3-5.オリジナル楽曲へのチャレンジ
信のオリジナル発言に、俺達が驚くのも無理はない。あと二週間で二曲コピーするだけでも大変なのに、更にオリジナルをやるなんてアホにも程がある。最低でも一か月は欲しい。
「信、そらちょっとキツいんとちゃうか?」
「うん、今から編曲してたんじゃとてもじゃないが間に合わないよ」
「しかも俺等まだ合わせた事ないんだぜ? さすがにムチャだ。俺なんてブランクが相当あるんだし」
俺達は口々に反論した。しかし、伊織だけは事態をよく解ってない様子で、ちょいちょいと俺の裾を引っ張り、小声で「なんでみんな信君に反発してるの?」と訊いてきた。
「自分達で一から作曲するって言うからさ」
「一から? 凄いね……プロみたい」
「だから大変なんだよ」
「あ、そっか」
手本もないものを歌わされる張本人なのに、何とも能天気な会話だ。
ぼやく俺達を信は手で制して、鞄から別の譜面を取り出した。作曲だけでなく、全パート分の編曲まで作曲ソフトで済ませており、譜面通り演奏するだけで良い状態だと言う。わざわざ俺の為にタブ譜まで打ち込んでいるあたり、呆れてものも言えない。こいつは結局、伊織がボーカルをやって俺がギターをやる事まで見越して動いていやがったのだ。
「それは解った。でも、練習はどうするの? 一応放課後に音楽室を使わせてもらえるけど、一バンド週二回って決まってるよ?」
神崎君の放った言葉が俺達を現実に引き戻した。
「あ、それ先生も言うてたなぁ。せやかて他の日はスタジオ使うとか言うとったら結構な金要るで」
「あっ……」
そこで信の言葉も途切れる。
さすがにそれでは話にならない。俺だってまだ親が帰ってきていないのだし、生活費以外支給されてないのだから、スタジオ代に回す余裕はしない。日数が無いし、練習する場所まで無い。これでは八方塞がりだ。さっきまであれ程色々とうるさかったカフェ内が、今度は静まり還ってしまっていく。
「全く……君たち、音楽ナメてるの?」
カウンターで成り行きを見守っていたマスターが溜め息を吐いてから、口を開いた。
「神崎君や真樹の言ってる事が正しいよ。はっきり言って無理でしょ」
その言葉にキッと信がマスターを睨んだ。
「やる前から諦めろってマスターらしくないじゃないスか……!」
「じゃあ、どうするっていうんだい? 本番まで二週間、練習場所もなければスタジオを使う金も無い……ライブ経験者すら殆どいないバンドなんだから、二曲コピーするのさえかなり大変なはずでしょ。にも関わらずオリジナルまで加えようとする。人が集まっただけでバンドができると思ってない?」
マスターの言葉に反論できず、信は俯いて唇を噛み締めた。
厳しい言葉だが、マスターの言う通りだ。メンバー全員が即戦力だったなら可能だったかもしれないが、神崎君以外はライブ経験がないので、少し無理がある。気まずい空気が流れた……と思いきや、マスターは表情を崩した。
「……と、まぁ普通ならこう言うね」
信がハッとして顔を上げる。
「信がバンドをやりたがってたのは前からよく聞いてたわけだし、こうやって常連客が悩んでるわけだ。力になってあげるよ」
「ま、まさかマスターが助っ人に⁉」
「違うよ。駅前にスタジオがあるのは知ってる?」
まだここに来て間もない伊織と彰吾以外は頷いた。確か結構立派なスタジオで、値段もその分高かった記憶がある。確か店名は『スタジオS』……そこで俺の頭の中で繋がった。
「あ、まさか……」
「お、さすが真樹は気付いたか。あのSはここのSUN's CAFEから勝手に捩じりやがったんだよ」
「マスターさんの知り合いなんですか?」
伊織が興味深そうに尋ねると、マスターが「まあね」と頷いた。
「大学の後輩さ。アイツはずっと音楽から離れられなかったみたいで、今も細々とやってるよ。もしよかったら、連絡しとこうか? 多分定休日とか閉店後少しの間なら使わせてくれると思うけど」
「お、お願いしますぅ! マスター!」
「アンタは偉い! 器のでかさは日本一やで!」
信は感動のあまり泣きそうになっていた。全く、不覚にもこの人の寛大さというか、人間性には感動させられてしまう。まるで仏様だ。
「ただし、だ」
マスターが咳払いして続ける。
「完璧にやれ、とは言わない。でも、ここまでしてあげるんだからさ。諦めずに自分が描いたもんを追い掛けてみなよ。夢を追える、未来に希望を持てるってのは、若者の特権だからね」
「マスター……」
この言葉に俺まで泣いてしまいそうになった。しかし、この男はどうしてこんなにも立派なのだろうか。あと一〇年生きたとしても、こんな大人になれる自信がなかった。これではいつまで経ってもマスターに追い付けそうにない。ただ、マスターのこの言葉は少し引っ掛かりも覚えた。それでは、今のマスターは、未来に何の希望も抱いていないみたいだ。まだ三〇前後だというのに。
「マスターも昔バンドをやってはったんでっか?」
「大学の頃、軽音サークルで少しね。まあその話はまた今度。もう夕飯の時間だし、子供は帰りなよ」
これは照れ隠しだろう。この男、寛大だが意外に照れ屋なのだ。
「げっ、もう七時じゃねーか! 母ちゃんがまたキレる!!」
時計を見て、信が慌てて帰り支度を始めた。信の家では、夕飯より遅くなる際は連絡を入れておかないと怒られるらしい。俺も母親がいた時はそうだった。
彰吾や神崎君もそれに続いたが、俺は家に帰っても誰もいないので、そのまま席を立たず、慌ただしい光景を眺めていた。伊織も同じらしく、座ったまま彼等に手を振っている。彼女は親御さんに何の連絡もしなくて良いのだろうか? そういえば、伊織から親御さんの話を聞いた事がない。
「あっ、麻生」
出ていく際に信が振り返った。
「何だよ?」
「オリジナルでやる曲さ、まだ歌詞が無いんだよ。感性とか文章力とかはやっぱお前の方が良いからさ……麻生に書いて欲しいって思って歌詞はつけなかった。書いてくれるか?」
「……まあ、いいけど」
マスターに感化されたか、信までグッと来る事を言いやがる。この青春野郎どもめ。
「じゃあ一旦家帰ったら飯食い終わったら音源持ってくよ。今日中に書けよ」
「今日中⁉」
「早く麻宮に歌詞覚えてもらわねーといけないんだから、当然だろ? あと、あくまでも麻宮が歌うんだぞ? そこんとこ考えて、前みたいなゲドゲドな歌詞書くなよ。じゃあ、またすぐに戻ってくんぜ」
そう言い残して、信は疾風の如く去って行った。残された俺達は、顔を見合わせ苦笑する。
「あのバカ……今日中に歌詞書けとかムチャな注文しやがって」
歌詞や詩というのは、感性やその時の気分、感情がとても大事なのだ。心身共に良い状態でないと良い詞は書けないし、一度煮詰まってしまうと雁字搦めになってしまう。
「ねえ、ゲドゲドな歌詞ってなに?」
伊織が一番面倒なところに興味を示す。
「昔の事だ……スルーしてくれ」
メタルにハマっていた時期に、その歌詞を真似てかなり痛々しい歌詞を書いた事があったのだ。とてもではないが、あんな恥ずかしいものは人様には見せられない。
「伊織ちゃん、コーヒーお代わりいるかい?」
不意にマスターが伊織を呼んで、コーヒーポットをタプタプ揺らした。
「あ、はい! ぜひ」
伊織の返答を聞いてマスターはにこりと笑うと、「お代わりはサービスって事で」とコーヒーを彼女のカップに注いだ。彼が無料でコーヒーを提供するのは珍しい。
「え、いいんですか? ありがとうございます」
伊織は恭しくお礼を言ってから、カップを鼻に近付けてすぅーっと息を吸って香りを満喫していた。彼の淹れるコーヒーは、香りからして他のコーヒーとは違うので、伊織がそうしたくなる気持ちもよくわかる。
「この香りだけで満足できちゃいそう。とっても良い香り」
マスターは「ありがとう」と言ってからポットをカウンターの保温機の上に戻して、もう一度俺達の席まで戻ってきた。
「あんな風に信を嗾けといてなんだけど、伊織ちゃんは本当に良かったのかい? 嫌なら断った方がいいよ。音楽なんて、楽しまなければ意味無いから」
マスターの問いに、少し困ったように微笑んで「良いんです」と答えた。
「確かに不安ですけど……信君と彰吾の情熱に負けたっていうか、力になってあげたくなったっていうか。二人があんなに目を輝かしてたのって今まで見た事無かったから。私はもう、ああいう情熱なくなっちゃったし……ちょっと羨ましくて」
伊織の微笑みはどこか諦観じみていて、自分はもう空っぽだと言いたげだった。彼女がどうしてそんな事を漏らしたのか、真意を汲み取る事ができない。マスターにはその意図が汲み取れたのか、「何かが切っ掛けで、その情熱が戻ってくる事もあるよ」と俺を見て笑みを浮かべてから、カウンターの中へと戻って行った。
「そんなに頼っちゃっていいのかな……」
独り言のように彼女はそう呟いて、コーヒーに映る自分をぼんやりと眺めていた。
「……伊織?」
何だかそのまま放っておくと彼女が消えてしまいそうだったので、思わず声をかけてしまった。伊織はハッとして「ごめん、気にしないで」と慌てて笑みを作り、誤魔化すようにコーヒーを口に含んでいた。
「大丈夫か? ほんとに嫌なら俺の方から断っておくぞ」
「ううん、そうじゃないよ。それに、今は真樹君達とたくさん想い出作りたいし……だから、怠け者の私もちょっと頑張っちゃう」
可愛いガッツポーズを取って、伊織は優しく微笑みかけてくれた。
彼女はどうして自分を怠け者だと言ったのだろうか。そして、彼女がこの時言った〝想い出〟という言葉。彼女から発せられたこの言葉は、俺達が漠然と使っている〝想い出〟とは何か違う……そんな印象を受けた。だが、彼女の笑顔からは何も読み取れなかった。
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