6-3.真樹の告白

 外の気温は低く、吐息を白く染めていた。空も曇っており、星や月は見られない。そういえば、今晩は積雪の予報が出ていたのを想い出した。このまま雪が降れば、ホワイトクリスマスだ。

 そんな寒さからか、俺達はどちらともなく手を繋ぎ、並木道を歩いていた。


「こっちの道でいいの?」

「ああ。さっきのモールから真っ直ぐだったから……ほら、あそこ」


 教会がようやく見えてきたが、塀に覆われており、ツリーは見えなかった。その塀に沿って歩き、開かれた門の前に立つと……教会の敷地からふわっと虹色の光が溢れた。


「わ……ぁ…………」


 伊織はまるでプレゼントを開けた子供のような声を上げた。彼女の顔、長い髪、そしてコートにもツリーのイルミネーションが映って、淡い模様を作り出している。ツリーの周りには数組のカップルしかおらず、チャペルの中からは賛美歌が流れていた。予想通り、穴場だった。


「綺麗……」


 伊織はそう呟いたまま、陶然とツリーを眺めていて、俺はそんな彼女の横顔に釘づけになっていた。ツリーなんかよりも伊織の方が遥かに綺麗に思えたからだ。いつも彼女は綺麗だが、今はなおさらそう思う。

 俺達は空いていたベンチに腰を降ろして、ツリーを眺めた。ツリーからは一番遠いベンチだったが、全景が見渡せるスポットでもあった。


「寒くないか?」

「うん、大丈夫」

「そのコート、ちょっと薄くない?」

「実はさっき、ホッカイロ裏に貼ったの」


 言いながらコートをめくり、コートの内側に貼り付けられたホッカイロを自慢げに見せた。


「あ、ずりぃ」

「羨ましいでしょ?」

「いや、別に」


 強がってそう言うと、彼女がぷくっと頬を膨らますので、片手で挟んで潰してやった。彼女の頬の表面は冷えていたが、その内から熱が伝わってくる。


「あっ、これ。サンタさんからのプレゼント」


 手に持っていたプレゼントを、彼女に渡した。


「わあ。何か恥ずかしいね……ありがとう。開けてみていい?」

「どうぞ」


 伊織は袋からラッピングされた包みを出し、丁寧に中を開けていった。

 破損防止の気泡緩衝材に包まれた、クリスタルフォトフレームが姿を見せると、「あっ……」と彼女の口から声が漏れた。そのままテープを丁寧に剥がし、気泡緩衝材からフレームを解放させると、クリスタルガラスがイルミネーションの光を受け、万華鏡のような光を放っていた。

 彼女は「虹みたい……」と呟いて、惚けたように七色に光る写真立てを眺めていた。


「写真立て、欲しがってただろ? テストとかでバタバタして結局買いに行けなかったし」

「……覚えててくれたんだ」

「当たり前だろ」


 本当の事を言うと少しの間忘れていたけれど、これを買えて良かったと思う。イルミネーションに照らされたクリスタルガラスを見て、尚更そう思った。


「私、てっきり忘れてるのかと思ってた。テスト終わったらって思ってたんだけど、真樹君バイト始めて忙しそうだったし……」

「実はそれを買う為のバイトだったってわけ。世の中上手くできてるだろ?」


 頷いてくすっと彼女は笑ったが、泣くのを我慢しているのは明白だった。瞳に膜が張られ、どんどん潤んできている。きっと、この涙は昨日流していたものとも違う……それも、伝わってきた。


「やだ、どうしよう……本当に嬉しい」


 伊織は言いながら、優しくフレームを両手で抱えた。その表情を見て、胸の一番弱い部分を締め付けられて、きゅんとなった。実は昨日みたいに『こんな高価なもの貰えない』とか言われそうで恐かった。見掛けからすれば、価格より遥かに高そうに見えるのだ。

 しかし、彼女は喜んでくれている。受け入れてくれている。

 ──ここしかない。そう思い、決心した。鼓動が自然と早くなる。


「……できれば俺と撮った写真を入れて欲しいな。ちゃんと彫る言葉まで考えたんだからさ」


 伊織は抱えていたフォトフレームを少し離して、イタリック文字で書かれた彫刻の文字に視線を向けた。


『I'll protect you eternally. M to I』


 ――ずっと君を守り続ける。店で一時間も悩んでこれか、とツッコミを入れられそうだが、この言葉こそが、一番俺の気持ちを正確に現しているように思えた。

 彼女を守りたい。過去にどんな悲しみがあるのか俺は知らない。だけど、彼女を傷つける全てから守りたい……嘘偽りない、俺の本音だ。

 伊織はその彫刻の文字を、指で優しく撫でていた。スンと鼻を鳴らしている。

 もう、言うならここしかない。俺はそう決心して、一呼吸置いた。

 そして──


「伊織……ずっと好きだった」


 心の声を、彼女に伝えたかった想いをそのまま言葉にした。

 伊織はゆっくりと視線を写真立てから俺に向けて、瞳を震わせた。目元には涙を浮かべていて、まるで夢か現実かを区別できていないような表情を浮かべている。


「これまでも、これからも……この気持ちは変わらないから。伊織と一緒にこの時を歩いて行きたいと思ってる。だから、その……俺と付き合ってくれないかな……?」


 伊織の瞳を見据えて、気持ちを伝える。すると、彼女の瞳から溢れた涙が頬を伝った。彼女はその涙を拭おうともせず、こちらを見つめ返して微笑んでから──ゆっくりと頷いた。


「はい……こんな私でよければ、宜しくお願いします」


 その言葉の意味を脳が理解するのには、少し時間がかかった。理解した瞬間、俺の中で何かが溢れ出して、彼女を抱き寄せた。ずっと抑え込まれていた感情が、爆発しそうなくらいに膨張していくのがわかった。


「ま、待って」


 抱き締めようとする俺を、彼女は慌てて止めた。


「え、嫌だった?」

「違うよ。せっかく貰ったのに、これ、壊れちゃう」


 抱えていたフォトフレームをそっと足元の袋に戻しながら言った。


「こんないい物貰ったの初めてなんだよ? 一生大事にするんだから……」


 俺は頷いてから、手を伸ばしてもう一度引き寄せた。彼女も両腕を背中に回して、ぎゅっと腕に力を入れていた。

 その時、俺の中で何かが弾けた。彼女を想っていた気持ちがそのまま力となって、力一杯抱き締める。体が溶け合って一つになってしまうのではないかと思うくらいに、互いに強く抱き寄せ合っていた。

 愛おしくて堪らなかった。自分の中にこれだけ人を愛おしく思えて、そして慈しむ気持ちがあったのかと驚いた。それほど愛おしくて、切なくて、その感情をどう表現していいのかわからない。ただ彼女を力強く抱き締めるしか、その気持ちを伝える術を知らなかった。


「私も……真樹君が好き」


 伊織もまた、俺の気持ちに答えるように強く抱き締め返してくる。


「ずっと、大好きだったんだから……ずっと……」


 彼女の頭を何度も撫でながら、これでもかと言うくらいに抱き締める。彼女の涙が、コートに染み込んで行くのがわかった。

 ──想いが伝わって、応えてくれた。その感動が、嬉しいという気持ちでは表現できないほど嬉しくて、胸が苦しい。

 人の語彙力は、なんと乏しいのだろう。この感動を、嬉しさを、愛しさを、表現する術を俺は知らなかった。人生で初めて抱いたこの感情の名前すらわからなかった。

 だから、こうして体を抱き寄せ合うことでしか、その気持ちを表現できない。いっそのこと、本当にひとつになってくっついてしまえばいいのに。そうすれば、この感情を彼女に伝える事ができるのに。

 ──一つになりたい。

 おそらく、お互いにそう思った瞬間が同じだったのだと思う。俺達は互いに腕の力を緩めて、少しだけ体に隙間を作った。そして、お互い見つめ合って、お互いの瞳を覗き込む。

 教室で初めて目が合った時、吸い込まれそうになった瞳。懐かしくて愛しさが込み上げてきた瞳。一瞬で心を奪われてしまった瞳。その瞳が、今誰よりも近くにあった。

 そして、互いに瞳を閉じて、顔を寄せると──ゆっくりとお互いの唇が重なった。

 寒空の下、お互いの繋がった唇だけが熱を放っていて、その熱が全身に熱をもたらした。

 初めて、彼女と繋がったように思えた。

 体の一部が触れた事は今までもあった。でも、これは手を繋ぐ事とも、抱擁とも違っていて、心が繋がっているように思えた。互いの心と魂が繋がって、互いの肉体に広がっていくような暖かさ……俺はこの時初めて、伊織の心に触れられた気がしたのだ。

 長い口づけだった。緩やかな風の音も、教会で歌われているはずの賛美歌も、何も聞こえなかった。

 ただ、彼女と触れ合っている唇だけが熱を感じていた。

 もう二度と離したくなかった。このまま時が止まってしまっても良いとさえ思えた。いや、俺達の間では、確かにこの時、この瞬間だけ、時が止まっていたのかもしれない。

 俺達を現実世界に戻したのは、頬に触れた冷たい何かだった。

 ──雨か?

 そう思って、お互いに唇を離して目を開けた。

 雨ではなかった。空から舞い降りてきたのは、大きなぼたん雪だったのだ。


「えっ……雪? ほんとに?」

「……まさしく〝聖夜の奇跡〟だな」


 雪の降り方がさっき見た映画のクライマックスシーンとそっくりで、昂ぶる感情を抑えられなかった。

 周りのカップルも、空を見上げては驚きと感動の声を上げていた。イルミネーションに照らされて舞い落ちる雪は、まるでおとぎ話の中の出来事かと思えるほど幻想的で、神が俺たちを祝福してくれているかのようにも思えた。

 その祝福に応えるように、俺達はもう一度、ゆっくりと唇を合わせた。

 二人の人生の軌跡が交わって、今一つの奇跡を生み出した。そして、一つの重なり合った愛に、俺達は包まれていた。

 この一瞬だけは、どんな世界の絶景よりも美しい──そう確信した。こんな綺麗な光景を、景色を、色を、俺は見た事がなかったからだ。

 唇を離した時、涙しながら微笑んでいる彼女を見て、ああ、なるほど、と思った。

 これが〝幸せ〟というやつなのだ。

 大好きだった人と初めて気持ちが繋がった事によって、心の中に溢れ返った愛おしさの正体。おそらく、世界で何よりも美しくて、優しいもの。誰かと想いを重ね合う事の幸福を、幸せを、俺はこの時初めて知ったのだ。

 もっとこの気持ちを共有したい──そんな気持ちを抑えられなくて、俺達は互いにまた抱き締め合って、口付けを交わした。

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