3-11.垣間見えた闇

「ゆ、夢とちゃうか」

「麻生、お前すげーよ……」

「いや……俺もまだ信じられてない」


 あの女子帝国の攻撃を防ぎ切り、しかも和解交渉まで成立させてしまった。この事実に、夢と現実をいったり来たりしているような、変な感動を覚えた。


「お疲れ、真樹君」


 俺の肩をぽんと伊織が叩き、安堵したかのような笑みを見せた。教室が沈黙に包まれた時、伊織は何度も助け舟を出そうとしていたのだが、それを目で制していた。悪者になるなら俺一人でいいと思っていたからだ。


「マジで殺されるかと思った……」

「怖い人を三人も倒しちゃう人が言っても信憑性が無いなぁ」

「チンピラの方がまだマシだっつーの……」


 腰を抜かしたようにしゃがみ込み、ぷはーっ! と大きく息を吐いた。きっと何分間か呼吸していなかったに違いない。空気が久しく感じる。


「男子ー、早く行くわよー。教室の電気消してきてね」


 一服する暇もなく、廊下から女子の声が聞こえてくる。その声にうんざりしながらも、信と彰吾は教室の入口へと向かっていった。


「おーい、麻生。いつまでしゃがんでんだ? お呼びだぜ」

「もうちょっとだけ休んでく。マジで疲れた」

「ほな先行ってるでー」


 自分達の仕事が軽くなったせいか、信達の足取りはご機嫌な様子だった。御蔭でこっちは五年分くらいの勇気を使う羽目になったけども。


「ほんとに大丈夫? 保健室行く?」


 相変わらず屈んだままの俺に、伊織は自分も屈んで心配そうに顔を覗き込んでくる。


「あれだけ偉そうに言ってた俺が行かなかったら、マジで殺されるだろ。だけど、もう少しだけ待ってくれ」


 俺がさっさと行かないのは膨大の精神的疲労ともう一つ理由があった……伊織と二人っきりになれるという事。バンド結成が決まったあの夜から、俺達は二人でゆっくり話す時間がなくなっていた。今もゆっくり話せる環境では無いけれど、もう少しだけ二人の時間を守っていたかった。彼女はゆっくり立って、近くの席にもたれかかるようにしていた。


「ねえ」

「うん?」


 俺もずっと屈みっぱなしでは足が痺れてくるので、一度立って伊織と向かい合えるよう、彼女の正面の席に腰掛けた。


「ご両親はもう帰ってきたんだっけ?」

「ああ、母親だけ一昨日からな。帰ったらいきなり居たからびっくりしたよ」


 実際は『今日帰る』とLIMEが入っていたのだが、未読スルーしてしまっていた。母は半月に一度くらい帰ってきて掃除等はしてくれていたのたが、これで俺の一人暮らしモドキは終わりを告げたのだった。


「よかったね」

「よくねーよ。御蔭で朝の準備まで出るハメになったんだから」


 伊織に弁当を作ってもらっている事は母には言っていない。言うと何かとうるさいし、あまりそういう事を親に話したくなかった。いつも通りに起きると母が弁当を作ってしまうので、その時間を与えない為に俺は昨日から朝七時に家を出発していたのだ。要するに、伊織の弁当が食べたいが為に早起きしている状況だ。


「じゃあ、もうお弁当いらないよね?」


 少し悪戯な笑みを作って、サディスティック伊織ちゃんは言った。こうやって彼女はたまに俺をいじめてくるのだ。


「だから要るって。何の為に早起きしてるかわかんねーだろが」


 早朝から文化祭の準備に行ったりバンドをやったりと、以前より積極的な俺を見て母は感心していたが、こんな下心があるとは思ってもいないだろう。

 しかし、文化祭が終わってしまうと早く来る用事がなくなってしまう。どのみち正直に母に話さない限り、伊織の弁当が食べれるのは残り数日だけという事だ。


「はぁ……一人ん時は何でも気が楽だったのに、親がいるだけで凄く縛られた気分になるよ。窮屈過ぎ。ずっと一人がよかった」

「………………」


 俺の言葉を聞いて、伊織は下を向いて俺から目を反らすと、黙り込んだ。何かまずい事を言ってしまったのだろうかと内心あたふたしていると、彼女はぽつりと漏らした。


「……真樹君は一人が寂しくないの?」

「え……?」


 その瞳は僅かに潤んでいた。全く理解できずにますます混乱した。本音だけ言えば、ここ数か月の一人暮らし期間は全く寂しくなかった。親がいると何かと時間が制約されてしまうので息苦しい事この上ない。うちの親はかなり過保護で、何かと俺に秘密を持たせてくれない。過保護というより、俺の事を知らないと気が済まないらしい。文化祭まで来ると言い出したが、冗談じゃなかった。俺の生活圏内に侵入されたくない。とりあえずそこは幸運にも、母の仕事が文化祭日の土日と重なってくれたから助かった。この年になってまで親に学校に来られたとなったら恥だ。


「私は寂しいな……一人ぼっち」

「……伊織は一人ぼっちじゃないだろ?」


 俺がいるだろ、とまでは言えなかったが、とりあえず勇気を振り絞ってみた。さっき全勇気を放出したかと思ったが、まだ予備タンクに残っていたらしい。


「そう、だね。私には真樹君がいるもんね。彰吾も、信君も、クラスのみんなもいるから……」


 力無く彼女は微笑もうといしているが、失敗して、また顔を伏せた。

 伊織は……何を隠しているのだろうか。彼女は何も話してくれないし、話してくれなければわかるはずがない。しかし、下唇を噛んで、何かに必死に耐えている様子を見ると、結局何も訊けなかった。


「さ、早く行こっ? ほんとにサボってると思われちゃう」


 目尻に溜まった雫を拭い、すっともたれていた机から立ち上がった。空元気なのは誰が見ても解る。やはり、伊織には何かあるのだ。この時期に転校してきた理由、抱えている闇が。

 こうしているだけで、それで何かわかるわけでもなく……彼女の何らかの悲しみが消え去るわけではない。そして何より、俺自身がショックを受けていた。

 俺は伊織の事をほとんど知らない。改めてそれを認識してしまったからだ。

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