第12話 禁断のクスリ(後編)

 カチュアの協力により教室から脱出したクロウは現在身体強化を発動する事無く学術院内を逃げ回っていた。

 アーヴィングからの指導で身体強化を発動する事自体は可能になったものの、クロウの場合魔力の運用効率に難があり長時間身体強化を使用してしまうと魔力切れを起こしてしまうのだ。

 魔力切れを起こしてしまうと倦怠感に襲われ、まともに動く事すら困難になってしまう。

 足を止める事無くクロウはチラリと振り返ると、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 魔力切れを起こした自分に血走った目の男達が荒い息と共に群がり、身包みを剥がされる。

 そんな嫌な未来を想像してしまったクロウは、最悪の結末を振り払うかのように一度頭を振ると足を動かす事に専念するのだった。


 クロウが自らの貞操を守るべく必死で駆け回っていた、その頃。

 カチュアは研究室で実験記録を記していたノートと、何故か残っている材料の一部を前に一人頭を抱えていた。

 本来今朝作り出した薬はカチュアの他人には言えない、ちょっと恥ずかしい願望をかなえるための薬のはずだった。

 しかし、出来上がった薬の効果はまったくの別物。

 クロウの現状から考えて、服用者の周囲に居る男性に性的興奮を齎す効果を持った薬のようだ。 

 しかもその興奮が服用者に対してのみ向けられるのであれば、偶然の産物とはいえこれはこれで使い道があるのではなかろうかと考えたカチュアはノートに赤いインクで要検証と書き込むと、クロウを主役とした乙女の嗜み的なイケナイ妄想を頭の隅に追いやり、効果を打ち消す薬を作り出すべく作業を開始した。


 学術院の敷地内にある、時計塔の鐘が鳴る。

 その鐘の音を聞きながら、クロウは空を仰ぎながら息を吐き出す。

 学術院内を逃げ回り、今クロウが身を隠しているのは校舎の屋上。

 寄りかかっていた壁から身体を離したクロウは周囲を警戒しながら屋上の端へと歩き、転落防止用の柵からほんの少し顔を出すと眼下の様子に盛大に溜息を吐き出した。


 校庭は正気を失いクロウを捜し求める暴徒と化した男達とそれを鎮圧しようと奮闘する集団とに分かれ、軽いパニック状態に陥っていた。

 クロウが行く先々で男が次々と正気を失っていくものだからその数は膨れ上がり、鎮圧側が聊か分が悪いようにも見える。


「土の魔術が使える者は土壁を展開! 彼等を囲いこみなさい!」


 陣頭指揮を執っていた女性教師の声を合図に、男達を囲うべく地面が隆起していく。

 しかし、あと一息で完成するかに思われた男達を囲う檻は、突如土煙を上げながら崩壊し始めた。


「そんなっ!?」


 愕然とする女性教師を嘲笑うかのように土煙の中から姿を現したのは、燃えるような赤い髪をした一人の男だった。


「嘘だろ……」


 自分に身体強化を伝授してくれた男の姿に、クロウの顔から血の気が引いていく。

 あの男に見つかるのはマズイとクロウの本能が警鐘を鳴らす。

 クロウは身体強化を発動するために、魔力を全身に行き渡らせる。

 だが、それは悪手だった。


 クロウの魔力を感じ取ったアーヴィングは女性教師に向けていた顔をゆっくりと、屋上へと向ける。

 その口元を三日月のように歪めたアーヴィングが身を屈めた、次の瞬間。

 アーヴィングの姿は女性教師の視界から外れ、はるか上空にあった。

 身体強化によって飛び上がったアーヴィングが身体を倒し、まるで空中に足場でもあるかのように虚空を蹴ってクロウに向かい飛び出す、その少し前。


「出来たぁ!」


 フラスコから立ち上る煙が白から毒々しい紫へと変わると同時に、カチュアは叫んだ。

 コルクでフラスコに蓋をして、カチュアは研究室を飛び出す。

 勢いよく飛び出したまでは良かったものの、カチュアには今クロウが何処にいるのかなど知る術は当然無い。

 それでもカチュアは止まらない。

 自分の勘を頼りに走り続ける。

 イケナイ妄想が現実になる事を、ほんのちょっぴり期待しながら。


 音も無く屋上に降り立ったアーヴィングを前に、クロウは身体強化を発動したまま動けずに居た。

 自分以上に身体強化の使い手であるアーヴィングにどう足掻いても敵わない事など、クロウにはわかっていた。

 いや、短い期間とはいえアーヴィングに特訓を受けたクロウだからこそと言うべきだろうか。


「みつけたぞぉ、クロウ……」


 身体強化を解いたアーヴィングが一歩、クロウに近づく。

 身体強化を解いている事がイコール勝機ではないとクロウも理解している。

 それでも初体験が男だなんて御免被りたいクロウは必死に逃げ道を探し、僅かな可能性に賭け僅かに前傾姿勢をとる。


 ゴクリと唾を飲み込み、アーヴィングが踏み出した瞬間にあわせ、クロウは駆け出した。

 目指すはアーヴィングの背後にある校内へと続く扉。


「つぅかまぇたぁ……」


 だが、アーヴィングは容易くクロウの腕を掴むと、まるでダンスでも踊るかのようにその場でクルクルと回転し、満足げな笑みを浮かべその場にクロウを押し倒した。

 片手でクロウの両手を押さえ込み、空いた手でクロウの頬を撫でる。


「離せ、このっ! 」


 もがくクロウとアーヴィングの顔が重なろうとした瞬間。


「ありがとうございます!」


 何処からとも無く聞こえてきた謎の感謝の言葉と共に、アーヴィングの頭越しにクロウに冷たい液体が降ってきた。


 クロウの視界一杯に広がったアーヴィングの顔がみるみる青くなっていく。

 アーヴィングは身体強化でも発動したかのような素早さで屋上の隅に向かうと、その場に蹲り嘔吐き始めた。


「悪い……助かった……」

「貸し、一つだからね」


 呆然としたまま呟いたクロウは、笑みを浮かべながら差し出されたカチュアの手に掴まり、身体を起こした。


「酷い目に遭った……」

「クロウが勝手にボクのクスリを食べたりするからだよ」


 腰に手を当てジト目を向けるカチュアにクロウは首を傾げて見せた。


「クスリ? ……お前、そこまでして男にモテたかったのか?」

「ち、違っ! ホントはこんな効果が出るもんじゃないんだよ!」

「失敗作って事か? 成功したらどんな効果が出る予定だったんだ?」


 その言葉にカチュアはものすごく言いずらそうに何度か口を開いたり閉じたりを繰り返し、そっぽを向くと小声でぼそぼそと答えた。


「……豊胸剤……」


 その言葉にクロウはこれからはカチュアの研究室にあるものに手を出すのは止めようと硬く決心するのであった。


 

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