4-11.それでもなんだかんだ楽しい文化祭

 ──何なんだ、あの女はよぉ!

 心の中で大きく白河莉緒を罵った。思い出せば思い出す程腹が立ってくる。一体何が目的で今更喧嘩を売ってくるのだろうか? 彼女に振られてからもう五か月程になる。その間、彼女と関わりは一切持っていなかったのに、どうして今更こんな事が起こるのか、理解できなかった。

 そして、予想外にも彼女の言葉に傷ついている自分がいた。伊織達と出会い、周りが少しずつ変わって、あまり仲良くなかった女子とも話すようになって……良い方向に流れが変わったと思っていた。

 いや、実は変わってなかった、という事なのだろうか。俺がそう錯覚していただけで、嫌われ者なのは変わってないのか? そうとも知らずに俺は喜んでいたのか? 

 それならば、調子に乗っていると思われても仕方がない。大きな溜息を吐いてから、再び控え室に入った。

 そこには嬉しそうな顔をしたUnlucky Divaのメンバー四人と、マスターとSスタジオの店長がいた。


「麻生! 合格だってよ!」


 信は俺を見つけると、さっそく結果を告げた。そんなもの、言われなくても顔を見ればわかる。


「マジで? やったな! どうもありがとうございます、須田店長」


 俺は無理矢理笑顔を作り、ぺこりと頭を下げる。


「なぁに、構いませんよ。いいライブだった。技術的な課題はまだまだあるけど、将来性があるバンドだ。未来ある若者への投資だと思っています」


 俺達一同は、その称賛にもう一度お辞儀をする。


「さて、先輩。帰りますか?」

「うん、そうだね。大赤字覚悟でこのガキ共に僕が料理を振る舞ってやらなきゃいけないみたいだしね……帰って準備でもするよ」


 マスターはギロリと俺を一瞥してから、店長と共に出口へと向かった。


「……お前が変な賭けをしたせいで、マスターから怨まれる羽目になったじゃないか」

「だっはっはっ、気にすんな気にすんな! 旨い飯がたらふく食えるんだから、楽しみにしときゃ良いんだよ」


 信はまるで鬼の首を取ったかのように満足げに笑った。いや、実質取ったの俺なんじゃないか? こいつら何もしてないだろう。


「ほな俺らも着替えにいこか」


 一同は俺を除いて頷くが、伊織は控え室を出る間際、俺の方を向いて(クレープ)と唇だけ動かしている。目だけ笑っていた。

 どうやら、ライブ前の約束を覚えていやがったらしい。

 ただ、今の俺はそんな彼女のちょっとした動作で、気分が和んでいた。ほんとに、どんな回復魔法を使ってるんだろうな、伊織は。例え最悪な気分だったとしても、彼女の笑顔を見るだけでみるみるうちに柔らかくなっていく。

 ただ、今のままでは気分が悪いのも事実だ。この気分のまま打ち上げというのも正直嫌だった。伊織と気分転換するのも悪くない。

 俺は頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んで体育館入口辺りを指差した。(向こうで待ってて)(OK)と二人で唇とジェスチャーだけでやり取りをしてから、彼女が指定した待ち合わせ場所へと向かった。

 それから俺と伊織は、文化祭を堪能した。昼前とは違って、緊張も無かったので、真の意味で文化祭を堪能できたと言っても良いだろう。

 まず、伊織ご所望のクレープを食べ、美術部の作品を見に行ったり、彼女がパソコン部お手製の怪しい占いアプリに登録しようとするのを止めたり……何気ないひと時で特別な事なんて何も起こっていないのに、その全てが特別なように思えた。

 彼女と過ごしているうちに、白河莉緒に与えられた精神的汚染は、少しずつ浄化されていって、やっぱり伊織はすごいなぁと思うのだった。彼女といるだけで気持ちが和んでいく。

 最後に行ったのは、二年四組のお化け屋敷だった。もう文化祭も終盤に近づいてしまっているからか、お化けの方々もお疲れ気味で、いまいち気合が無かった。そんな彼等に気を遣ってか、伊織は大袈裟に驚いてあげていた──のは良いのだけれど、しっかりと俺の右腕がホールドされているので、お化けどころではなかった。

 腕を伝って彼女の温もりを感じながら、ふと白河莉緒の言葉を思い出した。これでも俺は嫌われているのだろうか。誰からも好かれないのだろうか、と。

 実を言うと、伊織と楽しく過ごしていながらも、頭の片隅ではそのしこりがずっと残っていた。白河梨緒の言い放った言葉が、何度も何度も耳の中で小さくこだましていたのだ。伊織と話してる時だけは笑顔を保って忘れようと努力していたが、今は室内が暗く、俺の表情が見られる事もないので、つい思い耽って暗い気持ちになってしまう。すぐには人は変われないのだろうか。頑張るお化けたちをよそに、そんな暗い事を考えていた。

 出口からは、夕日色に変わりつつある太陽の光が差し込んでいた。そのまま外に出たら、廊下にいた連中が驚いた顔でこちらを見ていたのだ。いや、正確には俺と伊織の間を見てから俺達二人の顔を見比べている。何かと思い、俺も二人の間を確認して見ると……腕が組まれたままだった。それに気付いた伊織は慌てて解き、距離を開けていた。彼女の白い頬が赤く染まっていたのは、きっと夕日の所為ではないだろう。


「それにしても、さすがのお化けもこの時間になると疲れてるんだね」


 周辺にいた生徒達の刺すような視線を浴びながらも、伊織は照れを隠す様に話し出した。


「もう夕方だからな。でも、なかなかいい演技してましたよ、伊織サン」


 俺は意外にも冷静だった。いつもなら、俺も顔から火が吹いててもおかしくない状態であるはずだ。やはり暗い事を考えていたからだろうか。


「やっぱりバレた?」


 伊織は照れた笑みを浮かべて、舌を出した。冷静だったのは、暗い事を考えていたからじゃないな、とその笑顔を見て思った。きっと、俺は……伊織といる事が自然と感じるようになっているのだ。自然体で伊織と過ごしていられる。手を繋いだらろくに言葉すら出てこなくなってしまったこれまでとは違って、昨日の屋上や帰り道でのやり取りを経て、変わってきているのだ。

 心なしか、俺達の距離が近いところを見ると、きっとそれは伊織も同じだと思う。


「バレバレだ。伊織はボーカルだけじゃなくて女優でもイケるかもしれないな」

「もう。またそんな事言って、今度は演劇とかやらせるんでしょ」

「お、じゃあ来年の出し物は演劇で決まりだな。信に言っとく」

「絶対やだ」


 そんな会話を交わしながら、終わりの近付いた文化祭を歩く。生徒たちは、打ち上げや後夜祭など、それぞれもう別の楽しみに向けて動き出しているようだった。俺達はと言うと、後夜祭には参加せず、マスターの打ち上げに直行するつもりだ。信によると、貸し切りらしい。Sカフェからすれば大赤字だ。


「打ち上げ、すごく楽しみ」


 伊織がにっこりと微笑んでそう言った。

 夕日に照らされたその笑顔があまりに綺麗で、誰にも見せたくないくらいに神々しくて。彼女がこうして素敵な笑顔を見せてくれる程度には文化祭を堪能できたのだと思うと──白河の事を除けば──俺にとっても最高の文化祭だった。

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