2-12.女の子の内面は読めない

「おはよう、真樹君。手は大丈夫?」


 翌朝、伊織はいつも通りコンビニ前で待ってくれていた。昨日は少しぎくしゃくしてしまったが、もう心配ないようだった。


「ああ、ちゃんと冷やしたから腫れはマシになったかな。そんなにもう痛くない」


 手をグーにしたりパーにしたりして、彼女に見せてやる。本当はパーにする時に結構痛むのだが、そこは伊織を少しでも安心させる為に痩せ我慢だ。


「それならよかった。でも、油断しないでね?」


 痩せ我慢の甲斐あって、伊織がほっとしたように微笑んでくれた。やっぱり、伊織の笑顔はどんな薬よりも効く。心なしか、痛みが消えたような気さえする。


「そういえば、あの後彰吾から連絡きたよ。ごめんって」


 そう伝えると、伊織は「そっか」と呟き、ほっとしたように小さく溜め息を吐いていた。

 そう、驚いた事に、彼の方から謝罪をしてきたのだ。謝罪と言っても、『今日は殴られてイライラしてた事もあって八つ当たりしてもうた。気にせんとってくれると嬉しい。で、出来れば明日からまた普通に接して欲しい』というものだった。

 伊織に叱られたから謝ったのか、彼の本心から謝ったのかは定かではない。ただ、彰吾の方からそう申し出てくれた事は、こちらとしても結構有難い。信と仲直りした後は今度は彰吾と喧嘩といった事態は避けたかったし、ぎすぎすするときっと伊織をまた悩ませてしまうと思ったからだ。もちろん、俺の方からもちゃんと言い過ぎた事については謝ってある。


「今日は寒いな」

「うん。最高気温も十三℃までしか上がらないんだって。昨日まで暖かかったのにね」


 もう十一月の半ばに差し掛かるので、寒くなるのは当然だろう。吐いた息が僅かながら白くなっているので、また冬が来る事を実感させられた。別に寒いのは苦ではない。ただ、寒くて昼休みに屋上で過ごす事ができなくなるのが嫌だったのだ。


「この寒さじゃ屋上はキツいかもな」

「うん、風邪引いちゃう。お昼は教室で食べる?」

「教室か……」


 別に教室は構わないのだが、俺達が二人で過ごせ無い。一緒に昼を食べるとなると、周囲がうるさいに決まっている。

 道中で話し合った結果、結局俺達は一緒にお昼を食べるのをやめる事になった。屋上以外で二人だけで過ごせる場所に見当がつかなかったのだ。

 伊織も不満そうだったが、教室で食べるというのは周りのプレッシャーに耐えねばならず、陰で何かしら言われるのも嫌だった。それに、そんな事をすればまた彰吾との仲にも亀裂ができそうだし……残念だが仕方ない。


「じゃあ、お弁当今のうちに渡しておくね」


 そう言って、伊織は朝作ったお弁当を俺に手渡してくれた。まだ出来立てで、温かい。今日は朝ごはんを抜いてしまっているので、今すぐ食べたい衝動に駆られる。

 こうして彼女の弁当を食べれるのもあと僅かで、近日中に母親が帰ってくるとの連絡があったのだ。父の新しいビリヤード店の経営も上手く行ってるようで、店長も見つかったらしく(結局親父の友人のビリヤードのCUE職人)もう母親まで一緒に働く必要がなくなったのだそうだ。俺の一人暮しは終わりを迎えつつあり、母親が帰って来れば、俺の弁当は母親が作る事になる。そうなると、俺が伊織にお弁当を作ってもらう大義名分もなくなってしまうのだ。

 夕飯をいちいち用意したり外食したりする必要がなくなるのは良い事だけれど、お昼の楽しみがなくなるのは少し寂しいな、と思うのだった。


 登校してからは、俺は極力中馬芙美を視界に入れないようにしていた。というのも、結局中馬さんにはLIMEを送らなかったのだ。送るべきか否か迷ってるうちに夜中になり、そのままタイミングを逃してしまっていた。

 いや、もしかすると、伊織や信とぎくしゃくする要素を作りたくなかったというのが本音なのかもしれない。俺は伊織とだけ特別な関係で居たいし、近い存在になりたいと思っている。それに、信も大切な友達だ。中馬さんには悪いけれど、この二人との関係を天秤にかけると、LIMEは送るべきではないという結論に至ってしまうのだ。いつかマスターが言っていた、傷つけたくない人の優先度というやつだ。

 しかし、俺のそんな決断は、もろくもその数時間後に崩れ去った。その日のホームルームで席替えがあり、何と中馬さんと隣になってしまったのだ。

 何度か中馬さんと目が合うと、いつものようにツンとした冷たい感じではなく、何かとても寂しそうで、俺に何か求めてる表情をしていた。こういったクールなタイプの女の子にこんな表情されると、どうしていいかわからなくなってしまう。

 結局気まずさに耐え切れず、LIMEのトークを起動し、『どーも、麻生です。隣ですがよろしく』と書いて送信してしまっていた。我ながら見事な小心者である。

 いきなりメッセージが届いて驚いた様子の中馬さんは、スマホを机の下で開いて更に驚いて俺を見る。


「……もう来ないかと思ってた」


 安心した表情を見せる中馬さん。少し愛しくなってしまうが、俺はその感情を慌てて排除する。


「何て送れば良いか解らなかったんだよ。遅れてごめ──」

「ねえねえ聞いてー! 麻生君ってば凄いんだよ⁉ あたし等を助けてくれる為とは言え、いきなりヤクザ殴っちゃうんだから!」


 俺と中馬さんの会話は、かしまし娘ことよく喋る女・眞下詩乃によって遮られた。内容も俺にとっては最悪と言っても過言ではない。

 騒然となる教室で、俺は目の前が真っ暗になるのを感じた。しかも話がでかくなってやがる。ヤクザじゃなくて、チンピラだ。本職の方だったらこうして呑気に学校に来ているわけもなく、きっと今頃はどこかの水路でぷかぷか浮いていたことだろう。


「あのバカ女……どーゆー神経してやがんだ?」


 クラスの視線が一斉に俺に向き、頭を抱えたくなった。この話は広げたくなかったのだ。少なくとも下手に広がると先生方の耳に入って、呼び出されて教頭だか生徒指導だかに拘束される率は高くなる。


「多分、無神経っていうんだと思う」


 友達から無神経って言われる眞下もどうかと思うけど、中馬さんも彼女の口の軽さには少し不快そうだった。


「中馬さんからも口止めしといて。もう手遅れだろうけど」

「うん、言っとく」


 中馬さんはそう返事して、喧しく演説をかまそうとする眞下の方にツカツカと歩み寄っていった。

 よく考えてみれば、アホでうるさい眞下と冷静沈着クールビューティーな中馬さんの組合せって、噛み合わな過ぎる歯車な気がするのだが、あの二人はどうして仲良くしているのだろうか。不思議な関係だった。

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