4-12.結局邪魔が入った

 こんなに騒がしいSカフェを見たのは初めてかもしれない。いつもは物静かで、クラシックかジャズ、ボサノバなどの曲がかかっていて、いわゆるオトナのカフェだったのだが、今日だけは違った。昨日のファミレスの二の舞となっているほど、ガヤガヤしている。貸し切りなのが災いして、余計にうるさい。マスターがさっきから鬼のような形相で俺を睨んでいるが、これは俺の責任ではない。マスターの自業自得だ。

 まず、Unlucky Divaのメンバー達(ちなみに神崎君がライブ後に正式なメンバーとなる事を宣言したので、彼も含んでいる)、他にはSスタジオの須田店長、それに何故か眞下を含むうちのクラスの女子が数名に、後輩である菊田洋平とその友人数名がいる。洋平の友人の中には一年の女の子もいた。

 一年生の女子のテーブルには、早速信と彰吾がついていた。結構可愛い子もいるので、早速信が狙っているのだろう。本当に節操がない男だった。また、案外彰吾も下級生の女の子に人気があるらしく、笑いが絶えていない。

 そして、各々のテーブルで盛り上がっているカフェだけども、俺の周りにだけ人がいなかった。そう、これこそ俺の立ち位置である。

 少し落胆の溜め息を吐いて、カフェを見回した。普段はお客さんがちらほらいるだけのカフェだが、今では総勢二十人程がカフェ内にいる。この人数で押しかけた時のマスターの呆然とした顔と言ったらなかった。彼が平常心を崩すのは滅多に見れるものではないので、それだけでも勝負の価値はあったと言えるだろう。

 そして、今は不機嫌極まりないのであった。Sカフェは多人数でドンチャン騒ぎをする場ではないので、もちろんメニューも多人数向きではない。俺達メンバーに振る舞うだけとしかマスターの頭には無かった様なので、普段のメニューの品から何種類か夕方のうちに作り置きをしたらしいのだが、この人数ではすぐに無くなってしまうのは目に見えていた。彼は慌てて即席で多人数向けの料理を作り出したのである。即席であるので普段より味は格段劣るが、それでも家庭料理よりは上である。しかし、これでは本当に大赤字だ。彼の生活に関わってくるのではないかと心配してしまう。


「賭けなんかするから悪いんだよ」


 俺は食後のコーヒーを啜りながら、マスターに言ってやった。彼は下げられた食器を洗いながら、フンと鼻を鳴らした。

 まだ食べているのは彰吾ぐらいで、もう大半の人間はコーヒーか紅茶を片手におしゃべりに夢中だ。伊織も女の子達と笑い合っており、打ち上げが始まってから彼女とは話していない。

 男は男で集まり、会話を弾ませている。俺もその一人だったのだが、今はいつものカウンター席でマスターの作業をぼんやりと見ていた。Sスタジオの店長だけは、まだ仕事が残っているらしく早々と帰ってしまい、姿はない。


「そんなに俺って根性無い様に見える?」

「見えるね」


 マスターの即答ぶりに、俺はやや傷ついた。そこまで断言しなくても良いだろうに。


「少なくとも、数か月前の君なら絶対に挫折していたと思うよ」

「……かもなぁ」


 そう言われても反論できないのが俺である。そもそも俺は文化祭等にここまで力を入れる人間ではなかった。文化祭準備に力を注ぎつつ、ギターも練習……本当に大変な二週間だった。半年前の俺に出来るかと問うと、やはりできなかっただろうと思うのだ。


「俺は、変わったのかな……?」


 ふと、さっきから悩み続けている事をつい口に出してしまった。


「薮から棒に、どうした?」

「いや、別に……」


 俺が言葉を濁すと、マスターは溜息を吐いた。


「ライブ後から浮かない面をしているとは思ってたけど、またお悩み中? 少なくとも真樹に目立ったミスはなかったよ。へたくそだったけど」


 最後の一言が余計だ。


「ライブの事じゃないよ。その後に、ちょっとな……」


 俺が今この場で言っていいものか迷っていると、後から信の声が唐突に聞こえてきた。


「マスター、デザートは? 女の子達がいるのにデザート無しとは冷たいぜー?」


 マスターは今日何十回目かの溜息を吐きながら、洗い中の食器を置いて水を止めた。


「皿洗い、やっておこうか?」


 何だか可哀相になってきて、俺はそう提案した。


「ああ、助かる。但し、割らないでよ」


 マスターは「いきなりどうした?」とでも言いたげに怪訝そうな顔をしながらも、答える。

 なに、ただ何となく疎外感があったから皿洗いでもして気を紛らわそうとしただけさ、とは口が裂けても言えない。疎外感と、そして白河発言のモヤモヤを払拭できなくて、何だか落ち着かないのだ。


「安心して。少なくともプチ一人暮らしだった時は一枚も割らなかったから」


 俺は自分のコーヒーを飲み干してから席を立ち、カウンターへと回った。ここに通う様になってから大分経つが、カウンターの中に入るのは初めてだ。俺が入ったと同時に、マスターは予備のエプロンとゴム手袋を投げてよこした。

 マスターのこういう何気ない気遣いが俺は好きだ。彼は奥から明日の為の作り置きと見られるデザートを何種類か持ち、客席へと置く。


「マスター、信ってどれくらいツケ残ってんの?」

「一万程だったかな」


 どれだけツケてんだ、と内心呆れる。安さが売りのこの店で一万って……もしかして、アイツ一回も金払ってないんじゃないか?


「とりあえずそれは近いうちに返させるよ。アイツ、金が入るみたいなんだ」

「ほう?」


 マスターがにやりと笑って「詳しく聞かせてよ」と顔を寄せてきたので、信の写真による企みを密告してやった。やはり、道徳的にツケは返さねばならないと思う。信の為にも言うべきなのだ。


「……あいつはそういうくだらない事にだけは天才だなぁ。案外起業したらうまくいくタイプかもね」


 内容を話すと、マスターも呆れ返っている。そして、信のくだらない事の一つに乗ってしまったが為に彼も大赤字を出す羽目となったのだった。


「やれやれ……真樹、ちょっと明日の仕込みしなきゃいけないから、ここお願いね」

「え? でも、俺に何か作れって言われても無理なんだけど」

「食べ物を要求してきたらもう無いって言って。いつもカウンターに座ってるんだから、飲物系統の場所はわかるよね?」


 俺はそれ等がある場所を横目で確認した。コーヒーと紅茶は保温プレートの上のポットにまだ充分あるし、ジュース類は冷蔵庫の一番下だ。


「ああ、わかってる」


 マスターは頷いてから大きなあくびをして、奥へと入って行った。それから、俺が食器類を洗い切った頃に、ようやく眞下が俺の居場所が変わっていた事に気付いた。


「あれー? マスターが麻生君になってる」

「マスターは明日の仕込みだってさ。飲物のみ注文可」


 俺はカウンターの中にある椅子に腰掛け(店が暇な時、マスターはこれに座ってよく新聞を読んでいる)、ポットから自分のカップにコーヒーを注いだ。


「ほな麻生、こっちに何か持って来てーや」


 眞下の横にいた彰吾が、早速と言わんばかりに注文してくる。


「こっち紅茶ねー」

「コーヒーお願いします」

「じゃあ俺はコーラで」

「こっちは……」


 彰吾の注文を筆頭に、あれよあれよとほぼ全員が注文しやがった。最初の三人しか覚えてない。


「……同時に言って俺が全部覚えれると思うか?」


 とりあえず左から順に言わせ、近くにあったボールペンでメモ用紙に走り書き、それに従って飲物を容器に入れていく。途中で伊織が手伝ってくれたので作業は半分で済んだが、なるほど、と思った。この労力に対して無料で注文されるマスターのイライラが少しわかった気がする。

 八時を過ぎた頃に、一年生の女の子が帰ると言い出したので、これに伴って一年男子諸君と眞下達外国語科女子も一緒に帰った。彰吾と信は見送りで駅まで同行し、これが事実上のお開きとなった。

 残された俺と伊織と神崎君の三人は、とりあえずテーブルの上に残っている食器等を運んでから、誰に言われなくともそれぞれに動き出した。

 伊織は掃除、神崎君はゴミを分別したりテーブル等を拭いて回ったりして、俺は再び食器洗いに専念している。


「マスター呼んでこようか?」


 替えの布巾を取りにきた神崎君が言った。


「さっき奥を覗いてみたら、うつらうつらしてたから放っておいた方がいいんじゃないか? 実際疲れただろうからな」

「赤字だしね」


 神崎君の付け足しに、俺は苦笑を漏らした。それより、と彼は内緒話でもするかのように声を潜めたので、俺も彼に顔を寄せる。


「今日、麻宮さんと腕組んでたんだってね」

 伊織をちらりと見て、神崎君は言った。

「はっ……⁉」


 俺は危うく皿を落としそうになった。割ったりしたらマスターに殺されてしまう。神崎君はくっくっと笑いながら「ごめんごめん」と謝った。


「お化け屋敷やってたのって僕のクラスなんだよ」

「げっ。そうだったのか……」


 しまった。完全にノーマークだった。そういえば神崎君は五組だ。


「僕はその場にはいなかったんだけど、二人が付き合ってるのかどうかってクラスメイトに散々聞かれてさ。とりあえず『仲は良いけどね』って感じで適当にごまかしといたけど」

「そ、それはどうも……」

「実際どうなの?」

「いや、マジで付き合ってねーから」

「でも、勘違いされちゃうくらい仲良いんだよね?」


 普通科でも何回か噂になってたよ、と神崎君から驚愕の情報が飛び出てきた。まさか外国語科以外でもそういった話が広まっているとは思いもよらなかった。俺や伊織は他のクラスと接点がないのだ。


「その噂、彰吾は知ってんのかな……」


 一時期彰吾は、そういった噂が飛び出るたびに『誤解や!』と喚いていたけれども、最近はそういった話も聞かない。


「そこまではわからないけど。でも、普通科でも噂になってるくらいだから、耳には入ってるんじゃない?」

「だよ、な」

「それに、同じクラスだから教室での二人も見てるでしょ、彰吾君は。だったら、勘づきそうだけどねぇ」

「かかか、勘づくって、何にだよ⁉」

「二人が両想いなの」

「りょ、両想いって……⁉」

「付き合ってるようにしか見えなかった、ってクラスメイトが言ってたよ」


 また皿を割りそうになってしまった。心臓に悪い事を言わないで欲しい。その、昨日の屋上や帰りの事というか、伊織と出会ってからの一連の流れを思い返すと、そうじゃないかなと俺もちょっとは思うのだけれど、でも、期待はしたくない。俺はその自意識過剰っぷりで夏に痛い目に遭っているのだから、あれの二の舞はごめんだ。


「う、うるさいな。そういう神崎君こそどーなんだよ?」


 この話題は不利だと思って、話題を変えた。


「何が?」

「カノジョとかいねーの?」

「ギターが僕の恋人だよ」

「うわっ、何かすげー嘘臭い事言ってるし」


 もちろん、それが逃げの言葉である事を知っている。


「クリスマス近いし、頑張りなよ。あの様子だったらきっと上手くいくから」

「ぐ……お互いにな」


 俺は少し舌を出して言ってやると、神崎君は、何の事やら、と風に肩をすくめた。


「何の話してるの?」


 掃除を終えた伊織が、ごにょごにょと話す俺達に声をかけた。


「いや、もうクリスマスが近いなーって。ね?」


 神崎君がこちらに同意を求めるので、俺もウムウムと神妙な顔をして頷く。何故にそんな微妙な話を出してくるのかわからないが、とりあえず合わせるしかない。


「あ、そうだよねー。神崎君はもう予定あるの?」

「多分忘年会込みでクラスの奴等とドンチャンするんじゃないかな」

「ふーん……じゃあ、この前一緒に帰ってた可愛い女の子はどうするの?」


 伊織が少し悪戯に笑って訊くと、急に神崎君の視線が泳ぎ出した。


「あ、あれ? 電波悪くて聞こえないよ。もう片付けも終わったし、僕も帰ろうかな。マスターによろしくね」


 そのままそそくさと布巾を置いてから鞄を持ち、逃げ出すように店を出て行った。あまりにも不自然な言葉の繋げ方に、あまりに不自然な帰り方……なるほど、図星だったのか。俺と伊織は顔を見合わせ、互いに噴き出した。


「やっぱりな。さっきはギターが恋人だなんて吐かしてたが、変だと思ったんだ」

「この前、文化祭の準備で遅くなった時に見ちゃったの。すっごく仲良かったよ」

「へえ」


 神崎君は優しいし、ルックスも良いからモテるとは思っていたが、やはり彼女持ちだったか。羨ましい限りだ。


「神崎君達、デートするのかな? クリスマス」


 伊織がちらりと俺を見てから、また目を逸らした。


「どうだろう。あの様子だとしそうだけどな」

「デート、いいなぁ……」

「そう、だな」


 何故か、そこで沈黙を迎えた。クリスマスの話題に、沈黙。これは、明らかに誘うチャンスだ。というより、俺が誘うのを待ってくれている気がする。


『じゃあ、今度は麻生君から誘ってね?』


 初めてデートをした日の帰り道、伊織から言われた言葉がふと蘇った。

 彼女はあの時、こう言っていた。それにも関わらず、祭りに誘ってくれたのは伊織だ。そして、初めて遊びに行った時も、誘ってくれたのは伊織の方からだ。まだ俺は、一度も自分から誘っていない。


『待ってるから』


 伊織は、俺から誘われる事を待ってくれているのだろうか。もしそうなら……応えなければいけない。その期待に。

 俺は伊織に気付かれない様、こっそり深呼吸した。

 きっと大丈夫だ。昨日だって手を繋げたんだし。ハグだってした。

 そう思いつつも、もし断られたらどうなるんだろうか? と不安に思ってしまう。断られたら、立ち直れない。だが、そんな事を言ってたら、一生誘えない。それに、もし嫌なら『いいなぁ』なんて言わないはずだ。

 そんな脳内会議による自問自答が繰り広げられる。

 そして、俺は遂に腹をくくった。腹はくくったが、心臓が煩い程高鳴っていた。声が震えてしまわないか心配になってくる。


「あ、あのさ……」

「ん……?」


 心臓は早鐘の様に高鳴っていた。その間、何度も自分を勇気づける。

 伊織は俯いたまま俺の言葉を待っていた。


「来月の二十四日、イブの日なんだけど、予定とか、ある?」


 ここで『ある』と言われれば即死だ。でも、もし予定があるなら、誘わなくても済む。そんな逃げ道でもあった。


「ないよ……?」


 掠れた声で、伊織が答えた。彼女もやや緊張しているようだ。

 声がいつもより小さくて、掠れている。そして、今彼女は確かに『予定がない』と言った。それなら、もうここで誘うしかない。

 沈黙が俺達の間に降り注いで、互いにちらちら目が合う。

 彼女の頬が赤くなっていた。この様子なら大丈夫。きっと、誘っても大丈夫。

 ──行ける。そう思った俺は、次の言葉を喉から絞り出した。


「それなら、俺と──」


 デートしよう──そう誘うはずだった。しかし、その言葉は口からは出せなかった。とんでもない邪魔が入ったのである。

 いきなりカフェの扉が開き、喧しい二人の声が店内に響く。


「お、めっちゃキレイになってる!」

「あっ、何や三人で片付けてくれたんか? 後で俺等も手伝おと思てたんやけどなぁ」


 もちろん、信と彰吾の二人である。こいつらは何度俺の恋路の邪魔をする気なのだろうか。


「お、おせーよ。俺等三人でぱぱッと終わらせちまったじゃねーか」

「そ、そうだよー。神崎君なんかもう帰っちゃったよ?」

「そうなん? そら悪い事したなー! 明日御礼言わんとあかんな」

「いや、構わねーけどよ……」


 信と目が合った。この時俺達がどういう状況だったか、おそらく信は瞬時に見抜いたのだろう。とてもバツが悪そうな、また申し訳無さそうな顔をしている。

 それから居眠りをしていたマスターを起こし、挨拶と礼を言ってから俺達は家路へと就いた。

 帰る時に誘おうとしたのだが、なかなか会話の繋がり的にクリスマスの話にもっていきづらく、そのままいつも通りにバイバイと言って結局終わってしまった。我ながら不甲斐ない。だが、あそこまで言えたのだ。きっと、またそういう空気になれば誘える。そして、誘うチャンスはまだあるはずだ。明日こそはと、と夜空を見上げて意気込んだ。

 師走の月は、もうすぐそこまで近づいていた。

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