2-5.伊織と芙美の結託行為

 それから一週間経っても信と会話する機会は殆ど無かった。ただ、完全に互いがシカトしているならまだわかるのだが、解せないのが一応挨拶はするのだ。朝、教室で会うと「よぉ」とか「うぃっす」とか一言だけ会話は交わすのだが、それ以上話が続かない。

 信とつるむ機会が無くなった事もあって、麻宮さんと過ごす時間が自然と多くなった。一方、信は彰吾と一緒にいるようになっていた。彰吾も信に原因を遠回しに詮索しようとしたらしいのだが、結局成果は得られていない様子だ。

 俺はと言うと、麻宮さんに気を遣わせないよう日々明るく振る舞っているのだが、鋭い彼女の事だから、空元気なのは見破られていると思う。カフェにもあれから行かず、予備校にいくようにしている。麻宮さんや彰吾がカフェに行っているかどうかは知らないが、もし行っていたとするならばマスターに俺達の事を相談しているかもしれない。

 マスターの事だから、余計な詮索はしない方が良いと判断すると普通に接してくれるのだろうけど、それでもやはり気まずく思えてしまう。それに、信とばったり遭遇なんてしてしまえばそれこそ何を話せばよいのかわからない。

 マスターの嘘吐きめ。運なんてやっぱり俺にはないじゃないか。

 内心でぼやきながら英語のリーディングの中間テストを鞄の中にしまった。今回の英語はかなり難しかった。学年平均が三十点台らしいのだが、それも納得の問題。今回のテストは、何年か前の超有名私大の過去問を抜き出したもので、たまたま予備校の講義でこの問題を解いていたからわかったものの、初見だと間違いなく爆死だっただろう。要するに、大体の答えを覚えていたのだ。この面ではツイていたかもしれない。

 こういうツキは受験で発揮してほしいんだけどな、と欠伸をして寝ようとすると、指でトントンと肩を突かれた。

 誰だよ鬱陶しいなと思って肩を突いてきた主の顔を見てみると、飛び起きて天井に頭をぶつけそうなくらい驚いた。俺に何か用事があって迷惑にも起こして下さった方はなんと、あのミステリアス眼鏡美人の中馬芙美であった。

 一緒に登校した日……即ち信とモメた日から、俺達は目が合うと小さく会釈して挨拶らしき事をしたり、すれ違った時に一言二言程度話したりする事はあった。だが、まさか教室で話し掛けられるとは予想していなかった。

 これはよろしくない。こんなところを信に見られたら、余計に仲直りできないのではないか。そうは思いつつも、ここで中馬さんを拒絶するのも不自然だった。


「な、何か御用でしょうか?」

「ちょっとさっきの英語教えて欲しいんだけど……」

「そんなの先生に聞いてくれよ。俺だって解らないし」

「嘘。だってさっき九〇っていう数字が見えたから」


 ぐっ……いつ見たんだよ。そう、俺は問題を覚えていた事もあって、かなりの高得点を取ってしまったのだ。おそらく九〇点はクラストップ。


「え、麻生君九〇点も取ったの? 私も問題用紙見てみたけど、凄く難しかったよ?」


 前の席の麻宮さんも中馬さんの言葉に反応して振り向いた。


「声大きいっての。マグレに決まってんだろ? 鉛筆転がしてたら自然とこの数字が……」

「麻生君、鉛筆使いにくいから嫌いって言ってなかった?」


 麻宮さんが悪戯に笑って、余計な事を言う。確かに筆箱にはマーカーやボールペンを除くと二本のシャーペンしか入っていないのだった。


「いや、テストの時は強運鉛筆+二を常備して──」

「下手な言い訳いらないから教えてってば」


 言い終える前に中馬さんに会話をぶった切られる。下手って何だ、下手って。せっかく思いついたのに。


「教えてあげればいいのに。どうして嫌がるの?」


 どういう風の吹き回しなのか、麻宮さんが中馬さんの肩を持ち始めた。この二人にタッグを組まれると逆らえる気がしない。


「いや、答えれる保証ないし」

「そんな事言ってると、麻生君が頭良いって言い振らすよ?」


 麻宮さんが悪戯げな笑みを見せて言う。


「よ、よせ! わかったよ。でも、答えれなくても文句言うなよ」


 俺は頭良いキャラで通ってはないし、そんな風に思われたくない。アホと思われていた方が楽なのだ。


「で、何が聞きたいんだよ」


 もうヤケになりつつ中馬さんに訊いた。

 中馬さんは問題用紙を見せて、十四行目のfreer withを指差した。


「これって何なの? free withなら知ってるけど。印刷ミス?」

「ああ、これは熟語を比較級にして使ったんだよ」


 俺は前後の文法関係を説明してやった。何故こんなに詳しく答えれるかと言うと、同じ疑問を講師にぶつけたからだ。麻宮さんも感心しながら聞いていた。


「これだけ?」

「ううん、あと一つ。ここの部分だけど……よく意味がわかんない」

「悪い。そこは俺もよく解らないから先生に聞いてくれ」


 そう正直に伝えると、中馬さんは少し残念そうな顔をした。


「どうした?」

「あたし、先生に聞くのとか苦手だから……」

「何で?」

「わかんない……何となく」


 何となくって……俺もあんまり質問とかするタイプじゃないから少しわかるけども。恥ずかしいというか、何というか。

 そんな事を考えていると、何だか知らないが、麻宮さんが何かを閃いたような、嬉しそうな顔をしていた。嫌な予感しかしなかった。


「じゃあ、麻生君が先生に訊けば良いんじゃない?」


 俺の予想は裏切られず、とてつもなく余計な事を言う。何故にわざわざ質問しないといけないのだ。俺はわからないままほったらかしておいても良いのに。


「あ、それ良いかも」

「でしょ? それなら中馬さんも麻生君も、それに私までついでに教えてもらえるじゃない?」

「うん。得だよね」


 何やら勝手に二人で話が進んでいる。女二人と会話するのがこんなに大変だとは思わなかった。


「じゃあ麻生君、お願いね?」


 もう決まったかのように中馬さんが念を押してくる。あの、俺の意見は無視なのですか?


「お願いって……俺はまだ承諾してないぞ」


 憮然として答えると中馬さんは少し照れ笑いをしながら〝お願い〟と表情を作った。クールビューティーな中馬さんにしては、精一杯甘えているのかもしれない。一瞬キュンとなってしまったのは否定できなかった。


「わ、わかったよ……聞いとく」


 いつから俺は嫌な事を嫌と言えない人間になってしまったのだろうか。渋々承諾したのを確認すると、彼女は満足気に自分の席へ帰っていった。しかし、信も今の俺達のやり取りを見ていただろうから、もはや仲直りはできないかもしれない。最悪だ。


「お前が余計なこと言うからぁ~」

「ちょっと困らせちゃった?」


 少し舌を出して、麻宮さんは悪戯げに笑っていた。


「困りまくりだ」

「でも、中馬さんはきっと喜ぶと思うよ」

「そりゃ見事なまでに俺を利用できるんだからな」


 私的にはハメられたという感じがしなくもない。しかし、麻宮さんは俺がほかの女の子と仲良くしても平気なのだろうか? 少しは嫉妬して欲しい気がするが……やはり、何とも思われていないのだろうか。

 別に俺と彼女は付き合ってるわけではないので、妬かれなくて当然なのだけれど、少し寂しい。ちなみに俺は彼女が他の男と話してるのを見ると、不機嫌になりがちだ。


「そういう意味じゃなくて……麻生君と話してる時の中馬さん、楽しそうだから」


 そうなのだろうか。俺からしてみれば何の変化もなく、逆に怒っているのかと不安に思う事さえある。ただ、麻宮さんは人を見る目があるので、信憑性はあった。それが原因で彼女は非常に心配性で気苦労の多い人生を送っているのだけれど、彼女自身は全く気付いていないようだ。


「でも、今日は勉強になったなぁ」


 不意に麻宮さんが嬉しそうににこにこして言った。


「何が?」

「麻生君にお願いするときは、ああすればいいんだね。私も参考にしよっと」


 背筋が凍る様な事をおっしゃる。中馬さんでも承諾してしまうのに、麻宮さんにやられると何でもやってしまいそうだ。


「何頼もうかな?」

「勘弁してくれ……」


 これまた嬉しそうに〝お願い〟する事を考えている彼女を見ていると、俺の苦悩はまだまだ続きそうだった。

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