなら、伊織がすぐに顔を伏せてしまう。廊下や帰りに声をかけようとしても、まるで磁石の同じ極同士みたいに近づいた分だけすぐに離れてそのまま逃げ去ってしまうのだ。朝だって、寝坊の連絡が来たのは月曜だけで、昨日も彼女は遅刻ギリギリで来たし、今日に到っては俺より先に登校していたのだ。

 正直、かなりショックだった。信がさっき言ってた様に『自殺しそうな感じ』なのではなく、『自殺しろ』と言われていた気分だったのだ。

 信にはこの話はしていない。多分、怒って伊織に詰め寄ると思ったからだ。今それをやられると、本当に取り返しがつかなくなってしまいそうで、恐かった。あまりにも辛かったから、何度も口に出そうとしたが、結局それを恐れて言えなかったのだ。

 そんな葛藤をしていると、どんどんブラックホールの中に吸い込まれていたのだが、その時中馬さんの言葉で戻って来れた。気分的に回復できた事は大変な進歩だ。


「お前さぁ、このまま行くとマジで別れるんじゃないか? そろそろ手ぇ打たないと……」

「振られたら中馬さんと付き合うよ」

「はぁっ⁉ お、おまっ……」

「冗談。それは有り得ない」


 親友がキレる前に言った。何だか今の俺だと本気と思われかねないので、ブラックユーモアを言う時は全て『冗談』をつけたほうが良いと思ったのだ。ブラックユーモアに保身なんて考えていたら、意味が無いと思うけれど、今は仕方がない。そんな俺に対して、信は呆れた様な疲れた様な表情を見せ、恐ろしい事を宣った。


「次のホームルーム、絶対にお前と麻宮を組ませるからな」

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