4-3.トラブル頻発

 それから少し経った頃「客足が途絶えている間に休憩に行ってきて」とクラス委員長に言われて、手持無沙汰でひとりぶらぶらと校内を散歩する羽目になった。どうせなら伊織と過ごしたかったのだけれど、彼女はちょうど指名が入ってしまったのだ。

 一人で過ごす文化祭ほど虚しいものはないな、と思っていると、いきなり「麻生君」と後ろから声を掛けられた。振り返ってみると、そこには紫と黒の浴衣を纏う中馬さんがいた。彼女も休憩中なようだった。


「あ、ねえ。ちょっと付き合ってくれない?」

「へ? 付き合うって何を?」

「文化祭。見て回ろうよ」


 驚きの提案だった。まさか中馬さんからそんな話が出てくるとは思っていなかった。


「俺と?」


 念の為確認すると、こくりと無表情のまま頷いた。


「えっと……何で?」

「嫌ならいい」


 意味がわからなかったので訊いてみたところ、中馬さんは不愉快そうに答えて、ふいっと顔を背けて横を通り抜けようとする。


「ちょ、ちょっと待って。別に嫌とは言ってないだろ」


 俺は慌てて横に並ぶ。中馬さんを怒らせる事は神の業火を呼び起こす事になるのだ。というより、もし怒ってそのまま仕事を放り出して帰られでもしたら、確実に俺はクラス連中から殺されてしまう。まるでキャバクラのボーイを無給でやっている気分になってきた。

 お昼を食べたいとの事だったので、飲食系の模擬店がある中庭に向かった。時間が時間なのでどこも混んでいたが、たまたま空いていたオムソバ屋さんの列に滑り込み、オムソバとお茶を購入した。そのまま空いているベンチに二人並んで腰掛けて、ほっと息を吐く。


「疲れたね」

「ああ、全くだ」


 木枯らしが俺達の間に吹き抜けて、中馬さんの茶色い髪を揺らした。。

 椅子に座っているだけで、一気に疲れが噴き出てきて、足が怠くなってくる。接客なんてした事がないから、気疲れもした。同級生の相手をする分には良いが、一般客や先輩の注文を取る時は特に緊張する。しかも、「浴衣の子に接客して欲しいんだけど」と嫌味ったらしく言われる事もあった。そういった時は「すみません、手が空いていないもので」と平謝りするしかないわけで、立場がない。ほんと、男って損だ。


「あたし、接客とか苦手だからぶっきらぼうだけど……あんなんでいいの?」


 中馬さんが不安そうに訊いてきたので、大丈夫だよ、と頷いてあげた。もとより、中馬さんの場合は無愛想に対応する事を想定しており、接客態度は期待していない。むしろ、彼女のターゲティング層は不愛想な女性が好きな男達なので、そうでなくては困る。ツンデレ喫茶とかがあるらしいが、きっとこういった趣向の人が多いからこそ成り立つ商売なのだろう。


「え? 接客って愛想良く笑ってするもんなんじゃないの?」

「普通はな。でも、普通じゃないし、たかが文化祭だし。気にする事ないんじゃないか?」

「そうなの?」


 中馬さんはいまいち納得していないが、とりあえずオムソバを口に運んでいた。無愛想があなたのステータスです、なんて言ったら二度と口を利いてくれないだろう。


「でも良かった。今は笑ったり出来る気分じゃないから」


 何口目かのオムソバを食べた時、彼女がふとそう口にした。


「なんかあった?」

「別に何かあったわけじゃないけど……昨日、命日だったから」

「命日? 誰の?」


 予想もしなかった単語が出てきて、驚いてしまう。


「付き合ってた彼の命日。死んじゃったから元カレになるのかな」


 別れたわけじゃないのにね、と中馬さんは遠くの景色を見やった。まさか彼氏と死別していた過去があるとは思っていなくて、言葉を詰まらせる。何といえばいいかわからない。

 そういえば、信が以前『あの子も色々あるんだよ』と言っていたのをふと思い出した。信はきっと、元カレの事を知っていたのだ。


「えっと……何で亡くなったの? 言いたくなかったらいいけど」


 間を繋ぐ為に、何とか言葉を絞り出す。


「事故死。バイクで走ってて、車と衝突して……でも、あたしが殺したようなもんなんだよね」


 中馬さんが唇を噛み締めた。


「どうして?」

「あたしが迎えに来てって頼んだの……そしたら、その途中で事故に遭って」


 中馬さんはプラスチック容器をくしゃりと潰した。彼女の表情から見て取れる感情は、後悔と悲痛さのみで、一年経った今も、その心が癒えている様子はなかった。でも、俺にはその悲しみが分かち合えなくて、察してやる事もできなくて、ただ黙り込むしかなかった。


「あたしが代わりに死ねばよかったのに」

「それは違うだろ?」


 彼女の自棄になっているような発言を見過ごせず、思わず否定した。


「もしそうなってたら、その彼氏さんは今の中馬さんみたいに自分を責めていたんじゃないかな」

「でも、あたしがあの時迎えに来てって頼まなかったら!」


 中馬さんにしては珍しく、語気を強めていた。瞳には膜が張られていて、思わず目を逸らしたくなってしまう。


「違う。彼氏さんは迎えに行きたかったから行ったんだろ。だから、殺したとかそんなんじゃないし、きっとそんな風に思われていたと知ったら、ショックを受けると思う」


 男として、それは何となくわかった。もし俺が彼の立場だとして、そんな風に思われていたら、悲しいと思う。


「そうだとしても。あたしが頼んでなければ……今も生きていたのに」


 中馬さんはぐっと涙を堪えて、睨むようにこちらを見上げた。

 中馬さんでもこんな顔するんだな、と胸が痛くなった。俺は普段、彼女をクールビューティーだとか冷静で冷たいとかそんな風に思っていたけど、あまりに自分の見る目の無さに苛立った。

 彼女は、ただ、感情を表面に出さないようにしているだけなのだ。感情をセーブする事で、悲しみや自責の念を抑え込んでいるのだろう。そうする事で、自責の念に耐えていたのかもしれない。

 この時ふと思ったのだが、もしかしたら人を寄せ付けないオーラもわざと放っているのではないだろうか。自分から人を寄せ付けないようにして、誰かと必要以上仲良くならないようにする為に……そして、人に心を許してしまわない為に。人という生き物は、心を許してしまうとどうしてもわがままになってしまう。そうなった時、また同じ事を繰り返してしまうのではないか、と考えているのかもしれない。


「ごめん、何でいきなりこんな話しちゃったかな。忘れて」


 中馬さんは溜息を吐くと、視線を手元に戻した。潰れたプラスチック容器が寂しげに彼女を見上げていた。


「こんな話されて、忘れられるわけないだろ」

「……うん、それもそうだね。ごめん」


 中馬さんはふっと笑った。


「あたしも誰かに話したかっただけなのかも。この事は詩乃しか知らないし、でももう詩乃には散々去年迷惑かけたから……」


 もう弱音を吐きたくなかった、と言ってペットボトルのお茶を口に運ぶ。もしかしたら、信は眞下から聞いて知っていたのかもしれない。


「どうして俺に?」

「麻生君は……少し彼に似てるとこがあるから。あんまり辛くても感情を表に出さないし、我慢するタイプだろうし」


 それは遠からず当たっていた。


「麻生君は気付いてなかったと思うけど、あたし、結構前から麻生君の事見てたんだよ」


 これもまた驚きの告白だった。俺は彼女からの視線に全く気付いていなかったからだ。


「麻生君が教室でどんな風に思われてたか、友達の少ないあたしでも見てればわかるし」

「それは、さぞかし可哀想に見えていただろうな……」

「そういう事じゃないよ。いつも不機嫌そうだけど、それは虚勢張ってるだけで……ほんとはつらいんだろうなって」


 これが、中馬さんが俺に話しかけた理由だったのかもしれない。多分、彼女の目から見ても、俺は危うかったのだ。確かに、周りを拒絶する態度をとることで自分を保っていた時期がある。白河との事があってからは、余計にそれが顕著となっていた。もう、それしか自分を守る術を知らなかったのだ。あのままだったらどうなっていたか、自分ですらわからない。伊織や信、そして中馬さん達がいなかったら、きっと今も俺は塞ぎ込んでいただろうし、もしかすると、信ですら拒絶していたかもしれない。


「あたしにじゃなくていいから、自分の事をもう少し話してほしい。周りも不安だと思う」

「自分の事を話す、か……」


 確かに、俺は自分の事を滅多に人に話さない。話す必要がないと思ってしまうのだ。ただ、それが原因で、自分で全てを抱え込んでしまいがちなのも薄々自覚している。


「頑張るよ」


 言うと、中馬さんは、少し微笑んで頷いた。


「ただ、その……せっかく話してくれたのに、俺は大事な人が死んだりっていう経験がないから、その気持ちもわかってやれないのが申し訳ないんだけどさ。なんとなく想像できるけど、全然わからない。ごめんな」

「別にいいよ。わかってほしくて言ったわけじゃないし」


 中馬さんは視線を落として首を横に振った。


「でも、そんな俺でもなんか力になれるなら、頼ってくれていいから」


 正直、何も力になれないと思う。しかし、何か声をかけてあげたかった。何か力になれる事があるのなら、なってあげたい。彼女が俺に手を差し伸べようとした様に。


「……ありがと。どっちが元気付けられてるのかわからないね」


 中馬さんはにっこりと笑って、ベンチを立った。気づけば休憩の時刻をすぎていたので、俺達はあわてて校舎に戻って教室を目指した。

 彼女の横を歩きながら、俺は考えていた。

 幸福や不幸とは……一体何なんだろうか?

 俺は今まで人生の軌跡を残せず、嫌われ怨まれ、何の才能も無く何をやっても上手くいかない人生を送っていた。それに比べて中馬さんは綺麗でモテているし、頭もいい。更に他人には流されないマイペースさで、人生を自由に生きているようにみえる。俺みたいな奴からすれば、彼女は幸せの塊ではないかと思っていた。

 けれど、それは違っていた。そもそもその考え方から既に間違っているのだ。幸も不幸も人によって違う。周りから見て幸せだと思えても、本人にとっては不幸な事もたくさんあるのだろう。不幸というものは大体それでわかる。自分が不幸と思ったら不幸なのだ。そしてかなり多くの人がそう思ってるはずで、そう考えると、大半の人は不幸といえる。

 では、幸せな人とは、どういう人なのだろうか。

 例えば中馬さんを例に挙げてみても解るのだが、俺から見れば恵まれている人でも、自分が幸せだとは思っていない。ましてや彼氏に死なれたら幸せと思えるはずが無いだろう。

 各個人それぞれの中に迷いと葛藤、悲しみや苦しみがあり、その中で生きている。幸せが存在するのかさえ解らない。しかし、幸せという言葉が存在しているのだから幸せは存在するはずだ。

 ただ、幸せは、不幸を帳消しにはできない。どんなに身体を幸福という鎧で纏っていても、不幸という衝撃はやってくる。どれだけ筋肉を鍛えていても、殴られれば痛いのと同じだ。大小こそあれど、痛いものは痛い。

 そう考えてみると、『何かを持つ事そのもの』が不幸に繋がるのではないだろうか。

 金にせよ、恋人にせよ、友達にせよ……あるものは失うリスクがある。失うリスクがあるものは、人を不幸にしてしまうのだ。

 では、何も持たない事が幸せなのか? と問うと、きっとそうではない。何も持たないこの数か月の生活にあったものは、虚無だったのだから。


「あっ、麻生! やっと見つけた……!」


 中馬さんとはトイレで別れ、歩いて教室に向かっていると、信が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 どうして信はこんなに焦っているのだろうか。時計を見ると、まだ一時前だし、混む時間だとも思えなかった。


「なに? 店に客が予想外に来て人手不足?」

「いや、店は問題無いんだ。それより麻宮がな……」


 そこで信が口ごもる。


「伊織がどうかした?」

「……なぁ、お前等一体何話してたんだ? 中馬さん、泣きそうな顔してたじゃねぇか」


 ぎくりとする。まさかさっきの二人で過ごしていた場面を伊織に見られたということか?


「お前等の後で俺と麻宮が休憩入ったんだよ。その時麻宮がお前を探そうって言いだして、二人で探しながら歩いてたら中馬さんと話してるとこ見ちまってさ。気付いたら麻宮いなくなってるしよ」

「悪い……」

「俺はもう別にいいけどよ。麻宮、電話も繋がらねーし、既読もつかねーしでもうお手上げなんだよ」


 信はスマホをこちらに見せて、溜め息を吐いた。

 こう言ってくれているが、きっと信も心の中では気にしているに違いなかった。普段はおちゃらけている信でも、中馬さんの件だけは笑って済ませられない。真剣であればあるほど、済ませられるわけがない。それは、俺自身がよくわかっていた。ただ、きっとこの前に揉めた事もあって、信はもうその感情を表に出さないようにしているのだろう。


「まあ、きっと見つけても俺にはどうにもできねーだろうからさ。お前が何とかしてこい」

「……とりあえず、探してくるよ」


 俺にもどうにかできる気がしないけれど、きっとこれは俺が何とかしなければならない問題なのだろう。少なくとも、俺が原因なのだから。


「当たり前だ! お前の穴は俺が埋めてやるから、さっさと行ってこい!」


 げしっと信に蹴られるがまま、送り出される。

 本当に、もう……文化祭なんて、やっぱり参加しなければよかった。そう心の中で呟いて、嘆息を漏らした。

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