番外編
穂谷信の苦悩①
【前書き】
前書きにて番外編の説明をさせて下さい。
今回は番外編で、穂谷信の視点からのお話です。
話数で言うと、5-7話『親友』の箇所の、公園で信が麻生に叱咤激励をした後のシーンから数時間の出来事を書いています。
主に、信とマスター、信と彰吾のお話です。
この時信や彰吾はこんな気持ちだったんだな、というのを感じ取ってもらえればと思います。
※三人称視点
今回の番外編の主人公は信ですが、本編との混同・混乱を避ける為、三人称とさせて頂いております。
※読み飛ばしOK
読み飛ばして頂いても、本編には差し支えありません。
以下、本編です。お楽しみください。
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公園の入り口で振り返ってみると、まだ親友はベンチで座って地面を真剣な眼差しで見つめていた。彼は少しその表情を見て安心した。きっと、もう大丈夫。前に進めるだろう。そう確信した。
「がんばれよ、親友」
信は、誰にも聞こえないように小さくそう言い、公園を後にした。
季節は十二月の頭。期末テストの中日だった。彼は、親友・
真樹は、想い人である
数時間前、教室で伊織や真樹と話していた際、伊織の過去の話になった。彼女が彰吾との思い出を話していたとき、真樹は突如として席を立って帰ってしまったのだ。
彼は伊織の話を聞いて、自分なんてたったの数か月しか伊織と一緒に過ごしていない、彼らは何年も一緒にいる、挙句に家族包みで付き合いがある、そんな自分が彼らの仲に自分が入れるわけがない、彰吾に勝てるわけがない、と感じたのだという。
信からすれば、「何を言っているんだコイツは」と呆れるほかなかった。誰がどう見ても、伊織が真樹に好意を抱いている事は明白で、気づいていないのは本人くらいのものだったのだ。
というより、もう付き合っているのではないか? と思うほど、彼らは仲が良い。
彼らに必要なのは、もう一つだけだ。どちらかが好意をしっかりと言葉にして伝えて、どちらかが承諾する。それだけなのだ。
信からすれば、やきもきするほかない。というより、見ていてイライラしていた。どうしてそこで詰まってるんだ、あと一歩だろう、と。なので、信はしびれを切らして、真樹の背中を押す事にしたのだ。
彼は本来、あまりこういった事をするのは好きではない。好意は自分で伝えるからこそ意味があり、誰かに背中を押されないと言えないなんて、それは本当の好意と言えるのか、と思っているのだ。
ただ、そう思って見守っていたが、あまりに進展が遅すぎる。さっさと付き合ってくれた方が、こちらも接しやすいのだ
原因は明白だった。真樹があまりにも自分に自信を持てていないのだ。そして、彼がそうなってしまった原因の一端を、信が担ってしまっている。信は責任を感じていたのだ。
真樹は初夏に、同じクラスの白河莉緒に告白して、粉砕された。その白河が、真樹の事を好きなのではないかと思い、彼を嗾けたのは、ほかならぬ信だったのだ。
ただ、どういうわけか信の思惑は外れ、しかも真樹がとことん傷ついているときている。彼は多くを語らなかったが、相当ひどい振られ方をしたのだろうと推測できた。
そのせいで、真樹は告白する事そのものに、恐怖を感じているのだ。
自分の勝手な発言が原因でそうなってしまったのであれば、最低限のフォローは必要だと思っている。
(まあ、花火デートのときも邪魔したしな……)
思い返してみれば、案外、自分が原因であの二人の進展を阻害している気がしなくもなかった。
それに、理由はもう一つあった。真樹が彰吾と伊織の時間の長さを知って、恐怖して逃げ出した時の伊織の表情が、見ていられなかったのだ。
彼女は、自分の言葉の何が原因で真樹を傷つけてしまったのか、全くわからず、ただ狼狽していた。それがあまりにも可哀想だったのだ。
信から見ていて、伊織の話は本当にただの思い出話だった。それ以上でもそれ以下でもない。昔の楽しかった思い出を話しているだけで、そこに彰吾への恋心は一切見えなかった。
それにもかかわらず、何をどう捉えたのか、自分には勝てないなどとビビって逃げ出そうとする親友に、腹が立ったのも事実だ。
だから、彼ははっきりと言ってやった。
『人間同士の関係なんて、時間じゃない、濃度だ。きっとお前と麻宮の関係性の濃度は、もう彰吾を超えている』と。
ここまで言って真樹が動けないのであれば、きっと真樹の持っている好意はその程度だった、という事だ。
それはそれで、信としても気が楽だった。もし真樹の気持ちがその程度であるなら、彰吾を応援してやればいい。信はそのように考えていた。少なくとも、伊織を好きな気持ちは、彰吾の方がはるかに大きいと信は感じている。ただ、伊織がその気持ちをどう思っているか、というだけで。人間、いや、恋愛とはかくも不思議なものだと思う。ベクトルが違うだけで、全くもってうまくいかないのだ。
ただ、信の悩みは、それだけではなかった。彼は、真樹の事を親友と思って大切にしているが、同時に彰吾も大切な友達だったのだ。しかも、信と彰吾に加えて、真樹と伊織は、同じバンドUnlucky Divaのメンバーでもある。バンド内恋愛が起きると、バンドの継続が難しいのもわかっている。
彼としても、悩ましい限りだったのだ。
(まあ、後の事は後になって考えればいいか……)
信は大きく溜息を吐いて、公園の近くのカフェ『SUN’s CAFE』に向かった。
『SUN’s CAFE』……通称・Sカフェは信たちの溜まり場のようなカフェだ。信が昨年失恋した時、偶然見つけた場所で、マスターの人柄がよく、なんでも相談してしまう。
彼にとっては、なくてはならない場所だった。
「お……?」
Sカフェが見えてきた頃、カフェから女性が出てきていた。わざわざマスターが外まで見送り、優しい笑顔で手を振っている。女性の方は角度的に顔がよく見えなかったが、遠目で見ても美人だとわかる。透き通った黒絹のような長い髪に、背が少し高めな大学生風の女性だ。
彼女もマスターに向けて手を振って、名残惜しそうに背を向けていた。
(あれは噂のマスターの女……⁉)
信もまだしっかりと顔を見たことがないのだが、何回か彼女がカフェに出入りしているところを見た事がある。一番最初に見た時は、カフェの隅っこの席で本を読んでいたと思うのだが、如何せん顔を覚えていない。ちょうど背中をこちらに向けていたので、顔を見れなかったのだ。
信は、面白いオモチャを見つけたと思い、スキップしたい気持ちを抑えて、カフェに入っていった。
「よっ、マスター!」
「やあ、信。おかえり」
実は一度、真樹のいる公園に向かう前に、信はこのカフェに寄っていた。真樹がここに来たか聞くためだった。
「マスター、今の人だれなの?」
信は、ニヤニヤして聞いてみる。マスターは一瞬だけ顔を曇らせたが、いつもの営業スマイルに戻った。
「常連さんだよ」
「へえ? わざわざただの常連さん相手に外まで見送って、手まで振るのか?」
「君らにやってないだけで、空いている時はよくやっているよ」
そういえば、お年寄りの常連客が帰るときなど、よく見送っているのを信も見た事があった。そう言われてしまえば、追及の手立てがない。相変わらず、食えない男だった。
「ところで、真樹には会えた?」
「ああ、公園で会ったよ」
そして、自然に会話を戻されてしまう。これが真樹や高校生相手なら、信なら簡単にイニシアチブを取れるのだが、どうにもマスターにはそれが通用しない。大人は怖い。
マスターの素性や年齢などは知らないが、年は三十前後。元エリートサラリーマンだったとの噂も聞くが、真相はわからない。真樹の話では、東大OBらしいので、エリートというのは間違いなさそうだ。
どうしてその元エリートが、こんなところで小さな喫茶店なんかを経営しているのか、謎だった。この店はぐるなびにも載っていないし、SNS等で宣伝もしていない。売る気が全くないような店なのだ。
「どうだった?」
「相変わらずウジウジ悩んでたから、ケツを蹴り飛ばしてやったぜ」
「やっぱり伊織ちゃんの事?」
「だな」
「全く、しょうがないやつだなぁ、真樹も」
「そこに巻き込まれるこっちの身にもなってくれよ」
そんな会話をしつつ、冷えた体を暖める為にホットコーヒーを頼むと、すぐに出してくれた。冷えた体にコーヒーが染み渡る。
マスターは、真樹のことを気にかけている。いや、この男は面倒見がいいので、基本的には頼る者みんなを気にかけてくれる。だが、真樹のことは特に気にかけているように見えた。少なくとも、自分よりは。そう、信は密かに分析している。
「あ、マスター」
「ん?」
「もし麻生がバイトしたいって言ったら、雇ってやってくれねえか?」
「まあ、真樹がそう言ってきたらそのつもりだったけどね。人手足りなくて回らない時もあるし。なんで?」
「いや、マスターがそう考えてるなら、それでいいよ。バイト雇わないって言ってたからさ」
「まー、そろそろ彼もバイト代が必要な季節だろうしねぇ」
ニヤリとマスターが笑った。
やはり、この男は全てを見抜いているようだった。怖い男だと、信は思った。そして、やっぱりマスターにとって真樹は特別なんだな、とも再度認識できた。
彼はバイトは取らないと豪語していたのだ。その彼がバイトを雇うというのだから、そう考えるのは容易い。信は、少しだけ、そんな真樹を羨ましく思った。
「信も、眞下さんだっけ? あの子と付き合ってみればいいのに」
「だから、なんでそうなるんだよ。俺は中馬さん一筋なの!」
眞下とは、クラスメイトの
「ノリとか気が合う人といるほうが楽だと思うけどなぁ」
「あいつだけはない!」
信はそう断言する。いや、断言したかった。
何回か、眞下に対してドキっとした事ならある。彼女はボディタッチが多く、いきなりくっついてくる時があるからだ。
その時、とてもいい匂いがした。ただ、こっちがドキっとしている時に、憎まれ口を叩くものだから、ついこっちも憎まれ口で返してしまうのだ。
そうすると、夫婦漫才みたいになってしまう。ノリという意味では合うのだが、その先に発展する見込みが全くないように思えた。
というか、なんだかあいつを好きになると負けた気になるのだ。それからもくだらない雑談をマスターとした後、信は店を出た。今度は別の場所に行く必要があったからだ。
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