6-16.誤解と謀略

 イベント終演後、清算や着替えが終わってライブハウスの外に出ると、顔見知りの面子が入口のところで屯っていた。

 眞下と同じクラスの女子数人、それに神崎君の彼女の双葉さん、、マスターとSスタジオ店長の須田さんの総勢十五名。

 中馬芙美は、やはり来ていなかった。眞下の話では、本当は来るはずだったのであるが、いきなり行かないという連絡が入ったのだという。なんとなく理由がわかる俺は、また胸がちくりと痛んだ。信はそれに対して、何で中馬さんを連れてこなかったんだと眞下に文句を垂れたが、「あんたに会いたくないんじゃない?」と厳し過ぎる言葉を返していた。ただ、それは間違いだ。信にではない。俺や伊織に会いたくなかったのだろう。


「マスター、来てたんだ?」


 そんな気持ちを隠しつつ、マスターのところに歩み寄る。一応は雇い主様だ。ご機嫌は取らねばならない。


「今日から暫く休業だしね。ヒヨッコのライブは暇潰しには丁度良かったよ」


 Sカフェは年末年始の三十日から三日まで休業で、俺も暫くバイトは休みだ。クリスマスが終わってからもシフトは変わっておらず、その反面仕事だけは増えて、何だか最初よりコキ使われている気がしなくもない。


「言ってくれるな。こっちには天才ギタリストのこの俺がいるのに」

「君の技術なんぞ中学生のギター歴三か月にも満たないんじゃない?」


 またまたとても凹む事を言って下さる雇用主だった。俺は横にいた須田店長にも意見を聞いてみたところ、彼の評価はマスターとは異なっていた。


「いやいや、Unlucky Divaは久々に見る将来性があるバンドだ。うちの店からプロが出たりしたら宣伝になるからよろしく頼むよ」


 須田店長はそう言ってから「まだイベント主催者としての仕事があるから」とライブハウスの中へ入って行った。


「ヒヨッコにプロなんて百年早いよ」

「あれー? さっき『こいつ等なかなか上手いなぁ』って感心して言ってませんでしたっけ?」


 マスターの辛辣な言葉に、眞下が横から奇襲を食らわせた。


「……いらん事は言わんでよろしい。素人にしてはって意味だよ」


 ペロッと舌を出して眞下は信の背中に隠れた。笑い声が満ちた時、伊織と目が合うと、彼女は少し気まずそうに視線を逸らした。

 これは、多分何か勘違いしていそうだった。さっきの歌詞についてだろうか。

 頭痛を感じながらも二人っきりになる術は無いかと考えたが、おそらく打ち上げが終わってからしかあるまい。終わるまでこのままかよ、と俺は溜息を吐いて空を見上げた。溜息は白くなり、夜空へと消える。今日はいつもより寒く、雪が降るかもしれないと天気予報で言っていた。そういえばイブの日もこんな空だったな、とふとチャペルでの出来事を想い出して、自らの首に巻かれたマフラーに触れた。今日は寒くなりそうな予報だったので、伊織からもらったマフラーを持参しているのだ。


「具合い悪いんですか?」


 近くにいたツインテールの細身な女の子が声を掛けてきた。背は伊織より少し低いくらいだろうか。なかなかに可愛らしいこの女の子は、神崎君の彼女・双葉明日香さんだ。伊織よりは活発そうというか、幼さを感じるが、清楚で笑顔が明るかった。

 双葉さんとは話した事が無かったので、こうして声を掛けて少し驚いた。神崎君から俺の話を聞いているのだろうか。


「いや、ちょっと考え事してただけ。双葉さんも打ち上げ来るんだろ?」

「はい! 勇ちゃんからみなさんのお話を聞いてて、楽しそうだなって思ってましたから」


 双葉さんは笑顔で答えた。なるほど、神崎君はこんな感じの子が好みなのか。元気で可愛らしく、それに明るい女の子だ。


「勇ちゃんって……あ、神崎君の事か。まあ、信に神崎君との事詮索されるかも知れないから上手い具合いに逃げなよ」


 ご心配ありがとうございます、と双葉さんは笑顔で答えた。見掛け通り礼儀正しい子で、神崎君とお似合いだ。


「ほら、明日香。あんまり麻生君の邪魔しちゃいけないよ」


 双葉さんと話していると、神崎君が会話に混じってきた。麻生君は麻宮さんと話さないといけないんだよ、とでも言いたげな言い方だが、生憎と伊織とは話したくとも話せない状況だ。邪魔も何も無い。双葉さんは「はーい」と神崎君に返事してから俺を見て、


「そのマフラー、とっても素敵ですね!」


 と意味深ににっこりと微笑んでから、神崎君と外国語科女子のところへ行ってしまった。

 伊織からもらったマフラーのフリンジ(端っこの飾り)を指先でいじると、苦笑いが漏れた。もしかして、双葉さんはこのマフラーが伊織からの贈り物だと見抜いたのだろうか。マフラーを人前でつけるのはイブ以来で、しかも貰い物だとは誰にも言っていない。編物に長けた人ならばわかるのかもしれないけど、それでも手作りかどうかなんて簡単に見抜けるものなのだろうか。

 その時ふと視線を感じたので顔を上げると、双葉さんと俺との会話に聞き耳を立てていたらしい伊織と目が合った。彼女は慌てて目を逸らしていたが、顔を少し赤らめている。多分マフラーを褒められていたからだろう。

 他の女の子との会話に聞き耳を立ててちょっとヤキモチを妬いていたり、マフラーを間接的に褒められたから顔を赤くしたり……伊織のそんな細かいところひとつひとつさえ愛しく思えてくる。

 彼女と話そうかなと思った時に、信とマスターの会話が聞こえてきた。


「まぁ、打ち上げだか忘年会だか知らないけど、場所としては店を使わせてあげるよ」


 料理は出さないけど、とマスターが念を押していた。


「お、まじで⁉ サンキュー!」

「掃除とかは真樹の指示に従って。暴れたり騒音苦情が来るような事だけはしないでね。摘まみだすよ」

「わぁかってるって、マスター!」


 信が手をモミモミしてご機嫌を伺っている。そんな信にマスターは呆れながらも、俺の方を向いて「もしこいつらが何かやったら君に責任取ってもらうからね」とぎろりと睨まれた。

 どうしてそこで俺が責任を取らされるんだよ、と思いながらも、一応は店員なので頷いた。こいつらに好き勝手させないようにしないといけない。

 マスターは明日は用事がある(例の栞さんとデートなのかもしれない)と昨日に言っていたから、打ち上げに参加するつもりは無いのだろう。現場の監督や管理は俺に一任されているという事だ。これはマスターなりに俺を信用してくれている証でもある。彼の信頼には応えたい。

 それにしても、マスターと付き合っている栞さんってどんな人なのだろうか。店員である俺も、全く見えない。マスターの今住んでいる場所も知らないし、本名も知らない。はっきり言って、彼のプライベートについて、東大出身である事くらいしか知らないのだった。この前の栞さんという人の話で初めてマスターの素が見えた、というところだ。以降伊織もその事については何も教えてくれないから、知る術もないのだけれど。

 だからと言って、別に深く知ろうとも思わない。俺にとってマスターはマスターだし、名前が田中だろうが鈴木だろうが気にしない。とりあえず、Sカフェもマスターも俺にとっては必須で、そんな彼に信頼を置かれているというのであれば、それは俺にとっても名誉な事だ。

 ぞろぞろと高校生の集団がSカフェへと向かい始めた。集団の前の方では、彰吾と信、そして眞下が笑い合っている。その少し後ろでは神崎君と双葉さん、外国語科のクラスメイトがいた。

 俺もさっきまで信達と話していたのだが、近くに伊織がいない事にふと気付いた。会話から抜けて伊織を探してみると、彼女は最後尾をひとりとぼとぼ歩いていた。歩みを止めて伊織が来るのを待っていると、それに気づいた彼女がぎこちなく微笑んでくる。


「どうした? 何か暗いけど」

「えっ? そんな事、無いよ?」


 そう強がる彼女の姿がいつもより弱々しくて、今この場で抱き締めたくなってしまった。

 本当は、二人で話したい。歌詞の御礼とか、伊織の俺を想う気持ちに対してだとか、最後の『my answer』に対してだとか、二人で話したい事は山程あるのだ。打ち上げなんて要らなかった、と心底信の提案を怨む。


「そういえばこのマフラー、さっき褒められちゃったよ」

「ほんと? 私もそれ欲しいなぁって思ってたの」


 伊織が悪戯げに笑ってそう言うので、軽く彼女のおでこをコツンと小突いた。彼女は笑顔を作っているけども、無理して明るく振る舞っているのだと思う。何だか、最近は彼女の顔を見ているだけで、ある程度彼女が素の時と表情を作っている時が見分けられるようになってきた。

 伊織は、きっと──俺が思っている以上に──表情を作って生活している。学校で友達と話している時、冗談で笑い合っている時……彼女が心から笑っているのは、あまり多くない。今にして思えば、きっと転校初期に学校で見せていた表情はほとんど作られたものだったのではないか、とさえ思ってしまう。きっと、それが彼女にとっては日常で、そうしていなければ、彼女は自分の心を保てなかったのだろう。それだけ、彼女にとってお父さんの死は大きかったのだ。

 でも、これは俺の自惚れかもしれないけれど、伊織が俺と一緒にいる時に見せる笑顔は、本物だと思うのだ。俺が彼女を救えているというのなら、彼女の心が癒されるまで、彼女を支え続けないといけない。

 前の連中が後ろを見ていないと確認すると、そっと伊織の手を握った。ビクッと驚いて伊織はこちらを見上げた。


「お前さぁ……何か勘違いしてんだろ。俺がステージを真っ先に降りたのはな、あまりに──」


 お前の歌詞と唄に感動して泣きそうになったからだぞ、と繋げようとしたら、前方の信が「あー! しまったぁー!」と頭を抱えて大袈裟に叫んだ。俺達も会話を遮って、信に視線を送る。


「な、何や、どないしてん?」

「今回マスターに奢ってもらうとか約束してねーから飲み食いするもん無いじゃん!」

「あ……」


 そこで全員の視線がマスターに向けられた。


「残念だけど、今日から正月三賀日まで冬期休暇なんだよ。材料は処分したよ」


 さっき料理は出さないと言ったじゃないか、と呆れて付け加えた。


「んー……じゃあ、マスターには先に店開けてもらっといて、あたし等みんなで買いに行く?」


 眞下がもっともな提案を出した。しかし、信はにやにやしながら「いんや」と首を横に振って、後ろを向いて言い放った。


「その役目は最後尾でこっそり手ぇ繋いでるお二人さんに行ってもらおーぜ!」


 ビシッと最後尾でこっそり手を繋いでいた俺達を指差した。次に、視線は一斉に俺達に注がれた。伊織が慌てて手を離すが、遅かった。

 この中で、俺達の関係を知っているのはマスターとUnlucky Divaのメンバーのみだ。双葉さんは神崎君から聞いているだろうけど、クラスメイト達は知らない。

 彰吾はそれを見ると一瞬だけすごく傷ついた表情を見せて、それを隠すように顔を背けた。マスターと神崎君はやれやれと苦笑し、信は『してやったり!』とご満悦だ。

 一瞬、全員が沈黙した。一方、うぐっと唾を飲む俺と伊織。

 何故気付かれたんだろうか。信の視線には注意していたのに……あいつ、もしかして後頭部にも目がついているのではないだろうか。


「うっそー⁉ 麻生君、あたし聞いてないわよー⁉ 相談乗ってあげたのにひどくない⁉ いつの間に付き合ってたのよー!」

「うそ、伊織ちゃん本当なの⁉」

「やっぱり付き合ってたんだぁ!」

「文化祭の時から怪しかったもんねー!」


 次々と眞下やクラスメイト達からこちらに色々な言葉が投げかけられる。俺と伊織はじりじりと二歩ぐらい後退していた。


「さて、じゃあみんなで千円ずつ出し合って二人に買ってきてもらおーぜぃ」


 これだけ騒ぎ立てておいて、信は相変わらずニマニマと気持ち悪い笑みを浮かべながらみんなに集金を呼びかけた。しかし、今更そんな言葉に耳を傾けるわけが無くて、クラスメイト達が詳細説明を求めてこちらに詰め寄ってくる。まるで総理官邸に民衆が集まって暴動するかのような異様な雰囲気を醸し出していた。


「あ、後で請求すっからとりあえず俺等が立て替えとくよ! な、伊織?」

「う、うん」

「じゃあ先にカフェ行っててくれよ!」


 俺はそう言い残して伊織の手を取り、とりあえず逃げる。祝う声や非難の声、笑い声などが俺達の背中に浴びせられていた。

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