2-4.手作りのお弁当

 昼休み、俺は一人で屋上に来ていた。空は綺麗に晴れ渡っているのだが、心は雨が降る前の暗い空模様だった。あれから信は話し掛けてこようとはしない。ただ、完全に避けているわけではなく、前のように休み時間毎に絡んで来なくなっただけだ。

 いや、これを避けているというのか? どうやらまともな思考回路すら麻痺してしまっているらしい。

 俺は何故ちゃんと説明しなかったのだろうか。やましい事など何も無かったはずだ。俺と中馬さんは何の関係もないし、最近まで話した事すら無かったただのクラスメートだ。これに偽りは無い。

 いや、本当か? 信に対して後ろめたさは確実にあったはずだ。だから今日だってわざわざ職員室に行ったんじゃないのか。

 では、何故後ろめたかった? 何の関係も無いなら普通にしてれば良いんじゃないのか? やましい事は無いが、俺の中にやましい心なら僅かにあったんじゃないか? 

 確かに中馬さんには恋愛感情云々は無い。ただ、自分から滅多に話し掛けない中馬さんが、しかも男の俺に自分から関わりを求めてきた事に多少優越感をどこかで感じていたのではないだろうか?

 信と喧嘩をしたのは以前にもあったが、こんな風になったのは初めてだ。マスターに相談してみようかとも考えたが、できるはずがなかった。マスターには昨日話を聞いてもらったばかりだし、あのカフェは信がその中馬さんにフラれて見つけた場所だ。そんな場所なのに、中馬さん関連の相談をできるわけがない。


「麻生君……?」


 ベンチで目をつぶって苦悩していたところ、優しい声が聞こえてきた。俺の一番好きな声なのだけれども、今は聞きたくない声かもしれない。


「麻宮さん……」

「ここにいると思った。購買に行ったらいなかったから……はい、どーぞ」


 そう言って、彼女はお弁当箱を手渡してきた。


「え?」

「口に合わないかもしれないけど、よかったら食べて? 少なくとも購買のパンより栄養あるから」

「あ、ありがとう」


 もしかして、彼女は俺の分のお弁当を作っていたから今日遅刻したのか? それなのに俺は、他の女の子と一緒に登校して調子に乗って……最低だ。こんな事をしていたら、信が怒るのも無理ない。


「一緒に食べていい?」


 麻宮さんが遠慮がちに訊いてくるので、俺が黙って頷くと、彼女は横に座った。お弁当を開いて見ると、綺麗に整えられていて、全て手作りであるのは明らかだった。きっと日曜日に今俺が外食ばかりだという話を聞いて、作ってきてくれたのだろう。

 麻宮伊織とは何と優しい子なんだろうか。まだ転校してきたばかりで、自分だって大変なのに俺に気遣って……。


「いただきます」


 とりあえず、ひじきから頂く事にした。栄養バランスをちゃんと考えてあるものばかりだ。


「……美味い」

「ほんと? よかったぁ。でも、まだまだマスターさんには勝てそうにないかなぁ。作ってるうちにね、何だか打倒マスターさんって感じで燃えてきちゃったの。それで遅刻しそうになったんだけどね」


 彼女が無理に明るく振る舞っているのは明らかだった。何とか俺も気分を取り直さないと……これ以上彼女に心配をかけたくない。


「十分勝ってるよ。ほんとに美味しい」

「もう。お世辞が上手いんだから」


 お世辞ではなく、実際どれを食べても美味しかった。もし俺が普通の状態だったなら、きっと空を羽ばたけそうなくらい幸せなんだろうに……。

 ふとそんな事を考えていると、麻宮さんがお箸を止めて心配そうにじっとこちらを見つめていた。


「ねえ、麻生君」

「ん?」

「本当に何もない? 昨日より酷い顔してるよ?」

「そうかな? 昨日のはもう半分解決したんだけど」

「じゃあ、今日のは?」


 そう問い返されるのは解っていたが、何も答えれない。果たして麻宮さんに打ち明けて良い事なのかさえ判断がつかない。打ち明けるなら、信の失恋話までしなければならない。俺にそこまで勝手に話す権利は無いだろう。


「もしかして、信君と何かあった?」


 やっぱり麻宮さんは鋭かった。何も答えずに黙っていると、彼女は続けた。


「彰吾もね、二人が変だってさっき言ってたの。私も気になってて……」

「なんか不自然だった?」

「不自然だよ。だって麻生君も信君も、誰とも話してなかったから。二人とも同じように難しい顔して……話し掛けれなかった」


 確かにそう考えると、不自然でしかなかった。普段、俺と信は何かしら絡んでいるし、そこに彰吾が加われば尚更の事だ。

 だが、他の女の子が絡んでいる事を麻宮さんに相談できるわけがなかった。話したくも無いし、場合によってはこっちにも変な勘違いをされてしまう。それだけは避けたかった。


「とりあえず、さ。今はその話やめてくれないかな」

「え?」

「ちょっと俺もよく解らないんだ。何か誤解があるみたいでさ。それに、麻宮さんが作ってくれた弁当を美味しく食べたいし。だから、今はあんまり信の事考えたくない」

「そっか……ごめんね」

「もう少し内容が把握できたら相談に乗ってもらうからさ。それに、信とは結構長い付き合いなんだ……何とかなるよ」

「うん……」


 彼女は頷いて、力無く微笑んだ。やっぱり話すべきだったのだろうか。

 だが、こうやって考えてると俺自身が今回の問題に対して論点を掴めていないのだ。

 何故、信はここまで怒っているのだ? 確かに俺は中馬さんと最近になって話すようになった。しかし、彼女と俺が深い関係ではない事は明らかであるし、深い云々を言うなら麻宮さんとの仲の方が確実に深いだろうと思うのだ。

 何かそれ以外に原因があるのか。それは俺の方にあるのか、信の方にあるのか…と、考え始めようとした時に予鈴のチャイムが鳴った。


「次の科目って何だっけ?」


 麻宮さんが片付けながら訊いてきた。


「日本史だったかな。嫌な授業だ」

「嫌いなの?」

「科目っていうより、教師がな」


 日本史教師の本田は、まだ封建制が続いているのかと思わせる時代錯誤な教師なのだ。どうにも年功序列で幅を利かせているというか、老害と言われるタイプの人間なので、そりが合わない。


「あ、弁当ありがとう。旨かったよ」


 麻宮さんに弁当箱を返しながら、御礼を伝える。彼女がこうして慰めてくれたから、きっと少し気持ちを持ちなおせたのだと思う。


「ほんと? じゃあ、明日も作ってくるね」

「いいのかよ?」

「うん。一人分も二人分も大して変わらないから……迷惑かな?」

「迷惑なわけないだろ。こんな美味しい弁当が毎日食えるなんて幸せそのものだよ」

「口が上手いなぁ。あ、でも遅刻しそうだったら作れないかも」

「無理して作らなくて良いよ。もう授業始まるからそろそろ行くか」


 時計を見て少し焦る。残り三分……って、これ間に合うか? 屋上から教室までは結構遠い。僅か一分用事で遅れたとしても、あの時代錯誤の封建主義教師の場合遅刻にされるのだ。麻宮さんを急かせ、廊下を走りまくって残り一分で教室に到着!


「間に合った! って……あれ?」


 教室はものけの殻だった。黒板には『本日の日本史は資料を使う為視聴覚室』と書かれてあった。そういえば朝そんな事を連絡してた記憶がある……。


「うそ……」

「終わった……またサボりたくなってきたな。麻宮さんもサボる?」

「だめだってば」


 麻宮さんが呆れたようにツッコんだ。そんな彼女の表情を見て、俺もようやく、少し元気が出てくる。彼女といるだけで、前向きな気持ちになれる。麻宮伊織って、やっぱり特別な女の子なんだなと改めて思った。

 結局俺達は仲良く遅刻して、チクチクと封建教師から嫌味を言われたのだった。

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