2-14.クリスマスを意識し始めたとき

「この顔の傷はやな、俺がヤクザを倒した時の勲章で……」

「みんな信じちゃダメよー、泉堂君は不意打ち食らってベソかいてただけだから」

「誰がいつベソかいたんや⁉ 麻生が来ぇへんかったら俺の跳び後回し蹴りで──」

「一発でダウンしてたのに?」

「しとらへんわ! あれは相手の油断を誘う為や!」


 教室の中では泉堂&眞下のアホアホ漫才が繰り広げられていた。教室に入ると視線が一斉にこちらに向けられたが、その視線には気付かないふりをして、自分の席に戻った。

 隣の席の中馬さんは日本史のテキストを開いて熱心にマーカーを引いていたが、その熱心さが俺には呑気に見えた。一体誰が元で起こった事件で誰を助ける為にあんな怖い目にあったと思ってるのだろうか。

 しかし、そんな文句を中馬さんに言っても仕方が無い。全ては俺の意志で行った事なのだから。

 溜め息を吐いて弁当箱を鞄に入れて、机に突っ伏した。この弁当箱は伊織が俺の為にわざわざ購入してくれたものだ。食べ終わるとこっそり返す予定だったのだが、教室の中では返し辛い。

 ポケットの中からスマートフォンを取り出し自席で予習している伊織にLIMEを送った。


『弁当箱、後で返すよ』


 すると、メッセージに気付いた伊織から、すぐに返事が返ってきた。


『ごめんね? 何か彰吾が騒ぎ広げちゃって。私も口止めしたんだけど、眞下さんと同じノリでどんどん進んじゃってて……』


 呆れた様子のクマプースタンプが添えられている。

 ちらっと彰吾を見ると、眞下やらその友達と楽しそうに昨日の話をしていた。まあ、喧嘩腰で話しかけてこないなら、それに越した事はないかなとも思っている。


『ところで、今日のお弁当はどうだった? ハンバーグにソースかけるの忘れちゃったんだけど』


 俺が返信を打ち込んでいる最中に、伊織から新しいメッセージが送られてきた。

 この通り、伊織の返事は新たに話題が加わって返ってくる事が多い。俺もLIMEは嫌いではないからそれなりに返すが、眠たい時や疲れてる時に長い文が来られると返事が適当になりがちなので、注意が必要だ。

 素っ気ない返事を返してしまうと伊織の場合、自分のLIMEが迷惑なのではないかと心配するのだ。そういった時は彼女の返事の文字から悲しそうなオーラが漂っているので、すぐわかる。別に悲しいスタンプを使っているのではない。ただ、何となくわかってしまうのだ。

 文面でなら好きなだけ嘘を吐けると言うが、案外言葉の端々に感情が写し出されてくるので、よく見れば見抜けるケースも多い。

 さっきLIMEが嫌いではないと言ったが、あまりこれに頼り過ぎたくないとも思っている。例えば、それこそ感謝の気持ちとか、謝罪の気持ちだったりとか……そういった気持ちは直接言葉で伝えたい。


『昨日の件に関しては何も言わなくて良いよ。噂は勝手に尾鰭がついて飛び立つから今更あがいても無駄。あの二人がコンビ組めば話は十倍くらい大きくなって広まっていくだろうし。ちなみにハンバーグはソース無しの方が好み』


 こういった感じでどんどん繋がっていく。普段伊織と学校で連絡する事はあまりないのだが、席も離れてしまったし、こうやってコソコソするのも何か楽しい。結局次の授業の間も俺達はずっとLIMEでメッセージを送り合っていたのだった。


 そして放課後……遂に恐れていた事が起こった。いきなり校内放送で生徒指導室に呼び出されたのだ。

 何の事かと思えば、案の定昨日の喧嘩の話で、どうやら眞下達のアホアホ漫才を聞いた誰かが教師に告げ口したらしい。そして事情聴取という名の自白強要タイムが訪れたが、知らぬ存ぜぬで通してやった。黙秘権だ。勝手にそんな噂話があるだけで俺は知らない。俺の評価を落としたい奴の陰謀だ、と言い張ってやった。

 ただ、目撃者が実際にいるわけで、教師が証人探しに本気になれば、俺の主張が嘘だとバレてしまう。仮に眞下達が呼び出された場合はどうしてくれよう……眞下は俺に助けられてるからいいとして、問題は彰吾だ。あいつはきっと俺の事を内心嫌っているので、本当の事を言うかもしれないし、実際に殴られている被害者でもある。考えただけでもまた頭が痛くなった。

 教師から解放されたころには、外はうっすらと暗くなっていた。図書室も閉まっているし、大体の部活も終わっている。校内は薄暗く静まり返っていて、気味が悪く足音だけが廊下に響き渡っていた。

 ふとスマホを見てみると、LIMEが一時間程前に着ていた。開いてみると伊織だった。


『玄関で待ってるね』


 クマプーが玉乗りをしているスタンプが貼られていた。着ていたメッセージはその一通だけだ。

 彼女の性格なら、待ちきれない場合でも『やっぱり先に帰る』と一言連絡を入れるはずだ。それが無いという事は、待っている可能性が高い。

 慌てて生徒玄関に向かうと、靴箱から話し声が聞こえてきた。片方は伊織の声で、彼女は誰か女性と話しているようだった。聞き覚えのある声だが、誰だろう?


「よっ、お待たせ。誰と話してん……の?」


 あまり深く考えずに、無警戒に伊織に声をかけてしまったのがまずかった。そこにいたのは──白河梨緒だったのだ。白河も目が点になって固まっているところを見ると、伊織が俺を待っていたとは思っていなかったのだろう。

 フラれてから意識して白河の方は見ないようにしていたから、こんなに面と向かったのは随分久しぶりだ。いや、そういえば一度だけ前にもこんな事があった。伊織と初めてデートをした時、伊織の服を選んでやった時に、白河とその友人の野田啓子と遭遇したのだ。

 あれ以降彼女とは目が合う事はよくあったが、お互い気まずいし、どうしても意識はしてしまう。だが、それはあくまでも教室の中や廊下だ。目が合ったとしてもすぐに逸らしてしまえばそれで終わる。

 久々に近くで見て思うが、白河梨緒は小さくて可愛い。今日はセミロングの髪を後で一つに束ねてポニーテールにしており──って、何を見ているんだ、俺は。

 伊織みたいな理想的な女の子が俺を待ってくれていたのに、一瞬でも昔持っていた感情を思い出してしまう自分が嫌だった。きっと、信が『白河梨緒がお前の恋人候補に挙がる』なんて言うからおかしくなったのだ。


「……どうしたの? 二人共」


 固まってしまった俺達を見て、伊織が怪訝そうに首を傾げる。


「な、何でも無い。あたしはもう帰るから、また明日ね、麻宮さん!」


 白河はかなり動揺しながら、小走りで先に帰った。

 どこか気まずい空気が俺と伊織を包んだ。何故だろう……昨日の今くらいの時間は祭りで手を繋いでいたのに、何故こうも遠くに感じてしまうんだろうか。昨日の幸せな一時は夢だったのかな。もう、ああして手を繋げる事はないのだろうか。


「……帰ろっか」


 伊織は振り向いて微笑むと、そのまま歩き始めた。俺も横に並ぶが、会話が全く思い浮かばない。

 そういえば昨日の帰りも同じ状況だった。昨日は中馬さんで今日は白河梨緒……一体どうしてこうも歯車が狂い出すんだか。俺が何をやったというのだ。


「それはそうと、どうだった? 放課後の呼び出しは」


 予想に反してか、伊織は何も訊いてこなかった。何かあったのか、程度の質問は覚悟していたので、ちょっと肩透かしだ。いや、肩透かしなら肩透かしで良いのだけれど。白河との事なんて伊織には話したくないし、昔の恋の事を今更思い出したくもなかった。


「最悪だよ。伊織が待ってなかったら凹んだまま帰らなきゃいけなかったな。待っててくれてありがとう」

「どういたしまして」


 伊織が悪戯げに笑って、俺の肩に優しくパンチした──かと思えば、そのまま俺の制服の袖を抓んで、ぎゅっと引っ張られる。ちょっとびっくりして彼女を見ると、彼女は真剣な眼差しで、俺を見据えていた。


「今回は仕方がなかったかもしれないけど……もう危ない事しないで。お願い」

「昨日約束しただろ。もうしないって」

「うん……」


 伊織は頷くと、少し名残惜しそうに俺の袖を離した。きっと彼女は俺の事を本当に心配してくれているのだろう。俺の事をそんな風に想ってくれる人がいるなら、もう喧嘩なんてしない。

 帰りの道中、伊織がスリーコインショップ──三百円均一ショップの事だ──に寄りたいと言ったので、繁華街に向かった。繁華街まで出ると、気の早い店がもうクリスマスツリーを出していた。そういえばハロウィンが終わって以降、街は少しずつクリスマス色に染まっていっている。今はまだそれほど多くないが、十一月後半にもなるとこの繁華街もイルミネーションに照らされて、幻想的な気分に浸れるだろう。


「何だか寂しそうだね、あのツリー」


 まだ周りにツリーやイルミネーションは少なく、場違いさが際立っているツリーが一本あった。エレベーターのボタンを押し間違えて女性下着売り場に来てしまった男の子、という感じがしなくもない。


「心配しなくてもすぐにクリスマスモードになるさ。確か六本木でも巨大ツリーのイルミネーションが点灯したって今朝のニュースでも言ってたし」

「クリスマスかぁ。早いね」

「そうだな……」


 今年のクリスマスは誰と過ごすのだろうか?

 今までと違ったクリスマス……そして、俺の人生が変わりそうなクリスマス。それが訪れるとしたら今年だ。何の根拠もなく勝手な決めつけだが、そんな気がした。

 果たしてその時彼女の隣にいるのは誰だろう? それは俺なのだろうか。少し寂しげな彼女の横顔を見て心の中で訊いてみるが、もちろん彼女は応えてはくれなかった。

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