7-7.怒り

 あと三〇分でバイトも終わるという時、ドアベルが鳴って、見慣れた三人が入ってきた。眞下詩乃、神崎勇也、それに双葉明日香……今日伊織と共にカラオケに行っていたメンバーだ。しかし、伊織の姿はない。三人共、遊びの後の食事に寄ったという表情ではなかった。

 何でそんなツラしてんだよ、と不安が蘇り、心臓が高鳴る。

 切羽詰まっている、という顔ではないから、緊急事態ではないのだろう。しかし、カラオケが楽しかったという顔でもないのは事実だった。


「よぉー。俺を仲間外れにして行ったカラオケはどうだったよ?」


 信はあまり気にした様子もなく、皮肉を込めて感想を求めたが、神崎君と双葉さんがバツの悪い顔を見せただけだった。眞下に関しては顔も上げられないほどだった。


「おい……どうした? 何かあったのかよ?」


 さすがに信も異変に気付いたらしい。三人がゆっくりこちらに近づいてきたかと思えば……いきなり眞下が俺に頭を下げた。


「麻生君、ごめんなさい!」


 わけが解らない俺は、神崎君に困惑の視線を送ると、双葉さんと共に成り行きを話してくれた。

 普通科とのカラオケは合コン的要素は薄く、ただ純粋にカラオケを楽しみ、他の科と交流を持とうという程度のものだったらしい。しかし、十人以上の人数がいれば、カラオケに飽きてくる奴が現れる。すると途中から少し風向きが変わり、何人かの男子が王様ゲームをやろうと言い出した。そんな予定はないし合コンじゃないんだから、という理由で神崎君は止めさせようとしたが、神崎君と双葉さん、眞下、伊織以外はやる気になってしまい、制止が効かなくなってしまった。まだ昼間であるし、初対面が多いんだからそんな変な命令も出さないだろうと思い、仕方なしに神崎君達も承諾したという。というより、半強制的に参加させられたようなものだろう。なんとなく、そういった状況になった時の空気というのはよくわかる。断れる状況ではなかったのだろう。

 最初は普通に可愛い遊び程度の命令だったらしいが、徐々に少しずつエスカレートしてきたらしい。神崎君達はヤバいなと感じ、そろそろ終わらせようかと考えた矢先……キス命令が出て、それがまた伊織と普通科の男子がやる事になってしまったという。さすがにそれは限度を越えており、絶対に嫌だと伊織は断固として拒んだので、眞下達も伊織側に立って撤回を求めた。しかし、あの学園のアイドル・伊織とのキスが目前にあるのに、その男子も折れなかった。また、他の男子も自分にチャンスが回ってくるかもしれないので、当然男側に立った。それでも、伊織には俺という彼氏がいる事はみんな知っている。当然嫌がっているならやめてあげようと女子全員が伊織側についてもおかしくないはずだ。しかし、これが王様ゲームの魔力というやつなのか、「いいじゃん、それくらい」というノリで、何と男子側につく女子も現れたのだ。人数的にも不利になり、収拾がつかなくなりそうだったのだが、王様だった奴が妥協案としてポッキーキス(ポッキーを両側から食べてキス)で許してやると言った。ポッキーキスなら、唇が触れる前にポッキーが折れてしまえば助かるだろ、という事らしい。しかし、折るタイミングを間違えれば触れてしまうし、男は男で必死なのだから、ほとんど状況は変わっていない。それでも妥協案を出してやったんだからという空気から、余計に逃げ辛くなってしまい……結局やる羽目となってしまったのだ。

 結果としてはポッキーが上手い具合いに折れてくれたので、最悪の事態は免れた。しかし、鼻先が触れる程顔を近づけたので、伊織としてはショックを受けていたそうだ。それを最後に神崎君達が無理矢理王様ゲームを終わらせたが、伊織は以後ほとんど口を開かなくなった。またカラオケを再開しようとしたが、その間に伊織はお金だけ置いて消えたのだという。慌てて眞下達が伊織を捜したが見つからず、LIMEや電話でも連絡がつかなかった。そして、彼等は一応俺に報告に来た、というのが一連の流れだった。

 俺はその話を、胃が捻じ切れてしまうのではないかと言うような想いで聞いていた。ドス黒い感情が入り乱れ、それらをどう処理していいかわからない。ヤキモチではないから嫉妬ではないだろう。一番近い感情は、多分怒りだ。

 しかし、誰に向けての怒りなのかわからなかった。ポッキーキスをした相手なのか、命令を出した王様なのか、それを止められなかった眞下達なのか、断固として拒否しなかった伊織なのか、彼女を行かせてしまった自分へなのか……何に対して怒ってるのかすらわからなかった。


「お、お前等……それでも友達かよ! こいつ等付き合ってんだぞ。何で無理矢理でも止めないんだよ! ふざけんなよ!」


 意外にも、怒号を飛ばしたのは信だった。


「麻宮は嫌がってたんだろ? そりゃ当たり前だよな。あいつは遊びだからってそんなほいほいキスできる性格じゃないもんな。それが解ってるなら、何でやらせるんだよ? 眞下、お前麻宮を守るとか今日行く前にほざいてたよな? それで何でそんな事になってんだよ!?」


 信は眞下に掴みかからん勢いだった。彼がこんなに怒りを露わにするのは珍しい。それだけ、信が俺や伊織の事を大事に思ってくれていたのだろう。

 そう思うと、少し冷静さが戻ってきた。


「穂谷君、落ち着いて。眞下さんだけが悪いわけじゃないんだ」


 神崎君が間に入って信を何とかなだめ様としたが、逆効果だった。


「ああ、わかってるよ。でもよ、お前等だって付き合ってるならわかるだろ? 自分の立場に置き換えてみろよ。彼氏彼女が他の奴とゲームで無理矢理キス未遂されかけたらどうなんだよ? あ?」

「そ、それは……⋯ごめん」


 神崎君はうなだれる様にして謝った。眞下も涙を流してただ謝罪を繰り返していた。


「……信、お前がそう言ってくれんのは嬉しい。だけど、騒ぐな」

「だけどよぉ……」

「お客さんはお前等だけじゃないんだよ……」


 そこで信はハッとなり店内を見回した。窓際の席に常連の老人が一人だけいたが、彼は文庫本をめくる手を止め、ポカンとこちらを見ていた。こちらの視線に気付いて、慌てて視線を文庫本に戻す。俺は慌ててカウンターから出て、その老人の席まで行って頭を下げた。


「申し訳ありません。連れが騒いでしまい、大変ご迷惑をおかけ致しました」


 老人は本を閉じ、こちらを向いた。この人は、このお店の常連客だ。マスターにとっても大切なお客さんでもある。失礼があってはならない。


「いや、わしは構わんよ。ふざけて騒いでるなら話は別じゃが、深刻そうな問題じゃしな。ただ、少しびっくりしたがな」


 心の広い方で助かった。これが嫌な客だったら水でもかけられるかもしれないし、下手をしたらマスターへの信頼まで失い兼ねない。申し訳ありません、ともう一度頭を下げようとすると、襟を引っ張られて二度目の謝罪は阻止された。

 後ろを見ると、マスターがいた。呆れたように溜め息を吐いている。


「やけに騒がしいと思ったら……たかがバイトの身分でお客様に頭を下げるんじゃないよ。それは僕の仕事」

「う……ごめん」

「いいから戻ってな」


 俺を無理矢理カウンターに戻すと、マスターはその後も老人に何度か頭を下げていた。尊敬する人物であるマスターに頭を下げさせるなんて……俺は最低だ。


「すまない、麻生……俺もヒートアップしちゃってよ」

「俺は構わないけど……」


 深い溜息を吐いた。やはり今日、あそこで伊織を止めた方が良かったのだ。何だかそこに全ての責任があるように思えた。俺が止めていれば、起こらなかったのだから。

 マスターが戻ってくると、俺は彼にも頭を下げた。


「すみませんでした」

「そんなに頭ばかり下げない。君に責任があるわけじゃないでしょ」

「…………」

「あと真樹、もう上がる時間だよ」


 マスターの言葉にふと時計を見てみると、六時を過ぎていた。お疲れ様です、と言ってから厨房の奥にあるロッカールームに入って制服に着替えた。みんなのところに戻ると、先ほどと変わらず暗い顔をした四人がいた。


「真樹、早くこいつ等を連れて出てよ。店に黴が生える」


 呆れるマスターを見て、俺は苦笑して頷いた。店を出て、自然と俺達は近くの公園へと向かった。先月、俺が彰吾と伊織の過ごした時間の量に怯えていて、信に叱られた場所だ。年末ライブの後に伊織とキスした場面をみんなに見られた公園でもある。〝みどり公園〟という名前らしいが、今は枯木しか無かった。


「あの、麻生君……ホントごめん…………」


 眞下は今日何回目かの謝罪をした。もはや数えるのも面倒だ。


「眞下もいちいち謝んなよ。未遂で終わったんだろ? じゃあ、それでいいじゃねぇか……俺がガミガミ怒る場面じゃねーよ」


 これは俺の理性側の声だった。そう自分に言い聞かせていると言った方が正しい。だが、本心はまた別だ。腹の中の噴火はまだ続いているし、俺はそれを抑えるのに必死だった。


「神崎君と双葉さんもさ、あんま気にすんなって。二人が悪いわけじゃない。いや、これは多分誰も悪くないかもしれない」

「そうかもしれないけど……でも、とにかく伊織さんには怒らないであげてね? 本当に嫌がってたから……」


 せっかく怒りが徐々に収まっていたのに、この双葉さんの言葉がまた俺のイライラを刺激する。


「ああ、怒らねーよ。アイツに怒っても何にもならないもんな。お前等に怒っても同じ。起こった事は変わらないし、俺の中のこの感情は収まらないんだよ」


 また怒りが理性を上回ってきた。俺は街灯の柱をガンガンと爪先で軽く蹴り、何とか怒りを抑えようとする。余計な事を言われたくないから、言いたくないから話を終わらせようとしていたのに、どうしてわかってくれないのか。更に胃が怒りでグルグル掻き回される。

 くだらない。本当にくだらない。そして、こんなくだらない事で俺が取り乱さなければならない事が、何よりくだらない。

 やっていられない。何なんだ。何故でこうなるのだ。俺も伊織も上手くいっていた。それなのに、何故第三者のせいでこうならなくではいけないのだ。


「つか、俺が悪いんだよな? バイトなんか入れてた俺が悪くて、強がって放任主義装ってた俺が悪いんだろ? 全部俺が悪い事にしときゃ話が纏まるんなら、それでいいじゃねぇか……!」

「麻生、そんな事誰も言ってないだろ。お前も落ち着け」

「俺は落ち着いてる。だけど、同時にムカついてんだよ。でも、俺は当事者じゃない。気にするなら伊織の事を気にしてやれ。いちいち俺に謝ったりすんな。俺はあいつの保護者じゃないんだからよ……!」


 そう吐き捨て、その場を去った。何が言いたかったのか、自分でもよくわからない。ただ、とにかく腹が立っていた。それだけだ。信が俺を呼ぶ声が聞こえたが、追い掛けては来なかった。

 その日、伊織から俺には何の連絡も無かった。また、俺からも何もしなかった。翌日の日曜も同じだ。当初はどこかにデートでも行こうかと考えていたが、とてもではないがそんな気分にはなれなかった。

 二日間も彼女と何も連絡を取り合わなかったのは初めてだった。付き合う前からでも、会わなかった日は何かしらLIMEが着ていた。テレビの事や、音楽の事、クラスの事……他愛無い話だったけど、たかがメッセージが来ないだけでこんなに不安になるなんて思わなかった。

 俺から何か送ろうかと思ったが、何か思ってもない事を言ってしまいそうで、恐かった。

 そしてそのまま、月曜を迎えた。

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