6-15.返歌

 午後八時に差し掛かった頃、前のバンドの出番が終わり、転換作業が始まった。実際に自分がバンドをしてみるまでわからなかったが、ライブハウスのイベントでは、バンドとバンドの演奏時間の間に転換時間というものがあり、その時間中に機材やセッティングを自分のものに変更する。

 ギターの場合、ケーブルをアンプに繋いで、リハーサルの時と同じようにアンプのツマミをセッティングし、リハの時と同じ音を作る。あとは、音がちゃんと鳴るかの確認だ。ジャーン、ズクズク、とリフを刻んで、音の感覚を確認する。うん、大丈夫。音量も問題なし。リハと同じだ。

 神崎君は、待ちきれないのか、音出しで自慢の速弾きを披露している。生憎だが、俺は自慢できる技術など何もないので、すぐにギターを置いて、ドラムのセッティングを手伝っていた。彰吾はタム数が二つの基本的なセットで、持ち込み機材もツインペダルとチャイナシンバルだけだ。彼がツインペダルのセットをしている間に、箱からレンタルしたシンバルスタンドにチャイナシンバルをセットして、いつも立てているであろうくらいの高さに調整してやった。


「お、さんきゅな。めっちゃ助かるわ」


 彰吾はこちらをちらっとだけ見て意外そうな顔をしたが、ちゃんとお礼を言ってくれた。いや、なに。このくらいの会話はするさ。一応は同じバンドなのだし。

 伊織は、マイクのセッティングが終わってから、また歌詞を確認していた。大丈夫なのか、本当に。少し心配になってきた。

 セッティングが終わってからステージ裏に一度全員捌けて、以前と同じように五人で掛け声を掛けた。そして、入場BGMと共に、俺達はそれぞれの想いを秘めてステージへと向かった。

 ステージでは、歓声が俺達を迎えてくれた。

 ステージも会場も、当たり前だが、体育館よりは狭い。会場のキャパシティは120人くらいといったところだろうか。『Club BLOOM』はライブハウスとしては小さい部類に入る。しかし、その分人工密度が高かった。この地域ではSスタジオ主催年末ライブはそこそこ認知度があるらしく、今年最後にライブハウスで暴れたい客が結構来ているそうだ。その光景は、高校の文化祭とは全く異なっていて、何か異様な風景だった。

 ──武道館のステージってどんな感じなんだろうか。

 そんな事をぼんやりと考えながらも、彰吾のカウントと共に一曲目に入った。メタリックなリフから始まり、サビで爆発させる。ボーカルの印象からはほど遠いが、重いサウンドに会場は湧いていた。

 Aメロが終わったところの間奏で、神崎君の短めのギターソロが入る。ギターソロが終わった後のブレイクで、俺がコーラスでデスボイスを出してから、再びイントロのメタリックなリフに戻る。

 いつもより激しいシャウトをしていたように思う。おそらく、Unlucky Divaが一体となっていない深層心理の不安をごまかそうとしていたのだろう。

 伊織、信、そして神崎君とは波長が合っている。神崎君とのツインギターの掛け合いも楽しい。でも、彰吾とだけが合わないのだ。どうにもドラムと音がハマらない。決してリズムがブレているわけではないのに、何故かハマらないのだ。それがグルーヴとして演奏にも出ているのではないかと不安に思えてならない。このズレは、俺が彼に対して負い目を感じているから感じるのか、信や神崎君達も感じているのかどうかは解らない。演奏自体は大きなミスをしていないはずだから、聞こえは良いはずなのだが、やはり爽快感には欠けていた。

 二曲目も無事に終え、次は文化祭でも好評だった『Your heart』だ。この曲はバラードだからか、一曲目ほどズレを感じず、また伊織の声の調子も良かった事もあって、出来映えとしては良かった。さっきのメタルから一転したバラードは、観客の心を鷲掴みにしたようだった。というより、歌っているのが伊織だから心を奪われているのだろうな、と観客達を見ていて思った。女性ボーカルバンド特有の現象だと思うが、楽器隊は見向きもされず、ひたすら観客の視線は伊織に集中していた。途中でおっさん客や対バン相手から「ボーカルちゃん可愛い!」などの声が入って苛っときたのはここだけの話だ。『いや、俺のだから! こいつ俺の彼女だから!』と、コーラスマイクを使って言い返してやりたかった。

 伊織は俺が彼女に送った言葉Your heartを唄い終えると、一瞬こちらを見て微笑んだ。スポットライトで照らされたその笑顔は神々しく、冗談でも惚気でもなく、本当に女神に見えた。同じステージ上にいて演奏する立場であるのに、彼女にときめいてしまっている自分に呆れてしまった。

 そして、次はいよいよ『ライラック』だ。歌詞もちゃんと聴かないといけないし、ライブでやるのも初めてだから、やはり緊張する。俺は『ライラック』の曲の流れを頭で蘇らせ、深呼吸をした。『ライラック』は神崎君が去年から温め続けていた曲で、どこか初期のラルクっぽいイメージがある幻想的なロックだ。彼はラルクが好きらしいから、わざと意識したのかもしれない。

 神崎君のパートは随所で難しいが、その難しさをアピールせず自然に弾きこなす。信が彼を天才ギタリストと言ったのは、この為である。高校生にしては上手過ぎるのだ。

 どこか切なく幻想的で、しかし同時に力強さも感じるギターアルペジオを神崎君が弾き始めると、俺達他のメンバーも彼について行くように、曲に入っていく。この曲はラルクを意識しているからか、信のベースラインもよく動いていた。

 イントロが終わると、伊織は練習通りにAメロに入った。歌詞は彼女が書いたものだ。


『燃える深い傷の痛み 癒されることを知らない心 また新たな痛みが加わり 深い闇に恐れる僕


 何度暗闇を歩き回っただろう 凍る心 遠ざかる光……大切な人達

 生きる意味や存在意義も失って 現実逃避 もうそれしか……僕にはできなくて


 でも最近少し変わったんだ 君と出逢えたから


 君がいたから笑える様になって 冷たい現実さえも 少しずつ

 君と過ごして正直になれた 凍った心さえも 熔けていって

 君がくれたこの花は……いつも僕を救ってくれた


 初めて君に会った時から 不思議な気持ち感じてた 何だか懐かしくて


 やっと光を見つけられたよ 凍った心 暖かくなって……痛みも消えて

 君が僕を必要としてくれた事 嬉しかった ここに来て……本当に良かった


 もう暗闇も恐くないよ 君が横にいてくれるから


 もう笑えないと思ってた でもまた笑えた 毎日が楽しくて

 切ない程に君を求めていい? もう独りぼっちは 嫌だから

 君がくれたこの花は……永遠の宝物


 ずっと一緒にいてくれるよね?

 君がいれば強くなれるから

 君といれば辛かった過去も許せるから

 君の気持ちがあるだけで、僕は……


 君がいたから笑える様になって 冷たい現実さえも 少しずつ

 君と過ごして正直になれた 凍った心さえも 熔けていって


 切ない程に君を求めていい? もう独りぼっちは 嫌なの

 抑え切れない君への溢れる想い もう隠さないよ 迷わない


 君と一緒に手を繋げたら それだけで世界が明るくなって これからもずっと……

 僕と君のこの花は……きっと永遠に枯れないよね

 終わらない未来もきっとあるから』


 歌詞を正確に聞き取りながら演奏するのは難しかった。いや、歌詞を聴いてしまったからこそ難しくなった。歌で涙腺が緩んだのは初めてだった。曲が終わった時、彼女はもう一度だけこちらをちらっと見て言った。


「Can die for you,This is my answer」


 呟くような小さな声だったが、綺麗な発音だったから、歓声の中でも辛うじて聞こえた。その英語を頭の中で日本語に変換した時、俺は危うく涙しそうになってしまった。ステージの上でなかったら、きっと彼女を抱き締めているところだった。さすがにここで泣くわけにもいかないので、俺は観客への礼も忘れて、ただ俯いて幕が降りるのを待った。

 幕が降りて次のバンドの転換時間に入ると、俺は誰とも目を合わせず、機材を持ってさっさとステージを降りた。そのまま楽屋に直行して、ギターや機材を仕舞うと、誰にも顔を見られないように真っ先にトイレに向かった。幸いにもトイレは誰もいなかったので、俺はとりあえず顔を洗った。涙腺が緩んでいたのはこれでごまかせるはずだ。

 水を止めて、伊織の言葉をもう一度思い出す。


『Can die for you,This is my answer』


 ──あなたの為なら死ねる、これが私の答え。

 ライラックは、俺が彼女に送った言葉Your heartへの返歌だったのだ。

 俺は、何もわかっていなかった。きっと伊織は、俺が彼女を想ってるほど俺の事を好きじゃないと思っていたのだが、それは間違っていた。彼女は俺が『Your heart』に篭めた気持ちをちゃんとわかってくれていたのだ。まさかこんな形で俺の気持ちに応えるとは思っていなかった。泣くなって言うほうが無理だ。

 彼氏になって、あいつの苦しみをちょっとでもわかってやれたらとは思っていた。少しでもあいつを助けられたらと思っていた。でも、まさか伊織の中でそこまで俺が大きな存在になっていたとは、全く思ってもいなかったのだ。

 伊織にとって、きっと……俺はもうなくてはならない存在になっていて。だからこそ、たった数日間距離を置いたくらいで、我慢できずに抱き着いてしまうほど、不安になってしまったのだ。

 接すれば接するほど、彼女を大切に思う気持ちが溢れて、涙が出てくるほど、大切に思えてくる。

 また溢れてきた涙を誤魔化すために、俺は水を被った。

 こんな恋愛、している奴がいるのだろうか。それとも、これが本当の恋愛なのだろうか。

 あいつに相応しい男になれるのか、だって?

 違う、ならなくてはいけないのだ。あそこまで想われているのだから。きっと伊織にとって、俺は両親の死後初めてできた希望なのではないだろうか。さっきの『ライラック』の歌詞を想い出すと、そう思えてならなかった。

 ──今のままじゃダメだ。

 洗面台の鏡に映る、少し目の赤い自分にそう言い聞かせた。

 さっきの返歌を聴いて、一層そう思った。もっと強くなって、大人になって、伊織をしっかり守ってやらなくちゃいけない。今に満足してたら、きっと俺は見捨てられてしまう。さっきの返歌は、それを自覚させられた。

 その時、不意にトイレの扉が開いた。Unlucky Divaのベーシストかつ悪友の穂谷信がそこに立っていた。


「おっ、こんなとこで会うとは奇遇だな」


 信は俺の不可解な行動を何も問わずに横に並んで顔を洗い、濡れた手で前髪をかきあげた。屈託の無い笑顔を鏡の中の俺に向けている。


「いやぁ、今日のライブはお前のシャウトと麻宮の歌唱力の御蔭で大成功だったな。俺も彰吾の事で不安だったんだけど、今日一番の大盛り上がりだって須田店長が言ってたぜ」

「そりゃ良かった。スタジオ使用の面目保てたな」


 俺はもう一度顔を濡らした。信はそんな俺に対して呆れた様な溜息を吐いて続けた。


「それよりも、お前がさっさかステージから降りるもんだから、麻宮が当惑してたぜ?」

「……仕方ねぇだろ、あんな歌唄われたら」

「まあ、ありゃ確かにクるわな」


 平安時代の歌人もびっくりな見事な返歌だ、と信は笑った。

 ハンカチをポケットから出して顔を拭こうとしたら、信は俺の手からそれを奪って自分の顔をごしごしと拭く。俺は仕方なしにトイレに設置されていた手拭き用ペーパーをちぎって顔を拭いた。


「だけどよ、麻宮本人は自分の歌詞がまずかったんじゃないかって気にしてるみたいだぜ? さっきそんな感じの顔してたし」

「そんなわけねぇだろ。あれ以上の歌詞なんか誰に書けんだよ」

「伝わってねーんだよ、お前の感動が。ちゃんとフォロー入れとけよ? 打ち上げん時全員の前でディープキスするとか」

「ば、馬鹿かお前は! できるわけねーだろ」

「何だ、楽しみにしてたのに」


 信は笑いながら俺の拳が届かないところまで逃げて距離を置く。


「まぁ、とりあえずさ……大事にしてやれよ。あんないい娘、もう一生出逢えねーぞ」

「そんな事──」


 お前に言われなくてもわかっている、と心の中で付け足した。少なくとも俺にとっては、伊織は古代神話の女神達より格段上の存在なのだ。古代ギリシア人に言ったら怒られるだろうけど、俺は確信を持ってそう言える。


「あーあ。俺もあんなイイ女と付き合いてぇよ、チキショー……って、何か最近そればっかだな、俺」


 そう言って信は苦笑し、びしょびしょになったハンカチを投げ返してから、トイレを出て行った。見るも無残な姿になったハンカチを見て、大きく溜め息を吐く。

 これは彼なりの仕返しというか、エールというか、きっとそういった意図があるのだと思って、納得した。


「……良い歌だったな」


 脳内で伊織の『ライラック』を想い出しならが、そう呟いた。レコーディングして音源にしたいくらいだ。それなら一生聴き続けられるのに。

 そんな事を考えながら、トイレでたった一人、ライブの満足感に浸っていた。

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