5-3.眞下詩乃と白河莉緒①
期末テストの前日の日曜日、朝から予備校の自習室で熱心に勉強していたが、夕方になると極度な疲労感に襲われた。勉強に体が慣れていない証拠だ。そんな自分に呆れながらも、無理に勉強をしてもあまり意味がないと考え自習室を出ると……階段に白河梨緒がいた。
チラッと目が合った途端彼女の動きはぎこちなくなるが、俺は大して気にした様子も見せず、横を通り過ぎた。はっきり言って、一週間もこんな状況が続けば慣れてしまう。マスターや信の言う通り、本当に気にしなくなってしまった。とは言え、来年度もこんな状態では先が思いやられるので、別の予備校に変えようかとひそかに考えていた。
「麻生く~ん!」
予備校を出て川辺を歩いていると、後方から大声で名前を呼ばれた。振り返ってみると、同じクラスの眞下詩乃が手を振っていた。
そのまま手を振り返して彼女と合流したまではいいが、何故か鯛焼きと缶コーヒーを奢らされ、近くの川辺にある運動場に連行された。運動場では少年野球の試合が行われていて、保護者の応援の声と少年達の掛け声が風に乗って広がっていた。
「……で、何?」
俺は缶コーヒーの蓋を開けながら、横で美味しそうに鯛焼きを頬張る眞下詩乃に憮然として尋ねた。
「え? いや、鯛焼き食べたいな~って思ってたら麻生君が通ったから、ラッキー……ってのはウソウソ!」
話してる最中に俺が手をグーにして振り上げるのが見えたらしく、彼女は必死で前言撤回を申し立てた。
「はぁ、伊織や芙美になら絶対そんな事しないくせ……って、だから冗談だってば!」
もう一度、俺が同じ動作をすると慌てて撤回する。このアホ女、文末に『冗談』や『嘘』をつければ何でも許されると思っているのだろうか。どちらにせよ、それで好き放題本心を言っている事には変わり無いので、一度痛い目に遭わせないといけないようだ。
「ねぇ……幾つか質問があるんだけどさ」
「あ?」
眞下の表情からそれまでの冗談っぽさがなくなり、鯛焼きを頬張りながらも視線はピッチャーへと向けられていた。
「……梨緒ちゃんに振られたって話は本当なの?」
その言葉を聞いた時に、凍りついた。六月下旬、振られた当初こそその話が広まる事を覚悟していたが、まさか今更出てくるとは思ってもいなかった。いや、それともその時点で広まっていた噂なのだろうか。
「その話、誰から?」
「アキコ達と話してた時に聞いたんだけど……」
アキコとは、以前代名詞で使ったジャイ子の事だ。基本的にジャイ子周辺には煩く噂好きの女子が集まっている。眞下も、彼女達の噂を心から信じているのではないから、こうして訊いてきているのだろう。
「いつ?」
「一昨日くらいかな」
一昨日って事は、つい最近に広まった噂という事だろうか。噂というか、事実だけど。どうして今更そんな話が出てきたのだろう?
「そっか」
「ねぇ、本当なの?」
「まぁ、事実って言ったら事実かな」
噂として広まっているなら仕方ないと腹をくくり、俺は認める事にした。眞下は「ほんとだったんだ」と驚いていた。俺と白河莉緒は直接的な接点がほぼないので、そんな告白劇があったとは夢にも思わないだろう。
「だけど、それいつの話か知ってる?」
彼女は首を横に振った。
「約半年前。六月の話」
「えっ、そうなの?」
「そう。その時期に噂が広まる事ならこっちも覚悟してたけど、まさか今それが広まってるなんて思わなかったな。他の連中も知ってんの?」
「芙美は知らないと思うけど、伊織は知ってるかも。色んな子と話してるし、その張本人の梨緒ちゃんとも仲良いみたいだから」
「……だよな」
また胃が痛くなってきた。どうして俺の人生はこんなにも上手くいかないのだろうか。というか、俺が白河莉緒を見誤っていた。告白といった真剣なものに対して、面白おかしく周りに言いふらす人間では無いと思っていたのだ。
だが、その考えがどれだけ甘かったか今になればわかる。よくよく考えれば、彼女は平気で『お前は嫌われて当然だ』と人に言える人間だ。たかが告白を自慢気に言いふらす事なんて、朝飯前だろう。
「で、それの情報源はどこかわかる?」
「あ、うん……それがね、アキコ達の話によると……」
莉緒ちゃん本人が言っていたらしいの、とやや遠慮がちに眞下は付け足した。
さすがにそれには驚いた。本人が今更わざわざそんな事を言って回っているという事になる。一体白河にとって何の得があるんだ? 理解不能だった。ここまで来ると、ただの嫌がらせとしか思えない。
「それで、最近二人って妙に避け合ってるじゃない? だからそれも現実味あってさ。何があったの?」
俺は少し躊躇したが、眞下には全て話す事にした。文化祭の時に何と言われたか、また何と言って振られたか、そして今では完全に吹っ切れていて未練も全くない事についても、洗い浚い話した。
眞下は、話を聞き終えると「なるほどねぇ」と苦笑を漏らしていた。
「なに? なんで笑ってんの?」
「え? う~ん……どう説明すべきかなって」
「理由わかんの⁉」
「まぁ、多分ねー……あははっ、梨緒ちゃんて案外子供なんだなー」
見掛けもロリだもんね、と一人で笑い出す眞下。もちろん俺には理解できない。
「笑えるような理由なのか?」
「あたしの予想が正しければね。それにしても、大変ねー、麻生君も」
「はぁ?」
さっきから全く話が読めない。俺が大変なのは俺が一番良く解っている。
「簡単に言うとね、莉緒ちゃんのそれは嫉妬みたいなもんよ」
「しっと? 英語の使っちゃいけない下品な単語の?」
「それはSHIT!」
「お、ナイスツッコミ」
まさかこんなにすんなりツッコミが返ってくるとは思ってなかったが、やはりボケた所をちゃんとツッコんでもらえるのは気持ちいい。
「女の子に何てツッコミさせるのよ」
「あっ、悪い。女っていうのを忘れてたよ」
「……喧嘩売ってんの?」
「ごめん。話の続きお願い」
呆れた視線をこちらに送りながらも、眞下は溜め息を吐いて話を続けた。
「要するに、麻生君はここ最近人気が急上昇しちゃったでしょ? みんなが気に入り始めちゃって、それが許せないんじゃないかな」
「いや、それは同性の場合だろ? 男の人気が上がろうが関係無くね?」
「関係有りまくりよー。だって、自分が気に入ってる子が人気上がって、倍率高くなったら嫌でしょ?」
「まぁ、確かに……」
と、頷きかけたがちょっと待て。何か話が繋がらない。だって俺、振られてるんだぞ?
「その顔は、『俺振られたのにどうしてそうなんの?』っていう表情ね?」
ご名答。俺がささやかな拍手を送ると、眞下は『キテます』という某有名マジシャンの決め台詞と仕草を真似た。
「眞下って、もしかして面白い人?」
「よく言われる。それでね、さっきの話聞いてると、梨緒ちゃんは麻生君の事好きなんだと思うよ」
また理解できない事を言い出した。想い人に『調子に乗るな』だの『みんなから嫌われている』だのとひどい事を言う奴がどこにいるのだ。好きな人から嫌われようとする意味が解らない。しかし、そんな俺の考えを見抜いたかのように微笑んで、彼女は続けた。
「中学一年生の時かな~……あたしにも似たような経験あるんだよね」
「好きな相手に対してひどい事言う経験?」
「まあね」
俺の指摘に苦笑しながらも、少し身ぶりも加えて大袈裟に続けた。
「第一印象は超最悪! 同じクラスの子なんだけど、私が初めて自分で作ったお弁当を食べようとしてたら、いきなり突っ込んできたの」
「体ごと?」
「そう! プロレスごっこだか何やってたんだか知らないけど、最悪でしょ⁉」
「そりゃ最悪だ」
最悪と言いつつ、どこか楽しそうに話していた。今となっては良い想い出という事だろうか?
「それで、あたし泣いちゃったの。初めて作ったお弁当だったから、相当気合入れてたしね。でも、そいつ謝らないのよ? ひどくない?」
「俺なら必死で謝りまくるな」
「でしょ? それ以来、何かあったら即口喧嘩。一日一回じゃ済まなかったかも」
一日何回も喧嘩って……それはそれですごいと思う。
「『あんな奴大っ嫌い!死んじゃえ!!』って何回も心の中で思ったわ。だけど、そいつが風邪か何かで休むと妙に寂しい自分もいたりして、気がつくと授業中とかもずっと見てたりして……それで、目が合うとドキッとしちゃったりね」
「好きだったんだ?」
「今思えばね。でも、あの時は微塵もそんな事思わなかった。『これはアイツが嫌いだからだ! まだ嫌いになりきれてない、もっと嫌いになれ!』とかそんな風に暗示かけてたもん」
「な、何でそこまで……?」
「認めたくなかったんじゃない? 女の子って、そういうとこあるのよ。好きだけど認めたくないとか、周りの目とか、他には純情に見られるのが嫌で悪ぶってみたりね。たまに自分でも何でこんなひどい事言ったりしちゃったりしてるんだろ? って思う時もあるしね」
指折りにして、女の子の気難しさにを言ってみせた。
「どーお? 女の子の思春期って難しいでしょ? 男の子はエッチな事考えてるだけでいいのかもしれないけど」
俺がぐっと言葉を詰まらせると「否定できないでしょ」と彼女は笑った。
やっぱり、彼女との話は面白い。
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