5-2.冤罪自白をさせられた気分
翌日から神崎君も勉強会に参加してくれたので、理系科目についても解決した。今回は期末なので副教科も入るが、そこまでは手が回らないので捨てようと思っている。それに、家庭だの保健だのを真面目にやってられない。
しかし、今回は数学もそこそこ点は狙えるかもしれない。神崎君が勉強会に参加する条件として『麻生君は麻宮さんに数学を教える事』という何とも迷惑な気遣いを出してきやがったからだ。
御蔭で日々恥をかかぬように伊織より先に数学の問題を仕上げなければならず、彼女に教える為にちゃんと理解もしておかねばならなかった。誰にも言ってないが、学校や予備校の先生にわからない箇所を質問したりとかなり必死である。
そんな負担ばかりが目立つ勉強会を始めて四日が経った頃だ。いつもなら図書室での勉強会の後、予備校に直行して閉館まで自習をするのだが、今日は疲労の蓄積が目立った。八時で早々に帰宅を決めて、一人とぼとぼと家路を歩いていると、信からLIMEで連絡が入った。
『文化祭の写真、いらねーの?』
勉強に忙しくて──こんな言葉が俺から出る事が既に不可解な現象なのだが──文化祭の写真の事など忘れていた。そういえば、信と彰吾がこの四日間写真を売り捌いている場面に遭遇した。もし本人達にバレたらどうするつもりなのだろうか、と些か心配になった。
『一応見たい』
そう送ると、すぐに信から返事がきた。
『カフェにいるから来いよ。ただし、麻宮は連れてくんなよ』
そのLIMEを見て俺は苦笑したが『OK』と返した。
カフェに行くと、写真が並べられていたテーブルに信と彰吾が向かい合っていた。
「へー、結構あるんだな。売上はどーよ?」
「俺は五万、彰吾は三万ちょいだ」
写真だけでほんとに儲けやがったのか。恐ろし連中だ。
「ま、誰かが密告してくれたせいで、俺はそっからマイナス一万だったがな」
ギロリと信がこちらを睨む一方、カウンターテーブルをふきんで拭いていたマスターは満足そうに俺に親指を立てた。
「いや、でもよ……やっぱツケは返さなきゃいけないだろ?」
「確かにそうだけど!」
常識を言ったまでだが、信はいまいち納得していない。どうせ信の事だ。また変な賭けを持ち出してチャラにするつもりだったのだろうが、さすがにそれは友として許してはならない。
「ところで麻生、この写真どないすんねや?」
テーブルに並べてある写真の中から、俺と中馬さんのツーショットのものを指差した。
「ああ、それか。中馬さんに渡しといてくれよ」
「嫌や。ワレが買わんかい。バンド内割引で五〇〇円や」
「はぁ⁉ ふざけんなよ。何で俺が出さなきゃなんねーんだよ」
俺の怒りは当然のはずだ。しかし、彼は更に理不尽な理由を並べたのだった。
「アホ言え! 男と写ってる写真なんか商品にならんし、五〇〇円は中馬さんの写真やったら一番安いんやで⁉ 俺かて信から伊織の写真は買ったんやしな」
何やら俺には理解ができない世界だ。友達同士なんだからタダで譲っても良いと思うのだが……なかなかシビアな世界らしい。
「それに、この写真渡さんと麻生は約束破りになるで? 頼まれてたやろ?」
ぐっと俺は言葉を詰まらせた。そういえばそうだった。これを撮った時に彼女から、その写真が出来たら頂戴と言われていたのを思い出した。こんな奴に、こんな理不尽な事で金を出さなければならないとは……五〇〇円が惜しいのではない。言い負かされた様で何だか悔しいのだ。そう思いつつも、俺は彰吾に五〇〇円支払った。
「ところで、一番高いのってどれなんだ?」
「一番高いのは……これだ」
信が指差した写真を見た。何と、中馬さんが屈んだ時のもので、その拍子に胸元の下着まで見えてしまっていたものだった。そして、ちょっとだけ欲しいと思ってしまった自分に憎しみを覚えた。
「これはもう売らねーぞ。一枚しか売らないという理由でオークションにしたんだから。そしたら二万だぜ、二万!」
「……マジかよ」
たかが写真に二万とは、信じられない。まるでアイドルの生写真だとかポロリ並の扱いだ。男が夜一人でコソコソと使う為のものなら、そんなに金を出す必要もなく十八禁のものでも買った方が遥かに安くつくはずだ。というか、ネット上では自己承認欲求を具現化したかのような女達が日夜露出して〝いいね〟を稼いでいるが、それではダメなのだろうか。現実的で目の前にいる女の子のほうが興奮するのだろうか?
「はっはっはっ、人間競い合うとムチャするもんなんだな。オークション程人間の欲望が出るもんはねーよ。今頃後悔してそうだ」
信は少々呆れながらも、その写真と、他の中馬さんの写真を眺めた。
「まぁ……これは大事に保管しとくか。俺の青い記憶の一つとしてな」
その時見せた彼の横顔が、どこか寂し気だった。信の性格なら、レア度を高める為に一枚しか売らないという事はあまりしない。おそらく、以前本当に好きだった中馬さんに対して罪悪感を感じているのだ。
今でも、信の視線はたまに中馬さんの方を向いている時がある。そして俺は、文化祭の日にあった事や、放課後にその中馬さん達と一緒に勉強している事を思い出し、罪の意識に苛まれた。
「さて、ほな俺はもう帰るわ。ちゃんと勉強しろって伊織にも言われたしな」
彰吾は写真を薄いビニール製の透明袋に入れ、鞄の中へ入れて、マスターにも軽く挨拶をしてから店を後にした。その背中を見送ってから、俺もマスターに茶色い封筒をもらってさっき購入した写真を入れる。ついでにホットコーヒーを注文してから、信の対面の椅子に座った。
さすがに八時を過ぎると、他の客は見当たらない。先日の喧しさはなく、ゆったりとした音楽が流れるいつもの物静かなカフェに戻っていた。
「あ、そうだ。麻生、これやるよ」
信は鞄の中から、先程彰吾が持っていたのと同じビニール袋を取り出した。また金をせびられるのではないか、と訝しげに彼の目を見つめる。
「彰吾みたいに金は取らねーからそんな目をするな!」
俺は彼を怪しむ視線を変えないまま、その袋を手に取り中身を見てみた。中身は二枚の写真で、どちらも伊織が写っていた。
一枚目は浴衣を着た文化祭一日目のもので、カメラに向かって微笑んでいる。二枚目はライブの衣裳だった。おそらくライブ前に撮ったものだろう。どちらもとても可愛く写っており、心が癒された。胸が暖かくなる様な気持ちを無理矢理抑え込み、もう一度信を見た。
「安心しろ。それは非売品だ」
「……それを何で俺にくれるんだ?」
長年の付き合いである。何か裏があるに違いない。これを受け取るかどうかはその裏を見抜いてからでないと、こちらが痛い目に合う。
「だーかーら、そんな目をするな! お詫びだよ、お詫び!」
「お詫び?」
「ほら、この前打ち上げの片付けん時、何か邪魔したみたいだったろ? 告白だかデートの約束だか知らないけどさ」
「……あの事か」
せっかくお詫びをしてくれて悪いのだが、思い出すとまた気分が滅入ってきた。結局あれ以来、伊織を誘えるチャンスが全く無いのだ。この際テストが終わってからに狙いを絞っている。
俺が溜息を吐いたその時だった。ドスの利いたマスターの声が、横から聞こえた。
「ふーん……人がうとうとしてる間に、僕の店で告白だかデートの約束だかをする気だったのかい?」
コーヒーを持ってきたマスターが、何故か横の椅子に腰を下ろす。
「い、いや、別にそういうわけじゃ……」
マスターの気迫に圧されて俺はつい逃げ腰になってしまう。
「あれ? 違ったのか? じゃあ、お詫びなんていらないか」
「あっ」
信が俺の手から写真をひょいと取り上げた。顔は笑っている。
何てコンビネーションだ。即席にしては決まり過ぎだ。どちらに転んでも俺は損するじゃないか。
「うぐぐ……」
「あぁもうっ、認めろよ!」
「……も、申し訳ありませんでした……その通りでございます……」
遂に折れてしまった。この警察の取調べみたいな重圧に俺はとてもでは無いが耐えきれなかった。きっと自白強要による冤罪事件というのはこうした虐めから生まれるのだろう。
全く、泣きたい気分だ。誘うのは邪魔されるわそれを白状させられるわ、踏んだり蹴ったりだ。
信が満足そうに写真を俺に返したかと思うと、今度はマスターと同時に噴き出した。
「なに深刻に謝ってるの?」
「別に公然猥褻罪的な事をしてたわけじゃないんだから、堂々としりゃいいじゃねえか」
カフェ内に響き渡る二人の笑い声を聞きつつ、俺は憮然とした。どうやら完全にハメられたらしい。計画的だか即席だか知らないけれど、これはひどい。俺が一体何をしたって言うのだ。
「……帰る」
最上級に不機嫌になったので、そのまま席を立つと二人は慌てて俺の腕を引っ張り着席させた。
「あー、悪かったよ! 別に嫌がらせのつもりじゃないんだって!」
嫌がらせじゃなかったら何だと言うのだ。まさか、ご機嫌取りだとでも言うつもりか? この場合、ご機嫌奪りという表記が正しい。
「何か最近悩んでる様だって信が心配してたもんでな。それを聞いてみるつもりだったんだが、何故かこんな事になった」
全くもって理由になってないと思うのは俺だけだろうか。相変わらず憮然としたまま座り直し、コーヒーを口に含むと、苦みのあるブラックコーヒーが口内に拡がった。
「あ、そうだ。じゃあもう一つ信にお詫びしてもらわなきゃいけない」
「へ?」
「何が白河が俺の彼女候補だ。めちゃくちゃ嫌われてたぞ、俺」
イライラついでに言ってやる。完全にただの八つ当たりだが、信は八つ当たりを受ける義務があると思うのだ。毎日白河と教室や予備校で彼女と会うのが嫌で仕方ないし、それに気まず過ぎる。マスターには俺が初夏に女の子に振られてある事を伝えてあるので、その点は気にしなくて良い。ライブの後のわけの解らない言い掛かり、それから日々の気まずさと苛立ちをこれ幸いと俺は毒を全て吐き切ってやった。
二人は黙って俺の話を聞いてくれていた。話が終わった頃には閉店時間が近づいていたが、マスターはそれを気にしている様子は無い。
「……と、まぁこんな感じかな。ぶっちゃけ何であんな女が好きだったのかもわかんねーよ」
毒を隅から隅まで吐くと、俺は冷めたコーヒーを口に含んだ。さっきからかったお詫びかどうかは知らないが、マスターが珍しくおかわりを入れてくれた。もう閉店時間だし、明日まで残しておいても味が落ちるからかもしれないけれど。
「最近白河梨緒嬢がお前に対して異常な避け方してたから、多分お前が悩んでんのはその事じゃないかってのは薄々気付いてたけど……」
「や、やっぱり変だったか?」
「変過ぎだ。あれじゃ事情を知らなくても何かあったと思うぜ?」
自分でも不自然だと思うんだから、それも当然だ。信で気付いているとなると、伊織も知っているのだろうか。
「でも、おっかしいな~。俺の予想じゃ絶対麻生に惹かれ始めてると見てたんだが……マスターはどう思う?」
マスターは俺の話を聞いている最中は特に表情を変えずに聞いていたが、信が話を振ると、呆れにも似た溜息を吐いた。
「僕はその娘と会ったわけじゃないから、真樹に気があるか無いかはわからないけど。でもね、とりあえず一言だけ言える事は『そんなもの、放っておけ』だよ。バカバカしい」
「……バカバカしいって。俺結構傷ついてんだけど?」
「だからバカバカしいと言ってるんだよ。君等くらいの年代になれば、ある程度自分の言った言葉で相手が傷つくかどうかくらい判断がつくはずでしょ」
判断がついてて言ってるんなら尚更最低なんだけど、マスターは付け加えて続けた。
「どちらにせよ、君が悩む程の理由じゃない。バカが何か言ってると思って済ましとけばいいよ」
聞いて損した、とマスターは閉店作業を始めたのだった。何となく居づらくなった俺達は、そのまま会計を済ませて退店した。
「何かマスター怒ってたよな?」
カフェから出ると、信に訊いてみた。
「ああ。珍しいよな」
「俺、何か悪い事言ったかな?」
それが不安だった。笑い飛ばされるかして流されるかと思っていたのに、まさか不機嫌になられるとは思っていなかった。
「バカ、そうじゃねーよ。何つーかさ、要するにマスターは麻生の事を気に入ってんだよ。それが、そんな女に振られただけじゃなくてひどい事まで言われたってのに腹立ててるんじゃないか?」
さっきの話聞いたら俺もムカついてきたよ、と信は付け加えた。
こうやって、俺の為に腹を立ててくれる人がいる。それだけでも俺は嬉しく感じた。自分の為に怒ってくれたり、悲しんでくれたり、喜んでり……そういった気持ちがとても嬉しく感じる。
「つか、みんながお前を嫌ってるとか今は無いから。昨日だってクラスの女子が『麻生君って最近結構イイ感じだよね』って陰で言ってたんだぜ?」
それは初耳だ。俺がそんな風に言われるなんて、夢にも思わなかった。
「バンドの効果だってあるだろうけど、新しく何か見直せたり、かっこいいと感じる事があれば評価なんて変わるよ。所詮そんなもんなんだって、あいつらが思う『嫌ってる』なんてのはさ。空気読んでるだけなんだよ。だから、空気が変われば評価も変わる。そんなもんなんだよ」
信は呆れたように言いながら、肩を竦めた。
人への評価って、そんなものなのだろうか。先入観で全て評価しているだけなのだろうか。俺はあまり先入観で人を評価していないつもりだけれど、よく知りもしない人に関しては、今手元にある情報だけで判断してしまっているのかもしれない。
そしてそれを考えると、初対面の頃から俺という人間をちゃんと見てくれた伊織がどれほど思慮深い人間であるかを再確認させられる。俺はきっと、彼女のそういったところが好きなのだろう。
「だからさ、マスターの言う通り気にしなくていいんじゃないか? 何で白河梨緒嬢がそんな事言ったのか俺には解らないけど、お前は今自分がやるべき事をしてりゃいいんだよ」
「今自分がやるべき事、ねえ」
俺は信の言葉を繰り返した。
「そう、お前がやるべき事だよ。こっからは俺に言わせるなよ。俺だってお前と彰吾との板挟み状態なんだからよ」
要するに、さっさと伊織と付き合えと言いたいのだろうか。それは俺の気持ちだけでは決められないし、まず告白できるムードを作らないといけないし……付き合う以前に問題が山積みだった。
そんな頭痛を感じつつも、悩みを人に喋ったせいか、心なしか体が軽くなっていた。
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