5-4.眞下詩乃と白河莉緒②

「そ、それより話の続き教えろよ」


 エッチなことどうのの話題では不利と見た俺は、眞下詩乃に話の続きを急かした。


「あ、逃げたな? まぁ、いいんだけどさ、この先はあんまり面白くないわよ?」


 そう前置いてから彼女は話を続けた。それから日々その同級生といがみ合いが続いたのだが、ある日彼が悪戯で眞下の大切にしていたキーホルダーを奪って遊んでいた時、誤ってそれを壊してしまったのだと言う。さすがにまずいと思った彼は素直に謝ったのだが、眞下は泣き叫ぶ様にして言ったのだった。

『アンタなんかいなくなればいいのに! 大ッ嫌い!』

 さすがの悪戯坊主の彼も、眞下の鬼気迫る物言いに何も言い返せなかったそうだ。そのまま口も利かずに数週間が過ぎた頃……彼は親の仕事の都合で急遽転校する事になったのだった。

 そして、そのまま結局一言も話さないまま、彼とは会う事はなくなってしまった。則ち、本当にいなくなってしまったのだ。


「それからね……あたしが彼の事好きだったって気付いたの。今になれば、たかがキーホルダーの一個であんなに意地になるんじゃなかった、って後悔してる」


 最初のお笑いムードから思いもよらず、いきなりしんみりとした終わりを迎えたので、言葉を無くしてしまった。


「ちょっと、あたしの話でしんみりしてる場合じゃないでしょ? あたしが言いたいのはそこじゃなくて、女の子はなかなか素直になれない時があるって事。今回の麻生君の件だって同じよ」


 眞下は鯛焼きを包んでいた紙を近くのごみ箱に投げて入れた。自分でも入ると思っていなかったのか、ガッツポーズを見せてこちらに笑顔を向けている。きっとその男の子は、眞下のこういう天真爛漫な笑顔が好きだったんだろうな、と何となく思った。


「梨緒ちゃんも麻生君を意識はしていたんだと思う。だけど、麻生君はどちらかと言うとクラスでは避けられてて評判は良くなかった……だから振らざるを得なかったんじゃないかな。麻生君視点だとただのわがままにしか思えないだろうけど」

「……なるほど」


 思い返せば、振られた時の言葉にはそんなニュアンスも含まれていた。


「世間体も大事なのよ、あたし等くらいの女の子にはね。いくら彼が好きでも、周りからあんな奴早く別れた方が良いとか、どこがいいんだとか毎日言われるのも嫌でしょ? やっぱり彼氏を自慢したい気持ちがあるのよ」


 それは男側に当て嵌めても理解できるので、彼女の言葉には頷かざるを得なかった。


「ひそかに麻生君に想いを抱いていたのに、そこで超可愛い転校生のライバル出現! しかも、伊織ちゃんと仲良くなった麻生君の人気はどんどん上昇しちゃったわけでしょ? 前は告白だってしてくれたのに、自分から気持ちが離れていってるのを日々感じる……そりゃ内心穏やかじゃないわよ」

「では、何か?」


 まさか、自分の存在を強調させる為にあんな事を言ったり、自分への告白を思い出させる為にこんな告白話を今更ばら撒いたりしたというのか? そんなものに俺は傷つき悩んでいたのかと思うと、〝バカバカしく〟なってくる。


「あっ……」


 その時、ふとマスターの言葉を思い出した。なるほど、マスターの言っていたバカバカしいっていうのはこの事だ。もしかすると、聡明な彼は白河の心理まで見抜いた上で呆れていたのかもしれない。


「まぁ、普段のあたしなら、さっさと梨緒ちゃんの願を叶えてやりなさーいって言うんだけど……麻生君の場合、ちょっと特殊だしね」

「まぁ……悪いけど、その話聞いても今更白河にはそんな気持ちにはなれないな」


 考えるまでもなく、それは有り得なかった。怒りと呆れ以外の感情を彼女には抱けない。彼女に対しての恋愛感情は、夏休み中に捨て去ってしまった。今更取り戻せるものでもなく、取り戻したいとも思わない。過去は過去でしかなく、白河莉緒を好きだった俺は、もういないのだ。


「そう……じゃあ、梨緒ちゃんの事はもうほっときなよ。きっと彼女の方からは何も言ってこないから。そういうタイプの子って、絶対自分から素直に告れないのよ」


 あたしもそうだったし、と彼女は笑って付け足した。


「告る告らないは構わないんだけど、今ある噂が広まられてクラスの奴等に誤解されたくないんだけど」

「それはあたしに任せといて。何とかしてあげるから」


 眞下は笑顔で肩をぱしんと叩いてきた。こういった、眞下の清々しいところが本当に好きだし、その言葉に素直に感謝した。

 眞下は本当に良い子だ。ルックスも性格も良くて面白いのに何故彼女の人気はイマイチなのだろう……やはりうるさ過ぎるのだろうか。


「それで……やっぱり伊織なの?」


 神妙な顔をして、眞下が訊いてきた。主語・述語が無いが、その意味が解らないほど俺は愚かではない。『お前は伊織を選ぶのか?』という意味だ。一瞬躊躇しつつも頷くと、眞下は残念そうに溜息を吐いた。


「なに?」

「んー? あたしにとっては、苦しいなぁって」

「何で?」

「だって、伊織と芙美の板挟みって感じだもん。伊織も好きだけど、芙美は高校入ってから初めて出来た友達で、ちょっと付き合い辛いとこあるけど親友だし……もう過去から解放されてもいいって思うんだ。できればどっちの恋も叶えたいって思うもん」


 過去……元彼の話か。ふと中馬さんの泣きそうな顔を思い出す。彼女は俺に救いを求めていたのだろうか。もし、俺が彼女を選んでいれば、俺は彼女の元彼への喪失感を拭えたと言うのだろうか。それはわからないけれど……でも、彼女を選ばないという事は、俺は彼女を見捨てるという事だ。


「芙美も麻生君を好きな事、知ってるでしょ?」


 知っていたわけでも、確信があったわけでもない。しかし、薄々そうじゃないかと思ってはいた。いや、思わないようにしていた。だけれど、それに気付かないほど、俺は無神経ではなかった。


「芙美は無茶苦茶プライドも高いから、きっと伊織ちゃんと一緒に勉強したりするのも嫌だったと思う。それでも麻生君と一緒に居たかったんじゃないかな……芙美が告られてるのは何回も見たけど、自分からそうやって近づこうとしてるのは初めて見た気がする。それに、文化祭の時麻生君と二人で撮った写真貰った時なんて本当に嬉しそうだったんだよ?」

「そっか……」


 何だかとても罪悪感を感じる。俺も中馬さんが嫌いなわけではない。確かに眞下の言う通りちょっと付き合い辛いとこもあるけれど、お洒落な眼鏡がちょっと色気を醸し出していて、顔立ちも綺麗だし、彼女が纏ってる冷たい不思議な空気も好きだ。きっと伊織と出会う前に仲良くなっていたら、俺も信のように惚れていたかもしれない。

 中馬さんの第一印象は、綺麗だけど恐そう、というものだった。冷たくて、いつも不機嫌で……だから俺は彼女を敬遠し、それと言って特別な感情を持たなかったが、関わりを持てば持つほど魅力がわかる。彼女のような人に好かれていたのなら、光栄だとも思えた。

 こう箇条書きにすると、中馬さんでも悪くないんじゃないかと思う。ただ、何々の条件を満たしているから好きだ、という気持ちは、きっと本物ではないと思うのだ。少なくとも、俺は伊織の事を箇条書きで好きになったのではない。


「あ、ごめんね。こんな事言っても麻生君を困るだけだよね……でも、もし浮かんだらでいいけど……どっちかを選ぶにしても、どっちも傷つけない方法探してね。あたしにとっても二人は大切な友達だから」

「無茶苦茶な注文だな」


 自分の気持ちすら伊織に伝えられないのに、中馬さんを傷つけない方法も考えろという。俺だってそれができればやりたいが、どう話が進むかもわからないのに、中馬さんがどう感じるかまで考えられるわけがない。


「自信無いけど、頑張るよ」


 俺が一応そう答えると、眞下は元気良く立ち上がった。


「ふふっ、なるほどねー。二人が麻生君を好きになる気持ち、ちょっとわかるかも」

「え?」

「なーんでもないわよ! それより、あたしも芙美や伊織みたいにモテるコツ教えてよ」


 お尻についた草を払いながら、彼女は言った。俺も立ち上がり、夕日に向かって伸びをする。


「コツっていうか……もうちょっとおしとやかになればマジでイケると思うけど?」


 お世辞ではなく本気で言った。今日話してわかったのだが、彼女は可愛い部分が多い。煩い性格が災いして、それ等が隠れてしまっているだけなのだ。


「ほんとに? それであの二人に勝てる?」

「………………」

「何とか言いなさいよ!」

「痛っ」


 コメントに困ったので黙っていると、頭をグーで殴られた。さすがにそこはお世辞でもウンとは言えない場面である。


「つか、何で俺等仲良くなるのこんなに遅かったんだろうな。こんな面白い奴が同じクラスにいたのに、何か凄いもったい無い感じ」

「入学当初はちょっと話してたけど、麻生君がシカトし始めたんじゃなーい」

「え? 眞下が挨拶しなくなったんだろ?」

「違うよー、そっちだって」

「いや、眞下だろ」


 何度かそのやり取りを続けて、互いに噴き出した。そんな事、今は別にどうでもいいのだ。今、ちゃんと友達になれているのだから問題は無い。

 確かに、最初から彼女と親しければ日々笑える生活が送れていただろう。そして……もしそうだったならば、彼女を好きになっていたかもしれない。そう思う程の好意を今日抱いたし、好意が恋に変わる事も充分有り得ただろう。

 幸か不幸か、俺の周りにはやたらと魅力がある人が多い。何だかとってもコウモリ野郎な事を言っている気がするが、これはあくまでも仮定の話だ。伊織がいる今ではもうそれは有り得ない。全てを捨ててしまっても構わないと思う程の気持ちを抱ける女性は、後にも先にも伊織だけだ。もちろんその論証も保証もできないけれど、俺はそう確信していた。

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