7-6.暗雲

 SUN’s CAFE──通称Sカフェは、一週間の中で一番土曜のランチが忙しい。ここのイタリア料理は美味しいと話題で、客層は老若男女問わず、多くの人が訪れるのだ。俺のシフトは大体正午前後から夕方六時の約六時間。途中で客足が途絶えると休憩になる。

 貴重な土曜の午後なので、冬休みの時は時給七五〇円だったのに対して、今は九〇〇円となっていた。最初の頃マスターは俺には雑用しかさせないと言っていたにも関わらず、今では大抵の仕事をやらされていた。料理を作るのだけはマスターがやるのだが、その下準備やウェイター、そして雑用等の仕事は俺が熟している。やってみてわかったが、よく今まで一人で見せを切り盛りしていたな、と感心したほどだった。やはり無理を感じていたからこそ、時給を上げてでも俺に手伝ってもらいたかったのだろうけど……九〇〇円では割に合わない。

 今日は普段より更に忙しく、ラッシュ後の三時になった頃にはヘトヘトだった。先ほど感じた不安や嫌な予感すら忘れてしまっていた。ちなみにさっき信と一緒に帰る予定だったのだが、突如マスターから『今日はいつもより忙しいからすぐに来てくれ』とヘルプの電話が入ったので、結局信とはあれから話せず仕舞いだった。

 しかし、信は俺の為に、ラッシュが終わる時間帯を見計らって、Sカフェまでわざわざ来てくれるそうだ。

 こういった意味で、信は良い奴だと思う。色々玩具にされている俺だが、信がこういう性格だから、友達を続けているのだろう。

 信は三時を過ぎた頃に店に現れ、今はカウンターでポテトを食べていた。


「……で、どうした? 麻生の方から俺に話があるとか珍しいじゃないか」

「そうだったか?」


 言われてみれば、俺から誘った記憶がぱっと思いつかなかった。


「そうだよ。あ、どうやって麻宮とセックスするかを訊きたいんだな?」

「バカ、ちげーよ」


 それにも興味はあるけども、信には絶対に訊かない。というか彼がその方法を知っているとは思えなかった。


「訊きたいのは『いおりんFC』の事」


 昨日神崎君からチラシを見せられて、いい気分ではなかった。

 伊織が好きでアイドルのファンクラブのように集まるだけなら構わない。だが、活動が明確化されていない分、不安を感じるのだ。それに、伊織が嫌がっている。嫌がっているのなら、何とかしてあげたい。


「何だい? その『いおりんFC』ってのは」


 カウンターの中でパイプ椅子に座って新聞を読んでいたマスターが、怪訝そうな顔をして訊いてきた。マスターはここのオーナー兼店長で、端正な顔立ちをしている東大OBだ。外見から見る限り年齢はアラサーだが、実年齢や本名は不明。〝栞さん〟という謎の大学生風美女との交際を噂されているが、俺がここでバイトを始めてから一度も姿を見た事がない。伊織は〝栞さん〟と面識があるらしいが、彼女についてだけは教えてくれない。一体その栞さんとやらにどんな秘密があるのか知りたい。

 こうしてみていればわかるが、同じ職場で働いていても、全く彼のプライベートが見えてこない。謎に包まれている人間だった。


「麻宮伊織の非公認ファンクラブっすよ。まあ、本人はその存在を昨日初めて知ったみたいで、嫌がってたけどな」


 信が簡単に説明した。


「ファンクラブ~? あの子はいつから芸能人になったんだい?」

「アイドル級の美少女が学校にいたりすると、たまにファンクラブができたりするんスよ。マスターの学校にはいなかった?」

「多分いなかったと思うよ。そんな子の彼氏とは真樹も大変だねえ」


 マスターは笑って、休憩の為に奥へ入った。

 そんな他人事みたいに言わないで欲しい。こちとら学校では全く気が休まらないのだ。


「それで? いおりんFCがどうかしたか?」

「どうかしたか、じゃねーよ。あいつ等が俺の暗殺を企ててるってお前が言ったんだろ」

「ああ、それか。暗殺は冗談だが、お前の事をよく思ってないのは確かだぜ。芸能界のアイドルでも、誰かと熱愛報道があったら相手は叩かれるだろ? それと同じだから、それはアイドルと付き合う者の宿命だよ」

「まぁ、それはいいんだけどよ……ファンクラブの奴等は何してるわけ? 何の集会してんだ? それに、このチラシで使われてんのは明らかにお前か彰吾が撮ったものだろ?」


 昨日、神崎君から借りた会員募集のチラシを信に見せた。信はまじまじとそれを見て、苦笑した。


「あー、すまん……これは確かに俺が売ったやつだな。でも、あの文化祭前後の時はまだファンクラブができてなかったんだ。言い訳にしか聞こえないだろうが……」


 こんな使われ方をするなら売らなかった、と信は面目なさそうに言った。


「ただ、あいつ等の活動内容に関してはよくわからないんだ」


 信はそう前置いて、彼の知っている範囲の事を話してくれた。

 信によると、どうやら伊織に片思いの奴や、振られた奴を中心としている会で、基本的に伊織への恋を諦めてるやつの集まりだそうだ。また、信も一度どんな会なのか中を探ろうとコンタクトを取ろうと思ったようだが、伊織の近くにいる人間はFCには入れないらしい。


「何のカルト教団だよ」


 俺は溜め息を吐いて、信におかわりのコーヒーを淹れてやった。マスターがいないので、もちろん内緒だ。


「そのファンクラブは麻宮と話したくとも話せない奴の集まりだからなのか、麻宮と親しい奴に知られては困る活動をしてるからなのかわからないけど、まあ俺は入れないらしいぜ」


 詮索目的ってバレバレだろうから仕方ねーとは思うが、と信は付け足した。

 その話は、余計に俺を不安にさせた。要するに、ストーカー予備軍が集団化しているという事だ。まだ俺と彰吾、そして学校の教師くらいしか知らないが、伊織は独り暮しだ。もし家が見つかったらどうする。何かあってからでは遅いのだ。

 嫌な方向ばっかりに考えてしまう。


「俺ももう少し探り入れてみるから、大丈夫だって。そこまで気にする様な事じゃねーよ」


 信は俺の不安を和らげる為なのか、屈託のない笑みを見せてくれた。

 普段なら安心できるのだが、今回ばかりはそれでは安心できなかった。なんだか、嫌な胸騒ぎがしたのだ。


「あっ、それよりさぁ、麻生が正月に作った曲、二曲共なかなかカッコ良かったぜ? 今彰吾がドラムトラック作ってるよ」

「え、マジ? あんな激しい曲をUnlucky Divaでやんの?」


 明らかに信は俺に気を遣って話題を変えてくれていた。俺もいつまでも不機嫌な顔をしてるわけにもいかないので、それに乗る事にした。


「二曲のうち一曲はお前が唄っちまえよ」

「嫌だよ……今更歌いたくないって」


 音楽の話をして、できるだけ不安を忘れようとした。それが信の気遣いでもある事をわかっていたからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る